2019年6月12日(水) 吉野宮へ その3
翌日9日の宮滝の朝は、清々しいものでした。
「タナカさん、夜中に何かありましたか!?」と私。
「夜中に何か分かりませんが、ガタガタと音がしていました」とタナカさん。
「タナカさんは、鴨族の血を引いた御姫様ですよ」と私。
タナカさんは、鴨の部屋に泊まりました。
鴨族は賀茂であり、天武天皇の母である斉明天皇は賀茂の血を受け継いだが故の運命に翻弄されました。
本当の斉明天皇の墓から真北に京都の下賀茂神社があるのは偶然でしょうか。これは意味ある配置です。
朝も温泉に浸かり、大きな窓の向こうの谷合の山並みの向こうに思いを馳せていました。「今日、そちらへ行きます」・・と。
朝食は、土鍋に炊かれ鮎の雑炊でした。 これもまた非常に美味しいものでした。
朝食を済ませたら、ゆっくりすることもなく、宿を後にしました。
そして最初に立ち寄ったのが、宮滝遺跡後でした。
そしてそこから次に向かったのが、岩神神社でした。
武部さんは前日に行っていたとのことで、私たちを連れて行ってくれました。
途中、見事に三角と丸い特徴ある山が現れました。
この型は、この山の向こうに重要な役割を担ったホキ集落があることを教えています。
そしてその山が大きく目の前に現れたところがビックリする巨大な方位石の磐座が神社の裏にそびえていました。
磐座に近づいてコンパスグラスで角度を測ってきましたが、これらの角度が何を教えているのかをその場で知りえることはできませんでしたが、後日地理院地図に落とし込んで分かった時、それはもうビックリするばかりです。 ・・つづく
2019年2月28日(木)
あまりにも綺麗な2:1:√3の直角三角形です!
24日(日) スタップサロンにメッセンジャーのS藤さんが来られるというので、サロンへと行ってから四天王寺へと行こうと家を出ました。
でも・・Sさんに会うと、「私はよく上賀茂神社に行くのですが、本殿入り口の門の前に流れる川に架かる小さな橋の前方部にある岩が気になります」と話されます。
これはもう、「今日は四天王寺でなく、上賀茂神社へと行きなさい」と響いてきました。
それで、すかさず京都へと急ぎました。
・・その結果、Sさんが言われたとおりで、その岩から門を通って本殿に抜けるラインの角度を計測して帰り、地理院地図を見ると・・、そこには見事なピラミッド的なコンターラインの山(393m)がありました。
その山にポイントを打って、出来上がった三角形が、法隆寺とイエス・キリストの墓を結ぶ綺麗な直角三角形でした。
その山から真南に法隆寺があり、真西にイエス・キリストの墓があります。
上賀茂神社は、この393mの山に手を合わせるように築造されています。
いかに大事な山であるかが分かります。
上賀茂神社も大事な大事な場所に造営されています。
下賀茂神社と法隆寺とイエスの陵墓も直角三角形でしたが、どちらも二葉葵の神紋で共に直角三角形です。
間違いなく、ハートの形をした葵の紋章をかかげる組織体のルーツの方々は、この国の本当の歴史をご存知ということのようですね。
鴨族です! カモ族です! 日本の本当の歴史を知っている方たちです。
Sさん、ありがとうございました。 感謝です。
法隆寺へのツアーの空席は0となりました。 キャンセル待ち1名の状態です。
お申し込みいただきました皆様、ありがとうございました。
近々に法隆寺の秘密をまとめた案内書がお届けされる予定です。
楽しみにお待ちくださいませ。
2019年2月23日(土)
「貴船神社も二葉葵の神紋ですが」というメールを、長崎県島原市のN野さんからいただきました。
N野さん、ありがとうございました。
早速、地理院地図を開いて何があるのかを見てみると・・
貴船神社とイエスのハートの丘と忌部山が見事に正五角形の一部を成す、36度54度90度の綺麗な直角三角形を描きます。
見事です。
あまりにも綺麗すぎる直角三角形なので、その三角形の重心に隠されて何かがあるのでは・・と、ネットで調べると・・。
重心の位置は、知明湖になっていて・・、ここに豊臣秀吉の埋蔵金の伝承などがあることも面白話ですが・・。
そして・・、忌部山と言えば、マリアの墓と徳島の忌部山と奈良の忌部山の三点が、これまた36度54度90度の綺麗な直角三角形を描いていましたね。
こんなことって、偶然でしょうか。 絶対と言っていいほど偶然なんかではありません。
意図して、計画された位置決めです。
正五角形の一部を構成する直角三角形は、特別な意味を持っている気がします。
・・と、このようなことが浮かび上がりました。
N野さん、ありがとうございました。
だんだんと浮かび上がってきましたねぇ。
イエスとマリアと忌部と鴨族の関係が・・!
