鏡海亭 Kagami-Tei  ウェブ小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

生成AIのHolara、ChatGPTと画像を合作しています。

第59話「北方の王者」(その1)更新! 2024/08/29

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第59)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

『アルフェリオン』まとめ読み!―第33話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  いま汝に為せることを為せ。

 ◇ 第33話 ◇


1 フォーロックの家に匿われたアレス…



「あ、どうも。わざわざ、ありがとう……。ございます」
 アレスは恐縮気味に礼を言った。彼としては最大限に礼儀正しい言動のつもりなのだろうが、見た目にはどうにもぎこちない。
 隣の席で無言のままお辞儀をしたのは、旧世界の少女イリスだ。
 華奢な身を椅子に委ね、輝く天蛇を思わせる艶やかな髪を自然に垂らし、夢見心地の瞳をぱっちりと開いて微動だにしない様子は、神秘的であると同時に、人形のように愛らしかった。
 反面、イリスの表情は堅く、もちろん言葉は無い。その冷たい美貌は、機械仕掛けの精密な人形のようである。
 顔を伏せ、無関心な視線をテーブルの表面に向けたままのイリスとは対照的に、アレスの振る舞いは忙しなかった。先程の一瞬の行儀良さなど忘れたといわんばかりに、上下左右、物珍しそうにキョロキョロしている。
 決して豪華ではないにせよ、それなりに小綺麗な室内に2人は居た。壁や床から調度に至るまで石材を随所に用いた様式は、王国北部の商家を連想させる。実際、この王都エルハインまで来ると、文化や風土の点では北国の雰囲気が強くなるのだが。
 アレスたちにお茶を運んできた若い女性が、目を細めて笑った。
「珍しく可愛らしいお客さんね。この人のお友達といったら、たいてい、荒っぽい傭兵さんや発掘屋さんばかりなんだから」
 《傭兵さん》や《発掘屋さん》という表現には、子供っぽい、品の良い素人臭さが満ちていた。
 誰もが同じ第一印象をもちそうな――彼女の《白さ。》 雪のように白い肌という表現は、十中八九、大げさで陳腐な表現になってしまうものだが、彼女の場合は例外である。だが、空恐ろしいほどの白さは、病的な弱さをも感じさせた。彼女の朗らかな笑顔とは裏腹に……。
 アレスの向かいに座っているフォーロックが、大げさに肩をすくめる。彼自身もいわゆる野蛮な発掘屋、ジャンク・ハンターだ。
「可愛らしい? この娘(こ)はともかく、一人前の繰士をつかまえて、それはないだろ」
 フォーロックはアレスと顔を見合わせて笑ったが、すぐに心配そうに振り返っていた。
「休んでなくて大丈夫か? ミーナ、後は俺がやるよ」
「……ありがとう。でも大丈夫。今日は調子がいいから。元気なお客さんが来てくれたのだし、私も元気を分けてもらわなくっちゃ」
 ほのかに水色がかった銀髪を揺らし、ミーナは首を振った。比較的背が高いせいか、彼女の身体は余計に細く感じられる。
 言われるまでもなく病弱そうなミーナの姿は、アレスの目には、どことなくイリスと重なって見えた。
「あのさ――ミーナさんって、どこか悪いの?」
 呆れるほど単刀直入な質問だ。それゆえにまたアレスらしいが。
「うん、少しね。でも慣れてるから……。私もお仲間に入れてもらっていい?」
 彼の不躾さにも眉をひそめることなく、ミーナは笑顔でテーブルに着いた。
 端正ながらも無機質になりがちな、灰色の石壁が目立つ空間の所々に、草木がさりげなく飾られている。ほっとするような緑色のアクセント。無骨なフォーロックにそんな趣味があるとは思えないから、たぶんミーナの手によるものだろうとアレスは思った。
 少々野暮ったいが剛毅な戦士フォーロック、繊細で弱々しいミーナ。恋人同士の彼らは、訳あってこの家で共に暮らしていた。不似合いゆえに、かえってお似合いなのかもしれない。
 2人を見つめる少年に、フォーロックは親しげに言った。
「本当に、まぁ、ここを《隠れ家》に――しばらく俺たちの家に居候してもらって構わないよ。人を隠すなら人の中とは言うが、エルハインの街では情報屋の類が目を光らせているからな。誰かが君たちを捜しているというのなら、とっくに情報屋にも話が回っていると思う。俺が追っ手の立場だったら、そうするだろうよ。その点、ここは心配ないさ」
 彼は窓の方を顎でしゃくった。
 外の景色が見える。白っぽい地面に細長い木々が規則的に立ち並んでいる。その奥には畑が広がり、ぽつぽつと農家が点在し、小さな神殿の塔も顔を出していた。だがお世辞にも町の中とは言い難い風景だ。ここが王都の郊外、市街からさほど離れていない場所だとは意外であろう。


2 冒険少年アレス、しばしの安らぎ?



 素朴な農村地帯に、故郷の村を思い出したアレス。柄にもなく遠い目をしている彼の肩を、フォーロックがポンと叩いた。
「アレス。ワケありで急いでいるのは分かるが、ブロントンのところに行くのは明日にした方がいい。さっきの話じゃ、昨日も強行軍で野宿だったそうじゃないか。今日は一日ゆっくり休め。体力をつけておかないと、肝心の時に困るぞ……。そうだ、今晩のために旨いもん買ってきてやるからよ」
 《でも俺たちには、時間が》と言いかけたアレス。それでも彼なりに気を使ったのだろう――そこで言葉を飲み込んだ。
 代わりに彼の口から出た感謝。
「ありがとう。何から何まで。スリから財布を取り返してもらったうえに、こんなことまでしてもらって。フォーロックさんのような親切な人に会えて運が良かった。嬉しいぜ、俺!」
 子供のようにはしゃぐアレス。
 だがイリスは相変わらず、口元さえ緩めないまま、暗い目をして座っている。

 ◇

 アレスの背後で柱時計が鳴ったかと思うと、時を同じくして、近くの神殿からも正午の鐘が聞こえてきた。郊外の静かな丘陵地に、少しこもったような、ブロンズが柔らかに奏でる時の音が響く。
 ひとときの談笑の後、フォーロックは思い出したように言った。
「盛り上がってきたところ、残念だが――仕事の話で街に行かなきゃならないんだ。あぁ、君たちはゆっくりしていてくれ。押しつけて悪いが、もうしばらくミーナの話し相手になってやってくれないか」
「仕事? もしかして、アルマ・ヴィオで悪者と戦うとか?」
 興味津々のアレス。お上品な茶飲み話よりも、冒険やら発掘やらといった事柄の方が、やはり彼の性には合うらしい。
「ははは。そんなご大層なことじゃない。ハンター・ギルドの方に何か儲かる依頼が入ってないか、見に行ってくるだけさ。俺の日課みたいなもんだ。ブロントンのおっさんが来ていたら、君たちのことを話しておくよ。ミーナ、2人を頼む」
 フォーロックはミーナに軽く口づけすると、上着を肩に引っ掛け、足早に出ていった。

 ◇

「ごめんね。あれでけっこう忙しい人なの。私は今のままで、お金が無くてもこれで幸せなのに。彼ったら、もっと稼がなきゃって、いつも無理して……」
 話の途中で、ミーナは激しく咳き込んだ。
「大丈夫? やっぱり寝てなくちゃ」
 心配そうなアレスに、彼女は無理に笑顔を作って見せた。
「ありがとう。軽く咳が出ただけ。さっきも《慣れてる》って言ったでしょ。小さな頃から病気がちで、いつも寝てばかりだったから。特殊な体質のようなものだって、前に施術師から聞いた。病気は薬や魔法ですぐに治せるけど、病気にかかりやすい体質までは、魔法でもどうにもならないって」
 ――そうか。だからお金が要るんだな、フォーロックさん。魔法で病気を治すのって高いからな。俺の父ちゃんだって、もっと腕のいい施術師の術で癒してもらえたら、あんなことにはならなかったかも……。
 アレスは寂しそうに納得した。
 《現世界》の言葉が分かりづらいせいもあるだろうが、イリスはミーナの話に何の同情も見せていない。置物のように行儀良く座っているだけだ。
 ――こいつ、本当に変わってるよなぁ。
 横目でイリスを眺めた後、ふとアレスは、奥の暖炉の上を見やった。
「ねぇ、ミーナさん。あそこの壁に飾ってある楯、随分立派だけど、何かスゴイ魔法の楯とか?」
 緻密な細工によって下地に描かれた獅子や竜の絵、その真ん中に堂々と金色の孔雀の紋章が入った、実戦に使うのは勿体ないような逸品だ。
 訪ねられたミーナの方も首をかしげ、ごく簡単に説明した。
「実は私もよく知らないけど、あれは、フォーロックが何かの剣術大会でもらった賞品だったと思う。ごめんね。私、武器にはあまり興味がないし、よく聞いてなくって……」
「すごいな。剣の腕も立つんだね。俺も早く、フォーロックさんみたいなエクターになりたい」
 だがミーナはアレスの言葉に気乗りしない様子で、微かに表情を曇らせた。
「アレス君は、どうしてエクターになったの?」
「いや、たまたまアルマ・ヴィオに乗ってるけど、俺なんかまだエクターじゃないよ。でも俺、いつか必ず父ちゃんみたいになるって、子供の頃から夢なんだ。ウチの父ちゃん、世界中を旅して回った冒険者で、けっこう有名なエクターだったんだぜ。でね……」
 目を輝かせて勢いよく語り始めたアレスは、もう止まらない。
 ミーナはどこか悲しそうな顔で聴き入っていた。
「父ちゃんはずっと前に死んじゃったから、代わりに早く立派なエクターになって、母ちゃんに楽な暮らしをさせてやりたいんだ。俺、アシュボルの谷っていうところに、母ちゃんと一緒に住んでた。ラプルスの山の中にあって、ちょっと不便だけど、いいところなんだ。知ってる?」
「そうね……。アシュボルの谷?――は知らないけれど、ラプルスの山々のことは、絵で見たりして知っているわ。本当に素敵なところみたいね。そうだ!もし私の病気がもっと良くなったら、フォーロックと一緒に、アレス君の家に遊びに行きたいわ」
 ミーナの申し出にますます気をよくして、アレスは椅子から立ち上がりそうになるほど、大げさに喜んだ。
「本当? ミーナさん、絶対元気になるって約束だぞ! それで、谷に遊びに来るって。な、イリスも一緒に――あれ、イリス?」
「……」
 2人のにぎやかな会話をよそに、そっとお茶を飲んでいたイリスは、感情の光のない目でアレスを見るのだった。


3 「あの存在」の掌の上で踊る人間たち



 ◇ ◇

 崖下を流れゆくモスグレーの川面を眺めながら、グレイルは無言で立ちつくしていた。右手を胸に当て、わずかにうなだれた彼は、生まれては消える水泡を凝視する。
 彼の隣、空中にふわふわと漂うフラメアは、炎のかたちではなく人の姿を――例の赤い髪の娘の姿を取っていた。彼女はその場でゆっくり旋回したかと思うと、今度は小さな鬼火を手のひらの上に呼び出し、お手玉のように弄ぶ。
「ちょっと、グレイルってば。いつまで黙ってんのさ。退屈して化石になっちゃいそうだよ……」
 言葉遣いはともかく、声そのものは意外に愛らしい。
 無視されたフラメアは、グレイルに向かって舌を出し、また炎と戯れて暇つぶしを始める。彼女が息を吹きかけるたびに、炎は丸くなったり、人の形になったり、色々な動物をかたどったりと、見た目を変えてゆく。そして最後にはグレイルの顔真似になった。フラメアは、揺らめく火炎で創った主人のマスクとにらめっこして、ひとりでケラケラと笑っている。
 だがグレイは、彼女の芸当に見向きもしていない。
 岩山の間を巡り迷った風が、足元から吹き上げ、彼の前髪を散らかした。
「ルージョ、キリオ……」
 やっと開かれた彼の口から、今では失われてしまった友の名が出た。
「あのとき、俺にもっと力があったら、お前たちを死なせずに済んだのに。なのに、俺には何もできなかった」
 胸に当てた手を震わせ、グレイルは上着の生地を握りしめた。
「これこれ、お兄さん。そんなことしたら、シワができちゃうよ」
 そういう問題ではないだろうに、呑気に忠告するフラメア。
 グレイルの横顔を仕方なさそうに見つめた後、彼女は溜息と共に言った。
「だーかーらぁー。マスタぁー、あのね、あれは、仕方がなかったんだって」
 その軽々しい口調に神経を逆なでされることもなく、グレイルの表情に変化はみられなかった。
 フラメアは心の中でつぶやく。
 ――仕方がなかった。そうなんだ。考えてみれば、あれが、古の契約に定められた《条件》だったんだよ。あんたにとって一番必要な人間を……。
 そうかと思えば、急に彼女は、いじけた小娘のような口ぶりになった。
「恨めばいーじゃん。あたしを」
 ふて腐れた感じの物言いが続く。どこまで本気なのか、よく分からないが。
「はっきり言って、あたしはアンタの友達を見殺しにした。助けようと思えばいくらでも助けることができた人たちを。分かってるはず、憎いだろ?」
「いや、俺は!」
 グレイルが強い調子で話を遮った。
「だからな、俺は、俺は、自分に腹が立ってるんだ!! 自分の不甲斐なさに」
「ほぅ……」
 焦点が宙に合っているような、妙にあどけない瞳で、フラメアがのぞき込む。
「俺は今日まで、いつも己を卑下して、いつも、何かにつけて物事は上手くいかないもんだと最初から決めつけて。そんな投げやりな生き方をしてきたから、自分の中にある力に気づくこともできなかったし、フラメアの声も全く聞こえなかった。それで、とうとう大事な仲間まで失っちまった。どうして今まで目を覚ますことができなかったのかと思うと、悔しい。この気持ちをどうしたらいいのか、自分でも分からないくらいにな!!」
 声を荒らげたグレイル。
 反対にフラメアは、パラディーヴァ特有の冷たい物言いに変わった。実体なき紅蓮色の髪を、あたかも風に揺れるごとくにそよがせながら、同情という言葉からはほど遠い、透徹した獣の目でマスターを一瞥する。
「たしかに代償は――大きかった。こんなことを言っても、急には分かってもらえないだろうけど、その代償がなければ、アンタの運命の歯車が再び動き出すことなど無理だった。それが《御子》としての宿命なんだよ」
 グレイルの理解を必ずしも求めていないのだろうか。現世(うつしよ)に生きる人間には計り知れない謎事を、フラメアは語り始めた。
「運命の歯車をさび付かせ、堅くつなぎ止めていたのも――それは自分自身の意思であるように見えて、本当は違う。《御子》として生まれてきた時点で、アンタの未来は最初から閉ざされる運命(さだめ)にあったんだ。酷い言い方だけど、生まれてから今日まで、結局はずっと《あの存在》に翻弄されていたんだよ。人間の力なんて、所詮はそんなもん。《あれ》の手のひらの上で踊っているだけ。でもマスター、アンタなら、その手のひらを飛び出すことができるかも。それこそが御子という特異なものの力。そう、御子というのは……」


4 「鍵の守人」の登場で物語は急展開?



 ◇ ◇

「御子というのは、この世界で唯一、絶対者の定めた予定調和を攪乱する不確定要因として、作用し得る存在。いわば《因果律の外にあるダイス》のようなもの。そうした者がこの世に生を受けたことは、《あの存在》にとって具合が悪いのだよ」
 言葉の響きが微妙に空気に絡みつくような、湿って、低く、通りの良い声で、男はつぶやいた。深き森の国土に似合う、ガノリス語の重厚な語調。
 似合いの片眼鏡を掛けた、細面の紳士だ。暗い茶色に銀色が混じった頭髪は、若白髪なのだろうか。彼の顔つきそのものは、三十路を迎えてさほどの歳月を経ていないふうにも感じられる。しかし、些細な仕草や、身にまとった落ち着いた品格のごときものは、もっと老成した人間を思わせる。多分、実際の歳よりも見た目が変に若いのかもしれない。
 実際、そうなのだろう。かたわらで彼のことを《父上》と呼んだ者は、年若い少女などではなく、すでに大人になって久しい美女であった。周囲にたたずむ他の数名の者に説明するように、彼女は言う。
「《あの存在》という言葉が何を指すのか、それは誰にも分かりませんわ。ただ、あなた方も知っての通り、私たち一族が伝承してきた知識によれば――おそらく《あの存在》とは、この世界に予定された未来を実現してゆく何らかの根源的な力、もしかすると《因果律》それ自体、あるいは因果律の管理者のような何かだと考えられます。勿論、管理《者》という表現は不適切なのでしょうが」
 肩先まで真っ直ぐに伸び、そこで不意に優雅な曲線を描き、跳ねている白緑の髪。女性としては非常に長身の部類に入る背丈と、黒目がちな大きな目。隙の無い厳しさを持ちながらも、堅苦しさを感じさせず、柔らかな雰囲気の彼女は、完璧過ぎていささか面白味に欠ける感さえあった。
 2人の他にも、数名の人間がそこに居た。
 何かの倉庫、いや、雰囲気はそれで合っているとしても、もっと巨大な空間である。陽の差し込む窓の類がひとつも無いそこは、恐らく地下にある施設かもしれない。
 金属の櫃や木箱等を山のように乗せた台車が、そこかしこで、ひっきりなしに行き来している。それらを押している者たちは皆、紺色のローブのようなものを服の上に羽織っていた。誰もが武装しているものの、正規軍の兵士ではない。奥の方には、アルマ・ヴィオらしき大きな影も見える。
「急げ! 帝国軍は待ってくれないぞ」
 先ほどの男が、作業する者たちを急かす。
「我らが軍国ガノリスも、あっけないものです。やはり帝国軍相手に、現世界の兵器ではさすがに勝ち目がありませんか。ククク……」
 絹の衣が頬を撫でるような繊細さと、幽鬼のささやきのごとき不気味さで、誰かが笑った。白と紫の生地に金の輝きのちりばめられたクロークを、少し着崩したふうに身に付けた青年が――その出で立ちからして、恐らく魔道士――冷淡な調子で話を再開する。
 別段、悪意など無いのだろうが、傍目にはあまりに冷ややかな彼の声。人の肌の暖かみのようなものは、微塵も感じられない。サラサラとした長い金髪は、背後から見ると女性の髪のようにみえる。
「シディアお嬢様の今の話を、補足しておきましょうかね。《あの存在》が司る世界というのは、我々にとっての世界。つまり他の《像世界》ではない、我々が認識している《像世界》という意味です。お解りですか、エイナお嬢様?」
 そう尋ねられた娘は、最初から理解を拒否するような、訳が分からないと言った様子で首をかしげた。どことなく、先程の白緑の髪の美女に似ている。妹、なのだろうか。歳は随分若く、ひょっとするとまだ十代かもしれない。
 そんな彼女の態度に、気味が悪いほどにこやかな笑みを浮かべて、魔道士は話を続ける。恐ろしげな微笑をたたえた口元。
「《世界それ自体》は本来的にはひとつですが、観察者が属する《存在群》の違いに応じて、認識の差異が生み出す平行世界としての《像世界》は無限に多様です。しかし同時に、それぞれの《存在群》に属する主体に認識可能な像世界は、常に唯一かつ不変なのですよ。クククク……」
 薄気味悪い美形の魔道士の態度に、さほどの驚きも見せないところをみると、周囲の人間は、相当長い間、彼に慣れ親しんでいるのだろう。
 例の《父上》と呼ばれた男が、彼の言葉にうなずく。
「いまウーシオンの言った通り、我々にとって唯一の世界は、《この像世界》に他ならない。この代え難い、たったひとつの世界の運命が、いま問題なのだ。それは《あの存在》にとっても同じこと。あれが遣わした《御使い》たちも、すでに我々のことに感づいているかもしれぬ。いや、そもそも帝国軍からして、気づかぬうちに奴らの手駒の役目を果たしているのだ。そう、知らぬ間にな。帝国軍がこの施設の存在に気づくのも、時間の問題だろう。長くはあるまい、ガノリス王国も……。そうであろう、シディア?」
 白緑の髪の美女、いや、美姫という方が妥当であろう気品を漂わせた女が、静かに頷く。
「えぇ、父上。数日中には、主だった都市にエスカリアの旗が翻ることになるでしょう。それでもまだ、バンネスクの王都のように《天帝の火》によってこの世から消滅させられるよりは、遙かにましですわ」
「確かに、生きている限りな。それにしても《エレオヴィンス》がゼノフォス皇帝の手に渡るとは、因果なものだ。《神帝》などと、古の《天帝》にでもなったつもりか」
 父と娘の会話に、氷のごとき魔道士ウーシオンも加わる。
「この王国が滅びるか否かなど、それ自体としては、我々には関わりのないことです。現に我々《鍵の守人》は、あなた方《ネペントの一族》を筆頭に、旧世界の崩壊から前新陽暦時代を経て、多くの王朝の興亡の間、代々、様々な俗世の姿に身をやつし、《伝承》を守護してきました……。いずれ《御子》の現れる、その時代のために。そして今や、御子はすでに覚醒し始めた様子」
 彼は上目遣いに、視線で天を指すかのような仕草をした。
「時を同じくして、今年は予言された年。天に《2つの月》が昇る日は近い。それまでに、この《ファイノーミア》のごたごたに整理が着くことを祈りたいものですね。アルヴォン様?」
 ネペント一族の当主、アルヴォン・デュ・ネペント、例の片眼鏡の男は答える。
「《御子》の出現は《あの存在》にも当然に把握されていること。此度の大乱が起こったのも、間違いなく、あれの差し金だ。神帝ゼノフォスの壮大なる野望は、《あの存在》の御使いである《奴ら》がお決まりの仕方で事を運ぶための、隠れ蓑にすぎん。そうやって、人類の歴史はすでに前新陽暦の頃から奴らに操られ、さも自然な成り行きのような外観を伴って、密かに度々の《修正》を受けてきたのだ。奴らにしてみれば、我々《人の子》など、ただの塵や埃に等しい。だがな、そんな塵ひとつにも魂の力があるということを、奴らは思い知るべきなのだ」
 アルヴォンは剣の柄を握り、力強く叫んだ。
「この《飛宙艦オンディーヌ》がある限り、たやすく敗れはしない。《鍵の守人》の力を、《人の子》の力を、奴らに見せつける時が来た!」
 彼の手の向けられた先には――奥深く底無しに広がる影の中で、金属の巨塊が、見る者を圧倒するスケールの船体を横たえ、眠りについている。旧世界の《解放戦争》の末期、天空軍と星の海で戦うために建造されたという、伝説のオンディーヌだ。


【続く】



 ※2003年1月~2007年5月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第32話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


7 改めて問われる、ルキアンの戦う理由



 ◇ ◇

 ミトーニア市庁舎は、神殿からほど近い距離の所にある。
 庁舎前からは、細長い公園といっても誇張ではないほどの、一見すると街路とは思えない規模の大通りが延びる。日頃は多数の市民たちで賑わうこの場所も、今日は死んだように静まりかえっている。いつもと変わらぬたたずまいを見せているのは、通りを飾る季節の花々や緑の木々だけだった。
 そして、平和な商業都市ミトーニアにはまさに《場違い》であるはずの構造物が、我が物顔で大通りの真ん中を遮っている。それは、木材や土嚢、瓦礫、家具等々の雑多なものを積み上げて築かれたバリケードだ。
 その周囲では、抗戦派の兵士たちが数十名、いつでも発砲できる状態で銃を構えている。彼らの背後にそびえ立つのは、恐らくティグラーと思われる陸戦型アルマ・ヴィオが3体である。
 そこから7、80メートルほど通りを下がったところに、多数の市民たちが群れ集まっている。ときおり大声を出して気勢を上げながら、彼らは抗戦派のバリケードと対峙する。
 張りつめた空気の中、白と青の長衣をまとった白髪頭の男が一人、群衆の間から歩み出た。リュッツ主任神官だ。彼は両手を上げたまま、ゆっくりと、堂々とした態度でバリケードの方に近づいてゆく。
「我々は、争いをするために来たわけではない。同胞同士で銃火を交えるのがいかに空しいことか、それは誰もが知っていること」
 必ずしも通りの良くない、しかし誠実さに満ちた声でリュッツは叫んだ。
「ミトーニアの紋章の意味を知らぬはずはあるまい……。2匹の獅子が互いに手を携えるあの紋章は、かつて血で血を洗う争乱が続いていた中央平原の歴史を、二度と繰り返さぬようにとの、平和への誓いが込められたもの。このミトーニアの紋章を旗印として戦いをするようなことは、愛すべき故郷に対し、恥ずべき行為。今ならまだ間に合う。市長や参事会の方々を解放し、武装を解くのです!」
 ミトーニア神殿の長は、バリケードを守る兵士に向かって説得を始めた。
 反応らしい反応は無いが、相手もとりあえず黙ってリュッツの話に耳を傾けている。いかに抗戦派の者であろうと、神官に軽々しく発砲するような真似はしないだろう。
 リュッツを見守る市民たち。その前方には、自らの身を楯とするかのごとく、アルフェリオンの白銀の巨躯が。万一のことがあれば、文字通り楯となり、人々の命を護らなければならない。
 ――まずいな。この、眠気みたいな……気を抜くと倒れそうな感覚。かなり疲れてる。こんなに長い時間、アルマ・ヴィオを使いっぱなしだなんて、初めてのことだし。でも、頑張れ。僕がみんなを守らなきゃ。
 ルキアンは己の心に檄を飛ばした。早朝からずっとアルフェリオンを操っており、しかもレプトリアとの戦いで一度大きなダメージを被ったため、彼の精神的疲労は極度に高まっているはずだ。
 それでもルキアンは大きな使命感に支えられていた。自らの望み通り、人間同士の醜い争いを止めさせることに、いま彼は協力しているのだから。
 ルキアンの気分は高揚すらしていた。ある意味、不謹慎ではあろうが、それは彼の偽らざる気持ちだった。
 ――僕は、良い意味で、みんなの役に立てている、のかな? あんなにどうしようもなかった、《いらない人間》の僕が、必要、なんだよね……。
 だがその高まる心に水を差すように、不意に、あのときナッソス公の言い放った言葉が思い浮かんだ。

  要するに君というのは、具体的な目的もなく……ただ自分が必要とされた
 からといって、それに喜びを感じて暴徒どもに力を貸す、いわば《理由を持
 たぬ抜き身の剣》のような人間だな。戦う理由を、いや、自分の存在意義と
 やらさえ、結局は他人に預けている。


8 市民たちの突然の暴走。そのとき…。



 ルキアンは公爵の言葉を反芻し、改めて応える必要に迫られた。
 いま、彼は一瞬忘れかけてしまったのだ。誰かに必要とされることによって己の存在意義を実感するためになど、もはやそんなことのために戦っているのでは、ないはずだったということを。
 《戦う理由を得た》今の自分が、《戦うことで理由を得ようとしていた》あの日の自分に、戻ってはいけない。そう戒しめつつ、ルキアンは自答する。
 ――たしかに僕は、必要なら《剣》にでも何にでもなる。でもそれは《剣》となることによって自分の存在意義を得るためじゃなかったはずだ。僕が戦うのは《優しい人が優しいままでいられる世界》のためなんだ。みんながそんな世界で穏やかに笑っていられたらいいなって、僕もそんな世界で暮らしてみたいと思う、《願い》のためなんだ。忘れちゃいけない。戦いの中で進む道を見失ったら、僕はきっと《ステリア》の力に魅入られてしまう……。
 こうした思いを巡らせながらも、ルキアンの視線は、地上の神官リュッツと抗戦派の動向とに注がれていた。

 そのとき、付近がにわかに騒がしくなった。
 リュッツの説得に全く応じようとしない抗戦派の兵士に対し、待っていられなくなった市民たちが、声を荒らげて詰め寄り始めたのだ。市壁の外で飛び交う砲弾の音が、彼らの神経をなおさら苛立たせている。
「期限の夜明けはとっくに過ぎているんだぞ!! もしギルドの飛空艦が街を破壊しにやってきたら、どうするつもりだ?」
 市民たちは口々に怒鳴る。何人かの男が、鞘に入ったままの剣を高く掲げ、ガチャガチャと派手に揺らして勢いを付けている。
 ホウキを手にした中年婦人も、大声で騒いだ。
「あたしたちは戦争なんか嫌だよ! アールと一緒に心中なんて馬鹿らしい!」
「そうだ、アール副市長を出せ! 反逆者アールを引きずり出せ!!」
 誰かがこう言ったのを皮切りに、人々は抗戦派の首領アールの名を連呼して走り出した。
 いったん動き出した人の波は、凄まじい速さで流れる。ただでさえ異常な状況の中、些細なことから、たがが外れた群集心理は、その獰猛さを刹那のうちに露わにした。
「待ちなさい! 無茶をしてはいけません!!」
 必死に押し止めようとするリュッツだが、もはや彼の言葉に聞く耳を持つ者はいない。一触即発どころではなかった。このままでは流血の惨事もあり得る。
 ――こんなにも、あっけなく……。冗談だろう?
 一瞬の暴走に、同行していたシュワーズ秘書も目を疑う。凶暴化した人々に押し倒されないよう、道の端に身を寄せ、さすがの彼も呆気にとられていた。
 バリケード目がけて殺到する市民たちを、ルキアンもアルフェリオンを動かし、無理矢理にでも止めようとする。
 ――ダメだ! いけないよ、こんなの。こんなの!!
 だが、気が付くと銀の天使の足元近くを、いましも多数の人間が通り過ぎてゆく。下手に動いたら踏みつぶしてしまうだろう。どうしようもない。
 ルキアンは捨て鉢になって祈った。
 ――頼む。早まらないで、抗戦派の人たち!
 彼の声が伝わるはずはなかろうが、抗戦派の兵士たちは幸いにも発砲を差し控えた。やはり同じミトーニア市民なのだから、躊躇は当然あるのか。
 市民の最前列が兵士たちともみ合いになる。銃剣をかざして威嚇する兵士。投石する人々。石に混じって野菜くずや木切れも飛び交っている。
 下手にどここかで銃声でもしようものなら、間違いなく銃撃戦が始まりそうな雲行きだ。
 それだけは避けたい、と、ようやくアルフェリオンが動き出したとき……。


9 ミトーニアの守護獣



 ◇

 轟く砲声のごとき爆音で、《獣》の雄叫びが耳をつんざいた。
 市民と抗戦派の兵士との小競り合いにより、騒然としていた大通りが、一瞬、凍ったように静かになった。
 鋼の猛虎・ティグラーの雄叫びだ。
 抗戦派のバリケードの背後に待機していた3体の陸戦型が、威嚇するようにその巨体を誇示しつつ、ゆっくりと進み出てくる。
 些細な動きにさえ威厳と品格があった。乗り手もただ者ではないだろう。
 逞しい四肢に十分な力を感じさせながらも、虎たちはやや重そうに足を運ぶ。それもそのはず――本来の装甲の上に、金色の縁取りも勇壮な、分厚い魔法合金の甲冑をさらに装備しているためだった。
 それだけではない。これらのティグラーは、生来の武器である牙と爪に加えて、接近戦用の様々な武装を備えていた。背中や肩の部分には、サイの角のように頑強な突起物が生え、胴体と前足には、緩やかなカーブを描く抜き身の刃が、陽の光を反射して生々しく輝いている。
 こうした重装備ゆえに、3体は通常のティグラーよりもひと回り大きく見えた。一歩一歩のあゆみにも重アルマ・ヴィオ並みの地響きを伴い、ミトーニアの守護獣はじわじわと前進してくる。
 兵士たちともみ合い、罵声を上げていた街の人々は、3体の巨獣を前にして、冷水をかけられたかのように勢いを失っていた。
 急いで次の行動に出るべきなのだが、ルキアンの中では、冷静な判断よりもある種の感嘆の方が上回っている。
 ――こ、これって、これも……ティグラーか!?
 戦場慣れしているはずもない少年が一時の驚きに心を委ねてしまったのは、仕方のないことだろう。
 バリケードの向こうに身構える敵。その強固かつ絢爛な姿と相応に、機体は見事なまでに手入れされ、磨き上げられている。一介の在野のエクターから国王の近衛隊に至るまで、あらゆるところで用いられるティグラーではあれ、これほど立派なものを有する部隊は、数えるほどしか存在しないだろう。
 ――感心している場合じゃない! だけど、どうしよう……。
 戸惑うルキアン。ここで衝突でもしたら、足元にいる市民たちを完全に巻き込んでしまうことになる。暴動どころではない、大惨事だ。
 幸い、相手も性急な行動は慎んでいる。そうでもなければ、機敏さを欠いたルキアンは、すでに2、3発の攻撃を受けていただろう。他方、市民たちが今以上に進もうとするなら戦いも辞さぬという、断固たる姿勢も敵側には見て取れた。
 低くうなったかと思うと、鋼の牙をむき、吠えるティグラーたち。
 乗り手の意図によるものというよりも、アルマ・ヴィオ本来の、多分に動物的な反応だ。目の前に立つ未知の存在――アルフェリオン・ノヴィーアに警戒心を抱いているらしい。元々の虎よろしく、ティグラーは獰猛ながらも慎重な性向をもつ《生き物》なのだ。
 それに対し、もっと冷血的な、竜のごとき咆吼が轟いた。それでいて鷲や鷹のような猛禽を想起させる、高くて鋭い鳴き声……。アルフェリオンだ。時には《人》の身体を有しながらも、やはり獣的な性格をもつのがアルマ・ヴィオである。人に化身した魔竜、荒鷲の力を具現した天使。


10 立ちふさがる謎の女傭兵、その正体は?



