鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

職場再開〜コロナ休暇の総括〜

2020-06-02 08:02:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 コロナ休暇1カ月の総括。それは、自身の人生の縮図と思える。 昨日までで、約1カ月という長いようで短いコロナウイルス感染症の休暇(職場閉鎖?)が終わった。 この間の目標として、空手の白帯からの再度の学び、と実家の片付けを掲げ、スタートした。 空手の白帯からの再度の学びは、中頃から坐骨神経痛が出、また、自身の人間体の実力の低下が想定以上であったこともあって、空手云々以前の人間体としての鍛錬?がメ . . . 本文を読む

「本と標」(2)〜史上初ということ〜

2020-05-30 19:51:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 古代中国のおいて、病を「本と標」として捉えられたことの意義は、何よりも、病には眼に見える姿(一重の)だけでは無しに、二重性があるという、目に見えない世界の構造を史上初に捉えられた、ということなのだ、と思える。 これは、そのことでそれまでは治らなかったり、治ったと思っても直ぐに再発したりであった病をしっかりと治せるようになっていった、ということのみならず、病の持つ他の二重性が分かっていく道を拓 . . . 本文を読む

「本と標」(1)〜その意義〜

2020-05-29 21:52:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 『黄帝内経』で説かれる「本と標」について、自身は、余りに低く見過ぎていた。別言すれば、古代中国という時代・社会ということを無視しての捉え方であった、と思える。 「本と標」について、鍼灸の教科書等では、「本治法と標治法」の様に非常にレベルの高いものとして説かれる。例えば、「証と症(つまり本と標)は、原因と結果ではなしに本質と現象である。」(竹山晋一郎)と説かれる。 これについては、古代中国とい . . . 本文を読む

実家の片付けに思う〜量質転化ということ〜

2020-05-29 11:09:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 実家の片付けを行っている。コロナ自粛の有り難さ痛感している。 1か月間のコロナによる職場閉鎖も残りわずか。手付かずのまま1年近く来ていた実家の片付け、漸くに軌道に乗って、片付け終わる目処も立って来た。 手を付け始めるまでは、片付け無ければならないものの膨大さに圧倒され、手を付け始めたら始めたで、片付けても片付けても少しも捗らない感があり、休みも残り十日余となって、漸くに......。 この膨 . . . 本文を読む

病のいくつもの二重性=多重性〜覚え書〜

2020-05-28 07:02:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 病には二重性=多重性がある、あると視るべきである。 治ると不治の二重性のみならず、治らないとされる病にも二重性がある。本来なら治る余地があるのに治らないとされるものと本当に治らないものとの二重性。 と考えると、治るにも二重性がある。通常は治るものと通常は治らないあるいは難治とされているが治るものと。 障害の二重性として説かれる(解かれる)二重性、あるいは一般的な治療と特殊的な治療として捉えら . . . 本文を読む

『形而上学』(アリストテレス)〜根源を問うこと、あるいは概念規定〜

2020-05-22 13:37:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 『形而上学』(アリストテレス)を読み返している(正確に言えば、眺めているか?)。 若さのある時に、しっかりと学びたかった、との思いがする。 例えば、『形而上学』のΔ巻で「始まり(αρχη)」について、説かれている。 様々な角度から、様々な意見を取り上げて、その共通性に着目して......。 本当にすごい人。それも二千年以上前の人なのだから......。 何がすごいのか、と言えば、人類史上初の . . . 本文を読む

実家の片付け〜全ては一〜

2020-05-19 08:31:18 | リハビリ室閉鎖中の日記
 実家の片付けに取り組んでいる。そこにも対象への関わり方の二重性がある、と思える。  一年近くも、片付けねばならないと思うながらも、手を付けかねていた実家の片付け。コロナウイルス感染症による職場の一時閉鎖という一ヶ月近くの休みのおかげで漸くにして、手をつけることが出来、部分的にはほぼ片付けが終えられるとことまで来た。  しかしながら、全体とすれば、1/10、甘く考えても1/5〜6は残っ . . . 本文を読む

肩こりをほぐす(1)〜の施術者のアタマの中を視る〜

2020-05-17 09:49:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 自身の他に優れる点は、理論的な高みでは無く、施術の高みでも無く、(自身の)施術の中身=それに関わるアタマの働きを書くこと、書こうとしていっていることにあると思う。カッコよくいえば、理論的実践家を志向しての、であると思う。そこを自覚して、空理空論にならぬ様、心がけていきたい。  さて、施術をするということは、一般的には、その患者なりの治った状態をイメージして、それには現在の病んだ状態をイメー . . . 本文を読む

