讀賣『大相撲』誌「読者席」より転載してみる。
昭和四十九年二月号の末尾…。
鎌倉十七のこと
鳥取市立川町の広徳寺に力士の墓としては
日本で一番古いものがある。それは鎌倉十七
のである。
広徳寺の住職さんにたずねましたら、鎌倉十
七は宮城県で寛永の年に生れた。鎌倉で勧進
相撲があり優勝した。その年が十七歳であった
ことから、彼のしこ名は鎌倉十七となる。後に
「日下開山鎌倉十七」とも呼ばれる。鳥取藩の
池田光仲侯のお抱え力士となる。
鎌倉十七は六十歳になっていた時に池田侯
の所望で、横綱の元祖明石志賀之助と対戦し、
見事に明石志賀之助に勝った。当時の明石は
破竹の勢いで、誰も勝つことはできなかったと
いう。鎌倉十七のご子孫は鎌倉市に住んでおら
れるとのこと。
また、大相撲一行が鳥取地方に巡業に来た時
には、ときおり墓参するという。
なんで『大相撲人物大事典』がその存在を
抹殺したのか…まったく理解に苦しむ次第。
昭和四十九年二月号の末尾…。
鎌倉十七のこと
鳥取市立川町の広徳寺に力士の墓としては
日本で一番古いものがある。それは鎌倉十七
のである。
広徳寺の住職さんにたずねましたら、鎌倉十
七は宮城県で寛永の年に生れた。鎌倉で勧進
相撲があり優勝した。その年が十七歳であった
ことから、彼のしこ名は鎌倉十七となる。後に
「日下開山鎌倉十七」とも呼ばれる。鳥取藩の
池田光仲侯のお抱え力士となる。
鎌倉十七は六十歳になっていた時に池田侯
の所望で、横綱の元祖明石志賀之助と対戦し、
見事に明石志賀之助に勝った。当時の明石は
破竹の勢いで、誰も勝つことはできなかったと
いう。鎌倉十七のご子孫は鎌倉市に住んでおら
れるとのこと。
また、大相撲一行が鳥取地方に巡業に来た時
には、ときおり墓参するという。
なんで『大相撲人物大事典』がその存在を
抹殺したのか…まったく理解に苦しむ次第。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます