鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

「蔵血」と「疏泄」~「黄帝内経」の性格~

2015-10-05 21:13:25 | 日記
「肝」の生理機能である「蔵血」と「疏泄」について考えている。これは直接に、「黄帝内経」を原典として構成される「東洋医学概論」を如何に学ぶかということを含む問題であると思える。

「肝」の生理機能である「蔵血」と「疏泄」について、「蔵血」と「疏泄」は陰陽の関係(=肝陰と肝陽)の関係にあると言われるが、その関係性は「肝」は「蔵血」の調節によって「疏泄」を調節し、「疏泄」の調節によって「蔵血」が調節されるという直接的同一性の関係であるのか?
 それとも「蔵血」の調節は直接に「疏泄」の調節であり、「疏泄」の調節は直接に「蔵血」の調節であるという直接の関係であるのか?等と同僚の鍼灸師氏に問うた。

 それに対して鍼灸師氏は、「東洋医学概論」の教科書では「蔵血」と「疏泄」を「肝」二つの機能として説かれてあるから、その関係性とかいう問題になってくるのだと思うが、そもそも「黄帝内経」では、そうは説かれていないかもしれない。

 どういうことかといえば、ある篇では「肝」の働きとして「蔵血」が述べられており、また別の篇では「肝」の働きとして「疏泄」が述べられているということがある。
 「黄帝内経」自体が、論文集とでもいうべきもので、様々な説を併記してあるから、「肝」の働きを「蔵血」とした説と「肝」の働きを「疏説」とした説とがあるのであって、「蔵血」と「疏説」が「肝」の二つの働きとして説かれていない可能性がある。
 にもかかわらず、教科書としての「東洋医学概論」という形式では、全く別の説として説かれている「肝」の二つの働きを、あたかも一つの説で「肝」の二つの働きとして説いてあるかのごとくの扱いをしているのではないか?それが誤解と混乱を産むのだ。と。

 「黄帝内経」がそれまでの様々な学説を体系的にではなく、大系的に集めただけの書であるとするならば、鍼灸師氏のいうことも一理あると思える。「黄帝内経」を学ぶには、そういう視点も必要だと思われる。
 また、もしそうであれば、古代中国の医学にかかわる学説の大系である「黄帝内経」を学説の体系へとなすのも、後生である我々の責務であると思える。

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