かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

龍興寺の道鏡塚と「道鏡を守る会」

2023-03-26 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2023年3月26日(日)

私は山門前左手の案内板で「道鏡塚」の場所を確認し、山門から入って左手にある道鏡塚の前に急いだ。

どこか懐かしくて・・、嬉しくて・・。でも時間はかぎられているので、さっそくコアロッドを取り出して金の反応を探ることにした。塚の正面に立ってロッドを操るとすぐにロッド先端は閉じた。そしてその幅は凡そ1.2m。それでそこから右手90度方向から塚に向かって同じ動作をすると、これもすぐさま反応し同じく1.2mほどであった。それで私は、塚の上に立って詳しくし調べたくなって、住職に合って許可をもらうことにした。私はそこからそのまま本堂左手を歩き、本堂と講堂のつなぎ廊下の下をくぐって庭を歩きしめ客堂玄関前に立った。入口の引き分け戸は閉まっていたので左手のチャイムを鳴らした。するとほどなくして中から声がして引き戸は開いた。そしてそこに女性の姿が・・。私は早速名刺を差し出して、「神戸から来ました上森と申します。やっと来ることができました」と言って、『不死鳥のあしあと2』をおもむろに出して、「あっ、ものを売りに来たのではありません。ここに道鏡さまのことを画きましたので、ちょっと住職様が居られましたら・・」と告げると、「ちょっとお待ちください」と言われて奥へと・・。ほどなくして住職らしき男性が現れて、「どうぞお上がりください」となって、上がってすぐ左手の応接間に案内されました。

私はコアロッドをテーブルの上に置いて、本の71ページを開いて道鏡の墓と下野薬師寺跡について説明し、「実は、本を完成させた後に、こちらに道鏡塚があることを知りました。安国寺六角堂から日月の山までもそうなのですが、ここの道鏡塚から日月の山までも全く同じ距離であることにビックリして今日、真っ先にこちらに来ました。そして・・、この本にも紹介していますが、これがコアロッドと言うものです。たったいま今、これで塚に向かって探査しましたら、金の反応を得ました。それでお願いなのですが、塚の上から詳しく調査したいのですが・・」と言って、「私は道鏡さまは、非常に無念の御霊だと思っています。無念を晴らさなければと思っています・・」と一方的に話していた私でした。すると住職はおもむろに私に一冊の本を差し出されました。そこには「道鏡を守る会」と書かれてありました。そして住職が今度は道鏡について全く私と同じような思いを語られ、私はそれを聞いていました。そして話が終わるころ私は、「塚に上がって調べることをお許し願いますでしょうか」と切り出すと、「どうぞ・・」と許可をもらい、嬉しくて早速、塚へと急ぎました。 つづく


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綺麗なピラミッド状の465mの山は、仁徳天皇の子、反正天皇の墓である

2023-03-21 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2023年3月21日(火)

仁徳天皇の墓と履中天皇の墓と、女神ハトホルの地上絵の入口にある綺麗なピラミッド状の465mの山は、仁徳天皇の子、反正天皇の墓である。

三つの墓は、2:1:√3に近い直角三角形を描いています。


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目まぐるしい一日だった

2023-03-08 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2023年3月8日(水)

事務所の下には交番所がある。それで、Amazonの話を・・

それから、山陽魚住駅まで・・。

そして住吉神社近くの会社へと行って、そのあと住吉神社へと行った。

ああ~~実に楽しい一日だった。

「すぐ沖合を宝船は東へ西へと帆を上げて航行していたんですよ。そしてここから卑弥呼の住む山へと光通信が一直線なんです」と話すと初めて会う宮司はポカ~~~ンと。

「黄金が在ります。この下は古墳です。入口はここです、真南から北に向いて通路があります。あの椿の木の前からです」と話すと、ポカ~~ンと。

 

 


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光仁天皇の墓は巨大地下神殿の様相・・そこは殿山

2023-01-15 06:06:06 | 埋蔵金

2034年1月15日(日)

1月8日(日)武部さんとJR奈良駅に12時の待ち合わせでした。そこから武部さんの車に乗せてもらって光仁天皇の墓へと行きました。

お墓である殿山への入口には、磁北を教える道標の三体の石仏を掘った大きな磐座がありました。

 

