鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

「十二経脈」~丸暗記とは~

2015-10-07 20:00:39 | 鍼灸理論・東洋医学
「十二経脈」を学び始めた。文化遺産の習得は如何にあるべきか?と考えさせられた。

昨日から「経絡経穴概論」の授業が始まった。初日は、経絡経穴の一般的な紹介に始まり、これから一年をかけて361の経穴を取穴しかたを含めて覚えてもらう。として、十二経脈の覚え方から始まった。

「→手の太陰肺経→手の陽明大腸経→足の陽明胃経→足の太陰脾経→手の少陰心経→手の太陽小腸経→足の太陽膀胱経→足の少陰腎経→手の厥陰心包経→手の少陽三焦経→足の少陽胆経→足の厥陰肝経→」の十二経脈。これに任脈、督脈を加えた十四経脈上に361穴が配当される。のを取穴の仕方を含めて覚える。とのことであった。

この、覚える。受験生が英単語を覚える如くに、先ずは丸暗記を!ということであった。確かに、文化遺産の習得は、先ずは知識的にとしかしかたがない。と思える。

しかし、である。認識の原型というものが、対象の頭脳における反映である。ということに思いを致すならば、十二経脈や361穴も、出来る限り対象の像として学ぶ必要があると考える。

丸暗記とは、対象と無関係の言葉としての像を記憶するということであるのだから、それでは実際の施術の役に立ち難いのと思える。それだけに、文化遺産の習得である経絡経穴の学びを単なる言葉の丸暗記にしてしまってはいけない。

せめて、自身の身体や患者の身体にあるものとしての経絡経穴の学び=記憶でなければと思う。

以上を要するに、鍼灸、手技療法の実践に役立つものとして経絡経穴を学ぶことが、即ち文化遺産の習得という名に相応しい学びのあり方である。と考える。

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