遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『群狼の海域 警視庁公安部・片野坂彰』  濱嘉之  文春文庫

2023-01-19 22:22:29 | 濱嘉之
 警視庁公安部・片野坂彰シリーズの第4弾! 書き下ろし作品で、2022年4月に文庫本が刊行された。このシリーズでは直近の作品である。1年に1作ペースだとすると、数ヶ月後に次作が登場するかもしれいない。

 この第4作はタイトルに出てくる通り、海域が舞台となる。結論を言えば、片野坂を含め公安部長付特別捜査班の4人のチームが引き起こす日本海海戦ストーリーである。
 さて、このストーリー、プロローグは、片野坂彰が日本海沿岸を視察する旅から始まる。冒頭は能登半島北海岸の中央地点で「日本の原風景」と称される「白米千枚田」から海を眺める場面である。石川県警公安課の渡邉上席管理官が片野坂を案内する。海を遠望しつつ、渡邉の質問に対し、片野坂は西から順に並べて、猿山岬灯台、旧海軍望楼跡、竜ヶ崎灯台、禄剛埼灯台を確認したい、それは「警察的というよりも、防衛的観点なんですね・・・」という。片野坂は日本海海戦の虞を念頭においていた。

 第一章は場面が一転する。特別捜査班班長香川潔が、法曹会館のグリルで警察学校時代の同期生で静岡県警の公安課補佐から相談を受ける場面から始まる。ロシアや旧東欧諸国さらに中国からの外国人女性を紹介する地域密着型の結婚相談所が絡む問題だという。妙な連鎖反応を起こして、温泉繋がりの都市に広がっているという。協力者情報では、ある市職員が自称ベラルーシ出身で結婚を急ぐ相手に押し切られる形で結婚したという。結婚相談所と役所を結ぶ国際結婚、この件に香川は危うさを感じ、他府県への波及も調べる必要を意識し始める。どこかのシンジケートが対日有害活動を目的にしているのではないかと。望月が基礎的な国際結婚データ収集を担当し、そのデータをもとに欧州に居る白澤が詳細な解析を始める連携プレーが始まっていく。
 連携プレーによるデータ収集と分析から、全体像が浮上してくる。けっこう興味深い論議点が出てくる。だが、これがどう発展するのかと思いきや、彼ら特別捜査班にとっては、副次的事案となっていく。まずこのことがおもしろい。特別捜査班にとっては問題事象の洗い出しが中心になるのだ。

 今回のストーリーの興味深いところは、彼らの殆どの活動舞台が海外になることである。
 片野坂の戦略に基づいて、それぞれが密かな任務を持ち、3週間前後の日程で個別のルートによりシベリア鉄道経由にてドイツに入る。そこで白澤を含め4人が合流する計画である。このストーリーはそれぞれの個別な経路とそこでの行動を描写していく。
 では、各人がどんなルートを辿ることになるのか。行動ルートを簡単にご紹介しておこう。今回のストーリー展開のスケールがおわかりになり、ちょっと惹きつけられる力が強まるのではないかと思う。

 片野坂:北京⇒ ワシントンDC⇒ ベルリン

 香川:ウラジオストク⇒ 空港・軍港の視察⇒ シベリア鉄道⇒ ウラン・ウデ⇒
    イルクーツク⇒ ノヴォシビルスク⇒ モスクワ⇒ ベルリン

 望月:北京⇒ 曲阜市⇒ 大連(葫芦島市)⇒ 青島⇒ 北京⇒ 
    内モンゴル自治区経由モンゴル縦貫鉄道⇒ ウランバートル⇒ ウラン・ウデ⇒
    シベリア鉄道⇒ イルクーツク⇒ ノヴォシビルスク⇒ エカテリンブルグ⇒
    モスクワ⇒ チューリッヒ⇒ ベルリン

勿論、片野坂の指示によるミッションは、原子力潜水艦や軍事関連施設、軍事関連製造工場施設・・・の視察である。この辺り、その実現可能性が現実にどこまであるかはまったく私には想像もできない。インテリジェンス小説・フィクションとしては、興味深くてかつおもしろい。そういう施設設備等の所在地自体は多分リアルな情報を踏まえてフィクション化されているのだろうと推測する。

 このストーリーで興味深いのは、望月に中国から尾行者がつきまとうことである。そしてベルリンで命を狙われる可能性が高まるという窮地に立ち到る。
 ベルリンでの4人の合流は、片野坂が急遽スイスのツェルマットでの合流に切り替える。片野坂と香川にとって、ベルリンは望月を窮地から脱出させる場に転換する。どのようにして? それは読んでのお楽しみである。

 「第八章 日本海海戦」は最終ステージとなる。だがわずか10ページ。実にその発想がおもしろい。フィクションならではのおもしろさといえる。

 さて、この作品は登場人物たちが日本に絡んだ世界各国の情勢分析、日本国内の諸事象の情報分析について頻繁に会話するという特徴がある。勿論、公安的視座からの情報提示であり、情報分析である。今回は特に軍事面での現状分析の比重が高くなっていく。
 ここに提示される情報は、ほぼリアルタイムの同時代性をもつ。基本的な情報は事実を踏まえていることと思う。そこにフィクションがどれだけ入っているのかは判断のしようがない。ほとんどの提示情報は実で、ストーリーは虚であると言えるのかもしれない。
 このフィクションを楽しむ一方で、読者にとってこの情報分析が副次的に現在の状況を認識するための思考材料となる。私はこれらの会話を特に興味深く読んでいる。
 著者は過去の歴史を踏まえた上でリアルタイムな情勢分析を提示したいために、フィクションとしてこの小説を書いているのではないか、とすら感じる。それくらい、情勢分析・情報分析に関わる会話がストーリーの中で大きな比率を占めている。
 もう一つの特徴は、飲と食にまつわる蘊蓄話が各所に盛り込まれてくことにある。ヒューミントを重視する片野坂のプロフィールと関係しているのかもしれない。特別捜査班の3人もまた食通の側面を持つキャラクターに設定されていて、おもしろい。初めて知る食通話には興味津々となる。飲と食の領域は奥が深そう・・・・・。