 その間にも抗戦派の兵士たちは、銃口を向けて人々を威嚇しつつ、整然とした動きでバリケードの背後に退いた。これと入れ替わりに、ティグラー3体が前に出てくる。
「同じミトーニア市民の血を流すつもりか!? 戻れ! 帰れ!!」
 誰かが叫んだ。ヤジに混じって、《帰れ》という声が斉唱される。
 ティグラーに乗っている繰士が誰なのか、知っている者も当然いるようだった。一人の中年の婦人が、そのエクターの名前らしきものを狂ったように叫びながら、地べたに座り込んでいた。
 抵抗の意思を示しながらも、市民たちは少しずつ押し戻されざるを得なかった。が、このままで済みそうにもない。
 アルフェリオンのわき、大通りの傍らに退避していたシュワーズ秘書が、ルキアンに懸命に何か伝えようとしている。
 ルキアンは《耳》をすませた。魔法眼による視力と同様、感度を上げれば、アルマ・ヴィオは生身の人間とは比較にならない聴力も発揮できる。
 ――ルキアンさん! 聞こえますか、ルキアンさん! あなたの《念信》で、ともかく話し合いになるよう、抗戦派のアルマ・ヴィオに連絡してみて下さい。駄目でもともとです!!
 返事の代わりに、アルフェリオンの顔がシュワーズの方に向けられた。
 ――えぇ、やってみます。あちらのエクターも、そんなに無茶苦茶な人たちじゃなさそうですし。えっと、とりあえず、これで……。
 独り、そうつぶやいた後、ルキアンは可能な限り汎用性のある《帯域》を選んで語りかける。

 彼の行動を予見、いや、まるで期待していたと言わんばかりに、即座に敵方からの答えがあった。
 出し抜けに返されてきた念信。ルキアンはつい唖然としてしまう。
 ――見慣れぬ機体だが、貴君の所属を言いたまえ。
 乗り手の心の声には、ティグラーの印象と同様、厳かな気品があった。極めて冷静だが、それでいて穏やかさや柔らかさというものは、あまり感じられない。もとより好意などは期待できないにせよ、むき出しの敵意も伝わっては来ない。
 明らかに自分よりも上手だと、ルキアンは感じた。少なくとも魔道士の卵である彼には、念信から相手のイメージや人柄を感じることぐらいはできる。
 気後れしたのか、しばらく無言のままのルキアン。
 3体のティグラーのうち、真ん中の1体が軽く身体を振るわせる。これに乗っている者が、今の念信の相手に違いない。
 ――どうした、少年。私の声は聞こえているのだろう?
 そこでルキアンが思い浮かべたこと……。
 それがそのまま、向こうに伝わってしまった。意識的に《声》を送ろうとしたわけではないのに。念信に不慣れな者にありがちなことだ。
 敵方の繰士は、丁寧にもそれに答えた。
 ――いかにも私は女だが。それを理由に貴君が遠慮することなど微塵もない。
 彼女は毅然と言った。
 練達の繰士が持つオーラのようなものに、ルキアンは圧倒され始めた。
 ――何を謝っている? 変わっているな、君は。いや、まだ子供か……。
 相手が淡々としているだけに、ルキアンは余計に自分が不格好に思えてくる。このままではいけない、と彼も必死に答える。
 ――ぼ、僕は、ルキアン、そして、その、僕は……。
 ――心の内を漏らしすぎだ、少年。念信の使い方ぐらいまともに覚えておくのが、繰士の心得というものだろう。まぁいい、貴君はギルドのエクターではないが、ギルドの船に乗っているのだな。嘘ではあるまい。
 今度は彼女が名乗った。
 ――私はシェリル。ミトーニアの防衛のため、雇われた傭兵のようなものだ。だがギルドとは関わりがない。当然、私はこの街の人間でも、市民軍の兵士でもない。それゆえ、市民たちがこれ以上騒ぎを続けるというのなら、私は彼らをためらわずに撃つことができる。
 冷たく言い放つ声。


11 止まらない争い…無念のルキアン。



 シェリルは比較的若いようだが、世慣れた雰囲気からして、うら若き乙女という年頃でもなさそうだった。
 ――メイよりも、かなり年上かな。シソーラさんぐらいか?
 今度はうっかり相手に伝わらないよう、ルキアンは慎重に心の中で思った。
 ――でも傭兵にしては何か違う。どちらかというと、宮廷の貴族みたいな感じで。分からないけど、荒々しさがない。でも物凄く強そうだ。何だろう、この人は一体……。

 そのとき、戸惑うルキアンに、別の波長で念信が入った。
 これでは心が混乱する。実に不可解なシステムだ、と彼は改めて思う。
 ――ルキアン君! 聞こえる? 緊急事態よ、ルキアン君!
 クレドールからの念信。例によってセシエルからだ。
 ――今朝から城と街の間で待機していたナッソス家の部隊が、急に動き出したわ。そっちに向かってる! ねぇ、聞こえてる?
 ――は、はい、聞こえています。
 ルキアンの脳裏に、例の黒き疾風の竜、《レプトリア》との戦いが露わに蘇った。あのときは出鼻をくじかれ、いったん様子見に入ったナッソス軍だったが、とうとう本格的な攻勢をかけてくるのだろうか。
 ――暴動が起こるかもしれないって、連絡してくれたわよね。実際、抗戦派も焦っているみたいよ。恐らくアール副市長は、破れかぶれでナッソス家に助けを求め、ミトーニア全体をナッソス軍の手に委ねようとしているのかもしれない。そうやって、是が非でもギルドの地上部隊に対抗し、また、市民たちの反抗をも封じ込めようという魂胆……。
 ――でも、それじゃあ、抗戦派は、市門を開いてナッソス軍を引き入れるつもりなんですか? そんな無茶苦茶な!!
 誇り高き自由市、それも王国随一の古都ミトーニアが、街を他の君主の支配下に委ね、ましてや軍隊を踏み入れさせるなどと……。こんなことは、オーリウムの貴族の――それゆえルキアンの――普通の感覚からすれば、本来あり得ないはず。彼は呆れるばかりだった。
 唖然とする彼の胸の内に、セシエルの声が響く。
 ――とにかく距離はわずかだから、ナッソス軍の……陸戦型、足の速いリュコスやティグラーは、もうすぐミトーニアに着くわ! いま、メイが空から追跡している。クレドールを近づけようにも、ミトーニアからの対空砲火が激しくて危険……。できるだけ急いでバーンとベルセアを地上に降ろすけど、ルキアン君も援護をお願い! 特に、あなたが早朝に戦ったという旧世界のアルマ・ヴィオを、何とかしないと!!
 ――そんなこと言ったって! あの、その、こっちでは……。
 ルキアンは、今度は慌ててシェリルとの念信に切り替えた。すっかり気が動転してしまい、2つの念信に応ずるだけで精一杯だ。
 ――何なんだ、何なんだ、これは!!
 ルキアンはただ無闇に、無意味に叫ぶのだった。
 そして痛恨の思いでわななく。
 ――どうして、何で……そんなに、戦いがしたいんだよ? 何で。


【第33話に続く】



 ※2002年12月~2003年1月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第32話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  善対悪の戦場であるというよりは、むしろ無数の主観的な《善》が
  ――それぞれの信じるものがぶつかり合うのがこの世界だから、
  それゆえ人間の争いはいっそう激しく、残酷で、終わりがない……。
                    (シャリオ・ディ・メルクール)

 ◇ 第32話 ◇


1 現状からも運命からも、僕は逃げない



 ルキアンは再びアルフェリオンに乗り込むと、立ち上がった巨人の視点から、ミトーニアの広場を一望した。
 広場という名に反してそれほど広いというわけでもない、むしろ小さく愛らしい街の《中庭》は、たちまち人だかりに覆われている。まるで、アリの巣の近くに角砂糖が置かれ、それを知ってアリたちが次から次へと這い出し、群れ集まってくるような、そんな光景だった。
 人垣の真ん中では、1人の男が大きな身振りで何か叫んでいる。多分あれが、さきほど駆け出していった市長秘書のシュワーズだろう。彼を飲み込まんばかりの勢いで詰め寄る市民たち。そんな人々を押し止めるように、白髪頭の神官が両手をかざしている。主任神官リュッツに違いない。
 上から冷静に眺めてみると、異様な有様だとルキアンは思った。
 戦闘の結果、広場の周囲の建物はあちこちで倒壊し、丁寧に敷き詰められた石畳の地面の上には、ミトーニア側のアルマ・ヴィオが3体、群衆の行く手を邪魔する壁のごとく横たわっている。その間を忙しく動き回る沢山の市民。
 およそ日常的とは言えない光景を平然と見つめている自分に、ルキアンはふと気付いた。そして、そんな自分自身に驚くのだった。
 ――よく分からないけど、僕は、何か変わってしまったのかもしれない。いや、《かもしれない》じゃなくって、実際、そうなんだと思う。
 彼は心の中で皮肉っぽくつぶやいた。
 ――こんな鋼の化け物に乗って、見知らぬ街にやって来て、そこで戦って。今までの僕には想像もつかなかった出来事ばかり。でも僕は、感情も理屈も置き去りにして、知らない間に状況に順応し始めている。人間って、こんなにも都合の良い生き物だったのかな。
 とりとめなく思いを巡らせながら、ルキアンは周囲を見渡し、警戒を続けた。一度は退却した抗戦派側の部隊が、増援を連れて反撃してくる事態も当然に予想されているからだ。
 ――嫌だな。また戦わなきゃいけないとしたら。本当は、自分には関係ないって、全部投げ出し、どこかに逃げてしまいたい。だって戦うたびに、僕は人を殺しているに違いないんだから。僕は敵の血も見てない、死体も見てない、だけど、敵のアルマ・ヴィオに乗ってた人は、死んでるはずなんだ!! 怖い。感覚が麻痺していくことが。平気で戦ってる僕は、おかしいんじゃないかって。争うのは嫌だ。人を殺すのはもっと嫌だ。でも僕が戦わなかったら、ギルドとミトーニアの間にもっと大きな戦いが起こり、沢山の人たちの命が犠牲になってしまう。だから……。
 何度目か、もう数えられないほど、生まれては消えた葛藤。
 覚悟というのは、必ずしも激しい決意として現れるばかりではない。痛々しい気持ちながらも、ルキアンはむしろ静かに誓った。
 ――たとえ僕が、泣きながら剣を手に取り、血まみれになって争わなければならないとしても……僕がその苦しみに耐えることで、他のみんなが血を流し合わなくて済むのなら、優しい人が優しいままでいられるのなら……争いなんて好まないのに、自分の心に反して誰かと争い、僕みたいに悲しい思いをする人が、そんな人が少しでもわずかで済むのなら。
 祈念のように、ひょっとすると呪詛のように、彼は繰り返した。
 ――僕は、逃げるわけにはいかないんだ。今の状況からも、戦いからも。そして、この世界でたった一人、アルフェリオンの繰士として予め定められた、自分自身の運命からも……。


2 市民たちの動きに、希望が…?



 ◇

 シュワーズが沢山の人々に囲まれ、演説めいたことを続けているうちに、朝の太陽は、本格的な真昼の輝きで地上を照らし始めていた。
 もしこんな状況でなければ、広場はもっと違った形で賑わっていたのだろう。花や野菜を売る市が立ち、威勢良く客を呼び込む物売り。無邪気に走り回る子供たち。チェスに興じる老人。風に乗って流れてくる、辻楽師の笛やヴァイオリンの音。野外に開けたカフェで談笑する紳士。拍手を受ける大道芸人……。
 だが、そうした日常の風景は、ここにはもはやあり得なかった。
 広場に面した神殿の前では、この場所を二度と抗戦派に明け渡すまいと、銀の天使が翼を広げ、仁王立ちしている。
 他方、集まった市民たちの動揺は徐々に収まりつつあるようだが、市庁舎で起こったクーデターについて、事態は正しく伝わったのだろうか。
 シュワーズとリュッツが神殿の方へと引き上げてくる。
 人々もすぐには解散することなく、広場に留まったままである。
 そびえ立つアルフェリオンの足元で、シュワーズが手を振った。ルキアンに降りてこいと言いたいらしい。

「市庁舎で起きた事件、なかなか本当だと信じてもらえなかったのですが……。いや、今でも街の人たちが信じているとは、必ずしもいえません」
 シュワーズは言う。思い出したかのように、額に流れる汗をぬぐいながら。
 声を枯らし、過剰なばかりの身振りと共に、荒々しく市民に訴えていたシュワーズ。だが今は、チーフを取り出して眼鏡を拭く彼の様子も、本来の上品な態度に戻っていた。
 彼の一端の雄弁家ぶりに感心しながらも、ルキアンには、市民たちの受け止め方が心配だった。
「シュワーズさん、それじゃあ結局、街の人たちは……」
「いやいや、そんな残念そうな顔をしなくても大丈夫」
 彼はルキアンの言葉に途中で割って入ると、力強くうなずいた。
 リュッツ主任神官が、広場の群衆の方を見ながら言う。
「街の皆さんは、とりあえずシュワーズさんの話が本当かどうか、市庁舎に出向いて確かめようと言っています。勿論、抗戦派の軍がすんなり通してくれるとは考え難いのですが、人々はそう主張して譲らないのですよ」
「そんな、危険じゃないですか? 相手は、市長さんに銃を向けるような人たちです。街の人にだって、必要なら力ずくで、発砲してでも言うことを聞かせようとするかもしれません!!」
 思わず声を裏返らせ、疑問を投げかけるルキアンに、シュワーズはごく冷静に応じた。
「あなたの言う通り、危険を伴う試みではあります。それでも実際に市長が監禁されているのだと分かったら、相当数の市民は、抗戦派に対して抗議行動を起こすと言ってくれました。すでに武装してきている人も沢山います。ことによっては、抗戦派との間で銃火が交えられるかもしれません。しかし、抗戦派の企みを阻止しなければ、ギルド側の総攻撃が始まり、ミトーニア全市民の生命が脅かされます。それは誰もが理解していることです。ギルドもさすがに、もう長くは待ってくれないでしょう? 私も知っていますよ、議会軍やギルドには時間がないのだと。帝国軍はガノリス王国を半ば制圧し、この瞬間にも、オーリウム国境に向けて迫っていますからね」
「それは、そうですが。でも……」
 ルキアンは言葉に詰まり、不安と希望、なおかつ諦めの入り交じった視線を向けた。
 彼も本当は受け入れつつある。現実というものを――《完璧な答え》など希であり、人は《少しでも間違いの少ない答え》を、《どれにも絶対的な正誤は付けようもない不完全な選択肢》の中から、それでも選ばねばならないのだと。そうした決断からは逃げられず、逃げるべきでもないということが、この世に生きる者に負わされた重い十字架、あるいは《責任》なのだと。あのときのクレヴィスやシャリオとの会話が、ルキアンの心によぎった。
「では、ともかく、ちゃんと市庁舎の様子が確認できたら、ギルドとミトーニアの市街戦は避けられるかもしれないんですね?」


3 ルキアンとシュワーズ、二人の願い



 シュワーズにも、即答することはためらわれた。だが難しい顔つきながらも、彼は希望的な観測を示す。
「……念のため、最悪の事態を考えておく必要はあります。しかし、シュリス市長や市参事会の方々においては、エクター・ギルドの出した条件を受け入れるという意見が大勢を占めているのです。従って、抗戦派のアール副市長らと合意することができれば――いや、残念ですが、この期に及んでは、彼らを排除することができたとすれば。あるいは」
「分かりました。僕もギルドの飛空艦に、今すぐそれを念信で伝えておきます。こちらの事情さえ明らかになれば、きっと分かってくれると思うんです!」
 全面戦争を回避できる可能性があると知り、ルキアンは水を得た魚のように、アルフェリオンのケーラに乗り込もうとする。
 シュワーズは慌てて彼を引き止めた。
「ルキアンさん、待って下さい。あなたにもうひとつ、お願いがあります……。そう、実際問題として、抗戦派の部隊が市民たちに発砲することは十分にあり得ます。それ以前に、市庁舎周辺は抗戦派のアルマ・ヴィオが完全に封鎖しているのです。ですから、その……」
 言いにくそうに切り出すシュワーズ。
「万一の場合には、あなたのアルマ・ヴィオで街の皆さんを守っていただきたいのです。いや、必要とあらば戦ってほしいのです、あなたに」
 意外にも、ルキアンは即座に首を縦に振る。覚悟はできていた。
「僕自身はそのつもりでした。しかし街の人たちが、ギルド側の繰士である僕を信用してくれるなんて、考えにくいですよ? 一体、何を根拠に、市民の皆さんが僕を受け入れるのか……」
 シュワーズは笑いながら、手刀で自分の首を切るようなジェスチャーをしたかと思うと、すぐさま真剣な表情に戻った。
「それは《私の命で》――もしルキアンさんが裏切った場合には、私の命を差し出すと言っておきました。いや、あなたに助けてもらった命なのに、それを使ってあなたを困らせるというのは、いかに身勝手なことか、承知しています。それでも、私はミトーニアを、この大切な故郷を救いたいのです」
「シュワーズさん……」
「それに加えて、リュッツさんをはじめ、神官の方々が懸命に説得してくださったおかげです。だから、後はルキアンさん――申し訳ありませんが、あなたが街の皆さんの前で、貴族としての誇りに賭け、繰士の名に賭けて、誓ってくだされば」
 シュワーズに続いて、リュッツも深々と頭を下げる。
「お願いします。私たちが頼りにできるのは、あなたしかいないのです」
「そんな、どうか頭をお上げ下さい。僕なんかに……。でも、分かりました。ミトーニアを戦火から救うため、僕にできる限りのことをさせていただきます。それで、もし不幸にも、抗戦派との戦いになってしまった場合は」
 微かにうつむいた後、己の言葉を噛み締めるようにして、ルキアンは改めて顔を上げた。
「アルフェリオンの全ての力を使ってでも、街の皆さんを守ります」


4 プレアー撤退? メイも苦戦し…。



 ◇ ◇

 ――メイ! 危ない、後ろ!!
 自らも敵の猛攻を受ける中、プレアーは半ば反射的に飛び出していた。
 プレアーの思念に反応し、飛行形態のフルファーが大鹿の角を振りかざす。牡鹿の頭とコウモリの翼を持つ異形の巨人は、物凄い勢いで突進しながら、強引に人型への変形を試みる。その変化もまだ途中のまま、フルファーは片腕を伸ばし、光の楯・MTシールドを張り巡らした。
 同時に、メイのラピオ・アヴィスが紅の翼を羽ばたかせ、反転した。その機体の通った軌跡を貫き、敵方の放ったMgSが走り抜けてゆく。
 対する敵のアルマ・ヴィオ、空の巨竜ディノプトラスは、怒りの雄叫びを上げ、次なる攻撃に入ろうとする。
 ナッソス家の《空中竜機兵団》とギルド艦隊のアルマ・ヴィオとの戦いは、双方とも互角で勝負のつかぬまま、なおも繰り広げられていた。
 メイは辛くも危機から脱したが、その直後、背後で別の衝撃を感じるとともに、プレアーの悲鳴を心にとらえる。
 ――しまった! プレアー!!
 急旋回したラピオ・アヴィスの魔法眼に、姿勢を崩し、落ちていくフルファーの姿が映った。
 ラピオ・アヴィスの後ろから迫っていた敵のMgS、切り裂くような風の精霊魔法の攻撃を、プレアーの機体が代わりに防いだのだ。だが、追いつくのに精一杯だったフルファーは、シールドの展開が遅れ、運悪く機体にもダメージを受けてしまった。
 ――大丈夫? 返事して、プレアー、しっかりして!!
 必死に呼び掛けるメイ。だが返事はない。
 その間にも敵の追撃が容赦なく迫る。
 メイはラピオ・アヴィスのスピードと小回りの良さを生かし、襲いかかる2匹の魔竜と、その上から刃を繰り出す《竜騎士》の間をすり抜けようとする。
 ――どけ! これでも、落ちないかっ!!
 赤き鋼の猛禽が正面を向いたまま回転し、3門のMgSが次々と火を噴いた。今回の作戦に備え、ネレイのギルド本部で新たに取り付けた武装である。
 手応えはあった。
 だが間髪おかずに、煙の中から分厚い曲刀が振り下ろされる。
 ――なんてヤツ? 今のをかわした!? いや、プレアーを早く!!
 メイは急いで離れようとする。が、先程から対決し続けている手強い敵は、彼女を逃さなかった。
 ――どうした、お前の相手は俺だ。
 天翔ける竜を駆り、ラピオ・アヴィスの行く手を阻む相手。そのエクターは、まだ少年臭さが抜け切らぬ心の声で、挑戦してきた。
 ナッソス家四人衆の若き勇士、ムートの操る《ギャラハルド》だ。攻撃する敵からすれば嫌になりそうなほど、見るからに頑丈な黒と青紫の鎧。それ以上に強固な丸楯と、巨大な刀。兜の頭頂部では、鎖を下げたような、弁髪を思わせる飾りが音を立てて揺れている。
 ――忌々しいガキだね。あんたの相手をしている場合じゃないんだ!!
 必死のメイ。本気で頭に来たらしい。
 しかしこの強敵、そう簡単に片づけることもできそうにない……。
 幸いにもプレアーは無事で、彼女からの念信が飛び込んできた。
 ――メイ! 大丈夫!! ゴメン、いったん離れる!!
 フルファーは翼に敵弾を受け、機体のバランスを取るのが困難なようだ。
 だがディノプトラスは他にもいる。ムートにメイとの勝負を任せ、残りの2機がフルファーを追って降下していく。
 今の状態では、プレアーに勝ち目はない。
 とどめとばかりに槍を構え、一挙に落とそうとする2体の空中竜機兵。


5 カインとサモンが参戦、形勢逆転か?



 そのとき、遠く離れた艦隊の方から青白い閃光が放たれた。
 強大な破壊力からして味方飛空艦の主砲かと思われたが、あの距離から、こんな針の穴を通すような砲撃は不可能に近い。
 それができるのはただ一人、そして、ただひとつのアルマ・ヴィオ……。
 ――お兄ちゃん! お兄ちゃんだね!?
 プレアーは、感極まって半泣きで叫んだ。
 そう。カイン・クレメントの乗る《ハンティング・レクサー》は、その名に違わず、ディノプトラスの翼を正確に射抜いた。
 通常の呪文砲ならば、発射と発射との間にある程度の時間がかかるのだが、ナッソス家のアルマ・ヴィオ目がけ、立て続けに第二、第三の攻撃が続く。
 命中しそうもない距離から確実に狙い撃ちしてくる相手に、空中竜機兵団の猛者たちも、不意を突かれて守勢に回ることを余儀なくされた。
 常に慣れ親しんでいる心強い声が、プレアーの胸に響いた。
 ――今のうちに戻れ。無理するな。
 ――うん! ボク、絶対お兄ちゃんが助けてくれるって信じてた!!
 帰還しようとするプレアーを、見事に援護するカイン。空中戦の能力をほとんど持たない彼の機体は、クレドールの飛行甲板に立ち、そこから狙撃を行っているのだ。
 甲冑姿の騎士をそのまま大きくしたような外見は、確かに《レクサー》タイプの汎用型アルマ・ヴィオに違いない。だが近衛機装隊の重装型シルバー・レクサーや、議会軍の高機動型ブラック・レクサーとも違い、迷彩のような深緑と黄土色の機体である。
 特に目立つのは、左右の肩から1門ずつ伸びる、長射程MgSの砲身だ。脚部にも多連装MgS。手にしているのは、通常より2倍以上も銃身の長い、銃座付きのMgSドラグーン。汎用型にもかかわらず、これでもかというほどの火力を備えている。アルマ・ヴィオ改造に偏執的なほどのこだわりをもつ、カインらしい。
 それだけではない。クレヴィスの提案により、一挙に敵を蹴散らすべく、さらなるアルマ・ヴィオがギルド艦隊から飛び立っていたのだ。
 不意に音もなく、高空から急降下してくる何かがあった。あくまで静かに、気配を悟らせず、それでいて驚くべき速さで。
 ハンティング・レクサーに翼を撃たれ、力を削がれたディノプトラス。その上に乗った《騎士》めがけ、頭上から鋭い鉤爪がつかみかかる。
 見事な奇襲だった。舞い降りた空の狩人は、刃物のような爪を持つ両足で、空中竜機兵を鷲掴みにした。フクロウのごとき重飛行型アルマ・ヴィオ、ファノミウルだ。
 練達の繰士サモン・シドーは、いつも通りの寡黙さで、無言をもって終わりを告げる。相手をとらえたままファノミウルの腹部の広角型MgSが白熱化し、近接距離から魔法弾を直撃させ、あっという間に飛び去った。ディノプトラスもろとも、これでは助かりようがない。


6 「退く」ことの意味―それぞれの思い



 ――形勢逆転ね。どうする?
 挑発するようにメイが言った。
 ラピオ・アヴィスとギャラハルドが対峙する。
 敵に突然の援軍が現れ、さすがのムートも不利を悟っただろうか。
 見る者が見れば、彼の風体から明らかなのだが――もともとムートは、好戦的なことで知られる辺境の古き戦闘部族の出身だ。そんな環境で育った彼も、敗北よりは死を選ぶという恐るべき戦士である。しかし、このまま戦い続ければ、カセリナまで命を落とす可能性もあった。
 もはや彼に残された味方は、そのカセリナと、もうひとりのエクターのみ。
 ――くっ。新手が居たとはな。そろそろ、潮時か。
 何故か意外なほどあっさりと、勇猛果敢な繰士は退却を認める。
 その言葉に過剰に反応したのはカセリナだった。
 ――まだよ! ここまで来たのに、あと一歩じゃないの……。
 戦士としてのムートの誇りを、誰よりも知っているのは他ならぬ彼女である。彼がこれほどあっけなく敗北を認めることは、考えもしなかった。だが、彼にそのような決断をさせたのは――否、彼をそうした人間に変えたのは、カセリナ自身であるということを、彼女は十分には理解していない。
 ――何を言ってんだ、お嬢様。冷静になろうぜ。俺たちが命を賭してでも戦い抜かねばならないとすれば、それは城を枕に討ち死にするときだ。こんな空の上でくたばるのは、どうも気持ちが悪いだろ?
 戸惑うカセリナ。
 と、地上から別の念信が入った。同じく四人衆のザックスからである。
 ――お嬢様、いったん引いて下さい。これは殿の直々の御命令ですぞ。状況が変わったのです、さぁ!
 ――ザックスか。しかし……。分かりました。お父様がそこまでおっしゃるのであれば、何か事情があってのこと。悔しいが、やむを得ないわね。
 父の、そしてムートやザックスの気持ちも考え、カセリナも渋々承知した。
 イーヴァを乗せたディノプトラスが、口から猛烈な火炎弾を吐いて敵を威嚇したかと思うと、素早く退いた。
 他方、イーヴァと剣を交えていたカヴァリアンも、敢えてその場から動かなかった。左右の手で構えたMTサーベルから、黄色い光の刃が消えていく。
 レーイは無言で敵の撤退を見つめる。

 ――逃げる? 今のうちに一気に!! レーイ、サモン、何してるのよ!
 メイがすかさず追撃にかかるが、それを予想していたかのように、クレドールから念信が入る。
 ――メイ、深追いは好ましくありません。戻りなさい。
 ――でもクレヴィー、いま攻めたら勝てるのに!?
 柔らかな溜息とともに、クレヴィスは告げた。
 ――あの奇襲を防ぎきり、全員が無事だったというだけでも、我々は十分な戦果を上げたことになりますよ。おまけに手強いディノプトラスを3機も落とした。何が不満ですか?
 ―――それは、そうだけど……。あんな強いヤツらをみすみす逃したら、後でまた厄介なことにならないかと思って。
 メイが周囲を見回すと、レーイとサモンはすでに帰途についている。変に熱くなって我を忘れたりせず、程良い引き際をわきまえた彼らは、さすがに戦いを生業にする者らしかった。
 仕方なく2人を追って戻るメイに、クレヴィスが優しく諭すように言った。
 ――ふふ。あなたの勇敢さは大したものですよ。しかし、カルの言いぐさではありませんが、我々は軍や機装騎士ではありません。結局ギルドの戦いは商売です。被害を最小に抑えつつ、確実に最大限の成果を手に入れること。むやみに命を賭してまで、勝利の名誉など追求する必要はないのです。いいから、帰還して下さい。分かりましたね?

 《商売》などという似合わぬ口上を述べたせいか、クレヴィスは苦笑いしている。彼は艦橋の窓際に立ち、地上のミトーニア市を見やった。
「とはいえ、飛空艦3隻がまんまと立ち往生させられ、結果的に向こうの作戦に余裕を与えてしまったのは確かですね。その間、ミトーニアの情勢がどう変わったか。ナッソス家もあの街を黙って手放すはずはありません。相手の出方次第では、我々も勝負に出ることを余儀なくされるでしょう。ルキアン君、あなたの思いが届くかどうか……」


【続く】



 ※2002年12月~2003年1月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第31話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン



9 目覚めぬままに…グレイル、散る?



 ◇ ◇

 帝国軍のヴェ・デレスの一隊は、余裕の様相で地上のグレイル機を見下ろしていた。
 ――まだ1体残っていたか。わざわざ倒されにやって来るとは、ガノリスの奴らめ、森の猪のようだな。
 ――猪か。だが魔法を使う猪とは珍しい。見ろ、《蛍》を放ったぞ。
 冗談交じりの《念信》をかわす帝国のエクターたち。彼らは、魔法による攻撃など恐れていないようにみえる。普通の繰士なら、敵が《蛍》をばらまいただけでも、その後の呪文を恐れて逃げ出してしまうかもしれないが。
 ヴェ・デレスの右肩から右腕に沿って、長大なMgSが伸びている。各機ともその砲門を地上に向ける。
 大きく膨らんだ肩当て付近にも、多連式の速射型MgSが装備されている。重アルマ・ヴィオでもない限り、これだけの火力を持っている機体はそうそう見かけない。
 またヴェ・デレスは左腕の方が不自然に太いのだが、これは、何らかのシールドまたは結界の発生装置を内蔵しているためらしい。

 魔法を放った時点でグレイルはお終いだ。間髪を入れずに、MgSの雨が彼に降り注ぐだろう。それでも彼は攻撃を止めようとしなかった。逃げたところで、どのみち助かりはしまい。
 ――炎の精霊よ、我が魔弓となりて、灼熱の矢を……。
 呪文の詠唱が残り一言で完成しようとする、そのとき。
 極限状態の中で、何かがグレイルの心に繰り返し引っ掛かる。精神集中が乱れた。
 ――何だ、この感覚は? 大事なときに!!
 時が止まっているかのような意識のうちに、彼は不意に思い出す。
 ――そう言えば、似たような感覚を覚えた。昨日の深夜……。俺は、誰かのことを、いや、遠い昔の友人のような人々のことを、忘れている気がしてならなかった。それは誰なんだ? この感じは、いったい何なんだ!?
 しかし迷っている暇はない。グレイルは急いでもう一度呪文を唱え直そうとする。が、何かが依然として妙に気に掛かる。
 ――なぜ迷ってる? 未練だぞ。今さら、過去や未来などと。
 自分にそう言い聞かせるも、彼の胸中には生理的に引っ掛かるものがあった。どうしようもない。この奇妙な気分がいかなる理由によるのか、それが分からないことが余計に苛立ちを煽る。
 彼の意思とは半ば無関係に、様々な連想が脳裏を駆けめぐる。その中には、あの《妖精》についての幼年時代の記憶もあった。いや、他の何にも増して、その光景が何度も心に立ち現れるのだ。
 ――妖精? どうして? いや、俺がいま必要としているのは、炎の精霊の呪文。無駄なことを考えるな。もう一度、呪文を!!
 そして彼は、最後の魔法を一気に解き放った。はずだったが……。

 直後、叩き付けるような衝撃とともに、グレイルの目の前は真っ暗になった。
 頭が、腕が、全身が痺れている。痛みのあまり身動きが取れない。
 ――動け!! くそっ、何も見えない。魔法眼も完全にイカレたか!
 グレイルは重心を維持することすらできなかった。
 ヴェ・デレスの雷撃弾の斉射を喰らい、彼のアルマ・ヴィオは黒焦げになって煙を上げている。やがて片脚が膝の部分から折れ曲がり、機体はあっけなく背後に崩れ落ちた。地面に衝突した際、腕も外れてしまった。
 もはやアルマ・ヴィオは完全に沈黙した。
 自らの《身体》が、つまり機体が大破したショックにより、グレイル自身も気を失った。


10 運命の暗転の日、選ばれなかった者



 ◇

 ――俺、死んだ? 死んだのかな。
 グレイルは身体の感覚をすべて失い、虚ろな意識のままで、果てしない暗闇に包まれていた。
 ――あっけないもんだな。こんなのか、人生って? 笑っちゃうよな。ちょっと終わりが早すぎる気もするが……。
 様々な出来事が心に蘇る。これぞ、死の直前に人が見るという記憶の走馬燈なのかもしれない。じきに己の魂は天に召されるだろう、と彼は思った。ということは、まだ自分は生きているのだろうか?と考えもしたが、彼にはもう起きあがる気力すらなかった。
 ――でもさ、どうしてあのとき、あんな失敗したのかな?
 真っ白になった彼の頭に浮かんだのは、《あの日》のことだった。少年から大人へと移り変わろうとしていた頃、王立研究院への推挙を決める試験のとき、なぜか簡単な呪文をしくじってしまったことを。
 ――天才とか言われていたのにな。どうして、あんな間違いを? でも、考えてみれば、あれから良いことひとつもなかったか……。
 あのときの失敗が、今から思うと何かを象徴しているように思われた。それは運勢、いや、運命――人の力では抗い難い、因果律のようなもの。
 グレイルの唇は、気の抜けた笑みをたたえていた。
 ――へへ。たぶん、あのとき俺は何かに《選ばれなかった》んだよな。そう。それから、何かが壊れて、どんどん崩れ落ちていったような気がする。一体、どうしちまったんだろ?
 あれこれ思いを巡らせているうちに、彼は不思議と安らかな気分に包まれた。
 ――まぁ、いっか。何かに見放されたのかもしれない。そう言えば、《妖精》も、いつからか見えなくなってしまったし。突き放されたって感じだったな。俺は、何かに負けたんだ。《選ばれなかった者》なんだ。
 強烈な眠気がグレイルを襲う。おそらくここで目を閉じれば、永遠の眠りにつくことになるのだろう、と彼は思った。
 ――さよなら……。って、何に、誰にさよならなんだ? 別に何もないじゃないか。馬鹿みたい。最後まで。

 黄泉の国への扉に手が掛かったそのとき、漆黒の闇の中に《炎》がぱっと浮かんだ。そして、破鐘のような大声がグレイルの頭の中で響く。
 ――待ちなさいよ、ふざけるな!! 起きろ、この軟弱魔法使い、こら!!
 あまりの騒々しさに、グレイルはめまいがした。だがその突き刺すような感覚が、間一髪のところで彼を現世に連れ戻したらしい。
 ――この声は? うるさいヤツだな……。
 何が何やら理解できないグレイルの手に、誰かが噛み付いた。
 痛い。現実なのだろうか?
 ――おい、ちょっと! 人の話聞け! バカー!!
 聞き慣れぬ若い娘の声に、グレイルが顔を上げると、そこには……。
 幼い頃に見た、あの《妖精》が居た。
 火炎を思わせるような縁取りやフリルの付いた、ヒラヒラした真っ赤な衣装。
 すらりと伸びた、長くて華奢な腕と脚。
 これまた燃え盛る焔のごとく、大きくうねった赤い髪。
 無邪気で、やんちゃな、それでいて全く正反対の、異様な威圧感を秘めた目。
 ――やっと聞こえたか、この鈍感!
 彼女は口をとがらせ、グレイルの背中を小突いた。
 ――幻なのか? あのときの、妖精……?
 ――違う。あたしは妖精じゃない、パラディーヴァだよ。フラメアって言うんだ。
 ――パラディーヴァ?
 フラメアは、ぶんぶんと音がしそうなほど、何度も大仰に頷いた。
 ――いいかい、根性なしの魔法使いさん。アタシはねぇ、アンタのために今日まで待ってたの。古の契約によって、アンタの剣となって戦い、楯となってアンタを守るために。ワカル?
 ――お、俺は悪い夢でも見ているんだろうか?
 怪訝そうなグレイル。フラメアはわざと彼の耳元で大声を出した。
 ――また噛み付いて欲しい? さっき痛かったでしょ、本当だってば。
 と、彼女は急に真剣な表情で告げる。
 ――時間がないの。よく聞いて。アンタは間違ってると思う。基本的な、重大な間違いを犯したまま、今日まで生きてきて……その間違いに気づくことなく、無謀な戦いを仕掛けて死んでいこうとした。あと一発、敵のアルマ・ヴィオがMgSを発射したら、アンタは本当に死ぬよ。了解?
 半信半疑のまま、グレイルは機械的に頷いた。
 ――分かった。で、あたしのマスター様、アンタの間違い、教えてあげようか? もしこれを聞いて、それでもアンタに立ち上がる気がなかったら、そのときは本当に死んじゃえばいい。


11 グレイル、覚醒



 強引に話を進めるフラメア。
 だが彼女の次の言葉は、グレイルの心を揺さぶり、長いこと彼の気持ちに取りついていた黒い霞のようなものを、無理矢理に吹き払うのだった。
 ――あなたがずっと《選ばれなかった》のは、何かに見捨てられたからでもなければ、あなた自身にその資格がなかったわけでもない。後で《もっと大きなことのために選ばれる必要があった》から、選ばれないままだったの。
 ――もっと大きなことのために?
 ――本人の意思に反してでも、宿命はあなたの進む方向を変えたの。それを今日まで不本意だと感じてきただろうけど、今になって運命の歯車は動き始めた。考えてもごらんなさい……本当の切り札っていうのは、他よりも後になって使われるからこそ切り札なんじゃない! あなたは落伍者ではない。自分でそう思い込んでしまっただけ。さぁ、目を覚ます時間よ。悪い夢から覚めて。
 フラメアは無垢な男の子のような笑顔で頷いた。
 ――俺が、本当に為すべきこと……。それが始まろうとしている今まで、俺はずっと選ばれないままだった。いや、だからこそ、俺はいまここに居るわけだし、ここでフラメアと出会い、俺にしかできない何かに取りかかることができる。それは、確かに……。
 彼女に手を取られ、ぼんやりと立ち上がるグレイル。だが彼の目の輝きは、半信半疑ながらも、今までとは全く違う強さを見せている。
 ――そうかもしれない。何のことはない、物は考えようってワケか。
 彼の言葉を待っていたかのように、フラメアは一転して恭しく跪いた。
 ――承知しました。私の親愛なる主(マスター)よ、御心のままに。
 幻の中、彼女は激しい炎の姿となって宙に消えた。

 ◇

 ――誰かが俺を呼んだのか? いや、気のせいか……。
 カリオスは、何かが胸の奥を走り抜けるのを感じた。
 彼の気持ちに感応した魔獣キマイロスが、地平の果てにも轟けと、ひときわ大きく遠吠えする。
 反乱軍の籠もる要塞線《レンゲイルの壁》を遠く望みつつ、カリオスとキマイロスは再び戦場に躍り込んでゆく。

 ◇

 見るも哀れに被弾し、地面に横たわるグレイルのアルマ・ヴィオ。
 帝国軍のMgSが、今にもとどめの一撃を放つべく、狙いを付けている。
 そのとき急にハッチが開き、転がるようにしてグレイルが這い出してきた。
 ふらふらと立ち上がったかと思うと、また前のめりに倒れそうになりながらも、髪を振り乱して彼は身体を起こした。

 ◇

「……何?」
 暗い部屋の隅で、イアラは身を起こした。
 彼女は彫像のように身体をこわばらせ、宙の一点を――いや、カーテンの向こう、窓の向こうに意識を向けている。
 涙で赤く充血した目は、遠くのどこかを確かに見つめていた。

 ◇

 酔っぱらいのようによろめき、肩で息をして、グレイルは荒い声でつぶやく。
「運命だか天の采配だか知らないが……。心を――なめんなよ!!」
 忘れていた本気。凄まじい形相だ。
 気迫のままに、腕を天空にかざして《召喚》の呪文を唱え始める。

  我は汝の名を呼ぶ。
  いにしえの契約に従い、竜王の門より我がもとに出でよ。
  炎を司りしパラディーヴァ、烈火の乙女……。

「フラメアー!!」
 グレイルが召喚呪文を唱えたかと思うと、一瞬、真っ赤な閃光が空を覆い、揺らめく炎のごとき光が天空から大地を貫いた。その光景は、あたかも雲間で竜が身をくねらせ、大地に舞い降りるかのようだった。
 付近の空気が一変する。
 刺すように乾いた霊気の波動が空を埋め尽くし、見渡す限りの森の木々は、巨大な魔力に共鳴してざわめき始めていた。

 ◇

 アマリアは椅子から立ち上がると、白いショールを肩に掛けた。
 おもむろに二、三回、凛々しい面差しで彼女は頷く。
「当然だ。これは定められていたこと……」
 庭園に設けられた緑木の迷路の中、彼女は、館に続く小道に足を向けた。


12 魔界の重騎士・エクシリオス



 ◇

 帝国軍が異変に気づいたとき、グレイルの姿はどこにもなかった。
 何かが太陽の光を遮る。
 上空には気配すら無かったにもかかわらず、視界の彼方、遙か雲海の果てから瞬時に飛来したものが。
 風を切るように巨大な鉤爪が現れ、ヴェ・デレスの1機を鷲掴みにしたかと思うと、物凄い力でそのまま握りつぶした。
 ――ガノリス軍の新型? 重アルマ・ヴィオか!!
 残りのヴェ・デレスは、突然現れた敵に魔法弾を浴びせかける。
 だが帝国軍のエクターたちは、戦慄すべき結果に直面した。
 ――まさか、これだけの集中砲火を、こんな至近距離から受けて無傷だと!?
 何発打ち込んでも同じだった。一切の魔法は無効化されている。
 ――敵の機体は、レベルA+以上のとてつもない結界を展開しているぞ! どの魔法弾も全然歯が立たない!!

 爆煙が消えていくに従って、謎のアルマ・ヴィオが姿を現す。
 不気味な影。
 それは人のような形をしながらも、人間そのままの似姿ではない。
 空中に悠然と浮かぶ機体。その側面で大小様々の《腕》がうごめく。本来の2本の腕よりも遙かに大きく、ハサミ状の鉤爪を備えた腕が、左右の肩の後ろから伸びている。さらに、鋭利な一本爪の付いたムチのようにしなやかな腕が、横腹付近に2、3対。
 何とも表現し難い。敢えて言えば、蟹の化け物を背負った鎧の騎士だ。
 しかも翼が生えている。だがその翼も――鳥や蝶など、空を飛ぶ生き物本来のものというよりは、甲殻類の器官を思わせるような、頑丈で節くれ立った異様な造りだった。

 フラメアが勝ち誇ったように笑う。
 ――ナメてもらっちゃ困るよ。《アスタロン速度干渉結界》を展開した機体には、魔法力による攻撃は通用しないの。もう何をしたところで無駄だって。
 突然ケーラの中に転送されたグレイルは困惑している。
 ――こ、これは……。
 恐るべきパワーが彼の魂に伝わってくる。底無しの魔力の渦に取り込まれているようで、思わず震えが出そうだった。
 ――魔界の重騎士《エクシリオス》よ。乗り心地はどう?
 フラメアの声がグレイルの心に浮かぶ。
 自分の中に、別の誰かの声。それはアルマ・ヴィオの伝えてくる意思よりも、もっと直接的で、グレイル自身の心との境目が曖昧だ。この不慣れな感覚にも、彼は戸惑いを隠せない。
 無邪気な冷酷さでフラメアは言った。楽しそうにすら。
 ――さっさと片づけちゃおうよ。あたしたちには、もっと大事な用がある。


【第32話に続く】



 ※2002年10月~11月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第31話・中編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン



5 君がどんなに孤独(ひとり)でも…



 ◇ ◇

「俺の守るべき《お姫様》も、これがまた、なかなか世話が焼ける……」
 すっかり陽は昇ったというのに、依然として薄暗い室内で、アムニスはささやいた。
 風もない部屋の中、神秘的な輝きをまとったアムニスの黒髪が、そよそよと揺らいでいる。長身のパラディーヴァは、実体なき霧のような姿で窓際にたたずむ。
 全て締め切られたカーテン。本来は燦々と日の光が降り注ぐはずの、贅沢な作りの窓も、今では無用の長物だった。
 もう長いこと、食事の出し入れの時以外には滅多に開かないドア。
 床に散乱した紙くず。油絵の具の匂い。
 何の欠乏もない、この豪華な個室は、本来の立派さとは裏腹に、いまや陰惨で重苦しい空気に支配されている。
 周囲よりもいっそう暗がりの濃い、部屋の隅で――ぼんやりとしたランプの明かりのもと、うずくまるようにして絵を描いている娘が居る。
 イアラ。彼女は何も喋らない。
 時折、嗚咽ともすすり笑いともつかぬ声を、微かに発するだけだ。
 水のパラディーヴァ・アムニスは、来る日も来る日も、イアラの姿をじっと見守っている。
 変わらない日々。
「俺のマスターは半ば《壊れて》しまっているかもしれない。だが必ず、彼女が再びこの窓を開いて、自由に外の世界を飛び回る日が……。その時がそう遠くないうちに来ることを、俺は信じている。彼女には《御子》の力がある。お仕着せの宿命の糸を断ち切り、自らの手で紡ぎ直すことのできる、可能性の力が宿っている。それは、彼女が自ら捨て去らない限り、《あの存在》の手によっても決して奪えないものだ」
 人の心を惑わせる美しい妖魔のごとき、この世ならぬ魅力をもつ横顔。
 だが美しさ以上の何かが、アムニスの全身を包んでいる。あたかも永遠の哀しみを思わせる、吸い込まれるような、切々とした物寂しい雰囲気が。
 それでいて彼の瞳の奥には、強い情熱の光が見て取れる。
「君がどんなに孤独(ひとり)でも、俺は最後まで君を信じ、いつも側にいる。たとえどれほど君の心の闇が深くなっても、俺はいっそう強い明かりをかかげて、君の行く先を照らし続ける。《予め歪められた生》に負けてはいけない。強く生き、倒れずに立っていること、抗うこと――それもすでに、君と俺にとって、《あの存在》との戦いの一部なのだから。わが主、イアラよ」

 ◇

 姿なき絶対者の手によって、歴史のからくりが着々と進行していく一方で、いまだ目覚めの時を迎えぬ御子たち。
 彼らは自らの運命を、そして使命を知らない。
 ましてや、己の運命を変えるすべを知るはずもなかった……。


6 グレイルの回想―運命が狂い始めた日



 ◇ ◆ ◇

「それでは、わがメデティティア魔道学院より王立中央魔道研究院へ推挙されることになった、名誉ある諸君の名を発表する」
 この式典のために、漆黒の長衣と黄金造りの宝尺で正装した院長が、堂に入った声で読み上げる。外貌の点から言うと――神秘的な眼光を別にすれば、日頃は地味な初老の男にしか見えない院長だが、今日は格別の威厳を漂わせていた。
 院長と同じ舞台上に、同じく学院所属の魔道士たちが居並ぶ。
 他方、緊張と興奮の入り交じった眼差しで壇上を凝視しているのは、彼らの弟子たち。おおむね16、7から20歳くらいまでの男女だ。彼ら、学院の若き魔道士たちは、揃いの制服を、紺色の長衣に鮮やかな朱の帯とケープを身に付けている。
 ところでイリュシオーネの魔法学者の間では、人は誰でも魔法の源となる《パンタシア》の力を持っている、というのが通説である。そのくせ、己の内に潜むパンタシアの力を実感し、自在に制御できる者の数となれば、急激に限られてしまうことになる。パンタシアを意のままに操るために必要な、天賦の感性を備えた人間だけが、魔道士になれるのだ。
 仮に天才というものが、世間的に言われているように《天性の能力》であるとするならば――本来的にはむしろ《環境の産物》だと思われるが――魔道士というのは、その意味において確かに《天才》であろう。
 しかし現実は厳しい。それらの天才たちの中でも、現実に一流に、いや、二流も含めて一応真っ当な魔道士となれるのは、ごくわずかだ。が、今ここに集まっている青少年たちには、大なり小なり可能性が残されている。
 そして、将来を夢見る魔道士の卵たちの中には、まだあどけなさの残るグレイル・ホリゾードの姿もあった。

 ◆

「私はいまだに理解できんよ……。どうして君ほど優れた成績の者が、あんな初歩的な呪文を、よりによって本試験で間違えるなどとは。誠に残念なことだ、グレイル君」
 後日、院長はいつもの平凡な表情に戻って告げた。
「君を推している先生たちも、少なくなかったのだがね。まぁ君は、実力さえ出せれば、本当は才能があるのだから。諦めずに頑張りたまえ」
 諦めたくはないが、しかし――とグレイルは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。現在と同様、少年時代からおよそ整っていたとは言えない頭髪を、無意識に掻きながら。
 イリュシオーネでは、大学や魔法院への入学試験というのは、事実上存在しない。かつての時代とは違って誰でも入れるのだ。入る資格だけならば……。ただし裕福な貴族や大商人の師弟をのぞけば、実際には推薦試験が、つまり学費を免除してもらうための試験が、入学テストのようなものである。そう、一介の職人や小農民の子の場合、たとえ入学はできても莫大な学費が払えないからだった。
「いや、すいません。あははは。本当は、俺、いや、僕は王都バンネスクのような都会の暮らしは苦手ですからね。それに王立研究院ってのも、本当は堅苦しそうで、どうも。そんな気持ちでいましたから、思わず集中力が抜けてミスっちゃったのかもしれません」
 予想外の言葉に、院長は低くうなった。
「グレイル君……」
「大丈夫ですよ、先生。修行は続けますよ。自分で。当面は《拝み屋》でもやるか、それともエクターになろうかと考えてます。親戚に(※ガノリス王国の)エクター・ギルドの繰士がいるんですよ。実は、今までも見習い兼助手をして、小遣いを稼いでいました。不器用そうに見えても、これで結構、小器用なんで」
 彼はわざと茶目っ気を出して笑った。
 《拝み屋》というのは、要するに金で雇われて悪霊払いをしたり、呪いを払ったりする祈祷師のことだ。何しろ善悪様々な魔法の渦巻くこの世界、需要は多い。占いとならんで、悪霊・悪魔払いは、駆け出し魔道士の重要な収入源である。
 ルキアンの師匠カルバのように、まともな研究所を構えて日々研究に励むことができる魔道士など、全体から見れば少数なのだ。それこそ一流といわれる魔道士だけだろう。
 それでも拝み屋や占い師として働く者は、真っ当な魔道士の部類に入る。中には詐欺師同様の振る舞いに及んで、例えば《自分は錬金術にあと一歩で成功するから、少し研究資金を出してくれませんか?》などと嘘を付き、人の良い金持ちから金を騙し取ったり、もっと酷い場合には、殺し屋まがいの《呪い屋》になったり、野武士や山賊にまで身を落としたりする者もしばしば見られる。

 ◇ ◆ ◇

「それで結局のところ、ジャンク屋兼エクターだもんな……。ま、占いや拝み屋よりは儲かる稼業だけど、何せ命を張る商売ときたもんだ」
 本人だけではなく、聞いた者まで脱力させられるような、大きな溜息。
 不信心者なのだろうか、いい加減なのだろうか、グレイルは、馬鹿にするような調子で神の名を口にする。
「あぁあ。いと高きところにまします神さんよ、どうか明日も俺らの命がありますように、頼むぜ、っと」
 彼は無言で空を見つめ続ける。特に何を眺めているわけでもなさそうである。


7 勇気か自棄か、命を捨てて戻る道



 ……と、不意にその目つきが鋭くなった。
「あれは?」
 そう言うが早いか、グレイルは動き出していた。煉瓦の山の上に呆けて座っていた今までの様子が、嘘のようである。何だかんだ言っても、本業の繰士だ。
「ヤバイじゃないか。帝国軍の部隊!!」
 ジャンク・パーツを集めた例のアルマ・ヴィオに駆け寄り、大慌てでハッチを開く。
「痛てっ」
 棺桶のようなコックピット、いや、《ケーラ》の中に勢いよく飛び込んだまではよかったが、グレイルは角に頭をぶつけてしまう。
「とにかく、早くこの機体を隠さないと」
 のっそりと起動した汎用型アルマ・ヴィオ。もともと、背後の森の中に隠してあったのだが、もう少し本格的に姿を潜めることが必要らしい。
 アルマ・ヴィオの魔法眼を通じて、上空の敵機の様子が目に映る。まだ距離がありすぎて正確な形を認識できない。とりあえず、翼の他に、手と足と人型の身体を持つシルエットだ。ずんぐりした大きな翼が左右に広がる。それらの下から、さらに細い翼が、吹き流しのように後方へと伸びている。
 翼を持つ汎用型。天使のような、いや、むしろガノリス人にとっては悪魔としか言いようのない姿だ。飛行型ではないにもかかわらず、見る見るうちに接近してくるほどの速度。その事実が、すでに帝国軍の技術力の高さを物語っている。
 空中に浮かぶケシ粒のようだった敵の影は、グレイルが呆気にとられている今、この瞬間にも、はっきりと形をとらえることができるほど大きくなっていた。敵のアルマ・ヴィオの肩から腕にかけて伸びる筒のような物体――長射程MgSの砲身まで判別できる。さらには色までも。ダークグレーの機体をベースに、肩当てや籠手、胸甲等の部分は銀色や紫色らしい。
 ――ツイてない! こんな時にかぎって、《ヴェ・デレス》じゃないか。それが1、2、3……おい、8、9体も……1個中隊!? どこを攻撃しに行った帰りなのか知らないけど、俺たちみたいなザコの敗残兵なんて相手にせず、さっさと戻って寝てろ!!
 もし《生身》の状態であれば、グレイルは舌打ちしたい気分だった。
 《ヴェ・デレス》は、汎用型とは思えない機動力の高さゆえに、帝国軍の先鋒隊の主力アルマ・ヴィオとなっている。群れをなして空から急襲し、強力な火力でたちまち相手を撃破する。それによって、ガノリス王国の重要な都市や城が一体いくつ奪取されたことか。
 ――前に俺たちが居た部隊も、あのアルマ・ヴィオたった数機のせいで、全滅させられたっていうのに……。しかも今度は数が違う。一対一でも勝ち目は薄い。それがあんなに沢山来られたら、逃げるが勝ちだ。
 苛立ちながらも、グレイルはともかく森の奥深くへと後退し始める。
 木々の中で息を潜め、じっと耐える。
 時間の流れが変わった。時の刻みがあまりに遅く感じられる。
 だが、無事に敵をやり過ごせつつあると彼が思ったとき、最悪の事態が発生してしまった。
 空中から一斉に火を噴く敵のMgS。幸い、それらはグレイルのアルマ・ヴィオに向けて発射されたものではなかった。が……。
 9体の敵機から放たれる閃光が、次々と大地に突き刺さる。
 冷たく乾いた気候のせいもあってか、たちまち森に火が付いた。さらには火炎弾まで投下され、火勢はますます激しくなった。赤く揺れる不気味な炎は、じわじわと広がり、一面の深緑の樹林を舐め尽くそうとし始めている。
 ――ルージョ! キリオ!!
 グレイルは、丘の上に残してきた友たちの名を叫んだ。
 地べたに屈み込んでいた自機を反射的に起こし、彼は一歩踏み出した。しかし、続く二歩目がすぐには出ない。
 勝てるわけがないのだ。
 ヴェ・デレスと比べれば、グレイルのアルマ・ヴィオなど動く鉄くずにすぎない。反撃もままならないまま、跡形もなく破壊されるだろう。昨日までの戦いを通じて、彼は身をもって理解している。
 一瞬、迷いが生じた。
 が、グレイルはすぐに仲間のところへ急いだ。それは恐らく、勇気ゆえではない。投げやり、破れかぶれ、と表現した方がよいかもしれない。
 何かを考える余裕など今のグレイルにはなかったが、無意識的にも――友と生き延びるために戦いに向かったのではなく、共に死に花を咲かせるために戦う、という気持ちの方が強かったに違いない。
 それほど絶望的なのだ。この戦いは。
 ――だが俺は、ここで逃げるほど、そこまで落ちぶれちゃいない。
 地響きを立て、必死に林道を走るグレイルの機体。
 ――そうか? 本当にそうなのか? 俺は、単に俺は……捨てるものが無いだけじゃないんだろうか。ここで全てが終わってしまっても別にもういいか、なんて思ってるから、こうやって無謀な戦いに向かうことができる? 明日も明後日も、来年も、どうせ何も変わらないって……そう思っているから、未来を、命を、捨てることに恐れを感じないだけなのかもしれない。
 突然に心に生じた動揺を、グレイルはすぐさま振り切った。そんな暇があったら、一歩でも早く仲間たちのところに行きたかった。
 ――分からない。分からないけど、とりあえずあいつらだけは、唯一、俺が失いたくない仲間だ。ずっと一緒にやってきた、信じ合える奴らだから。
 敵から身を隠すことなどもはや考えず、グレイルのアルマ・ヴィオはひたすら急ぐ。距離的には、あの丘はほんの目と鼻の先なのだ。


8 御子の宿命、用意されていた哀しい舞台



 そして、ついに。
 ――大丈夫か? 返事をしてくれ!!
 坂道の先、森が切れた。
 ――キリオ!?
 聞き慣れた念信の声は、帰ってこなかった。
 ――ルージョ? おい、生きてるか? 大丈夫だろ!?
 グレイルの心には何の反応も浮かばない。
 凍り付いた湖面のごとく、静かで、無情なほどひっそりと。
 ――こんなときに、悪い冗談、だよ、な……。緊急事態なんだぞ。おい。
 自分の視界に何が映っているのか確認できぬまま、もしかすると眼前の光景を映像として認識せぬまま、彼は繰り返し呼び掛けた。

 ようやく魔法眼が、グレイルの脳裏に像を結ばせる。
 人のかたちをした影が、視界を遮るものが、目線の高さには見当たらない。
 もっと地面の方、猛火の海の中に、鋼の塊が2つ転がっていた。
 仲間のアルマ・ヴィオが2体。変わり果てた姿で。
 グレイルはそれを直視するのが怖かった。怒りで哀しみを打ち消そうとするかのように、彼は上空に向かって絶叫した。

 ――嘘だろ……。こんなのありか?
 アルマ・ヴィオの腰の左右に付けられた箱状の装置が、ゆっくりと開いた。それらの中から、発光する小さな物体が、点々と空中にこぼれ出てゆく。
 ――どうして。どうして、こうなる?
 無感情につぶやくグレイル。
 その痛ましい気持ちを慰めようとするかのごとく、雪のようにふわりと、ぼんやりと青白く輝きながら、周囲に流れ去ってゆく光の群れがあった。
 蛍さながらに。
 そう、それは《蛍》だった。魔法戦用の《ランブリウス》だ。
 ――道連れにしてやる。一矢も報えずに、ただ死んでたまるか!
 グレイルは呪文の詠唱を始める。残る魔力の全てを込めて。

 ◇ ◇

「このままで良いのかの、わが主よ?」
 しわがれた、穏やかな老人の声が言った。だが姿はない。声音だけが宙を漂っている。
「聞いておるのか、アマリア。あの男は死ぬぞ……」
 差し迫った会話の内容とは裏腹に、《地》のパラディーヴァ・フォリオムの口調はあくまで落ち着いていた。まさに夜明けの大地のごとく。全てを包み込む静けさで。
 紅の魔女アマリアは、何の返事もせず水晶球を見つめたままだ。透明な球面には、勝つ見込みのない戦に身を投じたグレイルの姿が映っている。
 瞬きもわずかに、夢うつつで心はここにあらず、魂だけが異界に吸い込まれるているような眼差し。アマリアは水晶を凝視する。
 水晶球に映るグレイルのアルマ・ヴィオの様子を見て、フォリオムは溜息を付いた。多分、わざと大きく。彼なりにアマリアを急かしているつもりなのだろうか。
「哀れなことじゃて。あれしきの呪文、唱えるだけ無駄なのにのぅ……。敵と差し違えようとしているつもりでも、自滅するだけだろうよ。通用せん」
 なおも身じろぎひとつせず、一言も発しないマスターに対し、フォリオムはやっと声を大にした。それは柔らかではあれ、断固として有無を言わせぬ口ぶりである。
「いま《御子》を失うわけにはいかぬ。一人たりともな。……それは十分理解しておろう? まだ今なら間に合う。なぜ彼に救いの手を差し伸べぬ、紅の魔女よ? お主の《ノヴィム・アーキリオン》なら、一瞬であの国まで転移できるものを」
 小さく首を振り、フォリオムの言葉を押し止めるアマリア。彼女はやっと口を開いた。
「確かに。造作もないこと……。しかしな、フォリオム。私がここで手を出したら、彼個人は生き延びることができるにせよ、《御子としての彼》は今後ずっと眠ったままになるだろう。運命を変えるのは本人だと、ご老体も言ったではないか?」
「この状況で何を! もはや一秒を争う。わが主よ、早くアルマ・ヴィオを!」
 アマリアは頑として動こうとしなかった。
「パラディーヴァ・マスターとして覚醒できなければ、グレイル・ホリゾードはただの人間だ。御子としての役割も期待できなくなる。彼が置かれているこの状況は、まさに星の導きによるもの。もし彼が目覚められるとすれば、今しかないのだから……。そのためのきっかけとして、用意された舞台。いかに残酷であろうとな。だから私が手を貸すわけにはいかない」
 周囲の空気に冷たく染み通るような声で、彼女はつぶやく。
「そういうものだ。御子の宿命とは」


【続く】



 ※2002年10月~11月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第31話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  時には小さな塵が精密な機械を狂わせてしまうように、
  人間が偶然もたらしたに過ぎない些細なノイズが原因で、
  大いなる現世(うつしよ)のシステムに
  致命的エラーが生ずることもある。
  それゆえ御子たちの力は、
  《あの存在》にとって唯一の脅威となるだろう。
  御子の力、それは
   ――絶対者の引いた路線を白紙に戻し、
      新たな未来を作る不確定性の力。
  (リュシオン・エインザール)

◇ 第31話 ◇


1 第31話「御子」の再掲を開始です!



 一面の草原の中、ミトーニア市から伸びる街道を目で追っていくと、やがてナッソス城のある丘が見えてくる。
 丘の周囲の土地は真っ平らではなく、多少の起伏を伴っている。上空からの眺めは、緑がなだらかに波打つ海のようだ。こうした緩やかな凹凸以外、見渡す限りの平原には、これといって目立つ地形的特徴はない。
 クレドールの《複眼鏡》を構成する多数の魔法眼のうち、いくつかの《目》が地上の様子を探っている。付近には特に遮蔽物も存在しないため、いったん夜が明ければ、ナッソス軍の布陣を明瞭に把握することができる。
 結局、昨晩も床の上では眠れなかったヴェンデイルだが、その疲れを見せる様子もなく、彼は歯切れの良い声を上げた。
「動きがないね――日の出前に、ナッソス家の一隊がミトーニアの方に向かい始めたのに、どういうわけか城と街の真ん中辺りでずっと待機したままだよ。残りの主力部隊は、相変わらず城の守りを固めて持久戦の構えだ。……で、どうすんの? もう太陽もあんなに高く昇ってしまったし」
 そうですね、とだけつぶやいた後、クレヴィスの言葉がしばらく止まった。
 彼はミトーニア市の方角に視線を向けたまま、じっと沈思している。地上からの魔法弾を避けてクレドールが高々度にいるため、いま肉眼でミトーニアを見たところで、緑の上の小さな黒い塊のようにしか感じられないであろうが。
「多分、今朝早くルキアン君とナッソス家のアルマ・ヴィオが交戦した際に、何かあったのでしょう。アルフェリオンの戦闘力を目の当たりにした結果、敵軍がとりあえず自重しているとも考えられます。あるいは……」
 何事かの策を背後に含み持ったような、穏やかではあれ怜悧な微笑を浮かべ、クレヴィスは言った。
「貴重な戦力を本当にミトーニア救援のために割くべきなのかと、ナッソス家の指揮官たちが今頃になって躊躇しているのかもしれません。先程のルキアン君の報告が正しいとすれば――ミトーニアの市民軍の一部がギルドの地上部隊と戦闘状態に入ったのは、あくまで市庁舎を占拠した抗戦派の指図による結果であって、本来、市当局には戦う意思は無いようですからね。もし現段階で抗戦派が鎮圧されたりでもすれば、ナッソス家の援軍は無駄骨ということになります。抗戦派とナッソス家とが通じているのは確かだと思いますが。……もう少し様子を見てみましょうか、カル?」
 クレヴィスとは対照的に、カルダイン艦長は厳しい顔つきで押し黙ったまま、ブリッジ最上部の席に鎮座している。彼が無言であればあるほど、重厚な存在感と近寄りがたい威圧感とが醸し出される。
 奇妙な二人……。
 クレヴィス副長ほど、戦場にはおよそ似つかわしくない物腰の人間も珍しい。ただ、常に絶やさぬ微かな笑みには、人ではない精霊や半神の英雄さながらの、周囲の事情から超然とした余裕が感じられるとでもいうべきか。それゆえ、生理的な次元において、見る者はかえって底知れぬ怖さを覚えるかもしれない。
 他方、カルダイン艦長は、華々しさや感傷的な情とはほど遠い、戦いを金で請け負う本物のギルドの戦士だ。戦うために必要でない心の揺らめきを、一切停止しているかのように見える。
 副長の呼びかけが耳に入らなかったのでは、と思わせるほど――いささか長い間の後、カルダインは頷いた。
「ミトーニアへの対応は、今しばらくお前の判断に任せる。だが、あまり悠長に構えていることはできない。ミトーニア市の開城に手間取れば、ナッソス城の攻略にも遅れをきたし、最悪の場合、《レンゲイルの壁》への議会軍の攻撃作戦にも影響が出てくる。時間がないのだ。もう《帝国軍》は間近まで迫ってきている」
 不動であった艦長は、懐から煙草を取り出し、ようやく姿勢を崩しかけた。が、彼は再び椅子に深く腰掛け直すと、重々しく腕組みする。
「とはいえ、ミトーニアへの総攻撃を避けられるのであれば、それに越したことはない。議会軍のお偉方にしてみれば、世間への大義や建て前というのも重要だろう。誰が敵か味方か分からんような今の不安定な情勢の中では、なおさらのことだ……」
「えぇ。正規軍と組んだギルドが多数の一般市民を戦闘に巻き込んだということになれば、世論が悪い方向に傾く恐れがあります。特に、他の自由都市からの反発は激しいでしょう。現在中立の都市までが、反乱軍を支持することにもなりかねません。かといって、このままミトーニアを放置しておくのも具合が悪い」
 クレヴィスは微かに首を振った。そして溜息を――そのわりに、彼の様子はさほど深刻そうには見えない。


2 「端役」であるはずの人間が…



「時間が許すぎりぎりまで、市街戦という最後のカードは手持ちの札に含まれないものと考えておき、戦わずに開城させる手だてを探すべきでしょう……。しかし、今の状態では相手は話し合いに応じない。本来なら手詰まりだというところですが、幸い、全く運に見放されたわけでもないようですよ」
 彼の眼差しには、何故か確信めいたものが浮かんでいた。
「敵地の真ん中で《彼》を自由に飛び回らせておくのは、無謀極まりないことではありますが、反面、危険を冒してでも試してみる価値のあることです――ルキアン・ディ・シーマーが、ある種の攪乱要因として働くことにより、思いがけぬ可能性が生じるかもしれません。私には、そんな気がするのです。事実、コルダーユでも、パラミシオンでも、彼は我々の予想外の結果を引き起こしました。どう表現すればよいのでしょうか、ルキアン君は、良くも悪くも場の状況を変える何かをもっている気がします。水面に投じられた石。因果の流れを二転三転させる賽子(さいころ)。いや、妙な例えですが、もっと違う言葉でいえば……」
 ゆったりとした大げさな身振りと共に、クレヴィスは語る。
「主役がいて、脇役たちがいて、形の上では筋書きも決まっているような、そんな《舞台》の上で――横からひょいと出てきた《端役》であるはずの人間が、いつの間にか物語全体を違う方向に持っていってしまう。予定調和的に何事かを成し遂げるというよりは、むしろ物事の所与の前提条件を根底から流動化させてしまうような、そういう不思議な力をあの少年は持っているのかもしれません」
「相変わらず彼に入れ込んでいるようだな。期待し過ぎるのもどうかとは思うが、可能性というものは、たしかに信じられない結果に結びつくことがある。……それでも、最終的にミトーニアへの総攻撃が必要となったとしたら、やむを得ないがな。そういう汚い仕事は、俺たち以外の誰の役回りでもあるまい。正規軍の奴らにしてみれば、エクター・ギルドなど、所詮、勝つためには手段を選ばぬ胡散臭い傭兵の群れにすぎん」
 割り切った口ぶりで艦長は告げた。その後のクレヴィスの返答を気にするわけでもなく、彼は煙草をくわえ、窓の向こうを見据える。
 拍子抜けするほど平然とした態度に、いや、不敵な態度に終始する艦長。船のすぐ近くで、レーイたちとナッソス家の空中竜機兵団との戦いが、なおも続いているにもかかわらず。
 革命戦争の際に多くの修羅場をくぐり抜けたカルダインに言わせれば、今の状況など、遠くの火事程度の危険にしか感じられないのかもしれない。
「やれやれ。そうやって偽悪ぶるのは、貴方の良くない癖ですよ、カル……」
 苦笑いしながら、クレヴィスは話題を変えた。
「それはそれとして、まずは降りかかった火の粉を払っておくのが先決でしょう。じきにレーイが片づけてくれると思いますが、今すぐにとはいかない様子ですね。ナッソス家の繰士たちも、いずれ劣らぬ手練れ揃いのようですし、さすがに重飛行型が相手となると、汎用型のカヴァリアンやフルファーでは分が悪い。この際、相手方に揺さぶりをかける意味も込めて、敵のアルマ・ヴィオ部隊を一気に排除しましょうか。サモンの《ファノミウル》と、それからラプサーに連絡して、カインの《ハンティング・レクサー》にも支援に出てもらいます」


3 創造主の矛盾と人間の尺度



 ◇

「……レーイったら、何を遊んでるのかしら」
 同じ頃、飛空艦ラプサーの艦橋でも、シソーラ・ラ・フェインが戦いを注視していた。棘のある批判的な口調とは裏腹に、彼女は何らかの点でレーイに同情するかのように、仕方なさげに首をかしげた。
「たしかに手間取っているようだが――本気を出していないと?」
 珍しくノックス艦長が尋ねる。軍士官あがりの彼にしてみれば、ある意味で当然なのだが、彼は戦闘中、必要以外の私語には一切応じない。たった今も、持ち前の厳格なまでの几帳面さをもって、刻々と変化する戦況を全て見逃すまいと構えていた。
 シソーラは人差し指を立て、意味ありげに左右に振った。ノックス艦長に向かって、貴方は何も分かっていないと言いたげである。
「彼が手を抜いているわけではないけどね……。むしろ本気よ、本気。レーイを真剣にさせるなんて、敵も相当の凄腕じゃないの。アルマ・ヴィオとの一体感といい、剣や槍の腕前といい、あれだけのエクターは滅多にいない」
 勇敢ながらも堅物の若き艦長ベルナード・ノックスは、いつもながら、姉御肌の(また実際、年上の)シソーラ副長に頭が上がらない様子で、話を聞いている。
 以前オーリウム議会軍の艦隊に所属していたノックスは、飛空艦の扱いには長けている。だがアルマ・ヴィオに関しては、全く知識がないわけではないにせよ、プロからみれば素人にすぎない。シソーラは、その気になれば自らアルマ・ヴィオに乗ることもできる。
「レーイは本気を出しているけど……。《全力》を出していないと言ってるの。いくら空中戦で不利だとはいえ、レーイが真の力を発揮していれば、この戦いはとっくに終わってるはずよ」
 金鎖で首にぶら下がっていた眼鏡を、シソーラはゆっくりと掛けた。
「でも今は、何だか試合でも楽しんでいる感じね。レーイも相手の実力を認めているのかもしれない。たぶん相手のエクターは女。それも、ウチのプレアーみたいな若い子。最初、レーイが戸惑っていたようだもの。そりゃまぁねぇ、あの人に、うら若き乙女の命が奪えるはずなどないでしょうけど……」
 彼女は不意に冷淡な口調になった。
「人の世の争いは醜い。純真そうな子供が暗殺の短剣を隠し持っていることもあれば、女や幼子を楯にしてくる卑劣な敵もいる。そこで剣を振るわないのは自由だけど――そうやって人の道をつらぬこうとするのであれば、代わりに自分の命を捨てる覚悟が必要になる。戦いというのは本質的に汚い。要するに殺し合い、つぶし合いなんだから、人間らしい感情を先に出した方が負けちゃうワケよ。良いとか悪いじゃなくて、許せるとか許せないとかじゃなくて、とりあえずそれが現実」
 彼女の言葉にはそれ相応の重みがあった。大規模な虐殺や粛正を伴う、あのタロスの革命戦争の渦中で生き抜き、全てを失ってオーリウムに亡命してきた人間の言葉だ。
 反対にノックス艦長は、職業軍人ではあったが、軍を辞めてエクター・ギルドに入るまでは実戦経験すら持たなかったのである。他の多くのオーリウムの軍人と同様に。
 シソーラが失った家族の話も知っているだけに、ノックス艦長は、黙って彼女の言葉に聴き入るしかなかった。
 祖国タロスなまりのオーリウム語で、シソーラはつぶやく。ノックスにとっては、余計にその言葉の響きが痛々しく感じられた。
「もしかすると、そんな現実は、戦いという特殊な状況だけに限らないかもしれないわね。人生という戦場で、人間的な《優しさ》を貫こうとする人は、自分の中のその優しさを守るために、自身の大切なものを犠牲にせざるを得なくなる。だって、人が生きるということは――特に、成功や幸福を味わうということは――自覚の有無にはかかわらず、必ずどこかで他人の犠牲を伴っているのだから。それに対して《痛み》を覚えてしまえば、そこから先には進めなくなる。だから人は無神経を装って、必死に言い訳しようとする。自分自身を正当化しようとする。私は努力したんだから。私には力があったんだから。他の人間ではなく、この私が選ばれたのだから。私は堂々と競争して勝ったのだから……。でも、それなら、人はどうして優しさなど持って生まれてきてしまったのかなって――時々思ったりするワケよね。違う?」
 ノックスもようやく口を開いた。
「確かに。いささか感傷的な言い方かもしれないが、笑わないで欲しい。今の世の中では、感じやすい繊細な心は、生きるための《足かせ》にしかなっていない。そんな優しい心を、真っ当に身に付けて育って《しまい》、それを失わずに生きてきて《しまった》人間は、その優しさゆえに生きづらくなっている。俺は思う――もしも《優しさ》が人として生きるために不都合なものなら、最初から人がそれを持っていなかった方が良かったはず。だが、そんなはずはないと思う。それが、優しさが人にとって大切なものだから、人はそれをもって生まれてきたのだと思う。そう信じたい……」
「でも現実には、貴方が言うように、《優しさ》は《足かせ》になっているかもしれないわね。こんな世界の中で人間が優しさを持っていることが間違いなのか、それとも、優しさを持つ人間が苦しまずには生きられないこの世界が間違いなのか、どちらが本当なのか私には分からない。だけど、ひとつだけ確かだと思うことがある」
 シソーラは顔を伏せ、いつもより低い声で言った。
「そうした矛盾を敢えて認めたかたちで、この世界が創られ、この人間という存在が創られたのだとしたら――そして、世界や人間をそういうふうに創った《創造者》が、万一、現に存在するのだとすれば――多分、それは《神ではないもの》ではないかと私には思える。もし本当の神であれば、そんなことはしないはず。全能であるにもかかわらず、間違ったものを間違ったままに創り上げるなど、永遠に終わらない人類の争いや苦しみの歴史を、最初から分かっていながら創り上げるなどということは、決してなさらないはず。でも、こう思ったりもする。それは《人間の基準》による勝手な考え方かもしれないって。つまり本来的には、この世界も人間も全て幸福であるように、真の神は創造したのかもしれない。その摂理を歪めたのが、私たち人間であるとしたら……。分からない。分からないけど、私は人間だから人間の基準でしか考えられないし、私たち人間がみんな幸せになれることが、一番正しい理想だと思う。それは仕方がない。何度も言うけど、結局、私は神でも獣でもなく人間だから」


4 消えた「妖精」―天才少年の転落?



