鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

『美学講義』(ヘーゲル)を読む〜一般論とそれに見合う事実を持つことの大事性〜

2018-04-13 13:15:03 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
『G.W.F.ヘーゲル 美学講義』(寄川条路 監訳 法政大学出版局......以降、『美学講義』と略して表記する)を読み始めた。一般論(とそれに見合う事実)を持っての学びの大事性、必須性、痛感する。 今春より、数年ぶりに絵を描くことを始める予定(昨日、近隣のクロッキー会に参加した)であった、のでこの機会にヘーゲルの「美学」に再挑戦することにした。 ヘーゲルの「美学」は、岩波のヘーゲル全集では、 . . . 本文を読む
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自己の他人化の難しさ〜認識は問いかけ的な反映であるから〜

2018-03-16 13:58:36 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
近頃、自身の、また他人の事実から、自己の他人化ということの難しさを痛感させられている。 人間には、相手の気持ちが分かる、認識が分かる能力がある、そしてそのことは人間が社会的な存在である以上、何よりもといってもいい程に大事なことである、逆からいえば、相手の気持ちの分からない人は人間としては問題がある、極論すれば人間失格である。 その何よりも大事であるといってもいい「相手の気持ちを分かる」という能 . . . 本文を読む
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『哲学・論理学原論〔新世紀編〕』を読む〜そのアバウトな感想〜

2017-11-26 20:48:07 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
 『哲学・論理学原論〔新世紀編〕──ヘーゲル哲学 学形成の認識論的論理学』を通読してのアバウトな感想。その執筆・発刊に感謝の気持ちで一杯である。 . . . 本文を読む
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iphoneseの通信不具合について(加筆修正)〜全ては一般論レベルでは共通性がある〜

2017-10-23 07:06:41 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
iphone seの通信不良の原因、真因が分かった、と思える。弁証法が有効であることの根本的な理由を実感する。 使わない携帯電話の維持費が馬鹿らしいとの思いから、携帯電話+カメラ+αで維持費も返って安くなるとの思いからiphone seを購入したのだが、同じAppleのipadmini4よりも通信状態が同じ場所で常に悪い、しばしば圏外となるということがあった。 iphoneを疑いsimカードを . . . 本文を読む
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「心は子供」に思う〜認識の関わる問題の難しさ〜

2017-06-19 06:28:27 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
「心は子供」ということ考えると、心の問題、認識の問題の難しさ痛感される。 今朝の朝日新聞一面に、「心は女性」を認めて女子大学が入学の許可を検討しているとかいないとかとの記事があった。理論的には明らかな問題であると思うのだが、心の問題であるだけに……と思う。 さて、「心は女性」という問題とは別にして、「心は子供」という問題に近頃、度々出会うことがある。例えば著しく社会性に欠ける言動をして「心は子 . . . 本文を読む
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万物は流転する〜弁証法は大人の哲学?〜

2017-06-11 19:53:46 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
自身が高校生時代を過ごした土地を訪れた。万物は流転するを実感する。 本日、個人的な用件で、自身が高校生時代を過ごした土地に何十年ぶりかで訪れた。山々や川、道路の坂道、曲がり角等々は昔のままであるが、昔によく行った店が無くなっていたり、逆に新しい知らない店が出来ていたりという風景の激変に驚かされ……昔々の高校生時代の未来に向けての希望いっぱいの日々も思い起こされて、当時の自身と自身の環境のありかた . . . 本文を読む
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古典ギリシャ語の学びと解剖の学び〜物事の好き嫌いと認識の発展〜

2017-06-01 06:24:26 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
『脳単』による脳の学び行なっている。「好き」という感情とともにの学びの大事性痛感する。 『骨単』で、古典ギリシャ語(コーネイギリシャ語)とともに解剖を学ぶことの有効性、楽しさ実感したので、「これならば、これまで何度か学ぼうとして学び得なかった「脳・神経」の学びもなんとかなるのでは?」との思いとなって、『脳単』(原島広至著 NTS)での「脳・神経」の学びを始めた。 「脳・神経」としての図や説かれ . . . 本文を読む
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強風の経験を振り返る〜Σχολή(スコレー)の持つ意義〜