 最後に、印象深い箇所を引用しておこう。
*最低賃金は低く算定され、生活保護基準は高く算定されるように仕組まれているからだ。  p65
*情実人事は人を不幸にして、組織も弱体化させるものなんだよ。 p85
*・・・・・話が飛んだり横道に逸れたりするのではなくて、話を展開しているんだ。現状が逼迫している時にはそうはならないが、話題の展開は高所、大所から事案を考える時に、相関図を作るのと一緒で、どこかで繋がりが出てくることがあるから面白いんだ。 p97
*例えば、今の日本の道路事情は完全に中国に把握されています。特にタクシーの配車に関するデータは全国百パーセント管理されていると言っても過言ではありません。 p114
*そもそも「戦狼(Wolf of war)」とは、人民解放軍特殊部隊出身の主人公が、反政府側のテロリストを退治する・・・・という、ハリウッド映画「ランボー」をパクって、中国国内では売れた、中国映画のタイトルである。これはハリウッド映画の戦争モノ同様に、国家の意向を汲んだプロパガンダ映画の意味合いがあった。  p293
*日本人らしさというのは、確かにいい面も多いのですが、自分で自分のことを決断する主体が欠けているところが最大の問題だと思います。その点で言えば、スイス人は違います。1920年に国際連盟に原加盟国して加盟し、その連盟本部がジュネーヴに設置されたにもかかわらず、UNに加盟したのは2002年ですからね。永世中立国をUN、つまり連合国に否定されていたことに対する強い信念を持っていたのです。 p365

 インテリジェンス小説として興味深くおもしろい。

 ご一読ありがとうございます。
 
補遺 関心の波紋を広げた情報。このストーリーには直結しない情報も含む。
大野伴睦  :ウィキペディア
中川一郎  :ウィキペディア
秋元議員に懲役4年実刑判決 IR汚職事件 東京地裁 :「NHK」
IR汚職「資金提供業者」と2ショット入手! 宮崎政久法務政務官の説明に疑義
                          :「文春オンライン」
「8050問題」の本当の原因とは? 親子共倒れの悲劇を生まないためにできること
                   :「tayorini」
高齢化で「8050」から「9060」問題へ  :「産経新聞」
ロシア対外情報庁  :ウィキペディア
ロシア及び中国による対日有害活動等  :「警察庁」
北朝鮮による対日有害活動       :「警察庁」
「在日特権」の虚構 弁護士会の読書  :「福岡弁護士会」
アンビルトの女王、ザハ・ハディドってどんな人?  :「GIZMODO」
時代が追いついた「アンビルトの女王」ザハ・ハディドの美学|東京建築物語(第6回)
                    :「JBpress オートグラフ」
ゴルフ型潜水艦  :ウィキペディア
北朝鮮 SLBMの発射準備か 米研究グループ分析  :「NHK」
潜水艦発射弾道ミサイル    :ウィキペディア
KSS-III submarine  From Wikipedia, the free encyclopedia
島山安昌浩級潜水艦   :ウィキペディア
APT10とは   :「SOMPO CYBER SECURITY」
中国を拠点とするAPT10といわれるグループによるサイバー攻撃について
           (外務報道官談話) :「外務省」
恒大集団  :ウィキペディア
戦狼外交  :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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「遊心逍遙記」に掲載した<濱 嘉之>作品の読後印象記一覧 最終版
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『親鸞を読む』  山折哲雄  岩波新書

2023-01-18 16:42:30 | 親鸞関連
 序章と第7章は、本書が2007年10月に刊行されるにあたり書き下ろされた章だという。第1章~第6章は、1990年~2004年春までに各種媒体に発表された論考に加筆されたそうだ。まず全体の目次構成と初出の原題を << >> 書きで併記して示そう。

 序 章 ひとりで立つ親鸞
 第1章 歩く親鸞、書く親鸞 -ブッダとともに-
             <<京都を出て京都に帰った親鸞>>
 第2章 町のなか、村のなかの親鸞 -道元とともに-
             <<洛中の地名に想う>>
 第3章 海にむかう親鸞 -日蓮とともに-
             <<「環日本海」の原風景 -親鸞と日蓮>>
 第4章 弟子の目に映った親鸞 -唯円と清沢満之-
             <<清沢満之と「歎異抄」>> + <<清沢満之という生き方>>
 第5章 カミについて考える親鸞 -神祇不拝-
             <<親鸞における「内なる天皇制」>>
 第6章 親鸞を読む -日本思想史のもっとも戦慄すべき瞬間-
             <<日本思想史のもっとも戦慄すべき瞬間>>
 第7章 恵信尼にきく -日本思想史の背後に隠されていた「あま ゑしん」の素顔-
            
