ayamiの子育ち 自分育ち日記

一人っ子の娘は小学校4年生の時に約4ヶ月間の不登校を経験しました。でも今は毎日元気に学校へ行っています。

不登校中のこと 4

2012-11-03 15:27:51 | 不登校だった娘
2/9
7時起床
 
退屈だと言い機嫌が悪い
 
朝食をテーブルで食べる(それまではひとりコタツで食べてた)

適応指導教室のことを聞いてと言うので午後学校へ

娘は図書室で待つ

帰り際担任に会う

担任の先生に会うのは久しぶりだったが普通に話す

「どってことなかった」と言う

今度版画を教えてもらう約束をする

10時布団を敷く 寝つきは良い
 
 【担任とはずっと会わない状態が続いていた
 
この日図書室で待つ娘に思い切って先生を会わせることにした
 
この時はちょっとドキドキしたけど、たぶんもう大丈夫だと判断したので先生にお願いしてみた 
 
先生と打ち合わせをして、渡すものがあったということで直接図書室に先生が向かった
 
一瞬固まった娘、でも、すぐに普通に会話が出来た またひとつ学校が近づいた】
 
 
2/10
 
8時起床

起きてしつこく呼ぶ ので行く
 
朝食はミロとイチゴのみ
 
午前中はお父さんと図書館へ行く
 
夜、学校からの推薦図書の紙を見ながら、本が欲しいと言う
 
私「学校で申し込むの?」
 
娘「駄目なの?」
 
私「申し込むとどこに届くの?」
 
娘「・・・学校」と言ってから泣き出す
 
私「蔦屋で買えば」
 
娘「学校がいいもん 学校じゃ駄目なの?」
 
私「誰が家に届けてくれるの?毎日お便りを届けてもらってもありがとうも言えないよね」
 
娘「じゃあもういい 本は頼まない」 と泣く
 
風呂に入り
 
「学校は今は行かない 行きたくない つまらない どうせ勉強させられるだけ」と言う
 
「そう思うなら行かなければいい」と言うと
 
「でも、また明日は気持ちが変わるかも」と言う

【日々ころころ変わる娘の態度にイライラしてた メモには失敗したこと、まずかったと思ったことだけ書き残してある 
 
言い訳じゃないけど、○がつく会話もあったはず(汗)

この会話はかなり責めてるけど、本が欲しいから申し込んでと言われて、わかったとは言えなかった 
 
わかったと言っても良かったのかもしれないけど、どうしても「学校に行ってないのに」、という私の思いが強く、娘の要求を拒否してしまった
 
何が正しい対応なのか、考えれば考えるほどわからなくなる
 
でも、考えてるより先に自分の気持ちに正直になると、こういう対応になってたんだなと思う】
 
 
2/12
 
夜テレビを見ながらお父さんの足を蹴り、痛いと言われて泣く
 
風呂に入らない、歯磨きもしないで寝る
 
 
2/14 
 
7時半起床 午前中に着替えるようになる
 
適応指導教室へ見学に行く
 
通うのが楽しみだと言い、学校の勉強がどこまで進んでるのかを書き出す
 
早く行きたい 学校は命令されるから嫌と言うが、慣れたら学校に行けそうとも言う
 
「今日から一人で寝ようね」と言うと少しぐずぐず言うが10時半頃寝る

【適応指導教室では、面接の後教室の見学をしたが、中に入ってみる?と聞かれたけど娘は断った
 
どんな気持ちなのか私にはわからない
 
でも帰りの車で「楽しそうだった。早く行きたいな」と言っていた
 
それが本心なのかわからなかったけど、そうだねと言った
 
夜はそれまで一緒に添い寝してたが、この日から一人で寝るように言う
 
とはいえ子ども部屋でなく、リビングの隣の和室に一緒に寝るのはそのまま
 
一人で子ども部屋で寝るようになったのは6年生からだった
 
適応指導教室の入室日が21日で、それまで毎日のように早く行きたいを繰り返していた】
 
 
2/15
 
6時半起床
 
玉子焼きを自分で作るからと目覚ましで起きる
 
着替え、布団を自分でたたむ
 
ピアノ、ビーズをする
 
お腹が痛いと携帯に電話
 
「冷えると痛くなるんだよ、寒ければ着る、暑ければ脱ぐ」と教える
 
お風呂で「学校行けるかな」と言う
 
適応教室に慣れたら行けそうと言う
 
でも、学校は命令されるから嫌と言う
 
【学校行けるかなという娘には、うん、行けるよと答えてたと思う
 
逆に命令されるから嫌と言う時は、そうなんだと励ましたり否定しないで聞いてたかな】
 
 
2/19
 
目覚ましで7時半に起きて私を呼ぶが、行かないと自分で来る
 
パンを食べ、着替えなど自分から進んで動く
 
午前留守番
 
午後はひとりで楽しそうに遊ぶ
 
夜元気がない
 
その前に教頭先生から電話があり、それを気にしたのか?
 