 ◇ ◇

「ここも駄目か……。こんな小さな基地まで徹底的に潰してゆくなんて」
 木立を抜け、森の外れに開けた空間を前にして、グレイルは無念そうに天を仰いだ。
 あるべきものが無いのだ。ここには本来、ガノリス軍の《念信》の中継施設が存在するはずなのだが、グレイルが見いだしたのは、黒々と焦げ付いた窪地のような場所だけだった。
 彼は地面に屈み込み、炭化した柱の破片をつまみ上げた。
「多分、たった一発でやられたようだな。新型のMgSか。帝国軍の奴らときたら……」
 恐らくは愚痴であろうか、二度、三度と肩をすくめて独り言を口にしながら、グレイルは辺りを調べる。焼けただれた瓦礫を踏みしめ、何かを探しているようだが。
 独り言。それは彼の子供の頃からの習慣である。
 ただ、今とは違って、幼年時代の彼には感じることができた――他愛のない言葉に耳を傾けてくれた、何か、あるいは誰かを。

 ◇ ◆ ◇

「ママ、僕ね、妖精を見たんだよ。本当!」
 幼いグレイルは母親の腕を引っ張った。
 優しい目をして息子を見つめながらも、母は話半分といった調子で、取り合おうとしない。いつものことだと言わんばかりに、彼女は息子を抱き寄せ、仕方なさそうな顔で頷いた。温かい手が、濃い金色の髪を撫でる。
 だがグレイルは彼女の手から身体を引き離し、頬をふくらませた。
「本当だもん! 妖精いるもん!」
 それでいて再び、甘えるように母の腕の中に飛び込むと、彼は繰り返し言う。
「妖精ってね――あのね、知ってる? 赤い服を着て、髪の毛も真っ赤なお姉ちゃんなんだ。昨日、見たんだもん」

 ◇ ◆ ◇

 グレイルの脳裏に、幼き日々の記憶が不意に蘇る。
「妖精か。そんなのは、今どき、森の奥の奥にでも迷い込まない限り、出会うこともないだろうが」
 白けた口調でそう言うと、彼は軽く頭を抱える仕草をした。
 《妖精》らしきもの。小さい頃のグレイルは、後にも何度か、その存在を感ずることがあった。だが彼が少年になり始めた頃、それは彼の側から姿を消してしまった。いや、《見えなくなった》という方が正しいのかもしれない。
「それより、使えそうなお宝のひとつでも回収しないと。だが駄目か。こんな酷い有様では、弾薬や食糧はおろか、紙切れ一枚すら手に入らなさそうだ。当てが外れて、なんか余計に腹が減ってきたな」
 もはやガノリス軍の補給線は帝国軍によって各地で寸断され、おまけに手近な部隊とも離ればなれになってしまったグレイルたち。彼らの手元には、あとわずかな物資しか残されていなかった。
 帝国軍の追撃をようやく振り切った今、グレイルは付近の村や軍の施設を巡り、何か使えるものがないかと物色中である。その間、残りの2人の仲間たちはアルマ・ヴィオの《修理》――《手当て》と表現した方が良いかもしれないが――を行っているところだ。
 グレイルは、小高く積もった煉瓦の山に腰を下ろした。
 連日の戦闘と逃走の繰り返しのせいか、彼は妙にやつれて見え、肩を落としたその姿は、何となくみすぼらしく、ちっぽけにさえ思える。
「妖精を見ることができる子供ねぇ。末は立派な精霊使いか、天才魔道士か、なんて言われてたけど。今じゃぁ……」
 赤茶けた煉瓦をつかんで、遠くに投げる。
「ケチ臭い三流魔道士か。二十歳過ぎればタダの人って。それどころか、明日のことすらどうなるか分からない、こんな毎日ときたもんだ」
 良く晴れた空が、何故か忌々しい。ずいぶん自分も焼きが回ってきたかと、グレイルは自嘲気味に口元を緩めた。

 そんな彼の様子を見守るように、木々の向こうで揺らめくものがあった。
 ――あたしは妖精じゃないよっ。パラディーヴァだってば! それにねぇ、今のアンタには、あたしが《見えない》んじゃなくて、《見ようとしていない》だけだろうが。この、間抜け魔法使い! こっち向け!!
 森の中に浮かぶ炎は、鬼火でも幻でもなく、炎のパラディーヴァ・フラメアに他ならない。しかし、自らのマスターにここまで無礼な口を聞くパラディーヴァなど、彼女の他には居ないだろう。
 ――大人になるにつれて、あんたは自分の《パンタシア》の力をどんどん眠り込ませてしまったんだよ。だから、あたしのことが見えないんだって。でも、ずっとむかし、小さな頃のアンタは違っていた。見えていたんだ。偶然だけど、本当にあのとき、あたしはすぐ近くにいたんだ。一瞬、この子がそうかもしれないと思った。とっても大切な、小さな王子様。古の契約に従い、あたしのマスターになるべき《御子》かもしれない、たったひとりの……。
 宙に舞う炎は、寂しそうに風にそよいだ。
 やがて、森の暗がりに吸い込まれるようにして消えていく。


【続く】



 ※2002年10月~11月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第30話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


6 アレスの受難、王に消えた財布?



 ◇ ◇

「腹減ったよー。何か食いてぇ……」
 2、3時間前に早めの朝食を済ませたばかりだというのに、アレスが情けない声で言った。
 彼の気持ちは分からなくもない。ちょうど街の人々は今が朝食時である。先程からひっきりなしに、こんがり焼けたパンの匂いや、何ともいえない旨そうなスープの匂いが漂ってくるのだ。
「おっ!? あんなところに食い物が!! ほら、イリス、こっちこっち」
 気力を失って力無く歩いていたアレスが、急に元気になった。彼はイリスの手を引っ張り、物凄い勢いで進んでゆく。
 イリスにしてみれば迷惑だろう。いや、迷惑かどうかは、彼女の表情からは見て取れない。例によって、感情のない人形が手を引かれていくような様子である。
 行く手に広場が見える。ちょうど市が開かれているようだ。しかも今日は、街の外からの行商人も加わる大市の日らしく、北オーリウム海から運ばれてくる魚介類や、中央平原北部の豊富な野菜や果物、あるいはイゼール森近辺の村々で作られる木彫りの工芸品まで売られている。
「すっげー! でっかい腸詰め!! あれ1本欲しいな。イリスも食う?」
 白い煙をもうもうと漂わせ、アレスと同じ年の頃の少年が、炭火で腸詰めを焼いている。たとえ空腹でなくても思わず引き寄せられてしまうような、ましてやアレスにとっては涎が止まらない光景である。
「ごめん。もー我慢できない。限界。俺、ちょっと買ってくる」
 アレスはそう言って、腰の革袋に手を突っ込んだ――が、突っ込んだはずの手が、空を切った。あるべきところに、あるべきものが無いのだ。
「あれ? おかしいな。俺の財布……」
 彼は青くなって、懐やポケットやらを引っかき回す。
「あれ、あれ、あれ!? さ、財布がない!!」
 思わず叫んでしまう。たぶん人混みの中でスリにやられたようだが。
 見るからに財布だと分かる皮の巾着を、目立つところにぶら下げておくなど、盗ってくださいと言っているようなものである。おまけにスリの方から見ても、街に不慣れで、かつ警戒心の全くないアレスは絶好のカモに違いない。
「ど、どうすんだよぉー。余計に腹減った……」
 がっくりと肩を落として座り込むアレス。自分の住んでいた村と大都市エルハインとの違いを、早くも思い知らされる彼であった。


7 剣豪を蝕む不治の病…



 ◇ ◇

「申し上げます!」
 広間の入口にレグナ騎士団員とおぼしき青年が現れ、ジェローム内大臣の側へと足早に駆け寄った。
「ジューラ少将がご到着です。会談の間にお通し致しました」
 その名を聞いたヨシュアンの目が、一瞬、鋭い光を帯びる。
 ジェロームは待ちかねていたかのように、深々とうなずいた。
「よく聞き知っておろう、マクスロウ・ジューラの名は。議会軍の水面下での作戦を一手に取り仕切っている男だ。ナッソス公爵家との戦いにエクター・ギルドの艦隊が参戦したことも、彼の働きによるところが大きい。油断ならぬ切れ者だが、味方に付けておけば何かと役に立つ。向こうも今回の話には関心があるようだ……」
 大臣の口をついてギルドの艦隊という言葉が出たとき、ルヴィーナの肩がぴくりと震えた。彼女は胸の奥で、思わぬ人物の無事を祈る。
 ――今頃はあの船も、クレドールも戦っているのかしら……。イリュシオーネの神々よ、どうかシャリオ姉様をお守り下さい。
 少女時代からずっと同じ神殿で暮らしていたため、シャリオとルヴィーナは親友、いや、それ以上に姉妹も同然の関係だった。
 ――手紙でも教えてくれなかったわね。どうして、わざわざそんな危険な船に身を置こうとするの? それに、毎日毎日、野卑なギルドの戦士たちと一緒に居るのかと思うと、私は姉様のことが心配で……。
 思い詰めたルヴィーナが立ちすくんでいる間に、ジェロームはすでに部屋から立ち去っていた。
「何か心配ごとでも? ルヴィーナ殿」
 彼女はヨシュアンの声で我に返る。
「あ、いいえ。その、遠くにいる友人のことを、不意に思い出したものですから。何でもありませんわ」
「きっと大切な方なのでしょう。しかし、ルヴィーナ殿がご友人の話をなさるのも珍しい」
 そう言ってヨシュアンが微笑んだ。と……。
 突然、彼の頑強な身体がよろめいた。
「ヨシュアン殿!?」
 隣にいたルヴィーナが血相を変えて支える。
「どなたか、手をお貸しくださいませ!」
 彼女とレグナ騎士団の仲間たちに抱きかかえられ、ヨシュアンは立ち上がった。やつれた様子で垂れ下がる髪。そして沈黙。
「大丈夫だ。いつもの軽い発作にすぎない」
 数度、ヨシュアンは不自然に咳き込む。
 ――私の体は、もう長くは保つまい。だが今しばらく生き抜かねば……。この国をメリギオスの好き勝手になどさせてたまるか。それに、私がいなければ、誰がジェローム様やフリート王子を、姫を、お守りできる!?
「心配は要りません、ヨシュアン殿。以前に私が居た神殿で、旧世界の強力な治療呪文の書かれた古文書を解読中だそうです。それが使えるようになれば、どんな病も治るはずですわ」
 見込みのないことを、さもあり得るかのように主張する言葉に、ルヴィーナは自責の念を覚えた。
 神聖魔法の知識を持つ者として、彼女はよく知っている――理屈の上では、魔法はあらゆる傷病を癒せるはずなのだが、現実にはいかなる呪文を用いても治療できない病が、少なからず存在することを。
 ちょうどヨシュアンの場合のように……。


8 平和な街角の風景に、少年は思う…



 ◇ ◇

 都に到着して早々、財布をすられて意気消沈のアレス。
 がっくりと肩を落とし、彼は広場の真ん中にある泉の傍らに腰掛けている。
「歩いているだけで財布がなくなるって、何なんだよ? まったく、信じられないところだな。都会っていうのは……」
 彼のぼやき声がかき消されるほどに、周囲の市場はますます賑わいをみせる。何やら、たたき売りのようなものも始まって、威勢の良い掛け声がそこかしこで飛び交う。雑多な音が混じり合い、全体としてひとつの音の塊、いや、独特の場の空気を作り上げていた。
 アレスとは対照的に、イリスはあくまで平然と――落ち着いているというよりも無感情な態度で、行き交う人たちを見ていた。興味深そうに、などといった形容はおよそ的外れだろうが……。
 自然の中で生まれ育ったアレスにとっては、めまいがしそうな数の人間で埋め尽くされた景色だ。しかし、イリスはごく慣れた様子である。
 もしかすると旧世界の街にはもっと多くの人間がひしめいていたのかもしれない、とアレスは思った。違う世界の人間、いや、《異なる時代》の人間であるはずのイリスが、都の中に自然と溶け込んでいるようにさえ感じられる。
 これからどうしようかと尋ねかけ、アレスは慌てて口をつぐんだ。
 ――いや、俺がしっかりしないと。イリスを守ってやらないといけないんだからな。
 話しかけても言葉を返さないであろうイリスの横顔から、アレスは泉の周辺へと目を転じた。
 この泉は、街の人々の手頃な休憩場所なのだろう。若い男女が肩を抱き合い、朝っぱらから熱っぽく語っているかと思えば、軽やかな音と共に、辻楽師が竪琴の調弦をしていたりする。
 鳥に餌を投げ、その様子を眺めている老人。たぶん日がな一日、彼はこうして鳥たちを見ているのかもしれない。
 泉の周りにそって、くるくると追いかけっこをしている子供たち。
 誰一人としてアレスの様子に気を止める者はいなかった。
 むしろアレスの方が、辺りの人間たちを見ているうちにふと思った。
 ――こんな町の真ん中に平気で泥棒が出たりするわりには、平和な風景だな。でも戦争が本格的になれば、みんな、こんな感じで暮らしていられなくなるのかな。もし《帝国軍》が攻めてきたら……その前に、ここでも反乱が起こったとしたら、どうなっちゃうんだろうか。
 アレスは珍しく哀しい気分に取りつかれた。だが目先の現実が、諸々の空想から彼を引き戻す。
 ――というより、お金、どうすんだ? まずそれだよ、それ。
 彼の身に起こった出来事を察し、レッケが同情するかのように頭をすり寄せる。信頼できる相棒に向かってアレスはつぶやいた。
「でも変だな。お前がスリに気づかないなんて、あり得ないのに……。あ!?」
 鈍いアレスもようやく気がつく。そう、逆に言えば、レッケが近くにいない時に盗られたということなのだ。《2人》はずっと一緒にいた――アレスがレッケから離れたのは、先ほど腸詰めを買いに出かけたときだけだ。
「それって、ついさっき、そこで盗られたってことじゃないか!!」
 あまりの大声に、落ちている餌をついばんでいた鳥たちが一斉に飛び去る。この辺りの鳥は人間を恐れないので、少々のことでは驚かないはずだが。
 アレスは背伸びしながら人混みを盛んに見回し始める。しかし、いくら探したところで、見ただけでは誰がスリか分かるわけがない。
「そうだよな。もうちょっと早く気づいていれば」
 再び落胆し、うなだれるアレス。似合わないだけに、余計に惨めさが漂う。


9 思わぬ助け? 謎の賞金稼ぎ



 と、不意に彼の後ろで声がした。
「痛ぇな、離せよ! そんなに引っ張らなくても自分で歩くから」
 アレスが振り返ると、2人の男が立っていた。
 騒ぎ立てている方は30歳くらいの小柄な男だ。貧相な顔つきは、取り立てて悪人には見えないが、どことなく小ずるい雰囲気かもしれない。言葉に南部地方の訛りがあるので、恐らくエルハインの住人ではなく余所者だろう。
「ちっ。今日はさい先良く儲けられると思ったのに。大体、財布をこれ見よがしに、ぶらぶらと下げている奴の方が悪いんじゃないか」
 背後で彼の腕を取り押さえている若者は、見た目には細身だが、筋肉質の精悍な体つきをしている。腰には拳銃と共に剣を帯び、その鞘もよく使い込まれた風合いである。飾りではない。他方の男を慣れた手つきで捕らえている様子からして、格闘術か何かの心得がありそうだった。
 全体的にみて、普通の市民や行商人ではないようだが。
「それは盗っ人の屁理屈だ。黙れ。ところで、そこの君……」
「俺?」
 突然語りかけられ、きょとんとしているアレス。
「そう。さっき、こいつが君から盗んだだろう? ほれ」
 若者はにこやかに笑って、革袋をアレスに投げてよこした。無造作に散らかした茶色の髪と無精髭がいささか野暮ったい雰囲気ではあれ、きりりと引き締まった顔つきは、よく見ると結構男前だ。
「俺の財布!」
 たちまちアレスの声に元気が戻る。分かりやすい。
「取り返してくれたんだ? ありがとう! ありがとう!!」
 嬉しさのあまり、何度も感謝の台詞を繰り返すアレス。
「礼には及ばない。こいつは、こう見えてもその筋では名を知られたスリで、わずかだが賞金もかかっている。こちらこそ、出かけるついでに《仕事》ができたというものだ」
「仕事?」
 アレスは直感する。この手の人間は父親の知り合いに沢山いた。幼い頃から幾度となく見てきている。
「ひょっとして賞金稼ぎの人? それも、もしかしたらエクターとか?」
 若干驚いたような表情で若者はうなずく。彼が賞金稼ぎだとは、言われてみれば風体からも納得がゆくが、エクターかどうかまでは、普通なら見ただけでは分かるまい。
「勘がいいな。どうして分かった?」
 アレスは得意げに、少し照れながら答える。
「何となく。その、雰囲気ってやつかな。俺の父ちゃんもエクターだったんだ。だから……」
「そりゃ奇遇だ。俺はエクターも一応やっているし、賞金を掛けられているヤツがいれば追いかけもするが、どちらかといえば本業は《発掘屋(ジャンク・ハンター)》かもな。旧世界の遺跡に潜って、邪魔な魔物が住み着いていれば、ぶった切って、お宝を掘り出して。そんな毎日さ。アルマ・ヴィオに乗るよりも、この腕とコイツで商売をしていることの方が多い」
 そう言って若者は腰の剣を叩く。
 彼がエクターだと知り、アレスは親しみをもって手を差し出した。
「俺はアレス・ロシュトラム。本当にありがとう!」
「アレスか。いい名前だ。俺は発掘屋の、というより、便利屋と言った方が良いかもしれないが、フォーロック……」
 2人が握手した隙に、スリの男が逃げようとするが、フォーロックは素早く彼の脚を引っ掛けて倒した。さすがにプロだ。
「おっと。逃げられては俺も困る。早い話、あんたは銭になるんだ。エクターが大物の賞金首ばかりを狙っていると思ったら大間違い。俺みたいなセコい賞金稼ぎもいて、不幸だったな」
 あっさり笑っているフォーロックだが、スリの男は役人に引き渡された後、罰として要塞の建築現場にでも送られ、過酷な強制労働を強いられることだろう。戦時中だけになおさらだ。
 悪人とはいえ、あくまで小悪党にすぎない。アレスはスリが可哀想な気もした。勿論、そんな同情をしていてはエクターなどできないと彼も知っている。そもそもアレスがこうして大きくなることができたのも、父親がエクターとして賞金を稼いでいた結果なのだから。
 自分の父――そこからの連想で、彼は大切なことを思い出した。
「そうだ、フォーロックさん。ちょっと聞いてもいいかな?」
 ジャンク・ハンターなら知らないはずはないだろう。この都のハンター・ギルドに属する腕利きの発掘人、ブロントンを。
 そう、アレスが母から教えられた人物、父の旧友である男のことを。


10 市長秘書シュワーズ



 ◇ ◇

 広場の周辺に生々しく残る戦いの跡を、ルキアンは複雑な思いで目に焼き付けた。理由はどうあれ、ここで直面している状況は、自分が招いた結果には違いないのだと、半ば己を責めつつ……。
 中央平原の華と称されるミトーニア市。その富裕で華麗な街並みの中でも、神殿前の広場の一角は、とりわけ美しい場所であった。だが今では、あたかも激しい地震に遭ったかのように、家々が随所で倒壊している。
 アルフェリオンに敗れた敵のアルマ・ヴィオが、その巨体を派手に地面に投げ出していた。それらの鋼の屍の下敷きになった建物も少なくない。
 ――甘かったんだろうか。MgSを撃たないようにとか、一生懸命に気をつけたつもりだったのに。でも、いったん戦いを始めてしまえば、結局、こうなっちゃうのかな。火事が起こらなかったのは不幸中の幸いだったけど、そういう問題じゃ、そういう問題じゃない……。ここに住んでいた人たちが家に戻ってきたら、自分の住むところが無くなっているのを見てどう思うだろう。
 抗戦派の部隊は広場からいったん撤退したようだが、とりあえず周囲の安全を確認するルキアン。
 ふと、瓦礫と化した一軒の家が視界に入った。
 崩れた壁や折れ曲がった柱の間に、不自然なほど色鮮やかなものが見える。窓辺を飾っていた花が、粉々になった鉢の上に散らばったまま、なおも咲き誇っていたのだ。素知らぬ顔で――それはそうだ、花に感情はないだろうから。
 破壊された建物と美しい春の花とのコントラストは滑稽ですらあったが、その奇妙な様相は、痛ましげな状況を余計に強調する。
 自責の念にかられ、ルキアンは家々から目をそらした。

 ともかく、勝利の喜びを感じられない戦いだった。
 敵を倒した快感に酔うどころか、気持ちが落ち着くに従って、ルキアンの胸の内では悲しい思いが広がっていくだけであった。
 敵の3体のアルマ・ヴィオがもはや動けぬことを、改めて確認した後、アルフェリオンは神殿の前に屈み込む。
 幸い神殿は無傷である。高い尖塔を備えた、すらりと細長い優美な建物だ。
 ハッチを開き、ルキアンは急いで機体から降りる。

 数名の人々が彼を出迎えた。
 1人の男が待ちきれない様子で走り寄ってくる。面長な顔に、細めの眼鏡。意外に強い朝の陽光が、楕円形のレンズに当たって反射していた。
 街を傷付けてしまったことを何と詫びようかと、ルキアンが言葉に困ったとき、男は感極まった声で告げた。
「あなたがルキアンさんですね? 私です。シュワーズです!」
「あ、お、おはようございます……。そうです。その、僕、ルキアンで……」
 ぎこちない口調でうなずくルキアン。
 シュワーズは親しげに彼の手を取る。細身の青年だが、握手する手に込められた力は、痛いほど強かった。
「ありがとう!! 何とお礼を言ったらよいのか。あなたの活躍のおかげで希望が出てきました。今ならまだ、抗戦派の暴挙を封じ込められるかもしれません。ルキアンさん――念信の《声》から想像していたより、ずっとお若いですね。にもかかわらず、あの戦いぶり。ベテランの繰士も真っ青の、機体との見事な一体感でしたよ。凄いですね」
 神経質そうな市長秘書は、普段の慇懃な口ぶりとはうって変わって、いささか興奮しているようだ。
 ルキアンが照れていると、シュワーズは真顔に戻って言った。
「……申し訳ない。今はゆっくりお話ししている時間がありません。抗戦派が増援を連れて戻ってこないうちに、大至急、私は街の人々に真実を伝えに行きます」
 ルキアンは呆気にとられて見ていたが、今にも駆け出しそうな市長秘書に慌てて尋ねる。
「あの、僕にも何かお手伝いできることはありませんか? 僕だって、この街を戦火から救いたいんです」


11 何かが吹っ切れた主人公?



 恐らく神官たちであろうか。シュワーズの背後にいる3人がルキアンを見た。知らず知らずのうちに、ルキアンは彼らの方に向かって真摯に語り始める。
「僕は戦いを望んではいません。いや、エクター・ギルドだって……。信じてください。本当はギルドの人たちもミトーニアと争いたくないんです!」
 一瞬、戸惑うように顔を見合わせた神官たち。
 そのうち最も年上の白髪頭の男が、柔和な笑みを浮かべてうなずいた。他の神官の態度から考えると、彼がこの神殿の長らしい。
 ちなみに、《前新陽暦時代》の異教の伝統が根強いミトーニアは、古くから神殿の影響力の弱い街であった。それゆえ現在でも他の大都市とは異なり、神殿の伽藍は比較的小さく、格から言っても地方の神殿より少し上という程度にすぎない。
 そのせいか、神殿の長の衣装も、通常の《正神官》――世間で最も普通に神官と呼ばれるのはこの位階の人々で、平均的な規模の神殿の主任神官を務めていることが多い――のものだと思われる。純白の下地に、袖や首まわりを飾る青という色彩は、大神官のシャリオの場合と同じだ。しかし彼女のように立派な長衣を重ね着しているのではなく、至って簡素な服装である。また四角い神官帽の高さも低めで、聖杖も手にしていない。
「我々も貴方の思いを信じたいものです……。同じオーリウム人が、いや、共にイリュシオーネに生きる人間が血を流しあうのは悲しく、愚かなこと」
 白髪頭の神官は、シュワーズの隣に来てルキアンに手を差し伸べた。厳めしい神官というよりは、人の良さそうな普通の小市民という雰囲気である。
「私はミトーニア神殿の主任神官、リュッツと申します。ギルドの若きエクターよ、どうぞよろしく」
「いえ、その、僕はギルドに属してはいません。ただギルドの飛空艦に――何て言ったらよいのか、えっと、居候しているんです」
 うつむき加減の姿勢で、少し頬を赤らめてルキアンは言った。
 リュッツ主任神官は不思議そうな顔をして尋ねる。
「ギルドの飛空艦に居候? 本職のエクターではないのですか? これは驚いた。貴方は一体……」
 話の途中で、リュッツは周囲を見回した。
「ご覧なさい。今の騒ぎを聞きつけて人が集まってきたようです。大変な騒ぎになっておりますな」
 彼の言葉通り、いつの間にか広場の周囲に人だかりができている。今まで抗戦派の部隊によって、広場に入る道は封鎖されていたのだが、その封鎖が解けたせいもあるだろう。
 事情を知らない市民たちは、自分たちの軍のアルマ・ヴィオが倒れているのを見て騒然としている。それにも増して、正体不明の白銀色のアルマ・ヴィオが神殿の前に鎮座している様相は、野次馬を引き寄せずにはいなかった。
 シュワーズは手を打った。
「今がチャンスです。抗戦派が市庁舎を占拠し、市長や参事会員の方々を監禁しているということを、みんなに伝えましょう!!」
 言い終われるが早いか、彼は広場の群衆の方へと走り出す。
「そう慌てずとも! いや、待てと言っても待つはずがないですか」
 リュッツは彼の後ろ姿に向かって手を振るが、それは無駄な試みだった。
「あの、僕は、どうしましょう……」
 ルキアンは、いったん主任神官に問いかけるも、思い直したかのように背後のアルフェリオンを指さす。
「いや、抗戦派のアルマ・ヴィオがまた来るといけませんから、僕はここを守ります。構いませんか?」
「え、えぇ。そうしていただけると助かります。しかし、むやみに動き回らないようにして下さいよ。ここに集まった人々にも誤解を与えかねません」
「はい、気をつけます。リュッツさんたちも、頑張って街の人を説得してください!」
 何かが吹っ切れたような勢いで、ルキアンは、アルフェリオンに駆け寄ってゆく。
 ――何とかなる? まだ間に合うかもしれない!!
 いつもは自信なさげな少年の目が、強い意思の輝きを帯びていた。自分にも何かができるはずだということを、心の奥底で見いだしたかのように。


【第31話に続く】



 ※2002年8月~9月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第30話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  僕が、誰かのゲームの駒かどうか?
  そんなことは大した問題じゃないよ。
  だって僕自身、人生なんてゲームだと思っているから。
              (旧世界の映像記録より――ある若者の言葉)

◇ 第30話 ◇


1 大地の巨人はメリギオス大師の手に…



 薄明かりの中、頭上高く広がり、長い残響となって漂う声。
 寒々とした音の余韻は、この場所の広さと、がらんとした構造とを物語る。
 漆喰塗りのような肌をもつ滑らかな丸天井。広大なドームは、底面付近から天頂部に至るまで、見知らぬ文字や幾何学模様で埋め尽くされている。
 高さ数メートルはあろうかという角錐状の水晶柱が、床のあちこちに立ち並び、緩慢なリズムで明滅を繰り返す。目の届く範囲一杯に、青白い光が点々と浮かんでは消え、暗赤色の暗やみに霞んで見える。神秘的な美しさの間から、底知れぬ不気味さが滲み出てくるような、空恐ろしい光景だ。
 ドームの中央には、冥府へと続く底無し穴を思わせる、巨大な闇が口を開けていた。その縁のあたりから、数人の男たちの声が聞こえてくる。縦穴のあまりの大きさに、人影など小石のようにしか見えないが……。
 この奇怪な空間とは不釣り合いな、あっけらかんとした無邪気な声が響く。
「溜息が出ちゃうな……。真に絶大な力というのは、本当に美しい。神に選ばれた者だけが創り上げることのできる、美の極致だね。きっと僕は、一日中眺めていても飽きないだろうね!」
 年齢を度外視してあどけないとすら表現しうる、汚れなく透き通った眼差しで、金髪の青年が穴の底をのぞき込んでいる。
 少年じみた高い声とは裏腹に、彼の出で立ちは知的な大人の気品を漂わせる。スモークグレーのフロックは、タロス共和国産らしき緻密な生地から作られており、不要な装飾や柄を徹底的に排することにより、高価な素材がもつ風合いを最大限に、かつ、さりげなく生かしている。身体の線に完璧にフィットした上着の胸元には、寸分の隙もなく巻かれた黒い無地のクラヴァット。まさに、憎らしいほど洗練されている。
 彼、ファルマス・ディ・ライエンティルスは振り返った。そして、幼子がお気に入りの玩具を手にしたときのように、満面の笑みを浮かべて言う。
「本当に美しい……。猊下もそうお思いになりますよね?」
 隣に居た初老の男が頷いた。
 その姿は様々な意味で常人離れしている。2メートル近い大柄な背丈と、高齢ながらもがっしりとした体格、そして完全に禿げ上がった頭――あたかも鬼族の亜人を、例えばトロールを連想させる。
 猊下と呼ばれているこの男は、驚くべきことに、例のメリギオス大法司である。が、人目を忍んで来ているのであろう。大法司の地位を表す黄金造りの宝冠や、宝石をちりばめた聖杖は持っておらず、彼は真っ黒な法衣のみを身につけていた。
 最高位の神官の地位を誇示する正装をしていなければ、メリギオスの体からは、むしろ通常の人間以上にどす黒い世俗臭が漂ってくる。今ここに居るのは聖職者ではなく、奸智に長けた老獪な一宰相に他ならない。落ちくぼみ、異常なほどに切れ長の目には、彼の本質を示す貪欲な眼光がありありと浮かぶ。
「大儀であったぞ、ファルマス。伝説の《大地の巨人》がこうして我がもとにあるのは、そなたたちパラス騎士団の働きゆえ……」
 勿体ぶった口ぶりでメリギオスは答え、ファルマスと同じく、足元に広がる大穴の奥に目を凝らした。
 もうひとり、彼らの傍らにたたずんでいる者がいる。パラス騎士団の一員でありながら、同時にオーリウム王国屈指の大魔道士でもある、アゾート・ディ・ニコデイモンだ。
 濃紺のローブをまとい、同色のターバンのような布を頭に巻いたアゾートの姿は、どことなく東方の苦行僧を連想させる。彫りの深い顔立ち、柔和さの中にも厳しさを持った眼差し。求道の末に悟りを開いた聖者のごとき彼の容貌は、ファルマスの場合とはまた違った意味で年齢を超越していた。少なくとも40歳は過ぎているのであろうが――ひょっとすると、この世の始まりの時から全てを見てきたかのような、そういう印象すら感じさせる。
 ファルマスは、悦に入った様子で言葉を続けた。
「なんて言うのかな、うん、究極の兵器に相応しい至高の機能美だね。この荘厳さ、まさに美の権化……」
 縦穴の底に眠る途方もない大きさの物体――ファルマスの目に映っているものは、考えようによっては美しいと言えなくもない。だがそれ以上に、見る者を戦慄させずにはいないであろう、禍々しい鋼の魔神像とも呼べる代物だ。
「こんなに素晴らしい作品を生み出した《ルウム教授》を、異常者呼ばわりするなんて、僕は天上界の人々の趣味を疑うよ。まぁ凡俗には、この美しさが理解できなくて当然かな? しかし、いくら教授の才能が理解できないからといっても――これほどの天才を地上に追放しちゃうなんて、天空人というのは、つくづくお目出たい人たちだったんだね」
 声を半ば裏返らせ、彼は大げさに笑った。


2 史上最強のアルマ・マキーナ?