 章立てのタイトルと初出時のタイトルの全体を対比的に眺めてみると、タイトルから受ける印象は「親鸞をからだでよむ」という命題との関係でみて微妙に変わる。おもしろいものだ。

 序章において、著者は半世紀以上にわたり「長いあいだ親鸞を読みつづけてきて、実は頭で読んでいるにすぎなかったことに気がついた」(p2)と述べ、「頭で読むことから、からだでよむことへの転機」(p3)が訪れたという。「親鸞をからだでよむ」、加えて「親鸞のテキストや伝記を中心とする体系的な記述」(p3)から脱出して、「親鸞その人と対面する」(p6)という試行錯誤と「思考実験のあと」(p6)が本書の叙述だという。
 上記の続きに、「二つの補助線」を明記している。一つは、随分以前に、親鸞の肖像画を見て、親鸞の表情に衝撃を受けたと記す。そして、親鸞の「鏡御影」の表情と道元の「月見の御影」を対比し、印象の類縁性に言及し、時代の精神の刻印を指摘する。もう一つは、「親鸞は日本における宗教改革の輝かしい先導者であった、という命題である。わたしはやがてそのような理論や解釈が何のいわれも証拠もないことに気がつくようになった」という。二つ目の補助線については、この序章において、「鎌倉時代の『改革』運動のすべては、やがて『先祖崇拝』という名のより大きな信仰に呑まれていく」(p13)という事実で、宗教改革の先導者という命題をほぼ否定している、「宗教改革」という言葉が西欧からの思想的な輸入品にすぎないと指摘している。この説明は納得しやすい。
 この2つの補助線を考えると、論考の初出以前に、「親鸞をからだでよむ」ための転機は来ていたようである。

 本書の読後印象を要約すれば、親鸞その人に寄り添うように親鸞の遍歴に同行する立場にたち、親鸞の著述を親鸞の視点から見つめた結果として、著者の見解を述べた書といえる。

 著者の解説で印象深い箇所の要点を覚書を兼ねてご紹介しよう。括弧は引用文。
*親鸞の自著は最初期と最晩年との間に23年の歳月を経るが字のぶれはみられない。
 生命の強靭さがあらわれている。 p30-31   第1章
*親鸞は、天親の「親」と曇鸞の「鸞」からの合成。「『親鸞』を選びとったとき、おそらく源信と源空から離陸しえたという自覚を抱くことができたのである」(p38)第1章
*親鸞が恵信尼とともに20数年住んだ常陸国の稲田は、北越地方からの移住民(新百姓)たちの開墾地。親鸞は、流罪地・開墾地といういわば村のなかで生きてきた。 第2章
*親鸞は流罪人として日本海を船旅した。日蓮は佐渡島に配流された。芭蕉は「奥の細道」紀行で日本海に接した。そこに三者三様の体験がある。親鸞はそこに「難思の弘誓は難度海を度する大船」の着想を得た。『教行信証』の執筆が始まった。 第3章
*唯円は『歎異抄』の前半で親鸞の考えを示したが、後半で異端を断罪した。
 「親鸞書簡の全編に流れている主調音は、ただひたすらに謙虚なつぶやきのそれであり、その言々句々はつねに隠忍自重に撤する響きにみたされている」(p89)「かれはすくなくとも『異端糾問』につながるようなことはいささかも認めてはいないのである」(p87)
 「唯円は『歎異抄』という作品において、もしかすると師・親鸞の信心のあり方を裏切っているかもしれない」(p92)という著者の指摘は興味深い。
*蓮如本『歎異抄』を残した蓮如は、蓮如本末尾に「宿善のない者(無宿善の機)に、この書物は読ませてはならない」と記した。お蔵入りにしたようだ。
 著者は「わたしにはその蓮如の『宿善』が清沢のいう『修繕』の考えと重なってみえる」(p96)と指摘する。清沢は明治になって『歎異抄』を再発見した人と私は記憶する。
 著者は「清沢満之の文章は、親鸞の肉声や『歎異抄』の文章とは異質な音色をひびかせているのである」(p103)と論じている。この点関心を抱いた。今後の課題。本書で清沢の一端を知る機会になった。   第4章
*「宗教がその本来の力を保つためには、何よりも現世利益の因果と機能を自己のうちに統合しなければならないのはいうまでもない」(p123)と著者は論じている。
*著者は親鸞の和讃を分析し、「親鸞はおそらく農民大衆とともに、このような『霊界』の存在を信じていたのである」(p124)と論じている。 第5章
*『教行信証』こそが親鸞の著作であり肉声。第一次資料。『歎異抄』は「聞き書き」であり、第二次的資料である。『歎異抄』には逆説の魅力と断言命題の発する毒性に衝撃力が含まれる。両者の関係の分析が必要。  第6章
*親鸞は自ら「非僧非俗」と称した。その言葉が『教行信証』の後序に出てくる。第6章
*親鸞は『教行信証』に善導の『法事讃』からの引用を「仏にしたがひて本家に帰せよ」と書き換えている。もとは「家に帰せよ」である。  第6章
*「信仰者の本来の生き方は、師とか弟子とかいう世界から解放されたものでなければならない。それは師から離脱し、弟子をすてるような単独者の生き方のなかで模索されるべきものではないか。・・・・親鸞はみずからすすんで東国の地をすて、弟子たちをすてたのであったとわたしは思うのである」(p148)と著者は記す。  第6章
*著者は『教行信証』に凝縮されている主題は何かと提起し、「この作品に展開されている重大なテーマはただ一つ、父殺しの罪を犯した悪人は果たして宗教的に救われるのか、という問題だった」(p149)と論じる。この点、いつか読んで確かめてみたい。 第6章
*親鸞の最後の解答は、「善知識」と「懺悔」の二条件が決定的に重要だとする。
 「『善知識』とは善き師、そしてその師について自己の罪を深く反省することが『懺悔』である。」(p151)と。この二条件のクリアが「親鸞における『悪人正機』の核心である」(p152)と帰結させている。 上掲と併せて、確認課題となった。  第6章
 この論法が、『歎異抄』の悪人正機説との矛盾・撞着を生むと述べ、その相違を論じて行く。本書を開き、ご一読ねがいたい。  第6章
(『歎異抄』は読んでいるものの、『教行信証』は未読なので考えたこともなかった。)
*著者は、『歎異抄』は可能性の悪、『教行信証』は実現してしまった悪と峻別し、決定的に異なる状況を語っているという。  第6章
*「恵信尼文書」と称される重要資料は、大正10年(1921)初冬に、西本願寺の宝蔵で発見された。翌年に鷲尾教導がその全文と註を付して出版・紹介したという。このことを本書で初めて知った。 p169 第7章
*恵信尼文書では「ゑしん」とだけ記されることから、「あま ゑしん」としての「あま」の実態が考察されている。この点が興味深い。 第7章