2017-04-21 13:13:55 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
先日の強風の経験に関わってΣχολή (スコレー・余暇)の持つ意義を実感する。 昨日、小柄で高齢の患者さんとの会話をしていて、先日の春の嵐で電車がストップして深夜に二時間余を歩いて帰った時の、あまりの強風によろめかされた経験を思い出した。これまで何度かその患者さんから、「風の強い日は橋を渡る時に吹き飛ばされそうで恐いのでリハビリを休んでいます。」といわれたことがあったのだが、「そんなやつはおらん . . . 本文を読む
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「弁証法は一般的な運動を扱う学問であるということ」について(増補)〜事実と論理の区別の問題〜

2017-04-10 22:03:32 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
 統計学の実践的学びの成果としてイメージできるようになったと思える弁証法の像について、『新・弁証法・認識論への道』(『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第二巻』所収 現代社)からの引用とともに説く。 . . . 本文を読む
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弁証法について〜統計学の学びから視る弁証法〜

2017-04-08 15:03:13 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
『新・弁証法・認識論への道』を読み返している。統計学の実践的な学びの成果を実感できたと思える。 南郷先生が「受験勉強」について説かれていることを読み返し、そこに学ぼうとの思いから『新・弁証法・認識論への道』(現代社)の「第五章 第五節 受験勉強のなかでまともな認識を創るには」を読み返すなかで、そこに説かれていることの凄さにどうしても最初から全部を読みたいとの思いとなっていって、最初から読み返して . . . 本文を読む
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「古典ギリシャ語」の学び〜その二重の意義〜

2017-03-24 15:08:34 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
「古典ギリシャ語」について、その学びの二重の意義。 「古典ギリシャ語」とは、紀元前5世紀頃のアッティカ方言、つまり古代ギリシャ文化の中心地であったアテネで使われていた言語である。それゆえ、古代ギリシャ哲学の原典を学ぶのには必須のものであるとされる。 その「古典ギリシャ語」の学びの機会が持てそうである。そこで、改めてその学びの意義について考えてみた。一般的には、言語は認識と直接的同一性を持つもの . . . 本文を読む
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「万物は流転する」を実感レベルで分かるために必須のこと〜弁証法を分かるための実践〜

2017-03-23 19:50:40 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
「万物は流転する」(ヘラクレイトス)を実感レベルで分かることが、弁証法を分かることの大元であると思える。吾人が人類の歴史を繰り返すことの大事性痛感する。 ヘラクレイトスの言葉とされる「万物は流転する」は、弁証法が説かれる時には必ずといっていいほどに、これが弁証法の原点であるとして説かれる言葉であるが、その言葉の中身=いかなる像であるのか、は通常は説かれることは無い。しかしながら、本当はその言葉の . . . 本文を読む
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風邪・インフルエンザ〜現代における、よくある観念論的発想〜

2017-02-08 21:30:38 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
風邪・インフルエンザ等に関わる観念論的見解について。 現在、インフルエンザ大流行であるらしい。風邪の季節でもある。自身では、一般的には、風邪をひくのもインフルエンザにかかるのも、自己管理=生活過程を整えることが出来ていないから……との思いがある。 ところが、自身の周囲の人々の見解は、どうもそうではないらしい。風邪だから仕方が無い、インフルエンザだから仕方がない、病氣だから仕方がない……つまり、 . . . 本文を読む
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経絡経穴について〜経絡経穴の二重性について〜

2017-01-27 17:27:32 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
経絡経穴の二重性について考えている。認識論の実力の必須性、それゆえ自身の認識論の実力の無さ痛感させられる。 経絡経穴について学ぶということは、これは経絡経穴に限らず東洋医学の学びにおいては常にであるが、まずは現在の定説としてあるものを学ぶことである。 しかしながら東洋医学のほとんどの学びにおいてその学ぶものは実体としては存在しないと言ってよいものであるから、例えば経絡経穴の問題、例えば五臓六腑 . . . 本文を読む
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中学校の全教科の論理的な学びかた〜その学びは弁証法のために〜

2016-04-01 22:07:09 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
 本ブログは、「鍼灸如何に学ぶべきか」と称しておきながらも、弁証法の学びとか科学的な学問体系の構築のための学びとかの、直接に鍼灸とは関わりない。と通常は思えることを繰り返し書いてきている。理由は、自身の本来の志の問題だけではなく、単に鍼をうったり灸をすえたりするだけでは、もしくは医古文と言われる歴史的な資料を渉猟するのみでは、鍼灸とは何かもそれを如何に学ぶべきかも本当にはわからないであろう。との思いがあるからである。  以上を前説として、本日の記事は弁証法習得のための中学校の全教科の教科書の学びかたについてである。 . . . 本文を読む
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