 深々と落ち込む不気味な空洞。その縁にある手すりに身を寄せかけて、ファルマスは勝手に笑い続ける。アゾートは勿論、メリギオスの存在すら全く意に介さぬかのように、独り芝居は演じられた。
「ルウム教授にしてみれば、かえって絶好の機会を得たと思ったかもしれないけどね。そう、《パルサス・オメガ》の力を十分に試す機会を……。結果的にテストに付き合わされた天上界の遠征軍は、ちょっと可哀想だったかも。だってそうでしょ? どう頑張っても勝てるはずがないんだから! おまけに、パルサス・オメガと唯一互角に戦えるはずの《空の巨人》まで、地上に寝返ったんでしょ? 要するに、身内のせいで滅びちゃったなんて。ふふ……。天空人っていうのは本物の馬鹿だね! いや、天空人の存在自体、壮大な冗談だったのかな」
 ファルマスは己の話に自ら頷きながら、心底楽しそうに微笑んでいる。
 その様子は滑稽どころか、異様以外の何ものでもない。彼の表情が無垢であればあるだけ、反対に冷酷さがいっそう際立つのだった。
 だが、そんなファルマスの言動に全く動じることのない他の2人も、それはそれで不可解な人々である。
 やっとファルマスが静かになったかと思えば、周囲の静寂の中へと自然に溶け込むような声で、アゾートが口を開く。先程からじっと目を閉じたままの大魔道士は、彼らの足元深く眠る《巨人》について語り始めた。
「猊下、この巨人は《生きた機械》なのです。アルマ・ヴィオと異なり、生命反応は全く感じられない。しかし鼓動が伝わってくるでしょう? 今もこうして……」
 鼓動といっても、それが明確な振動や音を伴っているわけではなかった。普通の人間には、何が起きているのか全く分からないだろう。いや、アゾート以外には――《神の目・神の耳》と呼ばれる彼の超感覚をもってしない限りは、大地の巨人は死んでいるも同然にしかみえない。
 にわかには信じ難いという態度で、メリギオスは眉を吊り上げた。
「機械、というと、これは《アルマ・マキーナ》なのか。ならば現世界人の我々には動かすことができまい?」
「いいえ、猊下……。乗り手による《操縦》を必要とせず、人間の思念によって自在に操ることができるという点で、パルサス・オメガは通常のアルマ・マキーナとは異なります。むしろアルマ・ヴィオに近い。しかし、これは生命体ではなく、あくまでも機械なのです。人間の頭脳を遙かに超える擬似的な知能を有し、さらには自己修復機能と自己進化能力をもつ、史上最強のアルマ・マキーナ。それが、このパルサス・オメガに他なりません」
 満足げな感情を目に浮かべながらも、メリギオスは表面的には冷静に言った。
「《帝国軍》は、予想外の早さで国境に迫っている。もはや一刻の猶予もならん。巨人を覚醒させるため、もう一人の旧世界の娘を今すぐ捕らえるのだ! 手段は問わぬ」
 2人のパラス・ナイトはひざまずいた。
 あくまで純粋な目をしたまま、頷くファルマス。嬉しくてたまらない様子で、彼は卑劣な策謀を披露する。
「すでに手は打ちました。あのアレスとかいう馬鹿みたいに単純な少年と、姉思いのイリスという娘、餌をまいたら簡単に針に掛かりますよ! ふふふっ、今から楽しみですね」


3 裏の主人公(?)アレス、王に到着



 ◇ ◇

 慌ただしく人の行き交う路上で、アレスは大きなくしゃみをした。
「おっかしいな……。風邪引いたかな? やっぱり、昨日、毛布一枚で寝たのがまずかったか」
 彼は鼻の頭をこすりながら、キョロキョロと前後を見渡している。
 その額には、植物の葉を模した小さな金属片やビーズ等を糸でつなげた、素朴な飾りが光っている。ラプルスの民の男が16歳になった日から身につける、伝統的な工芸品だ。中央部にはめ込まれた真っ赤な玉石が特徴的である。
 彼の服装も、典型的なラプルスの冬季の民族衣装――毛皮の襟の付いたコート、革製の胴着、防寒性に優れた分厚いブーツだった。
 こうした山の民の格好と、何かにつけて不慣れそうな振る舞いからして、誰が見てもアレスは、都に出てきたばかりの田舎の若者そのものである。
 朝市に買い物に行ってきたらしい中年婦人たちが、一杯に肉や野菜を抱えてアレスの側を通り過ぎたかと思うと、不思議そうな顔をして振り返っている。
 アレスとイリスの服装が周囲から浮いていることも、主婦連中の好奇の視線(あるいは親切にも、心配の眼差し?)を誘った原因のひとつかもしれない。だが何よりも目立つのは、一応は《モンスター》であるレッケを、つまり山岳地帯に棲む魔獣・カールフを連れていることだろう。
 都会の中だけで暮らしている人間は、普通はモンスターとは無縁である。魔物など、今ではせいぜい詩人の語る英雄伝説や、酒場でくだを巻くエクター連中の与太話に出てくるものであって、己の日常とは関わりのない世界の存在だ。そんな都の人々は、レッケのことを、何か珍しい外国の動物とでも思うのだろうか。
 今度はどこからともなく野良犬がやって来て、アレスの足元の匂いをかぎ回っている。ちょっとした仲間意識でも持ったのか、レッケがクンクンと鼻を鳴らす。だが薄汚れた白黒ぶちの犬は、角を生やした狼の姿に怯え、そそくさと逃げてしまった。
 入れ替わり立ち替わり、次々と流れていく通行人の行列。その数に圧倒され、アレスはぽかんと口を開けていた。
「にしても、すっげー人、人――人だかり!! どこからこんな沢山の人間が出てくるんだよ? それにこの、やたらとデカイ街。さすがは王様の都だぜ。今度、家に帰ったら、母ちゃんに自慢してやろっと」
 もう少し幅があれば、飛行型アルマ・ヴィオの滑走路にも使えそうだと――アレスが思わず考えてしまったような、やたらに広い大通り。
 道の両側の家並みにしても、ラプルスの谷間の寒村とは比較にならない。多くの建物は3、4階建て以上の高さを持ち、それを支える壁も、まばゆいばかりの純白色、派手な赤茶色、あるいはクリーム色、めまいがしそうな黄色等々、家ごとに様々な色で塗られている。
 時折、その壁を飾っているのが、等身大ほどもありそうな聖人の像や、奇妙な姿の魔物の彫刻、鋳物でできた看板などだ。窓辺には春の花々が丁寧に飾られ、街の風景に潤いをもたらしている。
 アレスの住んでいるアシュボルの谷一帯では、家というのは木と粗末な土壁でできており、普通は平屋か2階建てなのだと相場が決まっている。比較的大きくて立派な建物といえば、せいぜい神殿ぐらいのものだ。
 そもそも、これほど沢山の建物がひしめいている風景だけでも、アレスを当惑させ、それ以上に興奮させるには十分過ぎた。
「なんか、家の梁や壁に字が書いてあるぞ。時は金なり……。こっちは、何、1日幸せでいたければ、床屋に行きなさい? で、あっちは、沈黙は雄弁に勝る? 王国の未来は世界がうらやむ、だって。何かわかんないけど、すげぇ。これは意味不明だな。汝、コレコレセヨ?――読めないぞ、古典語のことわざか何かかな?」
 面白がって家々を観察しているアレス。よもや、本来の目的を早くも忘れかけているのではあるまい?
「それにしても広いな。歩いても歩いても同じような景色ばかり。というか、俺たち、迷ったかも……。ふぅ。こんなことじゃ、ブロントンって人を探す以前の問題だよ」
 王都エルハインは、ミトーニアやノルスハファーン等の大都市と比べてさえ、飛び抜けて広い街なのだ。10分も歩けば表門から裏門まで行けてしまうような、アレスの村と一緒にしてはいけない。
 途方に暮れたせいか、急に脚の疲れを感じたアレス。
 お世辞にも体力があるとは言えないイリスのことが、彼は心配になった。
「イリス、足、痛くない? もう少し歩いても大丈夫か?」
 彼女は黙って頷いた。いや、頷いたように見えた――だけかもしれない。イリスは相変わらず無表情に、どこが焦点なのかよく分からない目つきで、呆然と遠くを眺めている。
 ――コイツ、可愛いんだけど、何考えてんのか謎だよな。謎……。
 ほこりっぽい街の風に、イリスの金色の髪がふわりと揺れる。
 その様子を何気なく眺めながら、アレスは溜息をついた。


4 王家の守護者・剣豪ヨシュアン



 ◇ ◇

 エルハインの王城の東館――といっても、そこは本館から半ば独立した別の城であって、広大な敷地内にぽつんと離れた形で建っている。かつては夏の王宮と呼ばれ、文字通り避暑用の宮殿だったらしいが、現在は王子や王女の住む建物だ。
 その一室、中庭に面した比較的小さな広間から、澄んだ笛の音が聞こえてくる。贅沢な宮廷の常、名のある音楽家を呼んで演奏会を催しているのかと思いきや、そうではないらしい……。音そのものは、名演奏家レベルなのだが。
 実は、様々な楽器の達人として知られるフリート王子による、中でも彼の得意中の得意、横笛の演奏である。
 きらびやかに着飾った若い女官たちが、王子の周囲で、その見事な奏者ぶりに聴き入っている。いや、聴き惚れている。
 王子は今年で18歳。美人の誉れ高い王妃に似て、細面のすっきりとした顔立ちだ。これといって政務に関わるわけでもなく、毎日こうして楽器を奏でたり、絵を描いたり、馬に乗ったりしながら、退屈だが平穏な日々を送っている。
 少し離れたところで、楽器遊びに興じる王子の姿を見ている人々がいた。こちらは必ずしも平穏な心持ちではないようだ。
「陛下の御容態は日増しに悪くなるばかり。だがこの大変なときに、フリート王子といえば、いつもあの御様子……。まったく、朝っぱらからお戯れを」
 白い髭で覆われた顎を押さえながら、恰幅の良い貴族がつぶやいた。国王が最も信頼を寄せる側近、ジェローム内大臣である。
「これだから、古狸がますます付け上がるのだ!」
 大臣は声の震えを抑えようとする。それでも押し止めることのできぬ憤りが、宮廷人としての上品かつ鉄面皮な表情の裏から滲み出ている。
 現国王が病に倒れたのを良いことに、メリギオスが権力をほしいままにしている現状について、ジェロームは日頃から不満を抱き続けているのだ。彼は王の片腕と呼ばれる人物であるだけに、メリギオスの専横に対し、他人以上に怒り心頭なのだろう。
 内大臣の傍らでは、30歳前後の婦人が一人、ゆったりとした言葉で相づちを打っている。見目麗しい女性の目立つ王宮の中では、彼女は年齢的にも容姿的にも見映えがするとは言い難いが、気品ある立ち振る舞いと知性的な顔立ちは、それを補って余りあるものだった。
 彼女は、王子の妹のレミア王女に学問や行儀作法を教えている、ルヴィーナ・ディ・ラッソである。ルヴィーナには若くして高位神官への道が約束されていたが、希に見る才媛ぶりを王家に認められ、お抱えの教育係という形で城に招かれたのだという。
 ジェローム大臣の苦々しげな表情とは対照的に、ルヴィーナは王子の方をさりげなく見つめ、むしろ表情を和らげた。
 彼女の言わんとするところを読みとって、大臣は渋々同意する。
「分かっておる。あの方がお世継ぎでいらっしゃらなかったら、ああいった御様子でも一向に構わぬのだが。しかし……」
 内大臣を真ん中に挟んで、ルヴィーナの向かい側には、数名の機装騎士らしき人々が謹厳なたたずまいで立ち並ぶ。彼らはみな、昔の騎士が鎧の上に羽織っていたような、白いサーコート風の擬古的な衣装の上に、エクターの証、薄い生地を三重に重ねたエクターケープを羽織っている。
 黒いエクターケープと、肩に掛かった青と金の剣帯、コートに描かれた《塔》の紋章、という彼らの装束は――パラス聖騎士団と並んで近衛機装隊の双璧をなす《レグナ騎士団》のものである。
 内大臣の手前に居る男が、レグナ騎士団を率いる若き団長ヨシュアン・ディ・ブラントシュトームだ。生身での立ち会いであれば、王国中にかなう者なしと言われるほどの剣豪。緩やかに波打った金色の長髪、片目には眼帯、うっすらと伸ばした髭。野性的な雰囲気と貴族的な優雅さとが溶け合って、独特の風貌を生み出している。
 忠臣たちの心配を全く知らないかのように――実際、さほど理解していないのかもしれないが――フリート王子は、相変わらず女官たちの前で横笛を吹いていた。
 素朴でありながらも、どこか物悲しく、高度な技巧に裏打ちされた音。確かに王子の演奏とは思えぬほど卓越しており、内大臣ですら、一瞬、胸の内の憤りを忘れかけてしまうほどの妙技だった。ある意味、神業に近い。
 その繊細な音色に頷きつつも、ヨシュアンは表情を崩していない。目元は微かに笑みを浮かべているようにも見えるが、全体として複雑な面持ちだ。


5 穏和で凡庸な王子、迫る大師の陰謀…



 一曲終わって、王子は大臣たちに向かって遠くから手を振った。
「おや、ジェローム、来ていたのか。今朝は早いね。どうだい、もし良かったら一緒に」
 王子はひょろりと背が高く、元々細い目をさらに細め、朗らかに笑っている。サラサラとした金髪をおかっぱ風に刈り揃えた髪型と相まって、華奢な首筋を背後から見ると、まるで少女のようだ。美少年だといえばかなりの美少年だが、頼りないといえば全く頼りない……。
 フリート王子は音楽や絵画に並々ならぬ関心を示し、その芸術的才能については、専門家たちも舌を巻くほどである。反面、彼は政のことには興味を持たず、国政を動かし臣下を統率する能力にも全くといってよいほど欠けていた。人柄は明るく穏やかだが凡庸で、君主に必要なカリスマや威厳は持ち合わせていない。
 王になるのでなければ、実に愛すべき人間なのだが。そう、現実には――彼は大国オーリウムの王冠という非常な重圧を、近い将来、独りで担わねばならない人物として生まれてきてしまった。
 何に対して、あるいは誰に対してなのか、ジェローム大臣は溜息をつく。
「過ぎたことを悔やんでもどうしようもないが、もしも今頃、エルツ王子が御存命であれば……。いや、本当なら今頃はエルツ殿下が王位を継いでおられたはず。殿下さえいらっしゃれば、あの腹黒い坊主に王国を牛耳らせたりなど、させぬものを」
 無言のヨシュアンとレグナ騎士団の面々。それぞれ思うところがあるようだが、敢えて多くを語ろうとしないようだ。
 王子に聞こえぬよう気遣いながら、ルヴィーナがささやく。
「その頃のことは、詳しく存じませんが――あの一件は本当に残念な、不幸な事故でございましたね」
「事故? 事故などではない! 殿下はメリギオスに……」
 鋭く言った内大臣を、ルヴィーナは嫌味のない素振りで静止する。
「お声が大きゅうございます。この東館に居る者たちとて、全てがお味方とは限りませんわ」
「そうだな。わしとしたことが。今ここで信用できるのは、ルヴィーナとヨシュアンだけだというのに」
 彼女にしか聞こえない小声で言うと、大臣はばつが悪そうに苦笑いする。
「ヨシュアン、頼むぞ。万一の事が起こった場合、お前たちは命に代えても、陛下と妃殿下、フリート王子とレミア姫をお守りするのだ」
 そしてジェロームは心の中で嘆いた。
 ――パラス騎士団は、今やメリギオスの手先に成り下がってしまった。
 ヨシュアンの肩に手を置いた後、ジェローム大臣は表情を曇らせる。
「近衛隊の半数以上はファルマスの言いなりです……。国王軍の他の部隊にしても、次々とメリギオス大師に忠誠を誓っている様子。少なくとも王国北部・中部の各師団は、大師の手兵に等しいと考えざるを得ません」
 淡々と現実を見つめるかのごとく、ヨシュアンが耳打ちする。


【続く】



 ※2002年8月~9月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読みキャンペーン、今週も続々と追加

連載小説『アルフェリオン』まとめ読み、第28話と第29話の分を追加です。
昨晩アップの第26話、第27話ともども、目次から入ってお楽しみください。

ついに始まってしまったミトーニア市をめぐる戦い。
偵察役として傍観する主人公、と思いきや…。闇のパラディーヴァ、リューヌの召喚が可能となったルキアンは、徐々に活躍を始めます。
しかし、闇の力を借りて戦う主人公って、果たしてそれでいいのか。

他方、レーイとカセリナとの息を呑む空中戦も。
ミトーニア編からナッソス城編でのレーイさん、何だか主人公みたいです(笑)。
「だから俺は、愛のためには戦わない!」という彼の名セリフもここで出たのでした。逆に、大義なんていらない、愛する者を守るためだけに戦うことがなぜ悪い、というカセリナとは対極です。そんな両者のぶつかりあい。

カリオス、グレイルに続き、イアラ、アマリア、と御子の面々も登場です。
特に、実況と解説のおねぇさん(違います)ことアマリアが加わったのは重要。
イアラ嬢は当分は引きこもっていますが…。

旧世界の謎も明らかになっていきますが、反面、謎の答えが新たな謎を呼ぶ。
物語の核心にかかわる「ノクティルカの鍵」という言葉なんかも出てきますね。

かがみ
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第29話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 ◇ ◇

 ――もしもし、こちらルキアンです。シュワーズさん、聞こえますか? 大丈夫ですか?
 例の《伝書鳩》という特殊な方法を用い、ルキアンは、ミトーニアの市長秘書と極秘裏に連絡を交わしていた。
 ――ルキアンさん? 大丈夫です。構いません……もうすぐ私の居場所が抗戦派に見つかってしまうかもしれませんが、それでも私は伝えねばならなかったのです。それより、ギルドの司令官の結論は?
 もはや開き直った様子で、シュワーズ秘書は切々と応える。
 とはいえ、やはり彼の不安は暗いイメージとなって、念信の声と共にルキアンの心に流れ込んでくる。気持ちの良い感覚ではない。
 ともかくルキアンは、今しがたクレドールから送られてきた艦長の――今回はギルド側の総指揮官でもあるカルダインの――回答を伝える。
 ――ミトーニア市への総攻撃については、ギルド艦隊は今しばらく待機し、様子を見るとのことです。抗戦派が市長さんたちを監禁していることについても、状況を理解してもらえたと思います。
 確かにカルダインは総攻撃を《中止する》とは言っていない。しかし降伏の期限である夜明けをとうに過ぎた今も、ギルド側は攻撃を始めておらず、予告に反して慎重な態度を見せている。
 クレヴィスの熱心な提言のせいもあって、艦長はルキアンの働きに多少の期待を寄せているのかもしれない。無駄な戦闘が回避できれば、ギルド側にとってもそれに越したことはあるまい。
 これからどうすべきか、とルキアンが戸惑い始めたとき、シュワーズが有無を言わさぬ切実な調子で告げてきた。
 ――遅かれ早かれ、私たちの隠れ家は見つかってしまうでしょう。その前に、抗戦派による暴挙を街の人々に伝えなければなりません! 市長たちが監禁されていることを、一般市民はまだ知らないのです。しかし私はここから一歩も出られません……。我々の隠れ場所のある中央広場一帯に通ずる道が、現在、抗戦派の軍に封鎖されており、ネズミ一匹行き来できない状況だからです。あなた方の手を貸してください、ルキアンさん!


14 もう後悔したくない! ルキアンの覚悟



 ――ぼ、僕たちの、ですか? 一体、何をすれば?
 怪訝そうに聞き入るルキアン。
 そうしている間にも、シュワーズの言葉は悲痛な雰囲気を強めていく。
 ――ギルドの方から市民たちに伝えることはできませんか? 市民の多くは市長を支持しているはずです。抗戦派の行っている行為を知れば、人々は彼らに対して何らかの抗議に出始めるでしょう。
 ――でも僕たちの言葉を、街の人たちが信じてくれるでしょうか? こんな状況です。ギルド側の策謀だと思って、取り合ってくれないかも……。
 ――しかし、今はそれしか手がありません! 駄目で元々です。お願いします!! 私にはもう時間がないのです。
 だがやはり、ルキアンにはシュワーズの身の安全も気がかりであった。
 ――分かりました。でもシュワーズさん、何とかそこから脱出できないのですか? 見つかったら、もしかしたら、殺されてしまうかもしれません!
 ――えぇ。恐らくは……。私は、市庁舎のすぐ近くにある神殿に匿われています。ですが、外では抗戦派の兵士が必死に捜索しており、たとえ運良く見つからずに神殿から抜け出せたとしても、その先では軍のアルマ・ヴィオが道を封鎖していて、この一角からは到底出られないのです。
 ――そんな!!
 ――構いません。愛するミトーニア市を守るために死ねるのなら、本望です。
 その言葉に偽りはなかった。
 一度も顔を合わせたことのないシュワーズだが、ルキアンは彼に尊敬の念を覚えた。彼を救いたいという気持ちが、ルキアンの心を一杯に満たしていく。
 ――僕は……僕は、もう嫌なんだ。戦いは絶対に悪いことだと思うけど、だけど……だからといって、誰かが犠牲になるのを黙って見過ごすのは、もっといけないことだと思う。
 ルキアンの心に浮かんだ光景が、迷いを打ち消し、彼の答えを決定づけた。
 昨晩の悪夢のような出来事……。
 あの純粋で勇敢なシャノンが、悪漢たちの薄汚れた手でなぶり者にされ、助けを求めて泣き叫ぶ姿。ルキアンの名を呼ぶ彼女の壮絶な悲鳴が、残酷なまでに生々しく反響した。そして目を覆わんばかりの傷を負わされた、瀕死のトビーの姿も。
 ――僕は、シャノンやトビーを守れなかった。
 ルキアンはぼんやりと繰り返す。
 ――戦うのが怖かった、嫌だったから。自分の中にある憎しみの影に怯えていたから。でも、もし僕がもっと早く戦っていれば、シャノンたちを救えたかもしれなかった。それで後悔したばっかりじゃないか! 馬鹿だな、本当にどうしようもない!!
 彼は思い出したかのように、言葉を噛み締める。
 ――そうだ。クレヴィスさんも、シャリオさんも、言っていたじゃないか。正しい答えが分からなくても、それは決断しなくていい理由にはならないって。僕たちは、少しでも正しいと信じることを、選び取って生きてゆかなきゃいけないって……。僕が戦い続ければ、いつかステリアの力に身も心も魅入られてしまうかもしれない。でも戦わなければ、今ここで目の前の人を守れない……。
 そしてルキアンは、思ってもみなかったような結論に達した。
 揺れ動く決意に対し、また何度目かの誓いを立てる。
 ――シュワーズさん、僕が戦います。広場の付近のアルマ・ヴィオは任せて下さい。それさえ片づければ脱出できるのでしょう?
 ――しかしルキアンさん……。そんなことをしたら、あなたの方が危険です。ただ一人で敵軍の中に飛び込むなんて! それに万が一、大規模な市街戦にでも発展すれば、ギルドとミトーニアの和平の可能性は今度こそなくなってしまいます。私のことはいい、ルキアンさん。もう充分だ。ありがとう……。
 けれどもルキアンは、妙な冷静さと共に言った。自分でも信じられないほど落ち着いた心持ちで。
 ――大丈夫です。このアルフェリオンは普通のアルマ・ヴィオとは違います。みんなが言葉で理解し合おうと、懸命に流血を避けようと努力しているのに……それに耳を貸そうとせず、身勝手に自分たちの考え方を押し通そうとする人たちなんて! 抗戦派の人たちのことを僕は許せません。いや、もし僕がここで何もしなかったら、結果的にその無茶苦茶な人たちの振る舞いを認め、その手助けをしてしまっていることにさえ、なりかねないと思うんです。もう、そういうのは嫌なんです。黙って見ているだけなんて、もう嫌なんです!!
 ――しかし……。何?
 戸惑うシュワーズだったが、突然、彼からの念信が途絶えた。
 ――いけない! シュワーズさんの隠れ場所が見つかってしまった!?
 ルキアンは彼の名前を繰り返し呼んだ。だが返事は二度と戻ってこない……。


15 銀の天使、舞い降りる【特別編1】



 ◇ ◇

 迷う間もなく、アルフェリオンの機体は大地めがけて急降下していた。
 点々と漂う雲を突き抜け、地表が見える。
 そびえ立つ市庁舎の姿が。石畳に覆われた広場が。
 そして神殿らしき建物と、それを包囲する数体のアルマ・ヴィオが!
 魔法眼によって増幅された視界が、刹那の間に、ルキアンの心の目に次々と飛び込んでくる。
 燃え盛る炎のイメージがその風景と混じり合う。敵を見つけた彼が、反射的に火の精霊魔法をMgSに込めようとしたためだ。
 しかし、ほぼ同時に彼は気づいた。装填寸前のところで魔法弾のカートリッジが戻される。
 ――いけない。ここで撃ったら周りの建物まで巻き込んでしまう!
 一瞬の判断だった。敵機の姿が見る見る大きくなる。
 身体にひびが入りそうな衝撃。自らと一体化しているアルフェリオンの機体を通じて、ルキアンは大地を生々しく感じ取る。
 天から投げ落とされた雷光のごとく、銀の天使は瞬時に地表に達していた。地震のような揺れと、耳をつんざく轟音。土煙。
 ――動かなきゃ! どうする?
 時が止まったような心境。
 言葉に置き換える余裕すらない。本能的な直感が彼を突き動かした。
 ルキアンは絶叫しながらMTランサーをかざす。
 その光の刃が敵機をとらえた。鋼同士がぶつかり合い、擦れる音。
 無我夢中の攻撃の中にも何度か手応えがあった。
 わずかな間をおいた後、足元から伝わってきた振動。それによって初めて、ルキアンは敵の1体が倒れたことに気づく。
 地面の上、鮮やかな白と青とが目に映った。この2色を基調とするアルマ・ヴィオといえば、最も一般的な汎用型の《ペゾン》だ。攻撃よりも拠点防衛に重きを置いた重装タイプなのだろう、軍に属する同種の機体よりもひと回り大きい胸甲を付けている。そのど真ん中に、MTランサーに貫かれた跡が無惨に口を広げている。
 ペゾンの傍らに転がる楯には、2匹の獅子をあしらったミトーニア市の紋章が描かれていた。
 その図柄の意味を、いつかどこかでルキアンは聞いたことがある。かつて中央平原の諸都市が長く悲惨な戦争を行っていた時代があった。その戦いが終焉を迎えたとき、ミトーニア市は平和への誓いを込めて、この紋章を新たに採用したのだという。獰猛な戦士であるはずの2匹のライオンが、まるで手を取り合っているように見えるのは、無益な戦いを避けて和を重んじる精神を象徴したものなのだと……。
 何という皮肉。ルキアンは、やるせなさのあまり、心の中で叫んだ。
 ――どうして仲間同士で争う!? ミトーニアの紋章に対して恥ずかしくないんですか! なぜみんな巻き込んで、犠牲にしようとする? 街のみんなを守るのがあなたたちの役目でしょう。それなのに何で……分からないのか!!
 猛然と翼を広げ、アルフェリオンは空に向かって咆吼する。
 慣れない得物を闇雲に振り回し続けるルキアン。しかし槍斧状の先端を備えたMTランサーは、切ろうが突こうが、とにかく相手に当たればそれなりのダメージを与えることができる。ルキアンの乱撃によって、敵のアルマ・ヴィオの甲冑から激しく火花が飛び散った。
 残っている敵のアルマ・ヴィオは2体。先程と同型のペゾンがMTソードと楯を構え、その一方で、狼の身体をもつ俊敏な陸戦型《リュコス》が牙をむいて突撃してくる。
 敵もさすがにMgSを使うのは避けている。手持ちの武器での戦いなら、間合いの広い槍状の武器が有利だ。まともに刃が相手をとらえているのか、それとも柄の部分が当たっているのかよく分からないまま、ルキアンは必死にMTランサーで応戦する。
 その最中、アルフェリオンに突き飛ばされたペゾンが広場の脇に倒れ、近くにあった数階建ての住宅を倒壊させてしまった。
 ふと我に返ったルキアン。その視界の中で、建物がさらにいくつか崩れ落ちた。広場を取り囲むようにして並ぶ家々が、戦闘の巻き添えになり始めている。すでに避難済みだったのか、それとも軍によって強制的に他の場所に移されたのか、幸いにも付近の建物に住民は居ないようだが。
 ――駄目だって! このままでは本当に街中を巻き込んだ戦いになってしまう。落ち着け、落ち着くんだ……。いいか、ルキアン!!
 ルキアンは自分に向かって怒鳴りつけた。何度も言い聞かせるが、気持ちは全く着いていかない。心を静めようとすればするほど、かえって焦りが増していく。
 ――だから、よく見て戦わなきゃ! 冷静になるんだ!!
 アルフェリオンの左腕から黄金色の光が、ぱっと広がる。MTシールドを構え、ルキアンは敵とにらみ合う。
 しかし相手は2体いる。ペゾンの剣を避けようとすれば、今度はリュコスの鋭い爪や牙が襲ってくるのだ。
 勢いにまかせた戦いで敵をねじ伏せていたルキアンだったが、ここにきて冷静になったのが災いし、逆に押され気味になってしまう。
 特にリュコスの俊敏な動きには苦戦していた。限られた範囲の広場で、小回りの利く鋼の狼は緩急自在の攻撃を仕掛けてくる。
 新たな一撃をMTシールドでかわしたルキアン。だが、背後に注意を払う余裕がなかったため、アルフェリオンの翼が近くの家にぶつかり、真っ二つに切り崩してしまった。
 ――この羽根が邪魔なんだ!! それに、身体が重くて小動きができないよ。くそっ、これじゃあ、リュコスの動きに着いていけない。
 大空では圧倒的な力を発揮する6枚の翼も、街の中での戦いでは、かえってお荷物になってしまう。頑強な装甲ゆえに、見た目よりも遙かに重量のあるアルフェリオンは、地上での移動速度に関しても、基本的には他の汎用型と大差ないのだ。むしろ全体的に動きが重いとさえ言える。ステリアの力を発動させない限りにおいてだが……。
 動揺しながらも、ルキアンはかろうじて相手の攻撃を受け止める。彼は苦し紛れに自問した。
 ――もっと身軽に動けない? 使い勝手が悪いな……。周囲に被害を与えずに、しかも敵を殺してしまうことなく、素早く動きを封じることができたら! 無理か、そんなことは!! シュワーズさんには勇ましいことを言っちゃったけど、駄目だ! 駄目だよ、どうすれば? リューヌ!?
 たまりかねた彼は、黒き翼の守護天使、自らのパラディーヴァに呼び掛ける。
 即座に彼女は答えた。
 機械仕掛けで喋っているのかと思われるほど、あまりに無感情に。
 ――わが主よ。現在の形態、すなわちステリアン・グローバーを発射し得る《フィニウス・モード》は、地上での接近戦には不向きです。それゆえに……。
 ――でも、何か手はあるだろ!? 早くしないと……。うわっ!!
 ルキアンの隙を突いて、ペゾンが体当たりを仕掛けてきた。そのまま羽交い締めにしようと、相手は腕に力を込める。
 それを無理に振り払おうとするルキアンに対し、リューヌは場違いな冷静さで告げた。
 ――あの陸戦型・《レプトリア》と戦ったときにも言ったはず。アルフェリオンは様々な形態に変化できるのです。
 ――そんなこと言ってる場合じゃないよ! この、離せ!! どうだ!!
 ――地上用の高機動形態としては、《ゼフィロス・モード》が……。


16 紅の魔女アマリア【特別編2】



 リューヌの言葉を聞く暇もなく、ルキアンは咄嗟の判断で勝負を決めていた。
 敵のアルマ・ヴィオは急に腹部から白煙を上げ、アルフェリオンを両手で締め上げたまま、なぜか動きを停止する。
 その機体を何かが貫通していた――MTランサーだ。しかも、銀の天使の右手に握られているそれとは、また別物である。
 アルフェリオンの腰部にあるランサーの収納装置から、あたかも飛び道具のような勢いで、一気に突き出されたのだ。
 ゼロ距離から計算外の直撃を受け、相手は戦闘不能となり果てている。
 ――危なかった。でも、これなら周りの家にも被害はなかったか……。
 やっとのことで我に返ったルキアンに、リューヌは呆れもせず、静かに言う。
 ――ゼフィロス・モードは地上での速度が最も速く、また超空間感応により、全モード中、最高の索敵能力を有する。すでに貴方には、ゼフィロスのイメージがつかめているはずです。
 ――イメージ? そんなこと言われても……。分からないよ!
 悠長なことを言っている時ではなかった。まだ敵は残っている。ルキアンは光の楯と槍とを構え、リュコスの素早い襲撃に備える。
 ――心を鏡のように研ぎ澄ませ、そこに映るものに従うのです。そして私を呼び、ゼフィロスに変わるのです。わが主よ。
 胸の奥に浮かぶリューヌの姿。長い睫毛を伏せ、彼女はうなずいた。
 緊張が走る中、リュコスの遠吠えが轟き渡る。
 魔法金属の牙が顎の内部に収納され、それに代わって輝く光の牙が現れる。リュコスのもつ一撃必殺の武器、MTファングだ。
 ――心を鏡のように研ぎ澄ませて……。そこに映るもの。
 突然、《あの言葉》をルキアンは思い出す。夢うつつの表情でエルヴィンが告げた、例の謎めいた言葉を。
 ――大地を走る疾風(はやて)が、扉を開く。
 そしてエルヴィンが最後に言ったこと。
 ――強く願えば必ず応えてくれる。あれは、そういうものだから。
 天の騎士と鋼の狼とが対峙し、広場の端を、円周に沿ってじりじりと移動する。リュコスのスピードならば、一瞬にして間合いを詰め、アルフェリオンの首筋に牙を突き立てることができる。おそらく勝負は電光石火のうちに決まるだろう。
 ――願えば、答えてくれる。願いを……。
 ルキアンは呆然と繰り返す。
 ふと、幻影の中でリューヌが微笑んだような気がした。
 その瞬間、鋭く地を蹴る響き。
 リュコスが一気に飛び込んだとき、ルキアンは。
 ――見えた!
 召喚。闇の中に浮かぶ炎を凝視するかのごとき、極度の精神集中。
 ――ゼフィロス!!
 駆け抜ける閃光。
 リュコスの視界からアルフェリオンの姿が消えた。
 両者が空中でぶつかり合ったとき、優美な流線型の翼を持つ何かが、宙返りして槍を振るった。
 何が起こったのか、相手には全く理解できていない。そう、気づいたときには全てが終わっていたのだから。
 リュコスは脚を破壊され、身動きできぬまま、地に突っ伏していた。
 たたずむ勝者の姿は、以前と同じアルフェリオン・ノヴィーアのそれだった。
 ――変わった? 一瞬、今のがゼフィロス、なのかな……。
 高揚した気持ちを抑えつつ、ルキアンはつぶやく。

