鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

「書くことは考えることである」とは〜(ヘーゲルの)絶対精神の自己運動として全てを書く=考えること〜

2020-08-16 15:21:08 | 絶対精神の自己運動
 昨日の終戦記念日に思うこと。戦争・終戦という社会の激変レベルの変化があったから、その時代を生きた先輩、先生方は無いのかと。これはヘーゲルにおいてもそうであるし、そもそもの古代ギリシャという弁証法の誕生の時代もそうであったのだと(個体発生は系統発生を繰り返す)。より構造的にいえば、社会の激変ということの羽根井としてのアタマの中の激変=運動という像があってこその、納得、実感レベルでの弁証法の学び、修 . . . 本文を読む

「古典に還る」とは(序)〜経絡治療批判〜

2020-04-24 20:00:00 | 絶対精神の自己運動
 『名人たちの経絡治療座談会』(医道の日本社)を読み進めている。現代鍼灸の世界に比しての、その学びの広さ深さ、論理性に感心させられるとともに、何故に科学的鍼灸論としてそれが結実しなかったのか、と残念に思える。しかしながら、それもまた時代性ゆえ......と。 『名人たちの経絡治療座談会』を読むと、鍼灸、東洋医学に関わる諸々の重要問題を、文献に当たり、そのことに関わる鍼灸の実践をしっかりと持ち、 . . . 本文を読む

書くことによる「思い」の自己運動〜それをアバウトにマンガ的に説く〜

2020-04-19 21:49:00 | 絶対精神の自己運動
 書くということによる「思い」の自己運動を観念論的に、かつアバウトにマンガ的に説いてみたい。  我々がある対象に関わり続けると、その対象に関わっての「思い」を描けることにもなっていく。ここは、認識というものは問いかけ的反映であるから、いかなる反映になるかは問いかけいかんという面もあるが、そこはカットして「思い」をあるものとして説き始めたい。話は、「思い」が自身の何者かを知ろうとするところから . . . 本文を読む

「書くことは考えること」の過程的構造〜を絶対精神の自己運動に学ぶ〜

2020-04-16 13:20:00 | 絶対精神の自己運動
 「絶対精神の自己運動(ヘーゲル)」について知ることで、永年の悩みであった「如何に書くべきか」ということが具体性を持ってイメージ出来た、と思える。ヘーゲルに学ぶことの偉大性、必要性痛感する。 「絶対精神の自己運動」とはアバウトには、世界の始まりには絶対精神があり、その絶対精神がまず自然に姿を変え、自然が発展する中で、社会が誕生し、社会が発展する中で、精神(文化)が誕生し、精神が発展する中で絶対 . . . 本文を読む