9月の後半は、ご支援いただいている方や
旧知の友人、会社員時代の先輩やお取引先等々、
埼玉県内だけでなく都内のあちらこちらを訪ねている。
こうして訪問を重ねていると、最初に就職した会社の
旭通信社(通称アサツー、現アサツーDK)の頃を思い出す。
先日、坂戸でゴルフ練習場を経営しているY氏を訪問したところ
不在だった。Y氏はアサツー時代の先輩で、アサツーを
退職してゼロから事業を興した方。
数時間後に私の携帯にY氏から連絡が入る。
「いつもわざわざ来てくれてありがとう。
いやー、ちゃんと『どぶ板』やってるねー!」とY氏の第一声。
「『どぶ板』じゃないですよ。稲垣イズムの継承ですよ。」
「そっかー。アサツーでやってたことは『どぶ板』そのものだったよなー。
地を這う営業だったもんなー。」
稲垣イズムの「稲垣」とは、アサツー創始者である
稲垣正夫アサツーDK会長のこと。
稲垣会長は昭和31年3月にアサツー創設以来、
雑誌広告の取り扱いを中心に売り上げを拡大していく。
広告の取り扱いを頂くために、当時、銀座通りにある企業
を片っ端から飛び込み訪問したという。
玄関には「広告・押し売りお断り」という張り紙が張られていた
時代のことだ。
私が入社した89年にはすでに東証2部上場を果たし、
売り上げは1000億円を超える勢い、従業員数も1000人近くに
のぼっていたのだが、稲垣社長(当時)は一人ひとりの
担当企業名だけでなく、業績まで把握していた。
会社の中では誰よりも腰が低く、しばしばエレベーターに同乗する
ことがあるのだが、必ずといってよいほどエレベーターのボタン
に一番近い場所にいて、社員に会釈をして降りていく。
社長室にいることはなく、営業フロアに狭い一角を
設けて社長秘書と机を並べて執務にあたっている。
(もちろん主不在の社長室をムダにすることなく、みんなの応接室
として有効利用されている。)
入社2年目のある日、私が担当している取引先のパーティーの
案内状を持っていくと、自分で手帳を確認し「出席させて
頂きます。ありがとうございます。」と頭を下げられた。
かと思うと、業績の悪い社員には「○○さん、A社さんの扱いは
なぜ継続できなかったんですかねー。」と痛烈な嫌味を忘れない。
「訪問回数X滞在時間=売り上げ」が稲垣社長の持論。
当時のアサツーは、華やかに思われがちな広告業界において
もっとも泥臭く、そのスタイルは「地を這う営業」と言われていた。
Y氏訪問の次に、今度はアサツー時代の同期で今は
首都圏各所に温泉施設を営んでいるK氏に電話をかけてみる。
K氏が運営しているさいたま市にある施設には何度か
訪問しているが、各所を飛び回っているK氏は不在のことが多い。
「いやー、まめだねぇ~!」懐かしいK氏の独特のしゃべり口。
「まだまだですよー。稲垣さんだったらもっと働けって、はっぱかけるでしょ。」
「俺たち、なんだかんだ言ってアサツー育ちだからなぁ~。」
企業の営業活動も、政治家の日常活動も、人と人との
コミュニケーションという点では基本は変わらない。
私にとっては最初に就職した企業であるアサツーの偉大なる創始者の精神、
稲垣イズムが今でも活動の根底にある。
旧知の友人、会社員時代の先輩やお取引先等々、
埼玉県内だけでなく都内のあちらこちらを訪ねている。
こうして訪問を重ねていると、最初に就職した会社の
旭通信社(通称アサツー、現アサツーDK)の頃を思い出す。
先日、坂戸でゴルフ練習場を経営しているY氏を訪問したところ
不在だった。Y氏はアサツー時代の先輩で、アサツーを
退職してゼロから事業を興した方。
数時間後に私の携帯にY氏から連絡が入る。
「いつもわざわざ来てくれてありがとう。
いやー、ちゃんと『どぶ板』やってるねー!」とY氏の第一声。
「『どぶ板』じゃないですよ。稲垣イズムの継承ですよ。」
「そっかー。アサツーでやってたことは『どぶ板』そのものだったよなー。
地を這う営業だったもんなー。」
稲垣イズムの「稲垣」とは、アサツー創始者である
稲垣正夫アサツーDK会長のこと。
稲垣会長は昭和31年3月にアサツー創設以来、
雑誌広告の取り扱いを中心に売り上げを拡大していく。
広告の取り扱いを頂くために、当時、銀座通りにある企業
を片っ端から飛び込み訪問したという。
玄関には「広告・押し売りお断り」という張り紙が張られていた
時代のことだ。
私が入社した89年にはすでに東証2部上場を果たし、
売り上げは1000億円を超える勢い、従業員数も1000人近くに
のぼっていたのだが、稲垣社長(当時)は一人ひとりの
担当企業名だけでなく、業績まで把握していた。
会社の中では誰よりも腰が低く、しばしばエレベーターに同乗する
ことがあるのだが、必ずといってよいほどエレベーターのボタン
に一番近い場所にいて、社員に会釈をして降りていく。
社長室にいることはなく、営業フロアに狭い一角を
設けて社長秘書と机を並べて執務にあたっている。
(もちろん主不在の社長室をムダにすることなく、みんなの応接室
として有効利用されている。)
入社2年目のある日、私が担当している取引先のパーティーの
案内状を持っていくと、自分で手帳を確認し「出席させて
頂きます。ありがとうございます。」と頭を下げられた。
かと思うと、業績の悪い社員には「○○さん、A社さんの扱いは
なぜ継続できなかったんですかねー。」と痛烈な嫌味を忘れない。
「訪問回数X滞在時間=売り上げ」が稲垣社長の持論。
当時のアサツーは、華やかに思われがちな広告業界において
もっとも泥臭く、そのスタイルは「地を這う営業」と言われていた。
Y氏訪問の次に、今度はアサツー時代の同期で今は
首都圏各所に温泉施設を営んでいるK氏に電話をかけてみる。
K氏が運営しているさいたま市にある施設には何度か
訪問しているが、各所を飛び回っているK氏は不在のことが多い。
「いやー、まめだねぇ~!」懐かしいK氏の独特のしゃべり口。
「まだまだですよー。稲垣さんだったらもっと働けって、はっぱかけるでしょ。」
「俺たち、なんだかんだ言ってアサツー育ちだからなぁ~。」
企業の営業活動も、政治家の日常活動も、人と人との
コミュニケーションという点では基本は変わらない。
私にとっては最初に就職した企業であるアサツーの偉大なる創始者の精神、
稲垣イズムが今でも活動の根底にある。