   

お墓は、30m四方の巨大な地下神殿の様相でした。中心には黄金もビシッ!と反応しました。

 

 


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桓武天皇の墓は高雄山(428.4m) 増税を課さなくても私の黄金を防衛費に充てよ!と

2022-12-13 01:01:11 | 埋蔵金

2022年12月13日(火)

11日(日)京都駅から個人タクシーで神護寺入口横まで連れて行ってもらって、降りたのはPM1:00過ぎだった。運転手さんが「1時間なら待っても・・」と言われるので、「最低でも1時間半は必要ですが、もっとかかるかもしれません」という会話の上で了解していただいたのでお願いすることにした。以前、山頂には2回ほど登ったことがあったので、山頂までのタイムも往復1時間として、調査時間には、先ずは空海が唐から帰って最初に居た高雄山寺跡だと思う342m方角を道の途中から計測することにした。342m地点の方角には反応することなく、やはり428.4m地点の方角にのみ強くコアロッドは反応した。それでコアロッドを仕舞いこんで、急いでスマホのジオグラフィカを見ながら山頂を目指した。山頂に着く頃に急に雲行きが怪しくなってきた。

久々のなつかしい山頂に辿り着き、「嬉し涙は分かりますが、私の仕事ができません。よろしくお計らいを・・」とお願いして、コアロッドを取り出して計測すると即座に金の反応です。木々の間を縫って、計測し、黄金の次は石室(空間)の計測です。山頂に着いた時だけパラパラと嬉し涙で湿らしてくれたという情景の中で、無事計測を終えることができました。一人で・・。同行者は道に迷ってしまってさぁ大変の状態でした。山頂でのスマホのアンテナは0か1という具合で連絡もうまくつながらない状態でした。山頂直下の分枝点に下りたところでやっと出会ってホッとするなり、時計をみると約束の1時間半前なので「今から山を下りますから、30分ほどかかります・・」と告げて急いで山を下りました。タクシーに乗り込んだ時には、そのあたりだけ日が差して鮮やかな紅葉の情景を見せてくれましたが、すぐ下まで降りるともうその綺麗な情景は一切みることがありませんでした。紅葉の鮮やかな時間から一瞬にして灰色の情景へと変わりました。

桓武天皇の墓は、高雄山(428.4m)に存在しています。 黄金の量は1000t ! 桓武天皇が、「増税を課さなくても私の黄金を防衛費に充てよ!」と言って居られますよ。「足らなかったらあちこちにいっぱいあるから・・」とも言っておられますが・・。

 


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綏靖天皇の墓は、伊吹山に抱かれるように守られています

2022-11-05 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2022年11月5日(土)

伊吹山ドライブウェイ入口でもらったリーフレットに映っている写真に、伊吹山をバックにして綏靖天皇の墓が映っています。

綏靖天皇の墓は、伊吹山に抱かれ守られているようにも見えます。


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新宮市の美味しいお店

2022-10-06 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2022年10月6日(木)

9月24日(土)新宮市の調査を終えて5時前にはホテルにチェックインしてひと眠りしてから、夕食に出かけた。

ホテルの受付で「美味しいところはありませんか」と聞いて、行ったのが「和食 割烹 きのした」でした。

入口の引き戸に「開店5時半」の札がかかっていて、ちょうど五時半だったので店に入った。

私達が最初の客だったが、次々に予約のお客さんたちが、どんどんやってきていました。

流行ってましたねぇ。 メニューも豊富でしたが、食べたことがないものが沢山ありました。

その中でも、白浜からのタクシーの運転手さんも「美味しい!」と言っていた「イルカのさしみ」が絶品でしたね。

絶品だらけ・・なのでした。 いつの日か、三津谷君や前田さんたち御一行様と飲んで食べて・・みたいな~~と思った次第でした。

どこの街でも、昼間は閑散としていますね。新宮でも例外ではありませんでしたぁ。

25日(日)私は、蓬莱山での調査もあって、ホテルではチェックアウトを12時まで延長してもらって、尚且つロビーで一時間ほど休ませてもらってから出発しました。

そして、昼食に入ったのが、新宮駅前の「かつ田」でした。 雰囲気のいい造りのお店で、にぎりが付いたそば定食と生ビールが、新宮での調査の満足と暑さをしのぐのにより至福を感じさせてくれました。