 浄土真宗の開祖とされる親鸞、「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」というメッセージを残した親鸞、その人を知る上で好個のガイドになる教養書の一冊だと思う。

 ご一読ありがとうございます。

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『裂壊 警視庁失踪課・高城賢吾』  堂場瞬一  中公文庫

2023-01-16 18:44:22 | 堂場瞬一
 高城賢吾シリーズの第5弾! 書き下ろし長編である。2010年6月に文庫本が刊行された。この小説、端的に言えば、失踪人捜査課三方面分室室長・阿比留真弓の過去の人生が曝け出される結果となるストーリー。厄介者が集められた窓際部署である失踪課第三方面分室の長である阿比留真弓は、これまで己の過去については一切語らず、常に本庁捜査一課に復帰する機会を虎視眈々と狙い、そのための根回しにエネルギーを費やしていた。己が栄転できるために高城はじめ室員が三方面分室の実績を上げることを望んでいた。
 このシリーズの愛読者にとっては、謎多き阿比留真弓の過去について興味津々となるのは間違いない。

 では、ここでなぜ阿比留真弓の過去が明らかになる羽目に立ち至るのか?

 半年に1回の「失踪課課長査察」が間近に迫ってきた頃、出勤時刻がとうに過ぎ10時になるのに、阿比留分室長は現れず、連絡も無く無断欠勤状態だった。かつて無かった事態。
 高城は庶務担当の小杉公子に阿比留真弓の自宅住所を調べてもらう。高城は三方面分室のメンバーには、この分室長の無断欠勤を分室外秘として扱う。まず公子と一緒に分室長の自宅を訪ねる行動に出た。
 管理人から聞き込みをしたが、阿比留は自宅に戻ってきている気配がなかった。自家用車のボルボとともに忽然と姿を消したのだ。高城や公子をはじめ他のメンバー誰もが、阿比留から何もメッセージを受け取ってはいない。己の出世志向を最優先して行動している阿比留が、石垣課長による課長査察を直前にして、その準備を疎かに考えるはずはないのだ。阿比留の失踪の理由はわからないが何等かの危機的状況が背後にあるに違いない。
 そんな最中に石垣課長から分室長に電話が入るが、高城は、インフルエンザで熱を出して休んでいるとその場を繕う返答をした。
 ここから、分室総力を挙げての室長の行方捜しが始まって行く。阿比留を失踪人とみなして、分室総力での捜査活動である。通常の捜査手順が次々に踏まれていくことになる。

 そんな矢先に、三方面分室に相談人が来室した。広瀬哲司と名乗る大学生が、恋人の鈴木美知が行方不明になったと言う。一昨日の土曜日に会ったのが最後。電話での連絡も取れない。今日(月曜日)、合鍵を持っているので、彼女の部屋に行ってみたところ、鍵がかかっていなくて、部屋は家捜しした感じになっていたという。彼女は写真嫌いなので、写真はない。つき合って半年になるが、彼女の実家のことは知らない。家族のことを話したがらなかったと言う。その話を聞き、高城は取りあえず、鈴木美知の件は醍醐と法円・森田に捜査を任せて、阿比留の捜査は高城と明神で取りかかることにした。

 勿論、捜査の定石が踏まれていく。阿比留分室長の家族関係の捜査である。住民票記載内容の確認から始まる。鈴木美知の件は、醍醐らが彼女の部屋、現場の検分をすることから始まって行く。
 課長査察の準備として、高城の指示を受け六条舞は備品のチエックをしていたのだが、拳銃の保管ロッカーから室長の拳銃がないことに気づき、高城に報告した。それは、阿比留が一度は分室に現れ、自分用の拳銃を持ち出していることを意味する。高城は状況が深刻な方向に転じて行きそうだと予感する。

 高城は公子と一緒に、阿比留と同期である女性、今は交通部交通規制課の管理官である尾花遼子から話を聞くことにした。行方不明であることを話し、尾花から話を聞き出そうとしたが、阿比留真弓の私生活については多くを語ろうとはしなかった。夫の名前は鈴木孝弘で、山梨に住んでいるはずということだけわかる。尾花はそれだけで、「もうかなり、危ないところまで話してるのよ。私、真弓に殺されたくないから」(p62)と言う。
 高城と明神は、山梨へ捜査に向かうことになる。