 シュワーズの籠もる神殿を背に、アルフェリオンは、その建物を守るように振り返った。
 残された敵方の歩兵が、広場の向こうへと蜘蛛の子を散らすように逃走してゆく。生身でアルマ・ヴィオと戦うなど、素手でドラゴンと戦うよりも分が悪いだろう。当然の退却だった。

 ◇

 神殿の前方に折り重なって倒れている、抗戦派のアルマ・ヴィオ。
 賢明にもルキアンが魔法弾を使用しなかったため、小規模な炎上は起こっているものの、爆発が生じるようなことはなかったらしい。
 その光景が、アルフェリオンの姿と共に水晶玉に映っている。
 遠見の水晶の映像を見つめながら、あの赤いケープの女は語り始めた。
 およそ抗し難い、何か神秘的な説得力を伴って彼女は断言する。《沈黙の詩》の言葉を引きつつ。
「少年――やがて彼は《真紅の翼》を羽ばたかせるだろう。今は決して望んでいないにせよ、遠くない将来、必ず……。星はそう告げている」
 彼女は溜息をつく。それは落胆を表すものには見えない。
 微妙な哀しみを漂わせる横顔に、不似合いに涼しげな笑みが浮かんだ。
「誰かに強制されるのでもなければ、不可避の偶然によるのでもない。《自分自身の意思》によって、この少年はエインザールの使徒であることを選び取り、炎の翼をもつ終焉の騎士を――そう、紅蓮の闇の翼・《アルファ・アポリオン》を呼び覚ますだろう。そして《終末を告げる三つの門》は開かれる……。どうした? 今まで私の言葉が外れたことがあったか」
「お主の予言は必ず当たる。いや、そうでなくてはなるまい?」
 正体を見せぬまま、姿なき老人は応える。
 彼の言葉をさほど気に留めない様子で、女は水晶球の表面をそっと撫でた。
「その後のこと、終末の時に関しては、私にも何も見えない。これは予言ではなく、単なる可能性――あるいは希望の提示に過ぎないが、《沈黙の詩》の告げていることは、その最後の時点で大きく変わるかもしれない。たぶんその理由は、この少年の心にあるのだろうな。移ろいやすく、脆くて、不安定な、心のあり方に。光と闇と、強さと弱さと、平凡さと狂気と――そして彼の優しさと、同時に鬱屈した憎しみと。そんな不確定性が、エインザールの予想した物語の結末を変えるかもしれぬ。また、そうした予測不可能性だけが、我々人間にとって唯一、《あの存在》に対抗できる手段……」
「そうじゃの。最後の最後の部分は、誰にも予測がつかぬ。可能性は限りなくゼロに近く、しかし決してゼロにならず、最後まで残されている。まぁ、それは《ノクティルカの鍵》の秘密を解くことができれば、の話じゃが」
 老人が最後に告げた謎の言葉。
 それを耳にした途端、理由は分からないが、女の表情がこわばった。彼女が初めて見せた動揺だった。
「初耳だな。しかし、その響きには何か……」
 とぼけるような茶目っ気と共に、老人の声は白々しく答える。
「は? そんなこと言ったかのぅ? ほほ。わしもボケてきたか。年寄りの冗談じゃて」
「都合の悪いときだけ老人になるものではないぞ、フォリオム」
 女は仕方なさそうに笑った。唇だけが微笑んでいる。
「ノクティルカの鍵。それが何なのか、わしにも意味は分からん。さすがに、お主の力でもその謎を見通すことはできまい――いや、誰にもできん。エインザール博士にも結局は分からずじまいだったし、《あの存在》の力を持ってすら無理かもしれん……。それより、このルキアンとかいう少年。なかなかよくやっておるわい。彼とお主を除けば、他の者は自分の役割に全く気づいておらん。中にはフラメアのマスターのように、まだパラディーヴァの存在すら知らぬ者もいる。困ったことだのぅ……」
 溜息と共に、不意に何かが、まるで地面から生え出るように姿を見せた。
 魔法使いのような出で立ちの、長い顎髭を生やした老人が立っている。緑色のローブから延びる細い腕は、枯れ枝のように乾き、あたかも古木を思わせる。だが小柄で華奢な外見にもかかわらず、付近一帯の大地が震え始めそうなほど、とてつもない魔力が彼の足元から発せられている。
 《地》のパラディーヴァ、フォリオム。
 彼は手近な木陰に腰を下ろすと、詠嘆を込めた口ぶりで、ゆっくりと語り始めた。
「《御子》たちには、いまだ導きの星が見えぬらしい……。だからこそ、お主の力が必要なのじゃろうて。《紅の魔女》アマリアよ」
 彼女――地のパラディーヴァ・マスター、アマリア・ラ・セレスティルは、相変わらず淡々と、水晶の中の幻像を見つめながらつぶやく。
「運命の星々を一所に呼び集めよと?」
「いや。他人の運命を変えることなど叶わぬ話。全ては本人の意思次第……。じゃが、きっかけを作ることは、お主にならば可能かもしれぬ。そして、きっかけがなければ、人は結局、自らの意思の力を呼び起こすことができぬもの」
 堅く冷たいクリスタルに、銀髪の少年、ルキアン・ディ・シーマーの横顔が浮かんだ。同様にカリオス、グレイル、イアラと続く。移り変わるマスターたちの肖像を見つめ、フォリオムは目を細めて頷いた。
「賽を振るのじゃ、わが主・アマリア……。始まりの火花を放て」
 しばらくの間、彼女は言葉を返すことなく沈黙したままだった。
 その眼差しは水晶玉から離れ、庭園の木々の彼方の風景に向けられる。
「分かっている。しかし、今さらながら重いものだな。選ばれし者の使命とは」
 アマリアはおもむろに立ち上がり、流れゆく雲を目で追った。


【第30話に続く】



 ※2002年3月~8月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第29話・中編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 ――もしもし! 通じたのですか? よかった。本当ですとも! 私は運良く庁舎から脱出でき、ある場所に隠れています。早く、ともかくギルド艦隊に総攻撃を行わないよう、急いで伝えてください!! 市当局には戦う意志はありません。そちらへの攻撃は、反乱分子が勝手に行っていることなのです。
 ――わ、分かりました。いますぐギルド艦隊に連絡しますから! それで、あの、今のままじゃ、抗戦派の人たちに傍受される恐れがあります。ですから、僕の言う通りに……。
 とっさにルキアンは、シュワーズとの間に一種の暗号化された回線を開いた。エクターたちの隠語で《伝書鳩》と言われている念信形態である。これによって伝達される会話は、アルフェリオンの念信装置とシュワーズの使っている念信装置でしか受け取ることができない。
 ――それじゃあ、艦隊の方に伝えた後、すぐにまた連絡します。待っていてください。
 勿論、重要な連絡の際に《伝書鳩》を使うのは、繰士たちにとっては基礎の基礎に属する事柄だが、素人のルキアンがそれを知っており、なおかつ冷静に実行に移すことができたのは幸いだった。
 ――ふぅ。あの《伝書鳩》とかいう方法が、こんなに早く役に立つなんて。ガダック技師長さんに習っておいてよかった……。今の話が本当かどうかはまだ分からないけど、ひょっとしたら、総攻撃を避けることができるかもしれない。急がなきゃ!
 ルキアンの心の声が、クレドール目指して夜明けの空を駆け抜ける。

 ◇ ◇

 垂れ込めた朝霧が地表低くを這い、野を流れゆく。
 風は生々しく湿り気を帯び、さながら空気の微少な粒子が肌に染み通ってくるような、身体にまとわりつく白い靄。
 ミトーニアの市壁付近の大地は、草もまばらで、赤茶けた砂利が点々と顔を出している。緑豊かな中央平原にしては珍しく、高山を思わせるどこか荒涼とした光景であった。
 寒々とした雰囲気が漂う……。
 うっすらと霞んだ視界の中、街を取り囲む市壁が黒々とそびえ立っている。ひとたび門を閉ざしたミトーニアは、その連山のごとき防壁によって、今や商都ではなく一種の要塞と化している。
 昨日の深夜に始まったミトーニア攻防戦は、夜明けを迎えた頃から不意に小康状態を迎えた。
 それまで一貫して、ミトーニア市民軍の抵抗は粘り強かった。ギルド側は予想以上に攻めあぐね、いまだ市壁を突破するどころか、壁の外に築かれた塹壕や防塁さえも全て制圧するには至っていない。
 相手の守りの堅さに慎重を期したのか、ギルドのアルマ・ヴィオたちは攻撃をほぼ中止し、様子見に入っている。せいぜい相手からの攻撃があった場合に、威嚇まがいの砲弾を撃ち返す程度だ。
 いや、それ以上に――ギルド側がひとまず自重して慎重に体勢を整えようとしているのは、例のレプトリアの奇襲によって大いに攪乱され、いや、現実に多大なダメージを被ってしまったという理由によるのかもしれない。
 あるいは何か策を練っている可能性もある。


8 ギルド艦隊のアルマ・ヴィオ、苦戦!



 ◇ ◇

「困ったことです……。こうなってしまうと、ミトーニアはそう簡単には落ちないでしょう。逃げ場を失った普通の人間というのは、時に、どんな戦士よりも手強い敵に変わりますから」
 視線のみを地上へと走らせ、クレヴィスは溜息をついた。
 話し終わったかと思うと、顔を正面に向けたままであった彼は、すぐに前方の空へと目を転じる。
 そう、ミトーニア郊外の上空では、ナッソス家の空中竜騎兵団とギルド艦隊のアルマ・ヴィオがなおも交戦中なのだ。
「とりあえずは、目の前に降りかかった火の粉を払うのが先決ですか」
 のんびりとしたテンポで紡ぎ出される彼の言葉とは裏腹に、クレドールは激しい動きを繰り返す。船酔いするような不慣れなクルーはいないであろうが、内蔵が裏返りそうな強烈な揺れが、立て続けにやってくる。
 クレヴィスは自分の席に深く腰掛け直した。
 彼の隣ではセシエルが、椅子から振り落とされないよう身体に力を込めつつ、引きつった顔で念信装置に手を当てていた。
 だが誰にも増して決死の状態であったのは、船の運命を一手に握る男――操舵長カムレスは、腕まくりして鬼のような形相で船を操っている。
 舵輪が激しく回されたかと思うと、すぐさま反対側へと滑るように舵が切られる。敵の飛行竜、重アルマ・ヴィオ《ディノプトラス》の突撃を避け、クレドールは、巨大な船体からは想像も付かない身軽さで宙に軌跡を描く。
「お互いに近づきすぎないよう、ラプサーとアクスに言っておけ! 何かの拍子に接触するかもしれんぞ!! こっちは自分の船を守るだけで精一杯なんだからな」
 誰に言うともなく、カムレスの怒号が飛ぶ。
 それを受けてカルダインがおもむろに手を挙げ、セシエルに指示した。カムレスとは対照的に、いつものことだが、艦長はじっと押し黙っている。
 今度は甲高い声が聞こえた。
 《複眼鏡》で敵アルマ・ヴィオの動きを追いながら、ヴェンデイルが叫ぶ。
「何とかなんないのか!? あのデカブツ相手じゃ、レーイもプレアーも、1対1で戦うのが精一杯みたいだ。メイが2機いっぺんに面倒見てるけど、ちょっとキツいよ、あれは!!」
 やや情けない声になったヴェンデイルに対し、カムレスが大声で応える。
「そうだ。メイが持て余しているもう1機の敵が、さっきからしつこく仕掛けてくるんで困ってる!」
「んなこと俺に言われても。知るかよー! わかんないけど、艦長、ルキアン戻せば!?」
 投げやりな調子でヴェンデイルが言った。
 レーイとプレアーがそれぞれ1機ずつ敵を撃墜したものの、相手の方は依然として4機残っている。
 重飛行型のディノプトラスとそれに騎乗した汎用型――他方、いかに飛行能力が高いとはいえ、所詮は汎用型のフルファーとカヴァリアンでは思うように戦えない。機体のパワーについても、やはり敵の重アルマ・ヴィオは段違いである。しかもナッソス方の繰士たちは、カセリナは別格としても、いずれ劣らぬ優れた腕前だ。プレアーと五分に戦っている時点で、敵も一流であることが明らかだった。
 と、クレヴィスが苦笑いした。同時にセシエルが彼に何か伝えている。
「そのルキアン君からですよ。セシー、続きをお願いします」
 アルフェリオンからの念信を受け、セシエルは慎重に聞き入った。


9 互角? レーイとカセリナの激闘続く…



 ◇ ◇

 昇り始めた朝日を浴びて、流星のごとき2つの機体が衝突を繰り返す。
 青白い光の槍が雷光さながらに空を裂く。
 黄色く輝く剣が、それを受け流して弧を描いた。
 飛行竜ディノプトラスが雄叫びを上げ、濃紺の巨躯を見せつけるかのように宙を舞う。
 その上から繰り出されるのは、稲妻にも喩えうる戦乙女イーヴァの槍。
 だが驚くべき速さと正確さをもつカセリナの攻撃を、対するもう一方のアルマ・ヴィオも見事に受け切っている。左腕にMgSドラグーン、右腕にMTサーベルを携えたカヴァリアンだ。
 スピードでは圧倒的に不利ながらも、レーイは巧みな戦い方によって速度の差を埋めていた。
 剣と槍が火花を散らし、時折MgSドラグーンの光弾が走る。
 ――強い! こんなに強い繰士がこの世にいるなんて……。
 刹那、カセリナは相手の力に驚異を感じたが、たちまちその恐れは吹っ切れる。
 ――でも私は負けない。みんなやお父様は、私が守ってみせる!! 
 ディノプトラスを駆って、MTランスを構えたイーヴァが突進する。
 だがカヴァリアンは、昆虫のそれを思わせる光の羽根を煌めかせ、ひらりと身をかわす。まともに正面から打撃を受ければ、勿論レーイは致命傷を避けられないだろう。しかし彼は風に揺れる柳の枝のように、極めて柔軟な動きでディノプトラスのパワーを殺していた。
 ――《助走》が短い!? 懐に張り付かれていたか!
 カセリナは、レーイとの距離を詰め過ぎていたことに気づいた。
 いったん勢いに乗ってしまえばディノプトラスは速いのだが、重アルマ・ヴィオの常、最初の加速は必ずしも良くない。もっとカヴァリアンと離れなければ、初速が十分に出し切れないうちに攻撃の間合いに入ってしまう。
 ――やっと分かったか。頭を冷やすんだな、お姫様。
 レーイがわざと煽るように、だが淡々と言った。
 鬼神のごとく突きかかり、レーイを防戦一方に追い込んだかのように見えていたカセリナであったが……。彼女は接近戦に持ち込み《過ぎて》しまったのだ。遠距離から高速で突撃しては離脱、それを繰り返し、カヴァリアンに追いつかせないままスピードとパワーの違いを生かして攻撃すれば、カセリナに分があったかもしれない。
 ――お黙りなさい!!
 カセリナの声と共に、今度はディノプトラスの口に仕込まれたMgSが放たれる。まさしく火を噴く竜だ。
 ――逆に、この距離では避けられないはず! 何!?
 カヴァリアンの周囲を輝く球体が覆った。
 ディノプトラスの吐き出す火炎は、その光の壁に阻まれる。炎の激流にわざと押し流されるように、カヴァリアンは相変わらずふわりと受け流している。
 カヴァリアンの誇る、全方位からの攻撃に効果がある結界型MTシールドだ。
 が、その結界が消えるか消えないかの瞬時に、イーヴァが再び猛襲する。
 MTサーベルで払ったレーイ。
 カセリナはいったん突き出した槍を、気合いと共に横になぎ払った。
 ――やるな!!
 レーイはその2発目も受け止めたが、カセリナの動きがあまりにも速かったため、サーベルでの防御が間に合わず、左手の魔法銃・MgSドラグーンで受けてしまった。
 銃身が真っ二つに切れ、後方に飛んでいった。


10 「だから俺は、愛のためには戦わない」



 しかしレーイもただ者ではない。後方に飛び退き、素早くMgSドラグーンを背中に戻すと、それと入れ替わりに左手でもMTサーベルを抜いた。イーヴァとの距離も一瞬にして詰め直している。
 2本のMTサーベルを機体の前でクロスし、イーヴァの出方をうかがうカヴァリアン。
 ――惜しいな。それだけの若さで、それだけの力がありながら……。
 わざとカセリナに聞こえるよう、レーイが念信で告げた。
 なおも両者の武器がぶつかり合う。
 無言で睨み付けるようなカセリナに、レーイはさらに言った。
 ――あなたは何のために戦う、カセリナ姫?
 一瞬、考え込んだ彼女であったが、返事よりも先に槍を振るう。
 そして答える。
 ――知れたこと、私の大切な人たちを守るために!!
 カヴァリアンのサーベルの輝く刃の上を、イーヴァの渾身の槍先が滑る。
 MT兵器を構成する魔法力の束が互いに干渉し、火花のごとき閃光が散った。
 だが、もう1本のMTサーベルを手にしたときから、レーイの攻撃は以前の比ではないほど強烈なものに代わった。
 2本の剣で槍の柄を巻き込むようにして、カヴァリアンが敵のMTランスを叩き落とす。
 激昂したレーイの口調。
 ――誰だってそうだ。戦う者は……。愛する者のためになら、誰だって戦士になれる。大切な人を守りたいのも、人間の当然の心だ。
 一転して彼は、思わぬ言葉で続けた。
 ――《だから》戦いはなくならない。互いの愛する者を守るために、本来は望まなかったはずの争いを、いつの間にかそれが絶対に正しいと思い込んで……いや、そう信じなければどうしようもない……。
 イーヴァもMTサーベルを抜き放ち、カヴァリアンと対峙する。
 カセリナが言葉を返すのを待たぬまま、レーイは言った。
 ――だから俺は、愛のためには戦わない。まして恨みや怒りのためになど戦わない。そう、俺は血の通わぬ《大義》や《道理》のために、金で雇われて平気で戦う。それでも、俺は……。
 カヴァリアンの二刀が、イーヴァに向かって旋風のように襲いかかる。先程までとは完全に動きが変わった!
 ――自分の愛する者を守るために戦って、何がいけないのよ!? 誰だって、誰だって大切なものを失いたいなんて思わないはず!!
 必死で防戦するカセリナ。下手をすると、イーヴァが倒される前にディノプトラスが落とされる可能性すら出てきた。
 ようやく本気を出したのか、レーイの凄まじい力。
 ――思わないさ。思わないから、大切な者を守るために敵を殺す。するとその敵を愛していた者が、今度は憎しみに駆られて復讐する。そしてまた……。
 ――知らない! 理屈なんてどうでもいい!! 私は戦う。誰が何と言おうと、私は守ってみせる。
 2体のアルマ・ヴィオが振るう剣。そのぶつかり合いによって、閃光が絶え間なく空に煌めく。レーイとカセリナの戦いは、見る者に恐怖を、いや、それを越えた畏敬の念すら感じさせずにはいられないものだった。


11 緑木の迷宮―第五の御子・星を読む者



 ◇ ◇

 背丈ほどの高さの生け垣に挟まれた、心地良い緑の小径。
 丁寧に手入れの行き届いた庭園の一角に、その場所はあった。
 進路は右手に折れていた。ほどなく、再び曲がり角が。
 木立によって仕切られた、ちょっとした迷路だ。上から見れば、四角い渦巻き状の回廊が幾重にも形作られているのであろう。
 地面に敷き詰められた白い砂利。
 それを静かに踏みしめる音が、木々の壁の向こうから聞こえてくる。ゆったりと、極めて整った調子の足取り。
 その神妙な響きに混じって、かすかな声も。
「人は苦しみから逃れるために救いを求め、救いを求める試みそれ自体によって、また新たな苦しみをその身に背負うことになる……」
 女の声である。その話しぶりは、上品ではあれ、ともすれば軍人を想起させるほど厳格だ。やや低めの美しい声は、呪文のごとく感情に乏しかった。
「結局、苦しみは以前よりも大きくなり、それゆえに人は、さらに強く救いを求め、いっそう苦しみにとらわれる。そう、人の世の様々な《救い》というものは、いわば魔性の美酒に等しいのかもしれぬ。一度その味わいを覚えると、それなしでは生きられなくなるからだ。それを知る以前には、別にそんなものはなくても、心を痛めずに生きてこられたものを……」
 木々の壁が織りなす渦巻きを辿り、再び逆回りして外に戻るという――この迷路のような庭園の造りは、一節によれば《前新陽暦時代》の宗教的観念に由来するという。すなわち螺旋状の道は、死と再生とを暗に表現しており、あるいは輪廻を象徴するものだと。多分、現在のイリュシオーネでは、そのような意味合いは忘れ去られているにせよ。
「たとえば愛とはそういうものであろう? また多くの人にとっては、宗教かもしれぬし、別の人間にとっては、成功や名誉がそれに代わるかもしれぬ……。そうではないか、《フォリオム》」
 フォリオムと――その名前が呼ばれたとき、別の声が応じた。
「……そうじゃのぅ、あるいは《旧世界の使い古された観念》でいえば、己の《存在意義》、生きることの《意味》、自分の《価値》ともな」
 しわがれた老人の言葉だった。
「まぁそれとも、《理由》とでもいうのじゃろうて。ほっほっほ」
 古老らしき声はごく穏和で、快活な感すら漂わせる。一言でいえば好々爺だ。
 比較的限られた広さの場所ではあれ、この迷路状の庭の奥まで足を踏み入れると、再び入口に戻ってくるためには多少の手間がかかる。趣味が良いのか悪いのか。敢えて間延びした散歩だ。好むと好まざるとにかかわらず、ここでは時がゆっくりと流れていく。
 苔むした小さな空間が、樹木の迷宮の奥に開けている。
 いつ作られたとも分からない古びた砂岩の天使像が、素朴な笑顔で突っ立っていた。像の傍らには、濃い紫色のテーブルクロスのかかった机がある。そこに置かれた大きな水晶玉。
 日傘を差した一人の女性が、木々の間の道から現れ、テーブルに着いた。モノトーンの法衣の上に、対照的な深紅のケープを羽織っている。
 目尻に細い皺が刻まれ始めており、落ち着いた身のこなしにも一定の年齢が感じられるが、金色の髪を背後で一本に結んだ彼女の姿は、どこか少女のように若々しい雰囲気を残していた。
「理由か。そうだな……。人が生まれてきたことの《意味》というのは、人為的な《解釈》を通じて後天的に付与されるものだ。我々の生は、それ自体としては単に裸の因果連関の積み重ねにすぎず、そこには先天的な意味など無い。《だからこそ》人には生の《理由》が必要なのだ。しかし、その事実を《いったん受け入れる》のが怖くて――何と言えばよいのか、人間存在の足元に横たわる《暫定的な虚無》を乗り越えて先へと進むための、ある種の楽天性を欠くがゆえに、人はしばしば己を滅ぼす」


12 裏切りの天空人―エインザールの孤独



 周囲には誰もおらず、彼女は一人で話しているように見えた。そして中空に向かい、口元にだけ笑みを浮かべて言った。
「……旧世界人の生き方というのは、その点で興味深い。自らの生の《本来の意味》とやらを、彼らはあまりに都合良く理想化し、あたかもそれが最初から自分の生に備わっているものだと思い込み続けていた。その《代償》として、少なからぬ数の旧世界人たちは《本来あり得ないはずの大きな幻滅》をも、現実の生に対して感じなければならなくなった。旧世界人とは――いや、以前にも《ご老体》に指摘されたのだったな――正確には《天空人》とは、まるでこの世界が自分の幸福のためだけに作られているかのごとく、勝手に思い込んでいたようだな。愚かしいという以前に、信じられない……」
 突然、どこからともなく例の老人の声がした。
「ご老体、とは嬉しくないのぅ。パラディーヴァの外見や性別など、あくまで見かけ上のものだと、いつも言っとるのに。生まれ年で言えば、わしはテュフォンやフラメアと同じ歳じゃぞ。失敬な」
「そうだった。まぁ、気にしないでほしい。私もあくまで便宜上、ご老体と呼んでいるだけだから」
 彼女は水晶玉に手を添え、黒い瞳を鋭く輝かせた後、目を閉じた。
「人間が生を受けたことに先天的な理由はない、という真実を受け入れることができてこそ、人は強く生きていける。つまり生の理由というのは《自分で設定しない限り元々は存在していない》のだと気づけば、むしろ《無いはずのものを探し求める》という無限地獄に陥ることもなくなる。理由を《探す》などといって、何かや誰かに自分を委ねていては、長い目で見れば苦しみが増すだけだ。それならばいっそ、理由など持たない方がまだよいかもしれぬ。理由などなくても人は生きていける」
「いかにも。実際、《地上人》たちの多くはそうじゃった。理由をもつ《余裕》がなかったというのが本当のところだがのぅ。《永遠の青い夜》がもたらした《汚染》のために魔の世界と化したあの惑星(ほし)で、彼らは、明日の命の保証すらおぼつかない毎日を過ごさねばならなかった。彼らにとっては《理由》云々など問題ではなく、《いま現に生きていること》が、それだけで尊いことじゃった。他方、そんな地上人を力ずくで支配し、彼らの犠牲のもとで豊かな生を満喫していた天上人たちはといえば、《幸せに日々を過ごせるのは当たり前。ましてや生きていることなど無条件の前提。しかし自分には、そうして生きていることの理由が分からない》などと言って《苦しんで》いたのじゃから。まったく、人間という生き物は……」
 相変わらず声はすれども姿は見えぬ老人に対し、女は皮肉っぽく告げた。
「しかし、ご老体。あのエインザールでさえ――本音のところでは、そういう天空人の一人だったのだろう?」
「ほっほ。手厳しいのぅ。お主にはもっと可愛げがないといかん」
「悪いが、いまさら可愛げなどという歳でもない。それで?」
 即座に突っぱねた彼女に、得体の知れない老人は言った。
「わしは今でも時々思うんじゃが、博士が本当に求めていたのは、自らの存在理由を《実感》することだったのかもしれん。たとえささやかでも、もしも日々の営みの中で、彼がそれさえ肌で感ずることができていたならば――天上界のどこかに彼の《居場所》があったなら……」
 女は微妙にうつむき、声を落として老人の言葉を継いだ。
「そうだとすれば、博士が地上界の側へと走ることもなかっただろうに……」
「その可能性も無かったとはいえまい。博士もまた天空人として生まれ、良くも悪くも《豊かな社会》の恩恵に浴して育った。地上界に対する天上界の支配がいかに非道なものであったとはいえ、さすがに同胞と戦ってまで地上人たちを救おうとは、博士も考えなかったかもしれん。しかし現実には、自分が天空人の一員であるという意識は、博士にはなかった。その代わりに彼の心に刻み込まれていたのは、天上界に対する違和感、あるいは《疎外感》じゃったろう」


13 地上に堕とされた、清らかな闇の天使?



 背筋は伸ばしたまま、眠っているような様子で聞いていた女は、何の情動も見せずに機械的につぶやいた。
「そしてエインザールは、天空社会の中で疎外されていた自らの状況を、天空人に迫害される地上人たちの姿に重ね合わせたとでも? 皮肉なことだな……。そんな個人的な、必ずしも肯定し難い動機から始まったエインザールの行動が、どこでどうめぐったのか、結果的に天上界の支配を打ち破り、地上人たちを解放したと。しかしその直後、天上界はおろか地上界も含め、旧世界全体が何らかの原因で滅亡し、全ては無に帰した……。けれどもそこで《物語》が終わったわけではなかった。旧世界の存亡を左右するであろう《あの存在》のことに、漠然と気づいていたエインザールが、因果の流れを後の時代へと結びつけておいたからだ。彼は未来の《御子》たちに賭けたのだと、ご老体は言ったな。全く荒唐無稽な話だが、ともかくその結果、私はご老体・フォリオムと出会うことになり、そして《彼》も……」
 深い呼吸の後、彼女が水晶球に念を込めると、その表面がうっすらと輝き始めた。
「そう、エインザールを継ぐ者。このか弱い少年の苦しみも、場合によっては無かったかもしれない。彼が本当に望んでいたのも、大抵の人間が多かれ少なかれ味わうような、《生の喜びに対する平凡な実感》だったはず。にもかかわらず、彼はエインザールと同じく、自らのことを世界の中の異物だと感じ、疎外された孤独な人間として生きてきたのだろう。それもまた選ばれし者の苦悩であると、知ることもなく……」
 彼女は半開きの唇で、独り言のように、いや、まさに独り言を口にした。
「……ただひとり地上に堕(お)とされた、清らかな闇の天使」
 驚くべきことに、水晶玉の中には、朝日を受けて煌めく白銀のアルマ・ヴィオの姿が――ミトーニア上空のアルフェリオンが映し出されている。


【続く】



 ※2002年3月~8月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第29話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  運命とは、
  放っておけばその通りになる「予定」のようなものだ。
  定められてはいるが、
  変えようとすれば、変えられぬものでもない。
  だが多くの場合、
  人はそれが絶対のものだと思い込まされている。
  (オーリウムのある冒険者の自伝より)

◇ 第29話 ◇


1 闇に心とらわれた御子・イアラ



 薄暗い部屋の中で、時折、金属の小物を擦りあわせるような音がカチャカチャと鳴っていた。
 厚いカーテンは、陽光だけではなく外の世界のもの全てを遮っているようにみえる。
 個室として使うには、いささか広すぎる感のある部屋だ。
 天井を飾る豪華なシャンデリアには、わずか一本の蝋燭さえも灯っていなかった。贅を尽くしたガラス細工の数々も、それを輝かせる明かりが無くては意味をなさない。
 たったひとつ、部屋の隅の方にランプの灯火が揺れる。
 おぼろげな光を受け、キャンバスの白い色が妙に浮かび上がって見える。薄く下絵が描かれた画布は何カ所も切り裂かれていた。
 その前に座ったまま、彫像のごとく動かない者がある。服装から考えると女性らしい。暗がりに溶け込むような、簡素だが素人目にも生地の良い濃紺のドレス。精緻な仕立てによって、それは寸分の隙もなく体に合っている。
 何故かは分からないが、彼女は黒いヴェールを深々と被っていた。
 足元に転がる筆やパレット。その中に混じり、1本のナイフが冷たい輝きを放つ。
 床や画材、あるいは彼女の手指の所々に、筋を引いて黒くこびりついているのは、正直なところ、乾いた血のようにも……。

 扉をノックする音がした。
 だが彼女は無視している。
 そんなはずはないのだが、むしろ、聞こえていないようにさえ見える。
 何の反応も引き出せぬまま、やがてノックの音は止んだ。

 ◇

 ドアの外で、中年の婦人の甲高い声が聞こえた。
 へりくだった様子でそれに応対する、若い娘の声も。
「イアラお嬢様は、今日もご気分がすぐれないとおっしゃられて……」
「まったく、どうしようもない子ね。いいから朝食はいつものようにしておきなさい!」
 そう、いつものように――使用人らしき娘は、料理の乗った盆を扉の前に置くと、婦人の後を追って気まずそうに立ち去る。
 真っ赤な絨毯の敷かれた廊下に、ぽつんと残された朝食。ポットから立ち上る湯気が、次第に、次第に勢いを弱め、やがて消えていった。

 ◇

「イアラ、また眠らなかったのか。体に悪いぞ」
 それは部屋に居るはずのない別の人間の声だった。
 いつの間に現れたのか――暗がりの中に一人の若者が立っている。しかし窓にも扉にも鍵が掛かっており、どこにも開いた形跡はない。
 ヴェールを被った女性は、素っ気なく、蚊の鳴くような小声で答えた。
「……別にいいじゃない。あなたの方こそ無理に心配しなくていいのに」
 青年は微笑する。静かな入り江に寄せる波のごとく、ゆるやかにくねった青の髪。それを肩口まで指先で軽く流しながら、彼はつぶやいた。
 落ち着いた低めの声だが、奥底にある情熱を感じさせる響きだ。
「無理になど……。君を守るのが俺の使命――いや、存在理由だからな。お節介なようだが?」
 薄明かりに照らされた彼の姿は、見るからに現実離れしていた。
 髪の色と同様に青い、ゆったりとしたローブで長身を包み、輝く羽衣のようなものをその上にまとっている。だがそれは羽衣などではなく、実際には霧か煙を思わせる物質だった。それが宙に漂い、彼の上半身を取り巻いているのである。
 彼自身、ふわりと浮かんでいるように見える。その背後には、青白く輝く霊気が揺らめいていた。
「守る? 勝手に決めないで。私はあなたに協力するなんて言ってない」
 彼に視線も向けぬまま、イアラと呼ばれた女は腹立たしげにささやいた。顔は見えないが、その声質から察するに20代前後のようだ。
 不思議な青年は、《彼ら》の間でお決まりとなっている例の台詞を告げた。
「勿論。全ては君の――いや、あなたの自由だ。《わが主よ》」
 だが彼女は、興味なさげに話を打ち切ろうとした。
「私、いい……。もう放っておいてよ。そっとしておいて、アムニス」
 何かに疲れ果てたような無機質な口調。


2 もし私がいなくなっても、別に世界は…



 そして急に高笑いする。絶望的に引きつった声も。
「あはは。馬鹿みたい! どうなっても、別にいいじゃない……。だって私は関係ないもん。こんな世界――こんな世界なんか、滅びても困らないもん」
 突然、彼女は金切り声で叫び出した。床に散らかっているものを手当たり次第に拾っては、ただ闇雲に投げ捨てる。
「滅びたところで、そんなの自分たちのせいじゃない! みんな自分のことしか考えてなくて……他人のことも、そんなつまらない自分と同じなんだと思って軽蔑しているから、他の人間を見くだして、自分を中心に世界が回っているように振る舞って。そんな世界、一度終わらなきゃ変わらないんだわ!!」
 朝食に添えられていた白いティーカップが宙を舞う。それは大きな花瓶にぶつかり、どちらも無惨に砕けた。水が床に流れ出し、挿してあった花も乱雑に散らばってしまった。
「どうしてこんな人間たちのために、私が戦いなんかしなくちゃいけないのよ! 自分たちで守ればいいじゃない! そんなに大切なら!! 何で関係ない私に守らせるのよ。どうして、どうして……。私は、この世界から何も大切なものをもらってない! 私が守るものなんて何もないもん!! 何ひとつ……」
 彼女は息を切らせ、床に座り込んだ。
 なおも声にならない声でつぶやいている。
 ――私がいなくなったって、この世界は何も変わらないじゃない。私がいなくなったって、誰も悲しまないじゃない。
「……それは違う」
 青い髪の青年・アムニスは、そよ風のようなささやき声で、けれども力強く告げる。
 突然、イアラは幻の世界へと取り込まれた。

  銀髪の少年が、感情の失せた暗い表情で座り込んでいる。
  だが彼は、遠い目をしたまま、それでも懸命に空を仰いだ。
  おずおずと顔を上げると、丸い眼鏡の向こうに無限の青が広がる。

  場面は一転し、鋼の生き物たちの残骸が荒野に転がっている。
  黒く焼けた木々。焦土に立ちこめる煙。
  戦場のただ中で、白銀色の《巨人》が剣を振るう。6枚の翼を持つその姿
 は、さながら天が遣わした滅びの天使のようだ。
  銀髪の少年は叫んでいた。哀しそうな顔で、天の騎士に乗って戦っていた。
 それでも彼は、苦悩を振り払うかのように繰り返す。
  ――僕だって……僕だって、ただ黙ってうつむいているだけじゃないぞ! 
  まばゆい輝きを放ち、白銀色の巨人が俊敏な細身の姿に変わった。そして
 雷光のごとく駆け抜け、目にもとまらぬ速さで槍を繰り出す。

「……この子、馬鹿?」
 イアラは呆然と言った。
 少女のような顔をした、ひ弱な眼鏡の少年が、己に鞭打って立ち上がっていく。その様子は無様で、そして痛々しくて――見るに耐えない。
「何でそんなに無理するの? どうして、どうして起きあがってくるの?」

  敵に幾度となく打ちのめされても、翼を持った巨人はなおも別の姿に進化
 して反撃する。
  一面の猛火が襲いかかる中、重々しい甲冑に身を固めた天の騎士は、銀色
 の楯を炎に向かってかざした。青い閃光が一瞬にして火の海をかき消す。剣
 を抜いた騎士は、鈍い鎧の音と共に、地響きを立てて悠然と進んだ。

  少年は泣いているようにみえた。それでも彼は戦い続ける。
  巨人のまとう銀色の鎧が、今度は刺々しい形に変わっていく。肩や腕に刃
 物のごとき角を備えた姿で、白銀の騎士は突進する。鋭利な鉤爪が振り下ろ
 され、敵を一撃のもとに両断した。

  少年は激昂して叫んだ。
  ――僕は仕方がないなんて言わない、空しいなんて思わない! 僕は最後
 まで絶対に諦めない!!