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蓬莱山山頂に上った、そして地下探査を終えて・・、「丹後半島に秦始皇帝を祀る地下神殿がある!」

2022-10-05 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2022年10月5日(水)

新宮で泊まった先は、新宮ホテルニューパレスだった。

25日(日)朝、8:50にお願いしていたタクシーは、時間通りに来てくれて、阿須賀神社に数分で着いた。

神社の社務所の周りには打ち水がされていて、すがすがしい気持ちになりました。そして境内に居てた1人の男性が、9時前になって私に近づいてきて、「神戸から来られた上森さんですか・・」と。

「はい、そうですが・・」と私。

「実は私は元新聞記者なんですが、資料館の知人に今日、山に上られると聞いて、取材させてもらえたらと思いまして・・」と。

時間は9時になったので、とりあえず宮司さんにあって許可をもらわなくてはなりません。

社務所を覗くと宮司さんが窓越しに現れました。

「いつもは上れないのですが、特別に許可いたします。今の季節、まむしもいますので注意してください」と。

新聞記者の人は宮司さんと結構顔見知りらしく、親しげに話していました。

許可をもらってから、前日コアロッド調べた擬木のベンチの前で、同じことをして記者の方に金探査の仕方を説明していると、宮司さんも社務所から出てきて、不思議そうに見つめていました。

「ここで山の方に3mほどキャッチしました。私の足で1歩、二歩、三歩で3mです」

すると記者のひとも、「一歩、二歩、・・六歩で丁度3mですね。私の歩幅は60㎝ですから・・」と。

コアロッドの説明と探査の仕方の説明をして、そして私は、「上り口はどこからでしょうか・・」と宮司さんに尋ねると、「ありません、好きなところから上られては・・」と言うことで、「では、上りましょうかね」と記者の方に声かけて、私は本殿に向かって左手から上がることにしました。許可をもらって上がれる嬉しさと、でも頭の中にはマムシ・・というより好きになれない「ヘビ、蛇、へび・・」対策に、ちょと長手の枝を拾って、数歩先を叩きながら、そして蜘蛛の巣をはらいながらゆっくりゆっくりと私が先頭を行きました。・・と言っても、はじめての記者の方と二人だけの山登りでした。

ブヨや蚊などに弱い椿さんは、ホテルで休んでもらうことにしました。本当に禁足地で人が入らないようで、自然そのものの情景で、でも30mほどですからすぐに山頂に辿り着きました。山頂は倒木で足元が悪くて、ヘビもでそうで・・。 でも折角辿り着いたのですから、バッグからコアロッドを取り出して先ずは24金のチェーンをセットするのに部品を絶対に落とさないようにゆっくりと注意をはらいながら取り付けました。足元は草木で計測しにくい状態でしたが、なんとか計測することができました。金の反応は、前日の3m×3mと全く同じ。つづいて空洞探査を行い、通路も神社がわに5.6mほど伸びていて、空洞が切れた場所が、大きく土が陥没していました。おそらく石室への横穴への入口部だと思わせるような雰囲気でした。記者の太田さんは私の行動をカメラに収められていました。下りて出てきたのは、今度は神社に向かって右手の所に出てきました。そしてそこには、徐福之宮がありました。

・・

私は、数か月前までは、丹後半島の方が徐福の墓だと思っていましたが、丹後半島にある巨大地下神殿が徐福たちが造った秦始皇帝の地下神殿であり、阿須賀神社の御神体山である蓬莱山が徐福の墓であることを知っていて一大率の墓の位置も決められたと確信を得ました。

間違いなく「丹後半島に秦始皇帝を祀る地下神殿がある!」と。

私の頭の中でスッキリと整理ができました。

   

 

秦始皇帝の地下神殿と一大率の墓と徐福の墓は、古い時代の基本形である一ラジアンの角度を用いた直角三角形である。


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新宮城跡の石室への入口は・・地図に表示されている

2022-10-04 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2022年10月4日(火)

