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「デルタ」とはミシシッピ河とヤズー河にはさまれたデルタ地帯でブルースの宝庫です。Charlie Pattonは生涯「デルタ」に住み、デルタ・ブルースを確立した人物です。彼以前にデルタ・スタイルのブルースを吹き込んだ人はいますが、Son HouseやRobert Johnsonに与えた影響、さらにはその後のシカゴ・ブルースに与えた影響からすると、まさに"Father of Delta Blues"だということです。
彼は1891年、ミシシッピ州エドワーズ近郊に生れます。1900年、家族と共にデルタの中心部にあるドッケリー・プランテーションに移住。そこで、ギターを学び、ブルースを学びました。そこにはJohn Lee HookerやHowlin' Wolf、Robert Johnsonといった多士済々がそろっており、セッションを重ねることでプリミティブでアーシーなブルースのスタイルが醸成されていきます。1910年、19歳の頃には熟達したプレーヤー、作曲家になっており、代表曲のひとつ「Pony Blues」もこの頃にはできていたそうです。
彼は南部に落ち着いて、プランテーションや酒場で演奏を続けました。ジミ・ヘンばりに膝の上や頭の後ろでギターを弾いたそうです。彼の声はウィスキーとタバコに荒れていたが、マイクを使わず500ヤード位は届いたということです。
1934年、彼はミシシッピ州内で心臓疾患で亡くなります。
彼の人種については議論が分かれています。肌の色がさほど黒くないために、メキシコ人、チェロキーといった説もあるそうです。
時代が時代なだけに、残された曲はSP盤に録音されたものですが、感覚の新鮮さは今なお通じるものがあります。(Napsterでは試聴が出来ませんが、こちらでは出来るようなので、もし興味があればどうぞ)
主な曲は「Pony Blues」、「A Spoonful Blues」、「Lord I'm Discouraged」、「Dry Well Blues」等々。泥臭いギターにざらついた声が絡み合う、まさにブルース!といった曲が多いです。
ある人はPattonの曲を評して
仲間どうしの一体感があり愉快だという感じと、自分は非常に孤独で人生の辛苦をかみしめているという感じとが混じりあったような印象
を受けると言っています。
最初にCharlie Pattonの名前を知ったのは、花村萬月氏の「ブルース」という小説でした。その中で、
「チャーリー・パットンは白人の血が混ざっていて、黒人にしては色が白かった。だからまわりの黒人を馬鹿にしきっていて、優越感を持って・・・・」
「チャーリー・パットンの生き方は、ずるくて、汚くて、すこしだけ恰好良くて悲しいから。だからブルースでさ、ブルースなんだよ。人格者なんてクソ喰らえ、だ!」
1933年には喉を切られて死にかけたという記録もあります。何かしらやばいこともやっていたのでしょう。ブルースの創始者として音楽的には偉大だったが、人間的にはやな奴(?)だった、そんなアンビバレントな側面を、78回転SP盤のブツブツというノイズの向こうのCharlie Pattonの声に感じてしまいます。
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