「何なの、何なのよ、あなたは……。そんなに孤独で惨めなくせに、どうしてそこまで強くなれるのよ!? なぜ誰も手をさしのべてくれなくても、それでも立ち上がってくるの!? そんなの、変だよ、空しいよ……」
 イアラの頬を涙が伝う。
 その冷たい感触が、彼女に気づかせた――あの銀髪の少年の境遇を、いつの間にか直感的に見抜いていたことに。
「私は彼に会ったこともないはず。でもどうして? 私は彼を知っているような気がする」


3 予め歪められた生―「あの存在」とは?



「君が彼のことを知っているはずはないが、同じ宿命のもとに生まれ、同じ光を瞳に宿した《彼ら》を身近に感じるのは当然だ」
 アムニスが告げた。
「宿命と――そう呼ぶに値するほどの力によって、《人間の力など到底及ばない存在》によって、《あらかじめ歪められた生》を負って生まれるよう呪いをかけられた者たち」
「あらかじめ、歪められた、生……」
 イアラは苦しげに反芻し、両手でヴェールを押さえてうずくまる。
 一見、同情などしていないかのように、アムニスは淡々と語り続けた。
「歴史のからくりを揺るがす《御子》たちを、己の力に気づかせぬまま自滅させるために――おそらく、そのために前もって手が打たれたのだろう。だがエインザール博士も、漠然とではあれ、将来現れる御子たちのことに気づいていた。そして《本当の敵》にも、《あの存在》のことにも気づいていたのだと思う。たとえ地上人が天空人に勝利したところで、それでは人間同士の果てしない憎しみの連鎖が続くだけだと、心の底では理解していたと思う」
 小さく震えるイアラの肩に、幻が――透き通った霧のような手が触れた。
「これだけは分かってほしい。たとえ呪われた生であろうとも、それは他の誰がたどる人生でもなく、君自身のものだということを。じっと堪え忍ぶにせよ、必死にあがき続けるにせよ、いずれにしても君が体験していくのはこの生ひとつだけしかないということを。そのかけがえのないものから希望の芽を摘み取ってしまうことなど、未来を閉ざしてしまうことなど、誰にも――いかに強大な《あの存在》であろうとも許されてはならないはずだと。だからイアラ、御子としての戦いは確かに世界すべてのためかもしれないが、何よりも君自身のための戦いだ……」
「ひとつ、聞いていい?」
 彼女のその言葉に対し、アムニスは無言の時間をもって返事の代わりとする。
 イアラは続けた。
「あなたが言っていた御子たち――歪められた生とか、運命って――だったら、私と同じような人がまだ他にもいるの? 例の少年も……」
「その通り。遠くない将来、きっと会える。いずれは星の導きが、御子たちを一所に集わせることになる。分かるだろう、イアラ……もしも君がいなくなれば、後で必ず彼らが悲しむ。そして君がいなくなれば、俺には存在する理由がなくなる」
「そう……」
 自分から尋ねておきながら、冷ややかに笑うイアラ。
「滑稽なおとぎ話ね」
 だが、無関心にそう言い放った彼女の心の内は……。


4 アルファとオメガ―仮面が語る秘密



 ◇ ◇

 同じ頃。薄闇などではなく、真の闇の中――金属の扉の重く軋む音がした。
 真っ暗な空間は、容易には見渡せぬほど広大であり、見上げても限りがないほど高い天井を備えていた。まさに暗黒の大聖堂だ。
 堅い靴音を響かせ、誰かが中に入ってくる。
 それに呼応するかのように、突然、巨大なホールの中央に不気味な炎の列が現れた。向かい合った二列の炎の間を、黒い法衣をまとった男が歩いていく。
 彼は幾重にも重なった宝冠を被り、高位の神官を象徴する見事な聖杖を手にしている。
 男が立ち止まると、闇の奥から異様な声がした。吹きすさぶ木枯らしのような、あるいは亡者のうめき声のような、およそ人のものとは思えない響きだ。
「《大地の巨人》を覚醒させる手だてが分かったのですな、猊下……」
 猊下と呼ばれているのは、オーリウムの全ての神殿を束ねるメリギオス大法司に他ならない。
「旧世界の娘がとうとう口を割ったらしい。これで巨人の力は、もうすぐ我々の意のままとなる」
 宙に浮かぶ4人の《黄金仮面》たちは、メリギオスの言葉に怪しげな微笑をもらした。ひそやかな声が堂内の空気に染み通っていく。
 メリギオスは彼らを見上げて言った。
「巨人の《封印(プロテクト)》を解くためには、あの娘だけではなく妹の力も必要なのだ。だが無理に騒ぎを起こさずとも、近々向こうから飛び込んでくるだろう。あまり派手に行動するのは得策ではあるまい。議会軍がこちらの動きに気づき始めているようだ」
 途方もない魔力の高まりとともに、《老人》の黄金仮面が言った。
「しかしながら猊下、裏で予期せぬ事態が起こっていることをご存じか? エインザールがこんな小細工を残していようとは……。万一に備えて、できる限り急がれよ。必要であれば我らも力を貸しますぞ」
「問題のイリスという娘、すでにパラス騎士団に捜索させている。じきに見つかるだろう。話はその後だ」
 満足げにそう言い残し、メリギオスは立ち去った。

 ――全ては我らのもくろみ通りだが、ここにきて、エインザールのパラディーヴァたちが次々と動きを見せている。奴らのマスターの大半は、まだ己の力に気づいていないにせよ。
 《鳥》の黄金仮面が、異様に長いくちばしを光らせた。
 それに対して、《魔女》の黄金仮面は冷淡な反応を示す。
 ――エインザールの残した残骸ごとき、何を恐れている? 《パルサス・オメガ》は、休眠している間も延々と自己進化を続け、かつての比ではないほど強大な力を手にした。仮に《アルファ・アポリオン》が再び覚醒しようと、パラディーヴァ・マスターたちが力を合わせようとも、現在のパルサス・オメガの前では無意味なこと……。
 ――それはどうかな。エインザールのときも、取るに足らない塵ひとつだと見過ごしていた結果、あのような手違いを招いた。天上界の滅亡など、所詮は些細な事故にすぎぬが、あのおかげで大いなる計画に遅れが生じてしまったことは確かだ。人間ごときと侮ってはならぬ。……それにしても皮肉なものよ。かつてアルファ・アポリオンと共に天空人と戦ったパルサス・オメガが、今度は我らの手駒となるのだからな。
 《老人》の黄金仮面がそう告げた後、彼らは何処へともなくかき消えた。


5 チエル無惨、パラス騎士団の闇



 ◇ ◇

「へぇ、何か意外だなぁ……。あの勇敢そうなチエルさんが、あっさりと折れちゃったなんてさ。やっぱりエーマさんは凄いね! いや、ちょっと怖いかな。あははは」
 この無邪気な声を聞いている限り、陰惨な状況を前にしているとは到底思えない――年齢不詳の美青年が満面の笑みを浮かべていた。
 小天使のように純粋無垢な表情。
 だがこの男こそ、パラス騎士団を実質的に指揮する若き副団長、恐るべき天才繰士ファルマスだ。
 黒いレザーの服に身を包んだ真っ赤な髪の女が、得意げに頷いている。
「普通の人間よりは骨があったかもしれないけど、結局はただの小娘だね。あたしにかかれば簡単なことさ」
 濃いルージュを引いた薄い唇を、エーマは冷酷に歪ませた。
 四方の壁も床も全て石造りで、わずかな飾り気すらない。カビ臭い湿った部屋。そこに猛獣の檻のごとき分厚い鉄の扉がついている。
 外からは華麗な部分しか見えないこの城館にも、他の多くの城や市庁舎等と同じく、冷たい地下の拷問部屋が設けられていた。
 暗い闇の部分を持たぬ光などあり得ないのだろうか。いや、ある偉大な物書きが言ったように、光が強ければ強いほど、その影もいっそう色濃いのかもしれない。
 幾多の血の染み込んだ台が置かれ、見るもおぞましい道具が壁に掛けられている。普通の人間ならば、拷問以前にこの有様を見せられただけでも、言いなりになってしまう場合があるだろう。
「この娘を決して傷付けてはいけないなんて、無理な注文を付けられたもんだから、苦労したよ。まぁ、薬でも何でも、色々と手はあるんだけどね」
「分かる分かる。本当に悪かったね。でも猊下がそうおっしゃるんだもん。ともかくエーマさんのおかげで、《大地の巨人》はもうすぐ目覚めるよ!」
 あくまで天真爛漫に会話するファルマスの姿は、この戦慄すべき空間の中でも際立って不気味に感じられる。
 エーマは加虐的な笑みを浮かべ、足元に横たわる娘をつま先で小突いた。
「あんなに気の強そうな顔をしていたから、もっと楽しませてくれるかと期待してたんだけど。あんたには拍子抜けだったよ。でも思ったほど馬鹿でもなかったということなのかねぇ……。案外、物分かりがいい子じゃないか。ふふふ」
 チエルはうつ伏せに転がったまま、身体を起こすこともできない。
 見事な長い黒髪も乱れ、彼女の背中や床の上に這いつくばっていた。
 何の罪もない旧世界の娘をこのように虐げることに、ファルマスもエーマも、神官の長であるはずのメリギオス大法司さえも、罪悪感を覚えていないようだ。エーマに至っては露骨に楽しんですらいる。
 利発そうに整ったチエルの面差しは、涙や涎で惨たらしく濡れていた。
 それでも彼女は、意識を失いそうになりつつ、繰り返しつぶやく。
「イリス、逃げて。どこか遠くに逃げて……」


6 光と影の二人の少年、運命が動き始める



 ◇ ◇

 平原に夜明けが訪れた。
 遙か彼方の地平から、遮るものなく差し込む朝の光。
 その光線を浴びて、春草の露が輝いている。
 一見、ごく自然な美しい夜明けであった。
 だがその中にひとつ、違和感のあるものが――王都を間近に臨んだ草原に、深紫色の山のような物体が横たわっている。
 こんな朝早くにもかかわらず、その傍らで大声を張り上げる者までいた。
「行くぞー!! 今日は都に行くぞー!!」
 ヤマアラシのような髪型の少年が、遠く太陽の方に向かって叫んでいる。
「おっし、今日も気合いばっちり。でも、腹減ったな……」
 今までの元気を急に失い、アレスは鞄を探って食べ物を見つけようとする。
「お前も腹減っただろ、レッケ。何か食い物でも獲ってきてくれよ。あぁ、食い物がほしい……」
 額に角を持った肉食獣、いや、カールフという種類の魔獣が、素知らぬ顔で彼に鼻先をすりつける。
「都に着いたら、きっと食べ物もどっさり、何でもあるんだろうな。ともかく父ちゃんの親友だっていう、ブロントンって人を捜さなきゃ。行くか!」
 旧世界の紫の超竜《サイコ・イグニール》のハッチを開くと、アレスはさっそく出発の準備に取りかかっている。
 ひとり騒々しい彼の声で、毛布にくるまっていた少女が目を覚ました。
 虚ろな目をしているのは眠気のせいではない。昼間でもずっとこの表情のままなのだ。心を閉ざした娘、彼女もまた旧世界の人間である。
 ――チエルお姉ちゃん、きっと助けに行くから。待ってて……。
 囚われの姉に届けと、イリスは何度も念じ続けた。

 ◇ ◇

 ひとたび日の出を迎えるやいなや、刻々と明るさを増していく早朝の空。
 中央平原の地平の彼方に、太陽が顔を出すのも間近だ。
 青白い世界はほどなく赤みを帯び始めるだろう。
 淡い光に満ちた天空では、いつの間にか星々の姿が消えていた。
 白っぽい月だけがぽつんと浮かんでいる。
 そして、もうひとつ――遙か上空に輝くものがある。星ではない。ミトーニア上空のアルフェリオンの姿も、もはや地上から視認できるようになっている。
 手をこまねいているうちに、結局、ルキアンは朝を迎えた。

 だが、そのとき。
 ――聞こえますか、聞こえますか? こちらミトーニアの……。
 不意に怪しげな念信が、ルキアンの意識に飛び込んできたのだ。
 おそらく出力が不足しているためか、それとも念信士が不慣れなためなのか、相手方の声は十分には届いてこない。
 同じ内容の話しが何度も繰り返される。
 それをしばらく聴くうちに、ルキアンにも内容が分かってきた。救助を求める類の、ともかく緊急の呼び掛けらしいが。
 無線に例えていえば、念信にも様々な周波数のようなものがある。そして、事故や災害等のため誰かに救助を求める場合には、いわば救難信号用として認知されている特定の帯域を用いるのが通例だ。
 しかしこの念信は、やや特殊な――エクター・ギルドのメンバーが仲間内の連絡に使うための――要するに、外部にはあまり知られていない波長のひとつを使って送信されてきている。
 ――おかしいな。ギルドの部隊はミトーニア市内にはいないはずだし、今のところ、ギルドの誰もミトーニア軍に加わっていないという噂だったけど?
 不審に思うルキアンは、いましばらく黙って様子をうかがっていた。


7 ミトーニアからの念信、明かされた実情



 相手は繰り返す。
 すると、今度は比較的はっきりと聞き取ることができた。
 その内容に慌てるルキアン……。
 ――私はミトーニア市長の秘書、シュワーズです。抗戦派によって市庁舎が占拠され、市長や参事会員の方々が拘束されています。市民軍も抗戦派が掌握した様子。ギルドの皆さん、総攻撃を行うのは待ってください!
 あまりのことに、ルキアンは無意識のうちに返答してしまっていた。軽率な反応だが、何しろ不慣れな彼のやることだから仕方がない。
 ――こちら、エクター・ギルドの……あ、えっと、違う、エクター・ギルドの船に……その、何ていうか、お世話になっているルキアン・ディ・シーマーです。シュワーズさん、いまのお話は本当ですか!?


【続く】



 ※2002年3月~8月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第28話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン



11 「空しい」などと言ってしまったら…



 ルキアンは彼女の言葉を反芻する。
 ――《敗者がずっと敗者のままで、永遠に分かたれた光と闇》……。
 彼はそこに、今までの自らの身を重ねてみた。地上人たちの苦しみに比べれば、自分が背負っていた烙印の重さなど、枯れ葉のように軽いと感じつつ。
 パラミシオンの《塔》でアルマ・マキーナと戦ったとき、あれほどまでに旧世界を、否、実際には天上界を嫌悪した理由を、ようやく彼は見いだした。
 ――たしかに、誰もが笑顔でいられるはずなんてないし、笑顔の数と同じだけ泣き顔があるのも……それは決していいことじゃないけど、でも、そうでなければ人間の世界はつじつまが合わなくなる。結局、犠牲はやむを得ないかもしれない。だけど、いつも同じ人ばかりが犠牲になるのは間違ってるよ。みんなが犠牲を交代しあって、この世界の苦しみを一緒に背負っていくのが、本当は必要なことなんだと思う。でも実際には……。
 認めたくない結論。
 しかし真実は厳然としていた。これが、圧倒的なまでの現実の力なのだ。
 彼は渋々思った。
 ――今も結局は、同じように暮らしていても、幸せな人と不幸せな人、笑顔が絶えない人と涙ばかりの人、何でも持っている人と何も持っていない人……やっぱりその違いは出てくる。幸せなんて確かに本人の気持ちのもち方だろうけど、それでも、どうみても運命に見放されたような人がいるかと思えば、いつも良い方向に転がる人もやっぱりいる。それは人間が存在する限り、永遠にあることだろうけど……でも、そこで《仕方がない》なんて言ってたら駄目なんだよ! 自分は関係ないとか、自分は頑張ったんだからとか言って、《敗者》を踏みつけにしていたら……そんなことしていたら、僕たちは旧世界の滅亡から何も学ばなかったことになる!!
 だが激昂しかけたルキアンも、そこから先の答えを見つけることはできなかった。今度は一気に落胆し、打ちひしがれた口調でつぶやく。
 ――学ばなかった? そう、僕らの世界も、結局は旧世界の繰り返しなのかな。地上人と天空人たちが争いの中で流した血は、みんな無意味だったの?
 ルキアンの悲観的な言葉に対し、リューヌの表情が変わった。
 怒りを露わにしたその顔つきは、パラディーヴァも感情を持たないわけではないということを如実に示している。これほど感情的なリューヌを見るのは、ルキアンも初めてだった。
 彼女は首を振った後、今度は哀しみの混じった眼差しをルキアンに向ける。
 ――あの悲惨な戦いが《全く無意味なもの》になってしまわないよう、あのときの《契約》が結ばれた。それなのに、エインザールを継ぐ者であるあなたが、もしも《空しい》などと言ってしまったら、全ては本当に無駄になる。
 ――分かってる。だけどリューヌ、僕はエインザール博士のやったことが正しいとは思っていない。力ずくで光を取り戻すことは、天空人たちのしたことと変わらないんじゃないかって、僕は思う。でも誤解しないで。博士の願いは分かる気がする。だから僕は違う方法で……僕なりのやり方で、1人でも多くの人の笑顔を取り戻したい。それを積み重ねていくことで、いつか僕自身の笑顔も取り戻せると、なんか、その、思うんだ。
 ただ、そう言った後――事情も知らないまま憶測でエインザールを批判してしまったことが、リューヌの気持ちを傷つけなかっただろうかと、ルキアンは少し後ろめたい思いにとらわれた。
 当然、その気持ちもリューヌには伝わっているのだが……。
 彼は恥ずかしくなって、急に空元気な口調で言った。出任せのようだが、これが今のルキアンの正直な思いである。
 ――分からない。まだ分からないよ。だけど僕は今の僕にできることを、精一杯頑張る。言葉にはできないけど、やってみる!!
 改めて何度も試みた結果、ルキアンはついにアルフェリオンを立ち上がらせることに成功した。
 驚異的な再生能力により、機体のダメージはほぼ完全に修復されていた。残る全ては、繰士ルキアンの意志の強さにかかっている。
 翼を煌めかせ、銀の天使は空に舞い上がった。まだ動きにおぼつかないところが残っているにせよ、機体は瞬く間に上昇していく。
 ――ミトーニアの偵察が僕の使命。クレヴィスさんが言ってたように、きっと街の中で何かが起こってるんだ。それを突き止めて、市民の人たちが犠牲になる前に、何とか戦いを止めさせなきゃ! 疲れただなんて、転がっている暇はないぞ。
 そう決意すると、ルキアンは地上の戦火をもう一度見据えた。
 中央平原はうっすらと明るくなり始めている。
 まだ太陽が昇るまでに少し時間はあるが、気がついてみると、漆黒色の闇は徐々に青みを帯び、いつしか薄れゆきつつあった。


12 風の幻



 ◇

 再び上空に浮かんだアルフェリオン。
 ミトーニア側もまだ戦況を十分に把握できていないのか、それともギルド部隊との戦いに全力を注いでいるせいなのか、いずれにせよ対空砲火を受けることは無かった。
 レーダーというものが存在しないイリュシオーネの世界では、夜間に高空を飛ぶ敵を発見することは相当難しい。ルキアンの方から攻撃を仕掛けない限り、恐らくアルフェリオンが上空にいることすら、ミトーニア軍には分からないだろう。
 ――でも、もう少しで明るくなってしまう。急がなきゃ!
 ルキアンは地上に視線をふり向けた。
 それに応じて、今の彼の目、すなわちアルフェリオンの目が輝きを増す。
 生身のときとは全く異なる視界のあり方に、違和感を覚えながらも――ルキアンは《魔法眼》の倍率を徐々に上げていった。
 ――うわ、何だこれ!? そういえば地上を観察してみるのは初めてだけど、こんなに細かいところも見えるのか……。凄い。あそこが神殿かな? 時計塔の時刻まで分かる。いや、そんなことを言ってる場合じゃない。
 食い入るように見つめるルキアン。
 あまりのことに、彼は思わず今の状況を忘れて感心してしまった。旧世界の技術にはやはり驚嘆せずにはいられない。飛行型やそれに準ずるアルマ・ヴィオは、地上の獲物を狩るため、まさに鷹のごとく鋭敏な視力をもっているのだが、アルフェリオンの能力はその中でも群を抜いている。
 暗視能力をも備えた魔法の目を介して、ルキアンの視線がミトーニア市内の各所に注がれていく。
 ――あそこ、火は消し止められたみたいだけど……酷いな。あんなに壊れて。
 市壁の外からの流れ弾を受け、倒壊した家屋がいくつか見出された。
 ミトーニア軍のアルマ・ヴィオの姿もある。黒くそびえ立つ巨体の側を、こんな時間にもかかわらず人々が慌ただしく行き交う。
 ――あの人たち、市民軍の兵士かな? それとも、街の人たちも銃を持って守りに加わっているのだろうか。暗くて服装がよく分からない。
 欲を言い出したらきりがないのだが、ルキアンはアルフェリオンの暗視能力がもう少し高ければと思った。
 ――暗闇の中をはっきり見渡すことができれば、そうすれば、さっきあの凄く速い陸戦型と戦ったときだって、相手の動きを目で追うことぐらいはできたかもしれないのに……。
 何気なく考えたルキアン。
 ――もっと鋭く見ることができたら……。そして、もっと素早く動くことができたら、あんなにも追いつめられたりはしなかったかも。そういえば、あのときの話……。
 意味ありげに連想されたのは、出撃前にエルヴィンが告げた言葉だった。
 
  大地を走る疾風(はやて)が扉を開く。
  あなたには見えないの? とらえることのできないものを狩る者の姿が。
 風の力を宿した、飛燕の騎士の姿が。
  強く願えば必ず応えてくれる。あれは、そういうものだから……。

 ルキアンは彼女の言葉を反芻した。
 ――とらえることのできないものを狩ることができる。強く願えば、願えば、必ず応えてくれる。風、大地を駆け抜ける疾風。飛燕の騎士? えっ?

 彼の気持ちに応ずるかのように、突然、幻影の世界が開けた。
 風のイメージ。
 砂塵を巻き上げ、荒れ野を切り裂くもの。
 地平の果てへと空気の流れが走り抜けた。
 それだけではない。ルキアンの心の中に、戦う何者かの姿が映った。
 本当に一瞬、閃光のごとく浮かんでは消える。
 見るからに速そうな流線型の翼。
 引き締まった銀色の体。
 目にもとまらぬ速さで繰り出される、三つ又の手槍。
 だが、その幻はたちまち消え失せてしまった。


13 戦いを止めろ! 君にしかできない役目



 彼の心の目は現実に引き戻される。
 単に壁と呼ぶには壮大すぎるミトーニアの市壁。それ自体でひとつの要塞とすらいえる。この堅固な陣地に立て籠もり、ミトーニア軍の汎用型アルマ・ヴィオが、ギルドの機体めがけて盛んに砲火を浴びせかけている。
 街の周囲の暗闇に、次々と輝く炎。
 ――やっぱり、ミトーニアの人たちは本気で徹底抗戦するつもりなんだろうか? そんなことをして、このまま市街戦になって、沢山の人が死んでしまったら……そこまでして戦って、何になるの? 僕らは同じオーリウム人なんだよ。いや、同じ人間なんだよ?
 悲痛な思いで地上の光景を見つめるルキアン。
 辛い現実を克明に観察すること以外、何もできないというのか。
 ――そうだ! どうして忘れていたんだろう。
 ルキアンはクレドールに念信を送ってみた。ギルド艦隊がナッソス軍の攻撃を受けたときから、クレドールとの交信は途絶えてしまっていたが、今ならつながるかもしれない。
 ――もしもし、こちら、ルキアンです。アルフェリオン・ノヴィーアのルキアンです。クレドール、応答してください! 聞こえませんか?
 幾度か繰り返して見た後、やはり返事がないことにルキアンが諦めかけたとき、聞き慣れた声が彼の心に流れ込んできた。
 この雰囲気。ある種の緊張感と優美さとをもって、ピンと張りつめた精神の波動――念信に出たのはセシエルだと、彼はすぐに理解した。先程までの念信士と交代したのだろう。
 依然、クレドールは戦闘中であるらしく、セシエルの心の声は普段よりもややせわしい感じがする。
 ――こちらクレドール。聞こえているわ、ルキアン君。どうしたの?
 ――セシエルさん、ですよね? あ、あの……連絡が遅れてしまってすいません。途中から念信がつながらなくなっちゃったんです。実はその、さっき、ミトーニアの近くでナッソス家のアルマ・ヴィオと戦いました。それで……。
 たどたどしく、どもり気味に語られる彼の話を、途中でセシエルが遮った。
 ――ちょっと待って。あなたも戦ったというのは、どういうこと!? ギルドの地上部隊から、ミトーニア軍と交戦中だと連絡があったけれど、一体どうしたの?
 ルキアンは自分が遭遇したことの一部始終を説明した。彼自身、詳しい事情はよく分かっていないのだが。
 ――了解。ルキアン君の話、込み入っているみたいだから、クレヴィーに代わるわね。
 そう言ってセシエルが念信から外れた後、まもなくクレヴィスの声がした。
 ――無事で何よりです。クレドールの状況? レーイのカヴァリアンが出てくれましたから、まぁ何とかなるでしょう。心配いりませんよ。それより、あなたの方は機体の損傷などありませんか?
 激しい戦闘の最中ではあれ、念信に出たクレヴィスの口調は、いささか拍子抜けしそうなほど落ち着いていた。
 ――こちらも、大丈夫な、はずだと思います……。いまはミトーニア市内の様子を上空から調べています。
 ――よろしく頼みましたよ。ところでルキアン君、ギルドの地上部隊はまだミトーニア軍と交戦しているのですね?
 ――はい。激しく撃ち合っているのが見えます。今のところ戦闘は市壁の外で行われていますけど、市街地の方にも次第に被害が出始めています。
 ――そうですか……。無益な犠牲は出したくなかったのですが、残念なことです。
 その言葉とは裏腹に、彼の念信は淡々とした雰囲気を漂わせている。いや、冷たくすらあった。切に平和を願っているクレヴィスではあれ、戦いの中での事実は事実として受け止め、そこに過度の感傷や情を持ち込んだりはしない。
 そのように冷徹なまでの、戦士としてのクレヴィスの別の顔は、昼間の彼の戦いぶりからルキアンにも分かっていた。が……。
 ――でもクレヴィスさん、今ならまだ戦いを止められませんか!? 街の人たちが巻き込まれて、沢山死んでしまうのは、僕は、僕は……その、嫌です。
 甘すぎると言われるだろうとルキアンは覚悟していた。
 しかしクレヴィスは、にこやかな調子で肯く。
 ――ふふ。あなたらしい言葉ですね、ルキアン君。あまり期待できませんが、今回に限っては可能性もなくはないですよ。ミトーニア側の態度に腑に落ちない点があるのです。そのためにも急いで市内の状況を調べて報告して下さい。
 ――そのことなんですが。あの、今のところ、ミトーニア軍は本気で戦いを続けようとしているみたいに見えます。僕、これからどうすれば?
 ――ルキアン君、市庁舎の様子を丁寧に調べてみましたか? 市の首脳部と何度も接触を試みたにもかかわらず……あちらが念信に応じないのですよ。庁舎で会議が行われていたはずなのですが、何か起こったのかもしれません。
 ――そうか、そうですね、分かりました。市庁舎ですね! 変わったことがあったら報告します。では、失礼します!


14 第三部に期待、動き始めるルキアン!



 念信を終えると、クレヴィスは傍らで待機していたセシエルに黙礼し、自分の席に戻っていく。
 彼の背後で、威厳のある低い声が響いた。
「嬉しそうだな、クレヴィス」
 そう冷やかしたのは、艦橋に呼び戻されたカルダイン艦長だ。彼は眠っているような顔で椅子に腰掛け、悠々と煙草をふかしている。
「おや。そんなふうに見えますか……」
 クレヴィスは気楽な様子でとぼけたものの、実際、口元を微かに緩めたその表情は楽しげでさえあった。
 目を閉じて満足げに頷くと、クレヴィスは静かにつぶやく。
「まぁ、新しい楽しみの芽がひとつ増えたというところでしょうか。たとえその芽が、今はまだ地面から顔を出したばかりの小さな希望にすぎないとしても。エインザールという人も、なかなか、味なことを……」

 ◇

 ――市庁舎、えっと、市庁舎……どこかな? あれだ!
 クレヴィスに言われた通り、ルキアンは早速ミトーニアの市庁舎を探した。
 この街の規模や財力にふさわしく、庁舎も立派なものである。苦労して調べるまでもなく、ルキアンはそれらしい建物をすぐに発見することができた。
 分厚く角張った6、7階建ての本館。ちょうどテーブルを逆さまにしたように、平らな建物の四隅にそれぞれ丸屋根の塔を備え、そのうえ鮮やかな壁画で一面に彩られた、豪壮な建築物である。
 ――さすがに大きい。こんな立派な庁舎は初めて見た。普通の街どころか、コルダーユの市庁舎と比べても遙かに立派だな。
 ルキアンは自分が暮らしていた街と比較してみた。もちろんコルダーユも王国有数の都市であり、海外との貿易で栄える大きな港町だ。しかしミトーニア市の力はさらに上をいく。
 ふと気がつくと、空が微妙に明るくなってきていた。
 まだ夜が明けたとはいえないものの、つい今しがたまで空を覆っていた漆黒のヴェールの色は、刻一刻と薄れつつある。
 いったん昇り始めた太陽の光は、瞬く間に闇の世界を支配することだろう。
 ――困ったな。もっと地上に近づかなければ、建物の中の様子なんて分かるはずがない。でも、そろそろ明るくなってきたから、そんなことをしたらミトーニア軍に発見されてしまうかもしれないし。
 市庁舎の壁に規則正しく並んだ窓を、ルキアンは丹念に眺めている。
 しかし、いくらアルフェリオンの魔法眼に頼ろうとも、今よりもかなり高度を下げなければ、窓の向こうの状況をうかがい知ることはできない。
 途方に暮れるルキアン。
 だが、そのとき……。


【第29話に続く】



 ※2002年2月~3月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第28話・中編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン



6 それでいいのか、メイ…。



 ◇ ◇

「何だ、まだこんな時間じゃないの。うるさいなぁ……」
 深夜にもかかわらず扉を激しく叩く音。眠りの世界から無理矢理引き戻されたメイは、みるからに不機嫌そうな顔で周囲を見回した。
 寝ぼけ眼で壁の時計をチェックするまでもなく、まだ窓の外は暗い。
「さっき寝たばっかなのに。眠らせろよ、もぅ……」
 一度起こした上体をふらふらとベッドに横たわらせ、彼女は再び寝入ろうとした。なおもドアの外でノックは続くが、彼女はほとんど耳に入らぬ様子で無視している。
 だが突然、船が荒っぽく方向を変え、メイは枕を抱いたまま床に転げ落ちそうになった。
 続いて艦尾の方から重々しい衝撃が伝わる。
 意識が朦朧としているメイは、乱れた髪の毛を掻きながら起き上がった。
「あれ……。セシーは?」
 クレドールのクルーたちは、基本的には数人でひとつの部屋を共同使用している。メイのルームメイトは女性乗組員3人だが、そのうちの1人はセシエルである。先程まで隣で眠っていたはずの彼女の姿がない。
 そして数秒後……。
「大変!」
 メイはようやく状況を理解し、布団を蹴り飛ばした。シーツや枕も散らかし放題。引きちぎるような勢いで寝間着を脱ぐと、奥の方に荒っぽく放り投げる。後でセシエルあたりが、文句を言いつつこれらを片づけることになるのだろうか。
「悪ぃ、今出るから!!」
 シャツを軽く引っ掛けたメイは、傍らのジャケットを鷲づかみにする。ともかくドアを開けた。勢い余って、扉の向こうに立っていた人物と真正面からぶつかりそうになる。
 非常時とはいえ遠慮して外で待っていたのだろう。彼女を呼びに来たらしい、まだあどけなさの残る見習いクルーが目を丸くしている。ルキアンとさほど変わらない年頃の少年だ。
「あ、あはは。ごめんごめん。おっはよぅー!」
 メイは彼の肩を叩くと、そのまま格納庫に急ごうとする。
「メイ。いくら緊急だからって、そんなだらしない格好で走り回らないで……」
 少年の隣にセシエルが厳しい顔で立っていた。
 そう言われて初めて気づいたのか、メイは下着の上に長いシャツを羽織っただけで、ボタンも掛けずに前をはだけたままだった。
 他方のセシエルは、今しがた起きたとは思えないほど、上から下まで見事な着こなしであった。いつの間にやら、サラサラとした黒髪もほとんど乱れなく整えられていた。そんなはずはないが、何かの魔法でも使ったのだろうか?
「セシーったら。そんな怖い顔するんじゃないって。でも少年、今のはちょっとサービスってとこだったかな? ふふふ」
 眉をつり上げ、じっとりとした目で睨むセシエルから視線をそらしつつ、メイは大慌てで服装を直している。実はブリーチズ、つまりズボンさえ穿かずに小脇に抱えていたのだが、彼女には身だしなみ以前に羞恥心というものがないのだろうか。
 それでもサーベルや銃は忘れずに持っているあたり――妙齢の女性としてこれで良いのかと、セシエルは溜息を付いた。
「艦橋からの伝言、あなたは今すぐラピオ・アヴィスで出撃して。ナッソス軍の奇襲よ。敵は重飛行型に乗った汎用型アルマ・ヴィオが6騎」
「たった6騎で艦隊に攻撃? いくら夜襲だとはいえ、思い切ったことをするわねぇ。陽動作戦か何かじゃないのかな。それとも玉砕ってか?」
 セシエルはメイの背中を押して催促する。
「まじめに聞きなさい! 敵は相当の手練れ揃いらしいの。いまプレアーが応戦してくれているし、レーイももう出ているはずだけど、やはり空の上だから、飛行型にも援護してもらった方が……。さぁ、早く行って!」
「分かった。レーイとプレアーだけで十分だと思うけど、まぁ……」
 エメラルド色のダブルのジャケット、その上にエクターケープ、胸元には青紫のクラヴァット。いつもの服装で決めてメイは走り出す。


7 奮戦のプレアー、危機一髪!?