城跡の駐車場からお城への階段を駆け上がった中庭で、コアロッドはすぐさま金に反応した。その場所は浄化槽が埋設されたすぐ横の石垣前に置かれたゴミ箱の前だった。

金に反応したのは4m×4mだった。それから空洞探査も試みましたが、同じように反応した。

そして、石室までの通路は、鐘ノ丸跡の中庭から入るように設計されていると推測できそうだ。

案内板の地図にはその部分を教えるかのように熊野川に向いた場所に、何か不自然な表示が・・。

 

                       


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新宮城跡の埋蔵金探査

2022-10-03 06:06:06 | 埋蔵金

2022年10月3日(月)

宮司さんから有難い言葉を聞いて、タクシーに乗り込みました。

翌日はもう時間がないことは予想されるので、今日しかないので行けるところには連れて行ってもらうと、運転手さんにお願いしました。

先ず行ったのは、新宮城跡でした。城跡には今まで100%、金の反応がありましたから、ここでも楽しみがありました。駐車場から一度上りきったところでコアロッドを取り出して調べると、4m×4mの反応がありました。石室も通路も捉えることができました。金を置いている石室への入口は熊野川に向いた石垣であることを推測することができました。

そして阿須賀神社の境内で金をとらえた角度から丁度直角方向になる場所から蓬莱山を計測するとまた、3mの幅で金の反応を捉えました。

ですから、蓬莱山の徐福の墓には、翌日山頂に上がれば、3m×3mの金の反応と石室の反応があることが予測されました。そして城跡から熊野速玉大社へと行って、コンパスグラスで神社の向きを計測し、そこから神倉神社の入口まで連れて行ってもらいました。 上に上がるには時間的なものと、それ以上に急な石段を上るのに、「もう止めとこ」と・・上るのは明日の蓬莱山だけに集中することにして、ホテルまで送ってもらいました。

「すみません、明日朝8:50頃に迎えにきてもらえますでしょうか、阿須賀神社に9時前には行かないとなりませんので・・」と・・、その日の目まぐるしく慌ただしい時間は終わりました。さぁ!明日です。

                          

        

        


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上られるのであれば、明日朝、9時に来てください

2022-10-02 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2022年10月2日(日)

台風15号が去った9月24日の新宮市は、まだまだ陽射しは厳しい夏日和でした。

社務所のチャイムを何度鳴らしても物音ひとつしないし、入口前で待っても誰も出られる気配もないのであきらめて、隣にある資料館へと入って身体を冷やすことにしました。

先に椿さんが入っていたので私も後追いする形になりました。

入口でお金を払うときに、「いくらチャイムを鳴らしても誰も出てこられないんですが、宮司さんと連絡はとれませんかねぇ」と聞いて見ました。

「私は神戸から来まして・・、実は・・こういう訳で蓬莱山にどうしても上りたいんですが・・」と持って来た資料と名刺を、仕切り版の下に開いた渡し口から差し入れてから、説明をしました。

そうすると、携帯電話を取り出して宮司さんに電話をかけてくれました。・・でも、「出ませんねぇ、通じないですね」と。それで私は、「ありがとうございました。私は資料館の中を見させてもらいますが、よかったら私の名刺の裏に「かごめかごめの真実とは」と書いていますが、そこに「今日のブログに蓬莱山のことを書いていますので見ていただけませんか」と告げて資料館の中に入りました。館の中で椿さんは長椅子に腰かけていて、「中は涼しいですよ・・」と。・・で、私もゆっくり展示されたものを見て廻りました。 そうしたら新宮市の名所旧跡の説明もあったりして、是非とも行って見たいと思いました。そしてそこでゆっくりしていても時間がもったいないので、出ることにしました。その時、先ほどの係の人に「見てもらいましたかぁ」と聞いてみたら、「見ましたよ、みましたぁ」と。そしてもう一度社務所の前に行くと、他の人が同じようにチャイムを鳴らしていました。・・で、見ていると窓が開いて、御札などを買われていました。それでその後、私も近寄って窓越しに聞いて見ました。「すみません、宮司さんは居られますでしょうか」と。すると、「私が宮司ですが・・」と。 やっと宮司さんに会うことができました。蓬莱山に上る根拠を説明するため念のために資料は2部用意してきていたので、名刺を先に出してそれから資料を渡して手短に説明して、「山に上らさせてもらえませんでしょうか」とお願いをしました。すると・・、「禁足地になっていますが、特別に許可しましょう。上られるのであれば、明日朝、9時に来てください、その時間に私も来ますから・・」と有難い言葉をいただきました。 「ありがとうございます」と私は嬉しくて、何度も何度も頭を下げていました。そしてそのことを先ほどの資料館の人にも「明日来ます!」と告げて、さきほど降りる時にもらったタクシーの領収書を取り出して電話をしました。・・「ハイ、了解いたしましたぁ」と聞いてから、それほど待つことなく境内に降り立った場所にタクシーはやってきました。そして、「城跡や神倉神社などお願いしたしのですが・・」ということになりました。 つづく

