東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

「新・東洋医学概論」について~器官・系統別の是非

2015-10-01 10:01:01 | 鍼灸理論・東洋医学
 「新・東洋医学概論」では五臓六腑(蔵象)が器官・系統別に説かれる。自身の「新・東洋医学概論」に対する違和感の原因わかったとの思いした。

 「旧・東洋医学概論」の五臓六腑(蔵象)の項のまとめとコメントのイメージ即ち五臓六腑(蔵象)のイメージが大方固まり、あとは原稿用紙に書くのみというところなので、「新・東洋医学概論」では五臓六腑(蔵象)が、どのように説かれるのかが気になり、以前に「新・東洋医学概論」をざっと見渡した時には説かれることがよくわからずモヤモヤした気分だけが残ったのだが、今ならば理解していけるのではとの思いで「新・東洋医学概論」の五臓六腑(蔵象)について説かれる部分を読んでみた。

 結果、「わかりにくい!」との思いは変わらなかったのであるが、その説きかたが新旧で大きく変わっていることに気付いた。端的には「器官・系統別」に生理と病理を一緒に学ばせるという説きかたへと変わっていることである。東洋医学概論の担当教員氏によると、そこが「新・東洋医学概論」の良いところとのことだったのだが、、、。

 「医学教育概論 (4)」(瀬江千史 本田克也 小田康友著 現代社)では、「(4) 器官・系統別統合カリキュラムでは人間の全体像がえがけない」として器官・系統別の学びの欠陥が説かれているが、<東洋医学>の学びとしても器官・系統別の学習は同様の欠陥を持つのではと危惧する。

 「新・東洋医学概論」は、「旧・東洋医学概論」が日本独自の東洋医学の全体像を描こうと、執筆者の先生方が自身のそれまでの東洋医学の学びと鍼灸の実践の積み重ねかつ相互浸透の結果として描けていった東洋医学の像を文章化すべく、悪戦苦闘してものされた書であるのに対して、そこをあっさりと、中国医学、西洋医学そして「旧・東洋医学概論」のモザイク体として知識的に書かれたのでは?との思いした。そこが自身の「新・東洋医学概論」に対しての違和感の源となっているのではと思える。
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