代謝器官の運動としてのランニング〜人間体の二重構造を踏まえての運動〜

2020-05-16 22:13:32 | リハビリ室閉鎖中の日記
 人間体を運動と代謝の二重構造として捉え返して、運動を支える代謝器官の運動としてランニングを行う。  昨日のランニングの事実から、運動には全体と部分の二重性があり、それゆえ部分の運動が目的であってもそれは全体の運動=全身運動とともに、あるいは全身運動として行われるべきである、と運動を捉え返した。  本日は、その全身運動として運動は行われるべきであるということの中身を、運動の二重性=運動 . . . 本文を読む

ランニングの効用〜弁証法、あるいは<生命の鎖>の論理〜

2020-05-16 12:54:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 久しぶりにランニングを行なった。全身レベルの運動の大事性、実感する。  昨日、久しぶりに約1時間のランニングを行なった。軽く息が切れ汗ばむというレベルの、であったが、ランニング後、今朝に至るまで足がポカポカと温かく、である。この二週間というもの、空手の準備運動として、ほぼ毎日、雪駄や下駄で約2時間歩いて、夜には足がつるという状態であったのに、その運動による足の温かさは、せいぜい運動中と運動 . . . 本文を読む

庭の片付けに思うこと〜理論と実践の統一について〜

2020-05-15 11:55:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 庭の片付けを行った。実践的であることの大事性、実践なくしては理論的な深まりはないのだと実感された。  本日、漸くにして一年半近くも片付けねばならない、と思うばかりでほぼ手付かずで放置していた庭の片付けが、もう少しで終われる目処が立つところまで進んだ。  庭のある生活をされている方には常識であると思うが、庭というものは、手入れ(草抜き等)をしてやらないと、あっという間に草ボウボウの荒地 . . . 本文を読む

昨日は、看護の日〜フローレンス・ナイチンゲールに視る、信仰とは〜

2020-05-13 08:37:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 昨日は、物事の理解は像としてということを、「信仰とは」の自身の理解とともに、『恩讐の彼方に』を取り上げて説いたのであるが、奇しくも昨日は、看護の日=フローレンス・ナイチンゲール生誕二百年であった、と知り、「信仰とは」の実例としては、フローレンス・ナイチンゲールをこそ取り上げるべきであったとのとの思いとなった。  ほとんどの方には、看護関係の方をも含めて、フローレンス・ナイチンゲールについて . . . 本文を読む

『恩讐の彼方に』を読む〜信仰とは何か〜

2020-05-12 22:32:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 『恩讐の彼方に』(菊池寛)を、本来の信仰とはのリアルなイメージを描かせてくれる書である、と感動とともに読んだ。像として理解することの大事性、実感する。   「信仰と学的観念の違いは何かを説けば、観念というのは、客観的世界を頭脳活動としてアタマの中に宿すことです。そして信仰というのは、逆に自分の信仰としての思いを客観の世界、つまり外界に創っていくことです。確かに信仰は何かを信じることであり、 . . . 本文を読む

久し振りの階段昇降鍛錬〜過程性ということの大事性〜

2020-05-12 08:01:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 何事も、<絶対精神の自己運動>として捉え返すべき、と思える。 昨日は、午前中に近くの公園で50段程度の階段の昇降を約20分、その後、川の土手を約2時間歩き、午後は、庭の片付け(以前に伐った木をゴミ袋に入るように切る作業)おこなった。階段昇降は、久々の空手の練習へと直接的に繋がるものとの思いでの、であったが、案の定、わずかに50段程度の階段の昇降で息切れ、夜には、足が攣ることも。それゆ . . . 本文を読む

何を為すべきか(加筆)〜書くことの二重の意義〜

2020-05-11 15:32:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 "Das echte Leid gibt einem die geistige Haltung wieder."(眞の苦難は吾人に氣魄を取り戻させる。)  コロナ感染症の影響で(自身も含めて)多くの人が諸々に追い詰められていき、の現在である。しかしながら、それだけに、何があっても悔いを残さないように、可能な限りの努力を!と(何よりも自身の問題として)思う。  鍼灸・東洋医学もまた同様に、 . . . 本文を読む