             

 


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9月11日(日)道鏡の山に墓参り・・そしてビックリ!

2022-09-16 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2022年9月16日(金)

ホテルでの朝食は、8:00からでお願いしていました。

そして9:00過ぎには、ホテルを出発しました。

前日往復した道をもう一度、武部さんの運転で道鏡の墓へと向かいました。

切り立った高い山と山との間を縫うように40分前後の時間を擁して、前日入口当たりを調査するために停めた狭いスペースにピタリと道路際ギリギリに武部さんは車を停めました。

そしてそこから山へと入る身支度をして、沢の横の道を登って行きました。 林道は工事車両で搬出できるように整備されていて、30分ほどで山頂に着くことができました。

早速私はリユックからコアロッドを取り出して、先ずは空洞探査を試みました。

結果、2m×3mほどの石室をキャッチ。 次に金の探査をしましたが、これも同じ広さに反応しました。

計測が終わってから、いつものように武部さんと皆さんで、君が代とかごめの唄を歌ってもらいました。

現場での地底探査では地下の石室は、通路の方向から見て20度に向けて造営されています。

帰ってから地理院地図にそのラインを伸ばすと・・、そこには岐阜にある孝謙天皇の墓に向けて造られていることが分かりました。

そのラインに直角方向には、役行者堂とさらにその先には、広島の弘法山です。これはもう偶然ではなく必然でしょう。

そのようなことで、間違いなく大変な道鏡さまの遺構が眠っているという証拠です。


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井戸端で説教するフランシスコ・サビエル

2022-08-09 06:06:06 | 埋蔵金

2022年8月9日(火)

7日の健康セミナーに出席するために、8月6日(土)に新山口で乗り換えて山口へと行きました。

着いたのは13:00過ぎでした。新山口駅北口に16:00に着けばよいので、帰りの時間をみて、「3時までの2時間ほど、どこか観光名所へとお願いできませんかね。必ず行きたいところは、瑠璃光寺五重塔なんですが・・」とタクシーで運転手さんまかせで山口駅前を出発しました。

運転手さんが最初に案内してくれた場所は、「山口サビエル記念聖堂」。

途中、右手の林に母子の像とその横手に「亀山」の文字。その二文字が私にウィンクしてくれたような感じでした。

タクシーを降りると、焼き付けるような暑さに木陰を求めると、そこには私を待っていたように、井戸に右手をついて何かを語りかけてくるようなサビエルの像。

中原椿さんは、そのすぐ側にあった鐘を鳴らして、そのまま椿さんは、記念聖堂の建物まで日傘をさして、聖堂に向かって右手の道をまっすぐ進んで行きました。

私は山登りにいつも被る愛用の帽子をキャリーから取り出して被りました。

私は、「亀山」二文字が気になって、入口手前のベンチに腰掛けてコアロッドを取り出して、360度黄金探査を試みました。

椿さんは、「中に入るんですかぁ、有料ですが・・」と問うので、「中に行って観ていてください。私はちょっと調査をしますから・・、二人分払っておいてください」と。

そして360度にコアロッドを向けてゆっくり金の反応を探りました。遠くからですが、もう先ほど何か語りかけてくるようなサビエルの像の方向にピタリとコアロッドは反応しました。念の為に360度身体を軸にして回りましたが、ピタリとサビエル像に反応です。