2019年1月2日(水)
イエス・キリストの墓と役行者堂(墓)と比叡山延暦寺根本中堂は一辺がほぼ103㎞の正三角形を描いています。
そして、賀茂御祖神社からイエス・キリストの墓までと役行者堂までの距離は、共に97㎞と同距離です。
全てを知っていた役行者は、鴨族だということを教えていますね。
役行者も大峯山もお月さんたちも、全てを知っていますねぇ。
2017年4月11日(火)
9日(日)、アネモネさんでのセミナーが始まる前に、亀戸天神社(亀戸天満宮)へと行きました。
亀戸は、岡山県岡山市東区瀬戸町南方にあるイエス王家の陵墓である天神山~熊山遺跡~京都御所~東京御所~亀戸~麻賀多神社~神栖・・と、カーナビの精度で一直線に並ぶ霊ライン上にあります。
正に神様方が居られる住まいへの戸であります。 亀は神を表現していますから、それで・・亀戸。 納得します。
一度はその亀戸へと行ってみたい、・・いえいえできるだけ早いうちに行かなければと思っていた場所でした。
亀戸がある江東区に私の弟は住んでいました。 そして・・、江東区の墨東病院で平成20年6月24日に帰らぬ人となりました。享年51歳だったのかな・・。
亀戸天満宮の境内を歩きながら、弟のことを思い返していました。 「そうかぁ・・神の戸から堂々と神様達の元に行ったのかぁ・・」と。
亀戸は七福神さまたちも祀っている地域のようですね。 当然と言えば当然と、案内板を見て思ったりもしました。
時間があれば、その神社やお寺も廻ってみたいと思っています。
池の中の遠くの亀さんを撮ろうとすると、頭をこちらに向けてジ~~ッと見ていましたねぇ。 私の頭の中まで亀さんに見られてしまったようですぅ・・!
この世の全ての生き物たち、それらは動物や植物、微生物も含めて神様のレンズのように思う私です。
きっとそうだと思います・・。
「おお~~、やっと意味が分かった上で、亀戸天満宮へとやって来たかぁ・・待ってたぞ!」と、亀さん。
「鴨族の皆様がこの国の礎を築いたことを思い出してください・・」と、カモさんも。
揚羽蝶さんは、小雨が降っているので、木陰で雨宿りのご様子でしたぁ。 ホント!?
2016年3月2日(水)
とある雑誌のカスタマレビューと、私の新刊のレビューに向麻山と書いて、「コウノヤマ」と読みます、と書かれていましたので、地図で調べると・・なんと、高野山とその向麻山から地下神殿がある生野町の口銀谷まで全く同距離でした。
大西さま、これは偶然ではないでしょうね。
なんと、向麻山から高野山を通って延長したライン上に大峰山山上ヶ岳がありますが・・、これも大事な場所を教えているようです。
アークは、宇宙人あるいは神からもたらされた人類的な神宝で、それを担げるのは、恐らく古代イスラエル人のうちのレビ族なのだと思う。
そして、そのレビ族の末裔とされているのが、多分に日本の徳島の阿波忌部氏であるのだろう。その忌部氏の子孫が、天皇家に大麻の布を貢ぎ納める三木家を代表とする、鴨族と呼ばれる主に吉野川流域に住む祭祀族のグループなのだろう。
ネットの情報によれば、阿波忌部氏は、三木・長谷・永谷・中橋・千野・治野・田方・早雲・木頭・高河原・北野・北三野・高如・名高・名高河・今鞍・藤・赤松・大坂・長者・麻植の名字を名乗っているらしい。
私自身は両親の実家が徳島の旧麻植郡で、私もそこの鴨島町が出生地だが、これらの名字には一致しないので、少なくともレビ族を祖先とはしていないと思われる。
ただ、私の母方の家系が公家の藤原氏一門の日野家であり、ついこの間、靴屋の店員が母の足の形を見て「農耕民族が多い日本人には珍しい、まるで西洋人みたいなスラリとしたスマートな足形」と言ったと聴いた。
