続けて三例の治療に失敗?した。病には治療すべきでないものがある。あるいは、治療すべき時がある、ということ痛感する。 先日、知人の紹介で三人に対して、指圧、鍼灸、吸玉の治療行なった。 治療自体は、それほどに間違ったとは思えないのだが、結果に於いて、現象的には、返って悪くなった、ということになってしまった。 理由は、三人三様であるが、共通するのは、もともと悪くて古傷的なものがあるが、現在は、落ち . . . 本文を読む
本治、標治を古代中国の文献である『黄帝内経(素問、霊枢)』に当たってみた。 自身の想像と違って、本=先の病、標=後の病として述べられている。 『霊枢概要』(神麹斎著 ヒューマンワールド刊)によると「何かが原因で症状が発生し、その症状がまた原因となる場合、原因あるいは先に生じていた症状を先に治療すべきである。」と。 『素問 標本病伝論第六十五』でも同様のことが述べられているようである。 古代中国と . . . 本文を読む
本治、標治を考える古代中国の鍼灸医のアタマの中を視る。 「同じ病の患者に同じ施術をしても、ある患者には劇的に効き、ある患者にはそれほどでも無い。何でだろう?」 「人間は人それぞれに、背の高い低い、力がある力がない、走るのが速い走るのが遅い......と持って生まれた性質があるのだが、病についても同じように病が治りやすい人と病が治りにくい人があるのではないのだろうか?」 「それは人間にあっては . . . 本文を読む
鍼灸の本治、標治ということの歴史を見ると驚いたことに、それは昭和のはじめごろに始まる。経絡治療を誕生させた人々によって、である。 確かに『霊枢』にその記述はあるものの、経絡治療以前の鍼灸師の施術は、風邪にはこのツボ、脚気にはこのツボ、不眠にはこのツボ......であって、それが治療の全てであった。それゆえに、標治も本治も無くである。 それゆえに、知らない病に対しては、お手上げとなってしまい、 . . . 本文を読む
鍼灸(東洋医学)の世界では、「本治」ということが言われる。それは本当には何なのか? 鍼灸の世界では、施術、治療には本治と標治があり、本治は病を根本から治すものであり、標治は症状を治すものであるから、標治では本当には治った、治したとは言えないものである。 同時に、病の症状が強く出ていて、緊急を要する場合にはまず標治であり、標治ということも必要なこと、本治と標治はどちらが大事というものではなく、 . . . 本文を読む
クリニックでの施術時間が10分間に制限された、自身の上達のチャンスと捉えて、と思う。昨日、院長より施術時間を10分間に、同じ患者の施術を一人でしない、との指示があった。端的な理由としては、患者数の減少歯止めのため、ということであった。問題はそこでは無い、とも思えるのだが......。とはいえ、これは自身の手技療法の上達に関わって二重の意義がある、と思える。一つは、「三分間指圧」(浪越徳次郎)の修得 . . . 本文を読む
Sさんに強揉みのマッサージを教へていただいた。さすがその道、半世紀以上のベテラン!と感心させられた。
昨日、有馬温泉で昔ながらの旅館・ホテルへの出張マッサージ店をやっておられるSさんに、数年ぶりにお会いして一緒に60分間のマッサージを行い、その後、マッサージに関わるあれこれを2時間近くも教えていただいた。
自身の患者(お客さん?)は、背中、特に右側と右上肢の痛み、違和感(特に背中)の訴え . . . 本文を読む
カレーの味に重層構造がある、重層構造を持つ過程性がある、ということを知った。これは指圧の押しかたにも共通するものである、と思えた。
テレビ番組(『ザ!鉄腕!DASH!!』)でカレー研究所?が紹介されており、そこではカレーの味を過程性のある重層構造を持つものとして捉え返して、口に入れた瞬間から喉を通るまでの?数秒の間の味覚の変化を分析して、それを視覚化して分析して試行錯誤を重ねている、というこ . . . 本文を読む
『ザ!鉄腕!dash!!』で、カレー研究所が紹介されていた。そこでのカレーの味の重層的・過程的な分析に、手技療法も同じこと、と思えた。
一昨日、『ザ!鉄腕!dash!!』(日本テレビ)で、カレー研究所が紹介され、そこでの図を使っての「カレーの味の分析」が紹介されていた。
それを見て、たかが?カレーであっても、問いかけによってはここまでの対象の構造への分け入りがあるのか!と驚かされるとともに、図 . . . 本文を読む
今年もまた雪駄の季節がやってきた。日常生活で鍛えることの大事性を実感する。
今年は天候不順で、寒かったり雨が降ったりの日が時折あったので、なかなかに雪駄を履くということを行わなかった、行えなかった。
しかしながら、いざ履いてみるとその効用の大きさに驚かされ、もっと早くに履いてておくべきだったと思わされる。
具体的には、雪駄を履いて半日も歩き回ると、その夜には脚がつって、とか一晩中足裏にジンジ . . . 本文を読む
自身の鍼(灸)術は如何にあるべきか、と考えている。その中で、経穴の原点には二重性(もしかしたら三重性)があるのでは、との思いになっていっている。
今月末の日曜日の鍼灸国家試験に合格すれば、目出度く?鍼灸師の資格が取得できる、ということはとりも直さず鍼灸の施術を行なって良い、行えねばならない、と自身では捉えている。
それゆえに、自身の鍼(灸)術のイメージを確認するとともに、しっかりと使えるものと . . . 本文を読む
自身の手技(指圧)の新たなイメージ。
卒業二次試験を明日に控えて、そのことでアタマがいっぱいになって施術どころでは無くなる、との予想に反して返ってあれこれとアタマが働いて、あれもこれも、ああしようこうしようと次々に思いつくことになっている。
自身の手技(指圧)についても、これまで、どうにも解すことの出来なかった患者のコリを解すことが出来るようになりつつある。
その指圧のイメージは、沈み込む泥 . . . 本文を読む
足趾による指圧おこなった。自身の指圧(手指による)の体力の不足を痛感する、とともにこれこそが自身の目指すべき指圧の実の技である、と思えた。
一昨日、同僚のY先生が、「寝違えて首が回らない 」というので、全身状態を診ると左腎兪あたりに強い硬結があり、そこから左肩甲間部、そして右頸部へと硬結がつながっていっていた。
そこから、今回の首が回らないは、左腎兪あたりの硬結が、おそらくは先週末の暴飲暴食( . . . 本文を読む
自身では、自身の指圧術に虚実の二重性を持たせるべく、修業している。その一つである虚の指圧術の基本技について。
一昨日の、U先生の皮下への刺鍼による施術に着想を得て、より具体的には、「響きの無い鍼であっても、十分な効果がある」ということから自身の鍼治療のイメージの幅が広がり、別言すれば、自身の鍼治療のイメージが「響きや効いたという感覚のある鍼の打ち方が効果のある鍼治療である」という偏ったイメージで . . . 本文を読む
実践的な刺鍼法として、U先生から鍼の打ち方を教えていただいた。自身の鍼のイメージが広がった、と思える。
昨夜の鍼灸実技の授業、「審美六鍼」とともにの治療(本治?)、四診その後に刺鍼ということ行った。
その施術において、U先生より、「直刺」による置鍼の危険性を教えていただいた。詳細は省くが、それゆえに、「置鍼は斜刺あるいは横刺で、かつ皮下に」ということを教えていただいた。
自身の思いとしては、 . . . 本文を読む