倚りかからず
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
茨木のり子 『倚りかからず』 1999 より
この詩を朝日新聞の天声人語(かな?)で知った頃、
いろいろな波の中にいてぐちゃぐちゃだった、体も心も生活も・・・。
同じくして、
長く長く倚りかかっていた大学を離れることにもなっており、
いかにそれまでの自分に対しての評価が、大学を通してのものだったかを
歯ぎしりしながらかみしめていて・・・。
そんな時だったから、一層より清冽に響いたのかもしれない。
それまでも茨木のり子の詩は何度か読んでいて、
石垣りんと同じ反戦詩人と、はっきりとした意志の人だと心にとめていた。
けれど、この時の清冽さはそれまでとは違いすさまじく、
この時から一番好きな詩人はの問いには「茨木のり子」と答えるようになった。
とはいえ、かの人の詩以外まで興味を持つほどではなく、
時折、この詩や
「自分の感受性ぐらい」「落ちこぼれ」「この失敗にもかかわらず」など、
好きな詩を日記に引用したりしていたぐらいだった。
ところが!
なんとこの茨木のり子氏の家が西東京市にあるというではないか!
それもなんと、したのやムラのあった下野谷遺跡の範囲内に!!
昨年11月、平凡社から『茨木のり子の家』というフォトブックが刊行されている。
そんな情報とともに教えていただいた。
なんて無知だったろう!
早速訪ねてみた。
これまでも何度も通り、眺めた家だったのに、全く気付かなかった。
普通の住宅地に普通にたたずんでいるにもかかわらず、
家も庭木も静かな力をたたえているというのに。
そっと、表札に触れてみる。
冷たさが指から頭に抜けて、
頭上に咲く紅い梅に
「ばかものよ」と、頬をたたかれた気がした、ちょっと笑われながら。
おりしも、昨日2月17日は、5年前、
かの人がその家で、最愛の夫の待つ天界に旅立った日。
『倚りかかれず…』 凧男
今や
できあいの思想には倚りかかりたい
今や
できあいの宗教には倚りかかりたい
今や
できあいの学問には倚りかかりたい
今や
いかなる権威にも倚りかかりたい
少し長く生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていては
不都合のことが多すぎる
倚りかかるとすれば
それは他人の
椅子の背もたれだけ
自分の椅子が持てなかった
悔いを残して
それにしても奥が深いな。この2つの詩を並べてみると・・・。