また、私の父方の家系も彫りの深い欧米人のような顔立ちをした人ばかりで、両家系とも古代イスラエル人のレビ族ではなくとも、もしかしたら父方は出雲族とも呼ばれるエフライム族を中心とする北イスラエル王国の「失われた10支族」か、或いは、母方は日向族と呼ばれる南ユダ王国のユダ族かも知れない。古代イスラエル人の一般大衆か王族のどちらであるかは、今のところよく分からない。ただ、古代イスラエルから古代の日本にやって来るまでに、ヨーロッパ人との混血があったことも考えられる。
聖櫃アークについては、その昔に麻植郡の一部であった剣山の山中の鍾乳洞に保管されていたものが、現在では兵庫県の古に「死野(シオン)」と呼ばれた「播磨国風土記」に書かれているらしい朝来市生野町と神崎郡神河町にまたがる「埴岡の里」辺りに移されていると、上森三郎氏の著書に書かれていた。
兵庫県の「埴岡の里」あたりは砥峰高原があって、村上春樹氏の小説を映画化した『ノルウェイの森』のロケ地であるし、また世界遺産候補地の生野銀山があるところでもある。
私もこの上森氏の説は、すぐには信じられなかったが、私と同年代で神戸出身の世界的天才ピアニストの平原誠之氏が、組曲「火の鳥」の作曲で上森氏のアーク発掘の活動を支援していたり、天皇陛下に手紙を宛てているところなど、多くの著名人の関係者を巻き込んでいるところを考えると、あながち妄想の産物とは言えず、「事実は小説よりも奇なり」の言葉の通り、ひょっとしたら本当に兵庫県にアークが眠っているのかもしれない。
郷土愛、祖国愛からも、日本の兵庫の生野(シオン)の地下神殿にアークがあることを信じたいし、それが発掘されることを期待したい。そして、もしそれが発掘されたら、天皇陛下にお納め頂きたいとの上森氏の手紙の内容に、私も同感している。
追記:昨今の上森氏のブログでは、幾つかの「コウノヤマ」が生野の地下神殿の存在を幾何学的に指し示していることが述べられている。和歌山の高野山と、大阪府交野市の交野山、奈良県山添村の神野山と、大阪府岸和田市の神於山である。
私の持っている情報を補足させて頂くと、徳島県吉野川市鴨島町の麻植塚(おえづか)駅の南方にある「向麻山」も「コウノヤマ」と読みます。
すべて空海による仕掛けだとしたら、空海はとてつもなく頭の良い人だったと言わざるを得ません。まことに頭が下がります。
2015年8月7日(金)
7月26日に、神戸から徳島の太龍寺へと皆さんと一緒に行きましたが、そこで私が空海様に教えてもらったことは・・。
大師堂正面の彫り物の意味でした。 この彫り物は何を教えているか・・・。
邪馬台国はオリオン座に似せて国土設計をしたと教えていましたね。
べテルギウス ・・・ イエス・キリストの墓 836m 赤い土で覆われています。べテルギウスは赤く輝いています。
ベラトリクス ・・・ 弥仙山(舞鶴市)664m
リゲル ・・・ 亀山(奈良県曽爾村)849m
サイフ ・・・ 竜王山(奈良県)618m
三ツ星は、 ミンタカ ・・・ 交野山 アルニラム ・・・ 生駒山 アルニタク ・・・ 信貴山
オリオン星人は子犬と大犬を連れていましたね。
大犬は狼だとも言っています。空海様は、鴨族でありシンボルが狼のベニヤミン族だとも言っていて、鳳凰と言いますか、
南の守護神である朱雀だとも言っていますね。
南と言えば・・、魏志倭人伝での里程で多くの人を悩ませ続けている文字ですが、この紋には大きな意味がありそうですね。
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2014年 元旦
新年おめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
「神様の言葉を私はあなたに伝えるだけです」と言われる謎の女性、翼さんに、「これからナカノさんという人に出会います。いや、もう出あっていると思いますが・・、これからはその人が重要な鍵を握っています」と言われてそのことをフルーツしか食べないという、出会って一週間ほどしか経っていない中野さんに電話してそのことを伝えると、