 このストーリーの面白味は、阿比留真弓分室長の過去が、捜査結果が累積するにつれ、少しずつ明らかになっていくことである。阿比留が黙して語らなかった彼女の私生活、家族関係の状況が明らかになっていく。警察官として結婚後も旧姓のままで通し、刑事として職歴を積み上げてきた過去の実績もまた明らかになっていく。三方面分室員の誰もが知らなかった阿比留の実像が明らかになっていく。
 その阿比留の過去の人生の何が、阿比留に忽然と姿を消させる事態になったのか。
 捜査の過程で、阿比留の家族関係という側面からは、思わぬ接点が立ち現れてくる。

 阿比留の刑事としての実績の中には、現在の失踪とリンクしそうな要因も推定されてくる。それは、拳銃を持ち出すという行為とリンクしかねない要素を含む。読者にとってはその経緯に着目せざるをえない。ストーリーの展開に引きこまれていくことになる。
 最終ステージで、高城らは、拳銃を携行して事件に対処していく事態になる。

 このストーリー、一方で「失踪課課長査察」という年中行事が厳然としたタイムリミットとなっている。査察は三日後、木曜日、午後三時。
 それまでに、阿比留が分室に戻り、拳銃も戻すことが、この査察をクリアする必須要件になるのだ。
 高城は明神に言う。「見つからなければ、俺も君もやばいことになるんだぞ。警察は、連帯責任が大好きな組織だから。石垣課長が何を言ってくるか、想像もしたくない」(p75)と。
 時間は刻々と過ぎ去って行く。捜査は軽やかに、スピーディに進むわけではない。紆余曲折、行きつ戻りつするようなまどろっこしさを伴いながら捜査が地道に積み上げられていく。断片的な情報が、少しずつリンクし、合理的な分析と推論で、徐々にまとまった絵柄となっていく。捜査が査察に間に合うのかが問題である。
 このタイムリミットが、このストーリーの進展に緊迫感を与え、読者も興味津々とならざるを得なくなる。タイムリミットのあるストーリーの醍醐味である。

 プライバシーという厳然たる問題があるとはいえ、一読者として読んでいて、少しいらつく印象を持つのは、尾花遼子の高城に対する一線を画した対応である。逆にいえば、そこに一つのストーリー構成上でのおもしろさが発揮されているともいえる。
 たとえば、最終ステージで、遼子は高城に次のように答えている。
 「結果としては、私の考えた通りになったんじゃないかしら。捜査の過程で真実に行き当たるのは仕方がない。自分で調べ出したことなら、覚悟もできるでしょう。でも最初に種明しされてしまうと、心の整理は簡単にはつかないはずよ・・・・それより、勝算は?」(p378)
 「だったら成功するわね。あなたは、こういうぎりぎりの時は、絶対に失敗しない人間だと聞いているから」(p378)

 印象深い箇所を一つご紹介しておこう。
「人は生の感情をぶつけ合って初めて、心を開いた関係を築けるという。
 そんなことは嘘だ。私と真弓は今夜、これまでにないほど露骨な言葉の応酬を続け、互いの胸の内を曝け出し合った。その結果残ったのは空しさだけである」(p450)

 「失踪課課長査察」を無事に受けられるとしたら、阿比留失踪に関わる事件が解決していることになる。果たして、どうなるのか? それは本書でお楽しみいただきたい。

 ご一読ありがとうございます。

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『HAPPY HALLOWEEN’ Curious George』 HOUGHTON MIFFLIN HARCOURT PUBLISHING COMPANY

2023-01-14 17:01:46 | 英語学習教材
Curious George シリーズの英語絵本電子書籍版を読み継いでいる。このタイトルの付け方は今までとは少し違う。この絵本は裏表紙に出版元などについての情報を記載している点も、従来の絵本の体裁とは異なる。意識的にスタイルを変えたのだろうか。

 2008年のコピーライトで、HOUGHTON MIFFLIN HARCOURT PUBLISHING COMPANY が所有権者である。続く説明も従来とは異なる。この絵本では、
 Curious George and related characters, created Margret and H.A.Rey,
are copyrighted. の一文が続く。
ジョージと関連キャラクターは、Margret and H.A.Rey が創作したということが著作権として明記されている。しかし、イラストについては、従来の表記法とは違う形になっている。表紙と本のイラストは、Mary O'Keefe Young の作画と明記され、H.A.Rey 風を継承してという従来の表記が変更されている。この点、著作権の移転並びに原作者たちが逝去して歳月が経ったことによる時代の変化を示すのだろうか。
 この絵本の本文は、N.T.Raymond と Kelly Loughman の共著と記されている。
 子供たち用の絵本を、英語学習のリハビリという視点で読んでいるので、大人の視点で著作権を眺めているところから、こんなことについ目が行く次第。

 さて、絵本の内容に入ろう。この絵本、「ハロウィーン」をテーマにしていて、その日のジョージを描いていく。従来の絵本との違いは、その構成が7章立てになっている点である。
  PUMPKIN PATCH / DECORATIONS / COSTUME FUN / A GAME OF BOO
TRICK OR TREAT / COSTUME PARTY / GOOD NIGHT,GEORGE
子供たちが、たぶん楽しみにしている「ハロウィーン」。その一日のプロセスがこの絵本で楽しみながら追体験できるという趣向のように感じた。