 ◇

 ――速い!? 大きいくせして、こんなにスピードが出るなんて!
 暗闇の中を飛び交う敵を相手に、プレアーはたった1機で苦戦していた。
 巨体に似合わぬ素早さで襲いかかる飛行竜、ディノプトラス。濃紺の翼を羽ばたかせ、圧倒的なパワーで迫ってくる。
 その鋭い牙や爪にも気を付けねばならないが、単に体当たりされるだけでも侮りがたいダメージを受けるだろう。敵は、プレアーの操る《フルファー》よりも二回りほど大きい重飛行型なのだ。肉弾戦では分が悪すぎる。
 味方艦も全力で援護射撃を行うが、強力ではあれ小回りが利かず速射性も低い艦砲では、飛行型の敵を至近距離でとらえるのは難しい。実質的には、彼女が単身で敵に挑む結果になっている。
 ディノプトラスだけでも十二分に手強いのだが、その上にまたがっている《騎士》の攻撃が追い打ちを掛ける。飛竜をかわしつつ、汎用型の繰り出す長大なMTランスの槍先にも貫かれないよう、細心の注意を払わねばならない。
 プレアーは素早く機体の変形を繰り返し、フルファーの人型形態で敵の槍を受け止め、MTソードで応戦、ひとたび斬り結んで距離が開けば、今度は飛行形態に戻ってディノプトラスの速さに対抗する。
 ――負けるもんか。ボクだってギルドの戦士なんだ。お兄ちゃんたちには指一本触れさせないから!
 防戦だけで精一杯に近いとはいえ、6騎の《空中竜機兵》を相手に奮戦するプレアー。彼女は彼女で、これはもはや天才の域に達しているかもしれない。十代の頃から見習いをしている繰士は珍しくないが、プレアーは正真正銘のエクターだ。しかもギルドの猛者たちも顔負けの一流の繰士なのだから。
 ――いくよ、フルファー……。
 人の体にコウモリの翼と鹿の頭を持つ異形のアルマ・ヴィオ、フルファー。その頭部から伸びた見事な枝振りの角が、不意に青白い霊気を帯び、パチパチと音を立てる。
 次第に白熱化し、強まる発光。自然界の魔力が角にチャージされていく。
 襲い来る敵を払いのけ、プレアーは艦隊から距離を取った。
 ――撃てっ!!
 夜空が目映く光る。その閃光が消えた次の瞬間には、機体を中心に稲妻が四方八方に駆け抜け、闇を切り裂いていた。
 ――これは!?
 カセリナのイーヴァが間一髪で回避し、背後に流れていったビームの軌跡を見据える。
 怒濤のごとき魔法力。なおもその名残が空気中に漂っているかのような、強力な攻撃だった。これが旧世界のアルマ・ヴィオ、フルファーの秘密兵器である。
 爆発が生じた。さすがの敵もあの電光全てを避けられはしない。翼に直撃を受け、姿勢を制御できなくなったディノプトラスが、地上に向かって落ちるように降下していく。
 戦闘不能になったのはその1騎だけだったが、他に少なくとも2、3騎にダメージを与えたようだ。
 しかし精鋭の竜機兵団は直ちに体勢を立て直し、反撃に出た。
 イーヴァの目が光った。MTランスを構え、飛竜を駆って突撃するカセリナ。
 ――任せなさい、あれは私が討つ!
 彼女がそう言ったときには、イーヴァの槍はフルファーの目前にまで迫っていた。カセリナの腕前も半端ではない。伝説のヴァルキリーさながらの果敢な戦いぶりだ。
 ――こいつ、強い!? もっと離れなきゃ!
 プレアーは飛行形態に変形しつつ、MgSを発射した。凍結弾の激しい氷片の嵐が、イーヴァめがけて吹きつける。
 なおも突進してくるイーヴァとディノプトラスは直撃を受けたはずだが……。
 ――やった!
 しかし敵はプレアーの読みを――いや、アルマ・ヴィオの常識さえも、超えていた。
 ――甘いわよ、覚悟なさい!!
 六角形の光が、イーヴァの周囲を回って飛び交っている。それらはフルファーの放った凍結弾を完全に消し去っていた。機体の前面に展開されていたのは、ある種の次元障壁だ。
 一気に加速し、カセリナは渾身のひと突きを繰り出す。
 ――そんな、当たったのに!? カインお兄ちゃん、お兄ちゃん助けて!!
 たまらず悲鳴を上げるプレアー。


8 神剣・レーイ vs 戦乙女の槍・カセリナ



 もう駄目だと思った彼女だが、なぜか全く衝撃が伝わってこなかった。
 カセリナの槍はフルファーに届かず、不意に突き出された光の剣に弾かれ、方向を変えられていた。信じられないほど軽く。
 ――ディノプトラスの突進を加えたあの一撃を、MTサーベル1本で、それも片手で受け流した?
 空中竜機兵の突撃、その槍先に込められた強大なエネルギーは、正面から命中すれば飛空艦をも撃沈させ得るだろう。絶対の自信をもっていたはずのカセリナ。
 一本角の兜を被った汎用型が、イーヴァとフルファーとの間に割って入っていた。《生ける鎧》というよりは、むしろ機械的なフォルムを持つアルマ・ヴィオ、《カヴァリアン》。その乗り手はギルド屈指の戦士、そう……。
 ――レーイ! 遅いよ、もぅ!!
 プレアーは涙ぐみながらも安堵の様子をみせる。
 ――大丈夫か? こいつは俺に任せろ。お前が勝てる相手ではない。
 右手でイーヴァの槍を受け止め、火花を散らしあったまま、カヴァリアンは背中に装着されたMgSドラグーンを別の手で抜いた。
 間一髪、その銃口が火を噴く前にイーヴァはカヴァリアンを押し戻し、自らも高度を下げた。
 ――かわしたか。やはりな。
 そう言いつつレーイは次弾を発射していた。
 その一発はイーヴァの背後にいた別のディノプトラスを打ち抜き、見事に撃破する。彼は同時に別の相手の動きをも計っていたのだ。
 ――ディノプトラスの厚い装甲をいとも簡単に……。とっさに避けていなかったら、危なかったわ。それに発射と発射の間がほとんど空かない!?
 カセリナの胸の内を、初めての奇妙な感覚が走り抜けた。恐怖なのか、興奮なのか、自分でも分からない熱いものが。彼女は何かに突き動かされて叫んでいた。
 ――ギルドの戦士よ、私と一対一で勝負しなさい! 私はナッソス家のカセリナ。あなたの名は?
 念信を通じて予想外の名前が名乗られ、正直な話、レーイもいささか驚いた。
 ――カセリナ? それでは貴女がナッソス家のカセリナ姫か……。噂には聞いていたが、まさか自ら敵陣に飛び込んでくるとは。
 ――カセリナ様! 退いてください。ここは我々が食い止めます!!
 家臣たちはカセリナを止めようとする。レーイは――いま彼らの目の前にいる敵は、あまりにも強すぎる。たった一度の太刀捌きを見せられただけで、その底知れない実力が伝わってきたのだ。その敵の正体がギルド三強の1人だと言われるまでもなく。
 ――尋常に勝負なさい! 名を名乗れ!! 
 あくまで強気なカセリナ。
 ――お嬢様、いけません、お待ちください!
 部下の2騎がイーヴァの前に立ちはだかる。だが止められれば止められるほど、勝ち気な性格のカセリナは前に出てしまう。
 ――お嬢様の好きなようにさせてやれ。
 そう言って、1体の見慣れぬアルマ・ヴィオが仲間を押し戻した。
 大きめの肩当てや胸当て、青紫と黒の装甲の下に赤い間接部分が見え隠れする。ギルドにも軍にも所属していない機体だった。特徴的な武器は剣――重く分厚い、湾曲した刃を持つ大剣を装備している。
 この機体の繰士の名をカセリナが呼んだ。
 ――ムート……。
 ナッソス4人衆のひとり、東部丘陵のある部族の若き戦士、ムートである。
 ――俺たちは必ず勝つ。お嬢様も絶対に勝ってくれよ!!
 言葉少なに、彼は素朴な表現で告げた。あまりに単純に言い放ったようではあれ、止めても聞かぬカセリナの心情を彼は誰よりも理解していた。良くも悪くも――半ば諦めの気持ちで?
 そんなムートの心を知ってか知らずか、今までやや躊躇していたレーイが、敢えて感情を交えぬ声で言う。
 ――よかろう。貴族としての誇りを賭けて、貴女がそこまでおっしゃるのであれば。正々堂々と戦おう。俺はレーイ・ヴァルハート。ギルドの飛空艦ラプサーの繰士だ。
 思わぬ事態の進展に、幼いプレアーは困惑する。
 ――レーイ?
 プレアーはそこで言葉を飲み込んだが、本当は《まさか本気で殺そうなんて思ってないよね?》と言いたかったのだ。しかし彼女も戦士であり、そしてつい先程も命を危険にさらしたのだから、戦いの非常さについては痛いほど分かっている。
 ――いったん誰かと剣を交える決意をしたら……。そう、戦士になったら……男も女も、大人も子供も、ないことになっちゃうんだよね。ボクだってそれは知ってる。でも、でも……。
 レーイに伝わらぬよう、プレアーは悲痛な思いを必死に隠した。
 ――戦いなんか嫌いだ。だけどお兄ちゃんを守りたいから。いつだって一緒に居たいんだ。もしカインお兄ちゃんを失ったら、ボクは、ボクは……。


9 負の情念が、紅蓮の闇の翼を呼ぶ?



 ◇ ◇

 ――どうして戦うの? ちょっと待って、待ってよ……。
 ルキアンはうわごとのように繰り返す。
 2体のレプトリアとの戦いで、彼の精神は消耗しきっていた。焦点を失った視界の中、激しく交えられる砲火がぼやけて見える。
 レプトリアの脅威が去った今、ギルドのアルマ・ヴィオの群れはミトーニア市を再び包囲し、本格的に応戦を始めている。幸いにも、いまのところギルド側は市街を直接砲撃しようとはせず、まず市壁の外に築かれた砲台や塹壕の制圧に取りかかったようだ。
 これに対して守備側も頑強に抵抗する。数の点では相手方に遠く及ばないものの、ミトーニア軍は高性能な兵器を揃えている。じきにナッソス家からの援軍もやって来るだろう。
 いざ戦いが始まってみると、ギルドの陸上部隊だけでこの街を攻め落とすことは、そう簡単ではない。やはり空からの支援が必要となる……。
 ミトーニアへの攻撃は、できるだけ一般市民の犠牲を出さぬよう配慮しつつ行われている。それでも時には《事故》が――ルキアンが注視していた間だけでも、何度かMgSの流れ弾が外壁を飛び越え、市街地に命中してしまっていた。
 市壁の背後に頭をのぞかせる尖塔が、炎に包まれて倒壊するのが見えた。
 その光景を目にして、ルキアンは《あのとき》のことを反射的に思い出す。黒いアルフェリオン、ドゥーオの攻撃によってカルバの研究所が焼け落ちてしまったときのことを……。
 炎の中で助けを求めて泣き叫んでいたメルカ。
 あの事件ですべてを奪われ、それ以来、幼い瞳からは生気の光が消えた。
 メルカだけではなく、ルキアンも《日常》を失った――皮肉にもその《喪失》と引き替えに、彼の運命の歯車が動き始める結果となったにしても。
 ――僕は自分の日常に不満を持っていたけど、そんな僕ですら……疎ましいはずのあの日々を失うことを、あれほど恐れた。ましてや《幸せな》人たちにとって、日々の生活は本当に大切な宝なんだ。たとえどんなにささやかでも、彼らにとっては全てなんだ。変わらない今日や明日が……。
 彼は悲しい思いを込めて、いや、厳密には同情といった言葉では決して汲み尽くし得ない、複雑な気持ちでミトーニアの街を見つめる。
 ――今日と同じ明日が再びやって来るのなら、それで、いいんだよね……。今の喜びがずっと続けばいい。その通りだ。いいじゃないか、それで。そのままで……。それで、でも、本当にいいのだろうか? 
 不意にルキアンの胸中に暗い影が差した。
 ――今日と同じ明日がまためぐってくる限り、変わらない限り、ずっと苦しみ続けなければならない人は……どうしたらいいんだろうか。もしあのときの《きっかけ》がなかったなら、僕だって、僕は……あの凍り付いた日常の中で、何をどう変えることができたというのだろう? できないよ。僕一人だけの力では無理だったと思う。這い上がろうとするたびに、滑り落ちて。あのまま、頑張っても頑張っても、いつまでたっても割を食ってばかりいたら……変えられないのなら、僕だって、こう考えたかもしれない。それならいっそのこと、全て壊れてしまえばいいのに、と。
 一瞬、揺らめく炎に負の情念をかき立てられたルキアン。
 彼の歪んだ言葉に呼応するかのごとく、《あれ》の姿が鮮明に蘇った。炎の翼を持った赤い巨人の幻が、ルキアンの脳裏をよぎる。
 《クリエトの塔》が立ち並ぶ風景。平和な旧世界――否、旧世界の繁栄を味わい尽くすことのできた限られた場所、すなわち《天上界》だ。
 絶望や欠乏とは無縁にみえる光の都。
 その清潔ながらもどこか冷たいイメージに向かって、赤い巨人の持つ大鎌が振り下ろされる。どす黒い炎が全てを飲み込んだ。


10 永遠の青い夜―天空人と地上人の誕生



 だが赤い巨人を、《紅蓮の闇の翼》を目覚めさせてはならないことは、ルキアンにも本能的に分かっている。やり場のない苛立ちのようなものを、彼は心の奥底に押し込めた。何度も頭をもたげてくる暗い憤りを。
 ――分からない。でも、なんか、ここで倒れているだけじゃ、ダメな気がするんだ。悔しいっていうか……。嫌なんだ!
 重々しい鎧の音を立て、アルフェリオンがふらふらと立ち上がっては、また地面に倒れ込む。
 極限的な疲労感の中で、ルキアンは意地になって立ち上がろうとした。
 理由は自分にもよく分からない。
 銀の天使は両手を地面に着け、無様に何度も這いつくばる。
 だが、ルキアンは止めなかった。
 ――もうこれが限界だと、そう感じたら……僕はいつも、それ以上は頑張らなかった。やるだけ無駄だという気持ちを、心の奥底にまで刻み込まれていたから。光の中で頑張れば、その報いは確かにある。だけど一度、光の当たる場所からこぼれ落ちてしまったら、同じように頑張ったところで……いつでも報われなくて、損ばかりして……でもそれでも我慢していなきゃいけないって、ずっと感じていた。
 ひとり痛々しく言葉を吐き続けるルキアン。
 彼が自らの心の中で語ることは、全てリューヌにも伝わっているはずなのだが、彼女はじっと黙っていた。
 ――頑張ったところで報われないのなら、頑張らない方がマシだと思ってた。いや、頑張っても報われないのにそれでも頑張るなんてことをしていたら、空しいだけだと……そう思い込まされていた。だけど、それでいいんだよ。そのまま頑張って、倒れずに立ち続けていることが……そうやってあがくこと、それが、僕からの《抗議》で、そして僕の《戦い》なんだから。
 とうとう、ルキアンの思いは爆発的に溢れ出た。
 彼らしからぬ激しい言葉。
 ――ふざけんな。空しくなんかないぞ! もし悪あがきだったとしても、それをやめてしまえば、僕は自分の未来をこの手で閉ざしてしまうことになる。どこかで些細なボタンの掛け違えをしてしまっただけなのに……それでも《仕方がない》からと諦めて、見えない《烙印》をずっと背負わされ続けることを、承知してしまったら……今までの僕みたいに。でも僕は、もう《仕方がない》なんて言わないって、決めたんだ。負けるか!!
 今のルキアンは、己の激情を煽ることによって、意識を無理矢理に保っている。彼のどこにそんな力が隠されていたのか。凄まじい執念だ。
 真っ白な頭の中に、様々な言葉や象徴が去来する。
 そのひとつ、永劫の烙印――苦しみ続けなければならない人々――幻夢の中で見たあの荒れ果てた世界を、ルキアンは自然と連想した。
 今では彼にも分かっている。あれが《地上界》なのだ。
 ルキアンがそう意識したとき、リューヌの思いが彼の心へと静かに溶け込み始めた。
 ――そう、地上界の真実を伝えましょう。あなたはまず知るべきなのです。幻の中に浮かんだ、あの青い星。あれが私たちの本当の故郷。でも遠い昔、あの星は《永遠の青い夜》によって死の世界に変わってしまった。そして終わりなき絶望を、運命のいたずらによって背負わされた人々がいた。変わり果てた母なる星に置き去りにされた人々。彼らは《アーク》の民になれなかった、烙印の民。選ばれなかった者たち。それが《地上人》。
 あの少年の姿をルキアンは即座に思い起こした。
 不毛の大地の上、遠い目で子犬を抱いていた、やせ衰えた子供のことを。
 天空から降り注ぐ光の柱によって一瞬で命を奪われ、何も楽しいことなど知らないまま、死んでしまった男の子を……。
 リューヌは淡々と、それでいて哀調を帯びた声で続ける。
 ――それから遙かな年月が過ぎ、過酷な環境の中で地を這って生き続けた人々は、あの美しい星の姿を少しずつ取り戻し始めていた。《天空植民市》にはない豊かな大地の恵みを、地上人たちは自分たちの手で蘇らせつつあった。すると天空人たちは、自分たちが見捨てたはずの《惑星(ふるさと)》を、再び我が物にしようと考え始めた。そして地上人の新たな犠牲のもとに……すなわち、地上界に対する強引な収奪によって……《天上界》はさらなる繁栄を誇った。天空人は、その繁栄が《勝者》の自分たちに与えられて当然なのだと、無神経に信じ込んでいた。そして地上界の《敗者》がずっと敗者のままで、自分たちに取って代わることがないよう、永遠に分かたれた光と闇の二重世界を、暗黙のうちに、そのくせ完璧なまでに作り上げていた。


【続く】



 ※2002年2月~3月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第28話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  やがて星は導くだろう。
    古の盟約を受け継ぐ、運命の使徒たちを。

◇ 第28話 ◇


1 大地を裂くステリアの剣、精神力の闘い



 ――まさか、再生しているのか。どういうことだ!?
 予想すらしていなかった変事に、さすがのザックスも目を疑った。
 あたかも銀色の液体が溶け広がるかのように、新しい魔法金属の外皮がアルフェリオンの体表を覆っていく。白銀色の甲冑は、見た目にもはっきり確認できるほどの早さで元通りに修復されているのだ。
 そればかりではなかった。気がついたときにはすでに――幾多の戦場を渡り歩いてきた勇士ですら寒気を感じずにはいられない、強大極まりない魔力が辺りを支配していた。
 その毒々しいまでの妖気にパリスも呆然とする。
 ――何というプレッシャー……。息が苦しい。いや、気を緩めたら押しつぶされそうだ。この異様な空気は、あのアルマ・ヴィオから放たれているのか?
 彼の心に反応してか、レプトリアも後ずさりしつつ身構え、低い姿勢で威嚇するような声を発している。
 練達の繰士の2人だが、今だかつて体験したことのない《力》の前に思わずたじろいだ。
 ――気をつけろ。さっきまでとは何かが違う。理由は分からんが、全く様子が違うぞ。あの白いアルマ・ヴィオのパワーが今までとは比べ物にならないほど上がった……。どうした、パリス? お前がそんなに動揺しているとは、初陣のとき以来かもしれんな。
 ――大丈夫だ。兄貴こそ年甲斐もなく震えてるんじゃないのか?
 パリスとザックスは超人的な精神力で冷静さを保っているものの、彼らの身体は否応なく怖気を覚えている。それは理屈を超えた本能的な恐怖なのだ。
 ――いける!? 立ち上がれ!!
 動揺した彼らの隙を突いて、ルキアンは無我夢中でアルフェリオンの腕を振るった。片膝立ちの姿勢のまま、天の騎士は《剣》を繰り出す。
 一閃、輝く帯のようなものが荒野を走り抜け、炎が彼方まで燃え上がる。その軌道に沿って深々と地割れが刻み込まれ、周囲は焦土と化していく。
 2体のレプトリアは余裕のある動きで回避したが、仮に当たっていれば真っ二つだったろう。パリスの声が震える。
 ――今の攻撃、何が起こった? 地面があんなところまで裂けている……。
 ――分からん。うかつに近づくなよ。距離を保って相手の出方を見るんだ。
 ザックスのレプトリアが急に反転して駆け出した。2体のレプトリアの姿がルキアンの視界から掻き消える。
 光の《剣》を鞭のように振るい、闇の中に金色の軌跡を残すと、アルフェリオンは素早く立ち上がる。
 兜のバイザーが軋みながら降り、奥で目が青く光った。そして自らの威容を誇示するかのごとく、輝く6枚の翼が夜空に向かって開かれる。
 ――敵は? また見失ったか。まずいな。このままじゃ……。
 肉体からは離脱しているはずなのだが、それでもルキアンは生々しく目まいを感じた。アルフェリオンの機体は修復されたものの、こうしている間にも彼の精神力の消耗は刻々と進んでいる。
 ――大丈夫ですか、マスター。ステリア・ソードは膨大な《パンタシア》の力を消費します。今の状態ではあと何度も撃てません。
 リューヌの声が聞こえた。いや、敢えて耳を傾けて《聞く》必要もない。ほとんど自分自身の意識と同様に、手に取るように把握できる。
 ――じゃあ、どうすればいいの、リューヌ? 
 ――あのアルマ・ヴィオに対してMgSは効果がない。あなたの残された力を温存し、接近戦に持ち込むのです。
 ――そんなの無理だよ! どうやってあれに追い着けって? 来たっ!!


2 かろうじて引き分け、力尽きた銀の天使



 ルキアンが戸惑っていると、すかさずレプトリアが攻撃を加えてくる。
 ――無駄なことを……。
 リューヌがルキアンの意識を先読みして機体を動かす。銀の天使が腕を突き出し、掌から衝撃波のようなものが放たれる。敵の雷撃弾はその一発で消失させられた。
 ザックスたちは遠距離からの砲撃で揺さ振りをかけ、アルフェリオンの力を推し量っている。
 適切な対応ができないまま、手をこまねいているルキアン。リューヌの助言も今の彼にはなかなか伝わらない。
 ――《ステリアン・グローバー》の暖機を行うために、このアルマ・ヴィオは魔法力を無駄に消耗し過ぎています。接近戦にも向いていない。もっと違った形態に変わらなければ……。
 黒衣の守護天使は、美しいながらも無表情な面差しで告げる。
 どこまでも冷徹で隙がなく、それでいて子供のように澄み切った目――そんな不思議な目を持っている生き物は、強いて言うなら猛獣ぐらいのものだ。
 彼女の声にも感情の揺れは微塵も見出せない。パラディーヴァというのは、焦りや恐怖を感じないのだろうか。
 他方、ただの人間、しかも未熟で弱々しい少年ルキアンは、すっかり落ち着きを失っている。彼はヒステリックな声で叫んだ。
 ――変わる? どうやって、何に!? そんなこと言われても分かんないよ!
 迷っているうちに、ルキアンの疲れは頂点に達しようとしていた。
 ――駄目だ。目を開いているだけでも精一杯で……。
 歪み始め、霧のかかり始めた視界の隅で、レプトリアが暗躍する。
 ――結界は私の力で支える。あなたは《変形》に集中してください。
 そんなリューヌの声すら、ルキアンの頭の中ではもはや空回りしている。声は聞こえても、言葉の列が意味を成してこない。
 ――何とかしなくちゃ。これ以上は持たない!
 ルキアンは渾身の力を振り絞り、もう一度ステリア・ソードを振るった。
 アルフェリオンの右手から放出される光の帯が、大蛇のごとくうねり、暴れ狂う。目標に狙いを定めてはいないが、ステリアの剣は行く手にあるもの全てを切り裂き、嵐のように突き進んでいく。
 その攻撃は正確さを欠いた無茶苦茶なものだったが――それでも不規則に四方八方から襲ってくる死神の刃には、ザックスたちとしても打つ手がなかった。レプトリアの速さを頼りに、反射神経だけで回避するのが精一杯である。
 ――とんでもない力押しだが……。しかしまずいぞ、ザックス兄貴! いつまでもあれを避け続けられるわけがない。どうする!?
 ――あぁ。こうも高速で横っ飛びを続けていては、脚部に負担がかかり過ぎて、こちらが自滅しかねん。やむを得まい。ここはひとまず退くぞ……。
 年長のザックスは土壇場で慎重さを見せた。
 本当はルキアンの方も限界すれすれだったが――リューヌの力で機体を支えることができていたため、疲労を相手に悟られることがなく幸いだった。
 レプトリアは瞬時に戦線を離脱し、微かに白み始めた地平に向かって消え去った。
 アルフェリオンはなおもステリア・ソードを使おうと身構えている。
 だがルキアンは、敵の撤退を見届けた後、今度こそ意識を失いそうになった。
 繰士が力を消耗し切った結果、音を立てて野に崩れ落ちる銀の天使。


3 帝国軍の前に、敗走するガノリス軍…



◇ ◇

 人家の明かりは勿論、光を放つものなど何も見出せない夜の森林地帯に、月の輝きだけが仄かに舞い降りてくる。
 その青ざめた光を浴びて、闇の中にいっそう黒々とそびえ立つ木々。
 ガノリス王国特有の針葉樹の深い森に、アルマ・ヴィオの足音が重々しく響いていた。乱れた歩調からして、機体に相当の損傷を受けていることがうかがえる。
 曲がりくねった旧街道が、天を貫く巨木の間を通り抜けていく。ほんの1、2週間ほど前まで残雪が積もっていたであろう湿った道を、3体の汎用型アルマ・ヴィオが向こうの方から辿ってくるのが見えた。
 どの機体も、つい今しがた激しい戦いを切り抜けてきたばかりのような様相だった。
 中でも1体は片腕を失い、脚部にも少なからぬダメージを受けたのか、自ら動くことすらままならない状態であった。
 左右から他の2体が肩を貸し、巧みに支えながら移動させる。だが両者もまた傷だらけの姿を晒していた。
 恐らく火炎弾を受けたのだろう、表面が黒焦げになったシールドを携えている。
 太い鎖で腰に縛り付けられた剣。それは楯と同様、MT兵器ではない。人の持つ武器をそのまま大きくしただけの、見上げるような鋼の塊だ。鞘もなく剥き出しのままの剣は、切っ先が欠けて無くなっており、極端な刃こぼれのためにいびつなノコギリ状の物体と化していた。
 近年では、軍はもちろん民間のアルマ・ヴィオですら、MTソードを装備していることが珍しくない。だが目の前にいる3体は、時代遅れの金属製の武器以外は手にしていなかった。
 機体の方もお世辞にも新型とは呼べない。もはや忘れられつつあるほど旧式の、ガノリス陸軍の数世代前の量産タイプ――いや、それも頭部のみ利用している。首から下は、様々な種類の汎用型をつぎはぎしたような、要するにジャンク・パーツの寄せ集めと言ってよい。
 駆け出しの冒険エクターや地方の山賊、野武士などは一般にこの手の廃物利用的なアルマ・ヴィオを使っているものだが、ここにいる3体には、仮にもガノリス軍の紋章が描かれている。しかし軍事大国ガノリスの正規軍が、このような間に合わせの兵器を使っているはずはないし、また、どの機体にも階級章が見られない。
 おそらく彼らは非正規軍扱いの傭兵なのだ。一旗あげようとして、在野のエクターが軍の募兵に応じたのであろうか。それとも平時は山賊だったものが、褒章目当てに軍に身を投じたか……。いずれにせよ今のガノリス王国は《帝国軍》の侵攻に対して総力戦を続けており、使える兵器であれば全て動員せざるを得ないような状況にまで追い込まれているのだから。


4 グレイル―いまだ己の使命を知らぬ者



 まもなく3体のアルマ・ヴィオは、森の中の小高い丘陵に着いた。
 色濃い樹林の海に顔を出した丘。その頂上付近では、まばらな木々が寒々と風に吹かれていた。ガノリスの国土は、全体としてオーリウムよりも北に位置する。春といえども朝方の冷え込みは半端なものではない。
「ここまで来れば大丈夫か……」
 不意に若い男の声がした。
 姿勢を屈めたアルマ・ヴィオのハッチが、開いたままになっている。声はその奥から聞こえてきたようだ。
 伸縮式の小さな望遠鏡を片手に、紺の上着を羽織った男が降りてくる。絨毯のように分厚く硬い生地で仕立てられたコートは、この国の冬にも十分耐えうるものだった。
 彼は毛織のマフラーの間に首を縮こまらせる。
 残りの2人のエクターも地上に降り、かじかんだ手で焚き木の用意を進めていた。ほどなく組みあがった枯れ枝の山を指差し、そのうちの1人が言う。
「昨日から追われっぱなしだったからな。一息付きたいぜ」
「たしかに。湯を沸かして茶でも飲もうか」
 紺のコートの男が冷えた唇で何かささやき、焚き木に向かって手をかざす。
 突然、火が点り、みるみるうちに大きくなって彼らの前に立ち昇る。一瞬、このまま周囲に燃え広がるのではと感じられたほど、火の勢いは強かった。
 男は慌ててまた一言つぶやく。不思議なことに炎は急に静まっていく。
 溜息を付いた後、仲間は振り向いて言った。
「山火事になるぞ。まだ元気が有り余ってんのか?」
「ははは。悪ぃ。俺はあんまり器用じゃないからな。中途半端に小さい火を放つのは、結構難しいもんなんだ」
 太陽との交代を待つ、なおも宙空に留まっている白い月――それを見上げながら、紺のコートの男は苦笑いを浮かべている。
 細く切れ込んだ鋭い目からは、無邪気な人間だという印象は到底受けないし、実際そうではないのだろうが、そのわりには結構よく笑う。
 土色に近い濃い金色の髪。長髪といえばよいのか、かろうじて短い髪の部類に入るのか、軽くウェーブのかかった曖昧な髪型だ。
「で、どうしようか? 騎士団の奴らは逃げてしまったみたいだな。しんがりの俺らはトカゲの尻尾というわけか。格好つけてるわりには意外と根性なしだ、ナントカ騎士団ってのは。獅子じゃなくて竜じゃなくて、何騎士団だった? まぁいいけど……」
 適当な口調で語り出すも、途中で急に飽きてしまったという顔つきで、彼は勝手に考え込んでしまった。変な男だ。
 彼の様子はあまり深刻には見えないが、事態は深刻なのだ。仲間の1人が苦渋を浮かべて語り始める。
「すまない、ヘマをやっちまって。なめてかかった俺が悪かった。話に聞いてはいたが、帝国軍があそこまでだとはな……」
 もう1人の仲間がそれに応じる。彼は自分のアルマ・ヴィオの方を顎でしゃくり、痛んで使いものにならなくなった得物を指差した。
「悔しいが、帝国のアルマ・ヴィオは強すぎる。剣では全然歯が立たず、逆にこっちの刃が欠けてしまうし、MgSだって半分は効かねぇんだから。どうなってるんだ?」
「せめて新型のMTソードでもあれば。いや、ダメだろうな。軍の精鋭部隊が交戦しているにせよ、俺たちとさほど変わらない散々な結果続きだ」
 疲れ切った表情で2人は互いに顔を見合わせる。そして例の男に向かって、投げやりに言った。
「グレイル、もう無理じゃねぇか? バンネスクの都は消滅してしまって、軍の指揮系統も大方は麻痺しているようだ。粘るだけ損だろ。大体、俺たちジャンク屋だぜ? こんなにボロボロになってさ、軍にはもう十分お付き合いしたじゃないか」
 黙って聞いていた例の男が、飄々とした調子で言う。
「あぁ。そろそろ潮時かもなぁ。勝つ気のないお偉いさんたちのために、俺たちが率先して犠牲になるのはバカみたいだからな。どうする。外国にでも行くか? 最近ウワサになってる――あれだとか、ほら、オーリウムのエクター・ギルドとかさ。どうせやるなら、あっちでやった方が頑張りがいがあるかもしれない。おっ……。何?」
 そのとき彼は急に口を閉ざし、落ち着かない態度になって周囲を見渡した。
 風のそよぎに耳を澄ます。
 彼は狐につままれたような顔つきで、最後は月に目をやった。


5 主に届かない? 火の精・フラメアの声



「どうした、グレイル。急に静かになって。敵の気配でも感じたか?」
「いや……。気のせいだ。多分」
 だが釈然としない気持ちのまま、彼、グレイルは首を傾げた。
「何ていうのかな。声とかそういうのが、聞こえたわけではないんだが――今、変な気持ちがした」
「星の世界と交信か? 冗談じゃないぞ。これだから、魔法を使う奴っていうのは困る」
 いつものことだと言わんばかりに、仲間たちが冷やかす。
 グレイルもそれに合わせて照れ笑いしている。
「その、なんだ――例えば、死んだり遠くに行ってしまったりした友達のことを、思い出すみたいな感じだったんだ。分かんないけど、誰かのことを忘れているような気がしたんだ。俺にとって、とても大事な人間、いや、人間たちのことを……。まぁ、忘れてくれ。ヤカンでも取ってくる」
 呆れている2人を尻目に、グレイルは自分のアルマ・ヴィオの方に向かった。
 そして心の中でつぶやく。
 ――どこか遠いところで、強い力が開放されるのを感じた。魔法か? そうだとすれば、途方もない術を誰かが使ったな。儀式魔術、いや……。もっと違う感じだ。召喚魔法か? 太古の邪神だの、煉獄の門を守る竜だの、何かとんでもないモノを呼び出したか。まさかな……。
 機体のハッチを開けると、彼は上半身を突っ込んで中を探る。

 と、背後の真っ暗な森の奥で――何の前触れもなく宙に炎が燃え上がった。
 肌を刺すような静寂に包まれた木々の間を、密やかな声が流れていく。
「当たり。やっぱりね……。グレイルって言うんだ。結構いい名前じゃない」
 若い女、もしくは少女の声だ。しかしこんな時間に深い森をうろつく娘など、普通ならいるはずもない。
 それでも声は漂う。
「へぇ。気がついたのか、さっきの《融合》に。あたしの思った通り、本物だね。本物」
 《彼女》は思わぬ言葉を口にする。
「テュフォンが前から飛び回っていたのは分かってたけど。まさか、あんたまで動き出したの、リューヌ……。何か悪い物でも喰った? 良く分からないけど、それじゃ、あたしもそろそろかな?」
 小さな炎が人の形を取り、蝶のようにふわりと舞った。妖精、だろうか?
「あぁ、暴れたい。暴れたい、暴れたい、暴れたい! 退屈で退屈で、死んじゃうんじゃないかと思ってた。だけど彼が気づいてくれないと、あたしは何にもできない。あの時の面倒くさい《契約》のせいで。あんなの無視しちゃったら良かったかも」
 炎はいっそう人間に近い姿に変わっていく。それこそ燃え盛る火のような髪をもつ、若い娘に。腕白な男の子を思わせる動作で、炎の精は遠くに見えるグレイルの背を指差した。
「聞こえてんの? あんただよ、あんた。いい加減、気づけよ! あんたはこんなところで使い潰される人じゃないんだ、本当は……。このあたし、炎のパラディーヴァ、《フラメア》様のマスターなんだよ。何をボケっとしてんの。早く……」
 だが当然のことながら、グレイルからの返事は無い。気づかないのだ。
「バーカ。知らない!」
 炎は渦を巻いて次第に消えていった。


【続く】



 ※2002年2月~3月に鏡海庵にて初公開
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