「あなたは産土神様へお参りに行っていますか?」と言われ、「ウブスナガミって何ですか!?」と聞いてから大方二年半ほど来ようとしていますが、その産土神様へと午後から新年のご挨拶をしましたが、元旦でもだれひとりいませんでしたね。
私 :「ところで、私は行くだけで良いんですか。何をお願いするんですか」
中野さん:「そうだ、ピピッときました。 生命の樹に繋がらさせてください!とお願いしてください」
・・、それから朝夕と毎日「生命の樹に繋がらさせてください!」と言って一週間ほどで、突然、地図上に生命の樹が浮かび上がって、次々と教えられ発見できたものでした。
かごめかごめの謎解きは、最初は龍神の開放から、弓削の道鏡氏の御霊鎮めから、いろいろな方々の御霊に呼ばれてあちらこちらへと行かされ、一昨年は物部氏、昨年は鴨族、蘇我氏の御霊に呼ばれて出雲地方から長野、茨城、福島と東北まで行かされましたが、私の旅路は今年も御霊と共に歩む巡礼の旅のようです。
年末の昨日、「永遠の0」を観て思ったことは、私の3年半の実体験で教えてもらっていることを映像をとおして確認させているようでした。
この世に生を受け、肉体は消えてもその魂達の物語の旅路は続けられているようです。
無念の御霊があるとすれば、その無念の御霊を今この世に生きている私達は鎮め、笑顔で旅立たせ、その方々が思い描いた物語を受け継ぎ、世界の人々が共に笑顔になるように手を繋がなければなりません。
その為に私の人生もあるとすれば、「この世に生まれて良かった~~!!」と言える人生にしたいと、「永遠の0」を観て涙し、そして最近特に思うようになったのは、「日本人としてこの日本に生まれて良かった~!」と強く実感します。
この幸せを世界中の人々に早く伝えたいと願う私です。 そのように世界中の人々が幸せに成れるんだと・・・。
今月の末発売の「スターピープル」というスピリチュアル・マガジンの真人間紀行に、「この世にある目に見えないもの、そこにこそ本質がある!」というページで最後に、「今後の活動予定を教えてください」と聞かれて、「神様との契約なので、ただ私は言われるままに動くだけですから抱負はありません」と答えた私でしたが、本当に世界の人々が手に手を取り合って幸せの涙を流すことができるように人生を歩みたいと思います。
イスラエル国家 君が代 (ヘブライ語の意味が書かれた画像が見えなくされましたね)
2013年6月11日(火)
倉吉市へ龍神の解放へ行ったお話・・の、つづきです。
んん・・ん!? 下の2枚の写真に、水玉が浮かんでいるように写っているのが、見てとれますでしょうか。 そして・・、きれいなブルーの光が映し出されていてとてもきれいです。
龍神を解放して、それから向かった先は、今泉神社でした。
ここの神社も大変由緒ある神社のようでした。
亀に鳳凰の頭、そして立派な龍も造形されていましたが、部族の復興と復活を願って、そこにご先祖様たちが、子孫たちがくるのを待って居られるご様子に感じ取れました。
今泉神社から八幡神社へと向かいました。
拝殿にはご立派な鳳凰の彫り物がありました。 んん・・ここでも復活を願っているようです。
そして、そこから阿蘇山一の滝(岩倉の滝)へと向かいました。
行って真っ先に感じたことは、「空海様が来ている!」という強い思いでした。
空海様は龍神(水)を操り、そこには必ず不動明王で大事なポイントを守護させています。
もうバチバチの空海様の臭いが漂っていました。 素晴らしい! スポットでした
十分に空海様を感じて、山を下り、「やはり今回の旅は、空海様に呼ばれたようです」と話して、何気なく神社の横を通りすぎて車のブレーキを踏んだ私でした。
「バックしなさい!」「その神社に行きなさい!」と言われたような気がして・・、車をバックさせました。 そして神社へ入って行くと・・なんと!!
やはり私の旅は、空海様との旅路のようです。