 この絵本と手許の複数の辞書(a,bと略記)から学ぶことがけっこう多かった。

 日本でのハロウィーンは、なぜかコスチュームを楽しむお祭りのような側面が大きくクローズアップされて、楽しまれているようだが、Halloween を辞書(a)で引くと、冒頭に
[All Hallow's Even(諸聖人の祝日の前夜)の短縮形語]と説明されている。さらに解説がある。「万聖節(All Saints' Day) の前夜祭;10月31日の夜;イングランドではあまり行われないが、米国では盛んで、魔女(witch)などの仮装やカボチャの中身をくりぬき、Jack-O'-lantern を作ったり、”Trick or treat”(お菓子をくれないといたずらするぞ)と言って子供たちは近所の家からお菓子をもらう」と。
 この説明を読んで、先に語句を辞書で引いていた2つがカバーされていることを再認識した。Jack-O'-lantern と Trick or treat だ。後者は、上記の一つの章名にもなっている。
 辞書(b)を引くと、同主旨の説明があり、さらに「英国では Guy Fawkers Night (11月5日)の方が盛ん」と記されている。私はガイ=フォークス祭(英国の火薬隠謀事件記念日;11月5日)というのを初めて知った。辞書(a)を引くと、相互補完されて一層理解が深まった。

 patch という単語の意味は知っているつもりだったが、PUMPKIN PATCH を見て、何?
と冒頭からガツン。辞書を引くと、「(耕作した)一区画;ひと畑(の作物)」(a)という語義があった。「a patch of potatoes = potato patch じゃがいも畑」の文例が載っている。つまり、ここはカボチャ畑ということ。
 PUMPKIN PATCH の章は、ハロウィーンで重要なカボチャを子供たちが採り入れる場面になっている。興味深い点に、ここは韻を踏んだ文で記されている。絵本を読む子供たちは、自然に韻を踏んだ文体に馴染んで行くのだろう。「ロンドン橋落ちた」の歌のように、韻文が身近なものになるきっかけが絵本にもあるのだ。冒頭の文は次の通り。
   Pumpkins round
   Cover ground.
   Vines twirl.
   Children whirl.
twirl と whirl という語を知らなかったので辞書をひけば、どちらもくるくる回るという意味だった。<丸いカボチャが畑(地面)にいっぱい。カボチャのつたはくるくると。子供たちもくるくる回る> 子供たちの楽しげな様子を描く。勿論、ジョージも子供たちと一緒にくるくる回る。韻を踏んだ文章を読むことがないので、この章の本文をけっこう楽しめる。

 DECORATIONS では、カボチャの中身を刳り抜いて、上記した Jack-O'-lantern (カボチャちょうちん)を作る場面と、ジョージがドアに cobwebs(蜘蛛の巣)を張る絵が描かれている。Cobwebs over every door. Surely tricks and treats in store. の文とともに。cobweb という語もこの絵本で知った。in store も確認のために辞書を引いた。「準備して」(a) という意味である。
 だけど、なぜ蜘蛛の巣なのか? 課題が残った。

 COSTUME FUN では、ジョージがどんな仮装をしようかとアレコレ思案している楽しさを描く。その仮装には一案として黄色の帽子も含まれる。
 ここでは gobble という語を学んだ。「がつがつ食う」(a) という意味のようだ。
 Or he(=George) could be a monster / Who gobbles every treat. という文。
ここの treat は上記の Trick or treat に出てくる「お菓子」を意味する。

  A GAME OF BOO は、ジョージが仮装して、BOO! ブーッと叫ぶ場面が描かれている。辞書によれば、boo は「(おどかし、軽蔑、不賛成などを表して)ブー」という意味。このハロウィーンでは、さしずめ、脅かしのブーのことだろう。

 TRICK OR TREAT は、仮装した子供たちが近所の家の玄関口に訪れ、TRICK OR TREAT と問いかける場面が描かれる。ジョージは、お菓子を子供たちに配る役割で描かれている。
 Trick or treat! Costumes galore. この文から始まる。galore という語も初めて知った。この語は名詞の後に置いて、沢山の、豊富なという意味を表すとか。両辞書が同じ文例を挙げている。Bargains galore! お買い得品山積み(a) 、お買い得品豊富(b) である。お菓子をくれないといたずらするぞ! 仮装(した子供たち)が一杯。というところか。

 COSTUME PARTY は仮装した子供たちの楽しい場面。このページを見て、子供たちは自分がまとった仮装のことを思い出して楽しむことだろう。
ジョージはリンゴが浮かぶ大きな盥の中に入っていて、仮装した子供たちが盥を囲んでいる。その下に記された一文が、Let's bob for apples. この bob って何? 「[吊したり浮かべたりしたさくらんぼなどの果物を]口にくわえようとする」(a)ことだとか。この語の意味から運動会のパン食い競争を連想した。ここも一種のゲームなのだろう。

 GOOD NIGHT,GEORGE はベッドで眠りにつくジョージを描く。Time for bed, George!
である。ここに次の文が記されている。
   The goblins and princesses
   Are now counting sheep.
   The ghosts and the witches
   Have all gone to sleep.
2つの文の主語は、ハロウィーンで仮装した子供たちを意味する。気づいたのは、
count sheep が使われていること。聞いたことがあるが、やはりそうか・・・という思い。 羊を数える。「眠れない時は羊の群を想像し、1匹、2匹,......と思い浮かべる」(a)
辞書(b)では、イディオム扱いで載せてある。「(柵を跳び越える)ヒツジの数を数える。<眠れない夜のまじない>」と。
 これが絵本で使われているということは、眠れなければ羊を数えなさいというのは、子供たちが親から日常生活の中で自然と教えられるからなのだろう。

