ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第58回目(岡山~東岡山駅)

2018-02-08 | 日記

山陽道(西国)第58回目(岡山~東岡山駅)

2017.12.6(水曜日)晴れ

  9時33分の新幹線に乗って、10時34分岡山駅に到着。北口に降りたが、前回の終点「奉還町商店街入口」の方向が分からない。近くにいた青年に尋ねると「どちらから来られました?あっ、私も山口の出身なのですよ」と親切丁寧に教えてくれた。10時55分奉還町商店街入口前を左に見て出発。(余談だが、この商店街は明治初期に家禄奉還金を資本に、士族が街道沿いに商店街をつくったことにちなむ町名らしい。) 少し行くと右手に山陽本線を横切る地下道があり、入口左に智明権現と地蔵尊・地神がある。この地下道を抜けると、江戸後期に岡山最大の町門があったらしいが今は何もない。 道路を渡ると「後楽園通り」に入る。この通りを真直ぐ行くと日本三名園の一つ後楽園に行ける。後楽園通りを東に少し行くと西川があり、青柳橋の左手(北側)に時計台が見える。

                   

  奉還商店街の入口      智明権現と地神     青柳橋からの時計台                                

 大通り(53号線)の2つ前の十字路を右折する。この辺は丸亀町と呼ばれ、町の真中附近左手に金刀比羅(ことひら)神社がある。そこから少し行くと大通りにぶつかる。ここが岡山駅前通りで通称「桃太郎通り」と呼ばれている。そこを左折する。山陽道は3つ目の信号機で桃太郎通りを南北に横切り直進するが、1つ手前の「柳川の信号機」がちょうど「青」になったので桃太郎通りを横切る。

                   

  金刀比羅神社         桃太郎通り        「柳川」信号機を渡る       

柳川信号機を渡ってそのまま東へ歩き、次の信号機を右折すると商店街がある。商店街の看板には「上之町」と書かれてある。本陣もこの商店街の中にあったと言うが、その面影はない。 商店街の入口に時計台がある。さっき西川の時計台を見たので岡山と時計台の関係が気になったが考え過ぎだろう。

                   

商店街の時計台          通りのモニュメント       商店街のマンホール      

商店街を通り抜けると大通りにぶつかった。そこを左折して少し行った所で、路面電車の線路がないのに気が付く。前方に「新京橋」の看板が見える。「行き過ぎた!京都や大阪から来た人は大丈夫だが、広島方面から来る人は絶対迷うよな!」と互いに慰める。 戻る為、 新京橋の手前を左折し少し行くと左前方に「西大寺町」と書かれた看板が見えた。路面電車も頻繁に通る。そこを右折する。橋の手前右に見える古風な建物は交番だ。

                    

大通りの交差点    京橋を路面電車が通る      橋の袂の交番 


交番の西側に「橋姫稲荷大明神」がある。その前、歩道を挟んで里程元標がある。「岡山縣里程元標」「藤井貳里壹町五拾八間壹尺」と刻まれている。その横に岡山県里程元標説明板がある。その中に「派出所前の道路元標は大正9年に立てられたもの」と書かれているので、派出所の前に行くと京橋の手前にあった。

                   

橋姫稲荷と里程元標    里程元標と説明板    派出所前の道路元標 

派出所の反対側に「京橋渡り初めの図」と書かれた弘化4年(1847)の木版画の陶板がある。その近くに「迷子しるべ」があり、「たつぬる方」「志らする方」と太い字でくっきりと刻まれている。 少し先に「旧橋本町」と書かれた案内碑があり、「宇喜多氏が城下町を建設したときにつくられた町人の町です。」と書かれている。

                   

    京橋渡り            迷子しるべ         旧橋本町の案内碑 

反対側(川の土手)に目を向けると、大きな木の左側たもとに岡山県出身で若くして死んだ俳人住宅顕信の句「水滴の ひとつひとつが 笑っている 顔だ」の碑がある。その右手にも大きな石碑があったが、何が刻まれているのか分からなかった。 12時15分を過ぎたので歩きはじめる。京橋を渡り中橋を歩いている時、最新型?の路面電車が通り過ぎた。旭川の中州の架かる京橋、中橋、小橋を渡り電車通りを少し行くと、左手に岡山名物・吉備団子の店が二軒並んでいる。手前の店が「広栄堂武田」次の店が「廣榮堂本店」、ともに安政3年(1856)創業という。 山陽道は電車通りと別れ、「廣榮堂本店」の所で左折する。6分ばかり歩くと旭川の支流御成川があり、架かる勲橋のたもとに稲荷神社がある。

                                  

「廣榮堂本店」     御成川に架かる勲橋      川たもとの稲荷神社  

この附近で12時30分になった。お城の近くなので食べ物屋さんは沢山あると思ったが、「食べれる時はすぐ店に入る」ことを思い出し、街道沿いに見つけたうどん屋さんに入る。 13時6分再出発。400m先、左側に惣門跡の案内板がある。それによると「天正元年(1573)宇喜田直家が岡山城下町の入口として惣門番所を設けた跡」と書かれてあった。 惣門跡の案内板から5分程度歩くと、小さな祠があり、すぐ先に茶色の名号石があった。

                     

街道沿いのうどん屋            惣門跡             名号石          

名号石からおよそ1km歩くと原尾島三丁目の信号にぶつかる。道路を渡り、変形交差の道を右に行く。(山陽道から見れば、道なりになる)少し歩くと右手に「龍翔寺」の門があり、その右前に「北向のお地蔵さま」と幟が立ててあった。 その先道は二股に分かれるので左に行く。すぐ百間川の土手に出る。左へ行って百間川に架かる原尾島橋を渡り、信号機の所を右折する。

                     

龍翔寺の北向のお地蔵さま     百間川を渡る       原尾島橋                                                           

ここから東岡山駅までは歩道のない狭い一本道。交通量が多くて安心して歩けない。おまけに藤原のから追分の兼基まで(およそ2km)何もなくひたすら歩く。 兼基の追分には何も書かれたものがない。ただこの付近は追分と言われたらしい。「道が分かれているので追分?」  5~6分行くと小川のほとりに地蔵堂があった。その先、右側の奥に天鴨神社がある。

                    

   追分             地蔵堂           天鴨神社      

天鴨神社から10分道なりに歩いて行くと、左向うに東岡山駅が見えてきた。 15時15分東岡山駅に到着。 その後電車で岡山駅に帰り、前回宿泊した「コンフォートホテル岡山」に入る。夜の食事は今日午前中歩いた「上之町」商店街で摂る。  またまた余談になるが、次の日の朝散歩をしていると、ふと、「岡山城は何処にあるのかな?」と思い町の人に聞くと、我々が宿泊をしたホテルの方を指さし「あの丘の上にあります。」と言われ行ってみた。朝日を背にしたお城は綺麗だった。 私たちが泊まったホテルは城下で、お城はホテルから歩いて5分の所にあった。(ホテルの周りは高いビルで城が見えなかった。)


 

東岡山駅 

                    

今日のコースは9.5 km   (岡山県の計55.5 km  総計397.5 km)

 


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