それでコアロッドをキャリーにしまって、急いで館内に入ると、いきなり「手を消毒してください!」と係りの男性。それでいつもそうなのですが、手を差し出して「すみません、消毒すると私は手が荒れるんです」と答えて済ませました。そして、切り返すように言われたその男性の「マスクをしてください!!」と、いう言葉が私には命令口調のように聞こえました。その瞬間、椿さんが目に入ったので、「まだ観ますか」と声をかけると、「いえ、もう出たいです」と言うので、「じゃ~出ますよ」と言って、二人ですぐさま館をでました。

椿さんは私と出会うまでは、熱心なカトリック信者だったという人なので、「どうでしたか?」と尋ねると、「全く何も感じません。感じないどころか気分が悪くなってきて・・」と。

SNSからのカトリックについてのさまざまな情報を頭に入れすぎたのか・・、もう純粋なころの時代には戻れないご様子のようです。

私は、急いでザビエルと話をしなくてはならないので、「椿さんはタクシーで待っててください」とお願いして、サビエルの前でコアロッドを取り出して話しかけました、「戻ってまいりました。この井戸の周りなんですね」と。

そして、コアロッドを両手に握ったとたん、サビエルが教える井戸の裏側に金の反応がありました。

その反応は、1.2m×2.5mも在りましたよ。そしてその周りを囲むようにちょっと大きめの長方形の空洞をキャッチしました。

そして何気なく奥の樹木の隙間から、幼稚園らしき建物が見えたので、コアロッドをキャリーになおして、引き付けられるように建物を見に行くと、そこから大きなウミガメが目に飛び込んできました。 「ああ~~亀さんだぁ~~!」とジャンプしたいような非常に嬉しい気分になりました。

それで記念に写真を一枚パチリ!。 そして急いでタクシーに乗り込み次の場所へと・・。

 

井戸端で説教するフランシスコ・サビエル

      

    

この井戸の下に黄金があるんです」と・・言って居られましたねぇ。

  

大きな亀の頭に小さなカメさんが乗っているようですねぇ。


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妹の墓にも黄金の反応が!

2022-07-02 04:29:03 | 埋蔵金

2022年7月2日(土)

空海様の妹の墓の石室の向きは、岡山県備前市伊部にある東大平山と大阪府和泉市にある槇尾山とに向けて造営されています。この3点は2:1:√3を描いています。これらの3つのポイントは、互いに光通信ができるほど見通すことができます。これは偶然でなく、お墓の配置を決定するのに意識したものであると私は思います。そして2mの幅で13mほど入口の通路は伸びていますが、この指し示す方角に東大平山があって、づっとその遥か先に大師山(熊本県多良木町)に行き着きます。偶然でしょうか。 いえいえこれも偶然ではないでしょう。

空海の御母堂様の墓には、1.2m×10mの黄金の反応がありましたが、妹の墓にも凡そ5m×7mの石室全体に金の反応が見受けられました。

石室の内部がどのようになっているのか興味を誘われます。 

 


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空海様は双子で生まれた

2022-06-29 06:03:42 | かごめかごめの真実とは

2022年6月29日(水)

昨日、大好きな特急はなかぜに乗って神河町の寺前駅に11:14分頃に着いた。

内藤さんが駅に迎えに来てくれていた。 車はパジェロミニ。

近くのスーパーで、「妹さんは何が好きなんだろう」と思いながら、お花などお供え物を買って車に戻り、一路一昨日に空海の御母堂様のお墓へ上がるときに停めた広い広場を目指した。

そしてそこから助手席に乗った私が、注意深くスマートホンのジオグラフィカを見ながら山への入口を見つける。

最初の所は、チョットだけ山に入るともう車は登れない状態に道は荒れていた。

それで山から引き返し、次の地点に急いだ。

・・・ジグザグ、ジグザグに悪路の林道を登って行った。

道はがけ崩れを起こしていて、もうどうにもならない所まで行って、そこから徒歩で妹の墓まで歩いて25分ほどだった。

・・ つづきは明日にでも

・・で、どうして妹?

空海様には妹がいたの??

ハイ! 妹が・・、空海様は双子でお生まれになったということです。

双子山は、藤原不比等さんが双子だったことを教えていましたが、なんと空海様も双子だったと教えています。

双子山から双子島までと空海様の妹の墓までとは、63.2㎞と全く同距離なのです。

それで慌てて、昨日行った次第でした。

妹の墓は優美でしたぁ・・つづく


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