 絵本って、学べることがいろいろあっておもしろい。リハビリ英語学習に役立っている。

 ご一読ありがとうございます。

参照辞書
a:『新英和中辞典 第5版』 研究社 1986年
b:『ジーニアス英和辞典 第5版』 大修館書店 2015年

補遺
万聖節   :「コトバンク」
諸聖人の日 :ウィキペディア
ハロウィン-万聖節・万霊節の先駆け :「こよみの学校」
ハロウィン   :ウィキペディア
ハロウィーンと蜘蛛の巣の関係はあるのか? :「Yojoの英語ソウル」
ガイ・フォークス・ナイト  :ウィキペディア
ガイフォークス・デーとハリー・ポッター  :「ポッターマニア」
ロンドン橋落ちた 歌詞の意味・和訳  :「世界の民謡・童謡」

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『Curious You On your way!』 ILLUSTRATED BY H. A. REY
                  HOUGHTON MIFFLIN COMPANY
「遊心逍遙記」に掲載した英語絵本シリーズの読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在 20冊
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『探花 隠蔽捜査9』   今野 敏  新潮社

2023-01-13 15:25:22 | 今野敏
 隠蔽捜査シリーズの第9弾! 前作から2年を経て、2022年1月に単行本が刊行された。初出は「小説新潮」(2020年10月号~2021年9月号)での連載である。

 p140に竜崎と伊丹との会話の中で伊丹が言う。「・・・気をつけろ。探花のおまえがやつの身近にいるんだから」。竜崎のリアクションは「タンカ? 何のことだ」
 この第9作のタイトルはここに由来する。この小説を読み、私は初めて知ったのだが、伊丹が竜崎に説明する。「知らなきゃ教えてやる。科挙の最終試験の合格者で、トップを状元、二番手を榜眼、三番目を探花と呼んだそうだ」(p142)と。
 なぜ、こんな会話が出て来て、それがタイトルになるのか。
 このストーリーの主人公、竜崎伸也は、このシリーズの愛読者ならご存知だが、息子の問題で左遷されて警視庁大森署の署長となった。その後、神奈川県警本部の刑事部長に異動した。国家公務員試験の結果の順位は公表されない。だが、その順位をどこからか伊丹は入手していたのだろう。同期のキャリアで生き残これるのは一人だけ。警視総監も警視庁長官になれるのも一人だけなのだ。竜崎の同期では、東大卒の八島圭介の試験結果がトップ。伊丹が二番手で、三番目が竜崎だったという。その八島が、福岡県警から神奈川県警本部の警務部長として最近異動してきた。竜崎はこの異動について佐藤本部長から知らされる。伊丹は竜崎に忠告する。「八島は、ハンモックナンバー一番の誇りがあるから、ライバルを平気で蹴落とそうとする。気をつけろ」(p140)と。
 竜崎は気にしていないが、伊丹は同期キャリア内での生き残りという視点で八島に注目している。その八島警務部長は、ある段階から竜崎の扱う事件との関わりが出てくる。読者にとってその経緯がおもしろさとなっていく。

 さて、竜崎が刑事部長の立場で、深く関わっていく事件とは何か?
 横須賀のヴェルニー公園の遊歩道脇生け垣の陰で遺体が発見された。通報したのは散歩していた老人である。死因は刃渡りの長いナイフや短刀のようなものと推定される刺殺だった。検視官は発見時に死後4時間ないし8時間が経過と判断。捜査一課長が出向いていた。竜崎は報告を受けると、直ちに捜査本部の設置を指示した。
 その後、一人の目撃者証言が入手できた。5月9日未明の午前3時頃、ナイフを持った白人男性が走り去る姿を見たと言う。
 
 この事件には、竜崎が従来取り組んできた事案とは異なる横須賀特有の事情が絡んでくる。その点が、このシリーズ愛読者にとてはまず興味津々となるところである。
 ヴェルニー公園の先には、米軍基地が存在する。もし、この犯罪が米軍絡みだとすれば、日米地位協定が関係してくる。そして、アメリカの海軍犯罪捜査局が出てくるかもしれないという懸念がある。そこには米軍基地が身近な存在となっている横浜市民の意識問題も絡んでくる可能性がある。この点を竜崎は阿久津参事官から聞かされる。

 殺人事件の状況を知り、原理原則を重視する竜崎は捜査方針としてどう判断するか?
 捜査本部は板橋課長に任せる。それが竜崎の刑事部長としての原則方針である。それならば、竜崎は原則県警本部に居ればよい。ところが、ここに上掲の日米地位協定が関わってくるとしたら・・・。竜崎は佐藤本部長に会い、米軍関係者が被疑者の恐れがある点から、佐藤本部長が米軍基地のトップと会談することを進言する。
 その場に同席していた八島が発言した。その発言を受けて、竜崎は米軍基地のトップとの交渉について全権委任を受けて対処することになる。
 その交渉の経緯が一つの山場になる。この経緯自体が興味深い。本書でお楽しみ頂きたい。

