「十二経脈」を学び始めた。文化遺産の習得は如何にあるべきか?と考えさせられた。
昨日から「経絡経穴概論」の授業が始まった。初日は、経絡経穴の一般的な紹介に始まり、これから一年をかけて361の経穴を取穴しかたを含めて覚えてもらう。として、十二経脈の覚え方から始まった。
「→手の太陰肺経→手の陽明大腸経→足の陽明胃経→足の太陰脾経→手の少陰心経→手の太陽小腸経→足の太陽膀胱経→足の少陰腎経→手の厥 . . . 本文を読む
「是動病」と「所生病」について考えている。事実で分かることの大事性を痛感する。
「よくわかる黄帝内経の基本としくみ」で、「是動病」と「所生病」について説かれている。「是動病」については、異常、病の症状のある部位(東洋医学では、主に蔵府か?)と、その診断点・治療点が離れた場所にある病。と理解できる。
それに対して、「所生病」は、経絡上に(経絡上のどこかはわからないが)異常・病の症状があって、その . . . 本文を読む
「肝」の生理機能である「蔵血」と「疏泄」について考えている。これは直接に、「黄帝内経」を原典として構成される「東洋医学概論」を如何に学ぶかということを含む問題であると思える。
「肝」の生理機能である「蔵血」と「疏泄」について、「蔵血」と「疏泄」は陰陽の関係(=肝陰と肝陽)の関係にあると言われるが、その関係性は「肝」は「蔵血」の調節によって「疏泄」を調節し、「疏泄」の調節によって「蔵血」が調節され . . . 本文を読む
「よくわかる黄帝内経の基本としくみ」(左合昌美著 秀和システム刊)を読み返している。東洋医学を原点から学ぶことの大事性痛感する。
「新・東洋医学概論」による東洋医学概論の授業を受けて、その複雑さに、イメージし辛い、わからない。となってしまったので、「旧・東洋医学概論」の学びからだけでは、しっかりと「新・東洋医学概論」をわかっていけないのではとの思いから、東洋医学の原点である「黄帝内経」へ返っ . . . 本文を読む
箱灸用の中国産もぐさを試した。実用には十分と思える。
注文した「山正 並温灸」が、まだ届かないので、サンプルとして送ってもらった温灸用もぐさの中国産もぐさを試した。
これまで試した中国産もぐさと同様で、煙の問題(個人的には、もぐさとは異質と思える匂いがする)があるものの、温灸用に必要な温度の高さと温熱の持続はあるので匂いを問題としないならば、価格的には国産もぐさより同じ等級でも3〜 . . . 本文を読む
東洋医学概論の授業を振り返ると、陰陽五行論は何の為にと問うことの大事性痛感する。
昨日の東洋医学概論の授業。端的には、あれもこれもが整理されないままに、雑然と?説かれたことが、分かりにくさの原因と思える。
言われていることが分からないとは認識論的にいえば、言われていることの像が描けないということなのだが、その中身として、そもそもの像が描けないということももちろんあるが、それに加えて、昨日の授業 . . . 本文を読む
同級生に鍼を打ってもらった。最大の関門の一つを無事通過出来た喜びでいっぱいである。
鍼灸学校へ行くにあたり、入学を躊躇わせる問題が二つ(本当は三つなのだが、一つは個人的な事情なので)あった。
一つは、鍼灸を学ぶということは、唯物論の立場から、東洋医学という観念論的な体系に取り組んで行かなければならない。ということであり、ここは日々のブログで説き続けている。
もう一つは、もう四半世紀以上も前の . . . 本文を読む
「新・東洋医学概論」による授業受けた。原点からの学びの必要性痛感した。
本日、後期授業の初日。教員の都合で授業変更があり、東洋医学概論の授業が2コマ連続であった。
「新・東洋医学概論」の教科書を使っての「五臓六腑(蔵象)」の授業で、「肝系統」のうち生理機能についてであった。昨夜に「旧・東洋医学概論」の「五臓六腑(蔵象)」のまとめを終えたばかりであったので、途中までは、「ふんふん。なるほど。」と . . . 本文を読む
「山正 並温灸」。これまで試した中では箱灸用に最高、最適であった。陰極まりて陽に転ずるを実感する。
「山正 並温灸」というもぐさ、国産もぐさなのだが、教科書的なもぐさの基準で言うと(この基準は点灸用なのだが)粗悪品を通り越して、もぐさと言っていいのか?と思えるもぐさである。具体的には、葉や茎の部分が多く、蓬を干しただけ?と思える代物である。
しかし、である。箱灸という使い方に限定すると、ゆっく . . . 本文を読む
通勤時にすれ違う看護学生達を見ると、今の看護学校では、彼女らに一体何を教えているのか?と暗澹たる気持ちにさせられる。
毎朝の通勤時に、おそらく看護実習のために市民病院へと通う看護学生と思える制服を着た女性達の幾つかのグループとすれ違うのだが、ほとんどどのグループも歩道一杯に(二三人が横に並べば一杯になる狭い歩道である)広がって、楽しそうにおしゃべりしながらの通学?である。
道一杯に広がっていて . . . 本文を読む
「2.五臓六腑(蔵象)」のまとめでは、病理的記述を無視した。過ぎたるは猶及ばざるが如しと反省される。
「2.五臓六腑(蔵象)」のまとめを書いていくにあたって、「新・東洋医学概論」で気づいた、器官・系統別に生理と病理を一緒に学ばせるということのデメリットばかりを見てしまい、病理的記述を無視した。
しかし、である。何事も対立物の統一として捉えるならば、東洋医学的に陰陽で捉えるといってもいいの . . . 本文を読む
「2.五臓六腑(蔵象)」では<形の類>の中枢となる五臓について、併せて六腑と奇恒の腑について、その分類、はたらきと、中枢である五臓とそれに対する六腑、末梢の器官の関係について説かれる。(以下『』内、要旨。東洋医学の特殊な言い回しについて、例えば、主る。蔵す。開竅する。等々、の解説は今回は省略した。いずれ解説はしてくつもりである。)
「1)臓腑概説」では(1)臓腑とは(2)臓腑の関係(3)臓腑 . . . 本文を読む
「新・東洋医学概論」では五臓六腑(蔵象)が器官・系統別に説かれる。自身の「新・東洋医学概論」に対する違和感の原因わかったとの思いした。
「旧・東洋医学概論」の五臓六腑(蔵象)の項のまとめとコメントのイメージ即ち五臓六腑(蔵象)のイメージが大方固まり、あとは原稿用紙に書くのみというところなので、「新・東洋医学概論」では五臓六腑(蔵象)が、どのように説かれるのかが気になり、以前に「新・東洋医学概 . . . 本文を読む