 結果的には、海軍犯罪捜査局のリチャード・キジマ特別捜査官が横須賀署に設置された捜査本部に出向いてくる。竜崎との話し合いの上、捜査本部の一員に加わり、板橋捜査第一課長の指揮下に入る。日系アメリカ人で日本語に堪能なこの特別捜査官がどのような役割を担っていくか。そこが一つの新しい要因となっていく。このこと自体の経緯を含め、捜査本部の状況が今までとは一味異なり、読者にとってはおもしろくなる。

 全権委任を受けた竜崎は、これもまた結果的に、横須賀署の捜査本部に居座ることになっていく。ここから、事件捜査との関連で副次的な事象が発生してくる。板橋課長に捜査を任せるという方針を伝えた竜崎が、捜査本部(現場)においてどのような形で事件の捜査活動について、指示の局面でに関わって行くかである。竜崎は大森署署長時代のように現場の指揮をとる立場とは異なる。神奈川県警本部の刑事部長として、竜崎が何を考え、どんな心理を働かせ、どのような行動を取っていくのか。読者としてはその点に着目したくなる。そこが、この捜査ストーリーでの副次的面白味となる。

 たとえば、目撃者は横須賀市内在住で職場も横須賀、43歳の堂門繁という人物一人だけ。その証言内容を基に初期捜査が進められる。一方、遺体発見現場の状況について、不審な点を刑事たちは感じていた。キジマ特別捜査官の要求により、米軍基地側への対応を引き受けた竜崎が現場に同行した。キジマは現場を検分して、刑事たちと同じ疑問点に気づく。キジマに現場を検分させたことに関連して、事後にこんな会話がある。(p112)
板橋「それについては、すでに検討しました。・・・・・それも一つの可能性として考えました。・・・・とにかく、まだはっきりしたことがわかっていない。だから、我々は慎重に動いているのです」
竜崎「済まなかった」
板橋「え・・・・・?」
竜崎「そういう事情を知っていたら、軽はずみに目撃者を訪ねたりはしなかった。捜査の邪魔をするつもりはなかった。だから、誤る。済まなかった」

 もう一カ所挙げておこう。こんな会話が竜崎と板橋の間で交わされる。(p210-211)
竜崎「ところで・・・・少しは休んだんだろうな」
板橋「ご心配なく。山里管理官と交代で寝ました」
竜崎「指揮官が倒れたら、捜査本部は機能しなくなる」
板橋「指揮官は部長ですよ」
竜崎「いや。間違いなく捜査一課長が指揮官だ」
板橋「何だか責任を押し付けられているように感じますね」
竜崎「責任は俺が取る。それが仕事だ」

 この殺人事件、被害者の身元が判明することと、堂門繁が行方をくらますことから、捜査が具体的に急速に進展していくことになる。
 この作品も、ストーリー展開で、場面の切り替えと進み方のテンポが軽快であり、一気に読者を惹きつけていくという魅力がある。

 あと二つ、このストーリーの特徴をご紹介しておきたい。
 一つは、竜崎と彼の配下にいる阿久津参事官との人間関係である。竜崎が指示を出すと、テキパキと片付けていく有能な人材である。だが、今は「阿久津参事官は実に油断ならないやつだが、味方ににつければ、それだけ頼りになるということだ」(p24)という思いを竜崎が抱いている関係にある。竜崎と阿久津との信頼関係が今後構築されていくのか・・・、竜崎はどのように対応していくのか。このシリーズが続く上で、興味深いサブストーリーになりそうなおもしろさがある。この事件に関連しても、阿久津は的確な情報を竜崎にタイムリーにフィードバックしてくる。

 もう一つは、竜崎の息子・邦彦の問題。邦彦はポーランドのウッチ映画大学に留学している。娘の美紀が、音楽関係のライターをしている友達から情報を得た。その友達は調べ事の最中に、SNSに邦彦が逮捕された様子の写真とポーランド語の記事が載っているのを偶然見つけたのだ。それを美紀に連絡し、記事は読めないので、写真だけ送信してくれたという。一方で、竜崎の妻・紗子は美紀から連絡を得て、邦彦の携帯電話に幾度かけてもつながらないという。ポーランドの警察に逮捕されたかもしれない・・・・。
 竜崎の家庭内問題が、捜査本部が立った最中に発生し、サブストーリーとして進展していく。竜崎にはどんな対処手段がとれるのか。邦彦が逮捕されたというのは事実なのか。その写真の背景に何があるのか。このシリーズの愛読者にとっては、特に興味深いことと思う。かつて、竜崎の左遷には当時の邦彦の問題事象が絡んでいたのだから。

 米軍基地のある地域に住んでいない者には、多分普段意識することがない日米地位協定について少し知る機会になる小説である。私はこの日米地位協定の内容をほとんど知らなかった。米軍基地内は治外法権のエリアという漠然とした理解に留まっていた。この小説がこの局面を少し具体性をもって知る契機となった。それと横須賀にヴェルニー公園があるということも。私にとってはこの小説を読んだ知的副産物である。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
横須賀市ヴェルニー公園 :「横浜緑地株式会社」
日米地位協定Q&A   :「外務省」
日米地位協定      :ウィキペディア
日米地位協定とは 米軍特権の基礎知識  :「毎日新聞」
日米地位協定に関するトピックス     :「朝日新聞」
地位協定ポータルサイト(日米地位協定関係)  :「沖縄県」

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「遊心逍遙記」に掲載した<今野敏>作品の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 97冊


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