10時、具合が悪いと言うが、そうでもなさそうで、すぐ寝る
 

2/20

目覚ましを一旦止め8時起床
 
午後自分から保健室へ行くと言う
 
たまたま保健室の先生が5時間目の保険体育の授業に娘を誘い授業を受ける
 
友達と下校
 
学校楽しかった 適応教室で勉強して学校に行くと言う

【久しぶりにクラスの友達と会った
 
教室に戻るにはそれほどハードルは高くないと思った】

不登校中のこと 3

2012-10-31 13:59:10 | 不登校だった娘

2/1

8時20分起床

頭が痛いと言う

朝私がお父さんを送って帰ってくると、治ったと言いおにぎりを食べる

算数は説明を聞こうとしない

午後はブックオフに出かける

夕方先生の持ってきた社会のプリントをする

版画の下書きをする

2月中に行けそうと言う

3日続けてお風呂に入る

 【学校が少しずつ近づいていた

 そうなるとどうしても勉強の遅れが気になる

 勉強がわからないとまた行けなくなるのではという不安から、どうしても意識がそっちに行く、

結果勉強はしない わかってるけどなんとかしたい、そんな自分自身との戦いだった 

子どもを変えるんじゃない、私が変わるんだ 頑張れ私、焦るな(今更だけど)】

 

2/2

8時40分起床

保健室に行く?と聞くと「行く」と言うがその後すぐにやめると言う

頭が痛いから

それから手袋が欲しいから買いに行こうと言う

私がむっとしてトイレに行き、黙って外に出ようとすると追いかけてきて「行かないで」と泣く

「漢字をやる」と言うが

「無理しないでいい」と言うと

「無理じゃない、やりたいから見てて」言う

夜「お母さん出て行かないでね」と言う

お父さんと算数をやる


 【保健室に行くと言ったのに、やめて買い物に連れて行けという娘を受け入れられなかった

それに対し、見捨てられたと感じたのか私の機嫌取りのために勉強をする

あの時は誘導してしまって逆に不安にさせて駄目だなって思ったけど、

ここで「お母さんのほうこそ冷たくしてごめんね」

なんて言わないでよかったと思う たんたんとした態度は難しかった どうしても冷たくなってしまう

依存度が高かった娘は私の態度で不安になった 

じゃあどうしたらよかったんだろう

今なら、頭が痛いから保健室には行かないと娘が言ったのならそのまま受け取る

その後手袋を買いに行こうと言ってきても、「今日は行かないよ」とはっきり伝えるかな

無視して出て行こうとしたから不安になったんだと思う 全て私の行動が娘を不安にさせていた】


2/3

9時起床

図書館に行こうと言うが「お父さんと二人で行けば」と言うとじゃあ行かないと

私の顔色を伺う

なんでお父さんと行かないの?と聞くと

今日はお母さんと行きたかった 明日はお父さんと行こうかなと言う

気を使ってる感じがする

夜は眠れない

 
2/5

8時半起床

保健室に行こうかなと言うけど行かない

午後、暇だからどこかへ行こうと言ってくる 一輪車とかなわとびがしたいと言う

私が「どこで?彩は行くところがあるのにね」

と言うと怒る

私が「お母さんは買い物に行くね」と言い、出かけるとすぐに電話が来て

「やっぱり保健室に行く」と言う

保健室に進んで先にノックして入る 一時間ほどして先生に送ってもらい帰って来る

夜はひとりで寝ると言うが、眠れずに何度も私を呼ぶ

 【この頃は眠れない日が多かった 自分の中でいろいろ考えていたのだろうと思う

行かなくちゃ、でも恐い、飛び込み台の上で迷ってる感じ

「どこで?彩は行くところがあるのにね」

これはかなり嫌味だったと思う

行く行かないに振り回されてつい出たとはいえ我慢しなきゃね

一人にされてすぐに電話で「保健室に行く」と言ってきたのは

お母さんが怒った、学校に行かないと捨てられるとか思ったんだろうか、

と当時私は娘に無理をさせてるようで随分悩んだ

悩んだけど、それでも時々保健室に行こうかなと言ったり、

勉強も少しだけどやるようになってきて、もう後へは引けないというか、

戻るわけにはいかなかった】

 

2/6

7時50分起床

何もすることがない、暇だと言ってだらだら過ごす

私の友人の誘いに一旦は乗るが、止める 

午前中私が出かけると何度も電話をよこすが、最終的に電話にでると、おなかがすいたと言う

午後

娘「お腹が痛い」

母「冷たいものばかり飲んでるからだよ カイロをあてれば」

言うことを聞かない娘に

母「お母さんの言うことを聞かないならいちいち聞かないで」

娘「ごめんなさい プリントしようかな」

でも、結局しない

夜は寝なさいは言わない

寝ようかなと言って自分で目覚ましをかけて寝る

 

2/7

7時半、目覚ましで起きる

午前中のうちに着替える

一時間ほど留守番 

夕方先生が連絡帳を持ってくるが娘は会わない

その後風呂で「学校どうしよう 行けるかな このまま5年生になっちゃうね」と言う

10時に布団に入るが、一緒に寝ようと言う

 

2/8

7時半目覚ましで起きる

私が出かけようとすると、

「どうしよう、暇だな、学校行こうかな」と言う

結局行かない

午後は図書館に、夕方は私とウォーキングをする

夜お風呂に入りながら

「どうしよう、5年生になっちゃうね」と昨日と同じ感じで言う

「行きたくなったら行けば~」と言うと

「行きたくならないし、つまんない 勉強も嫌」と言う

「そうか~ あのさ、もしね、不登校の子が行く場所があったとしたら、行ってみたい?」と聞くと

途端に顔が明るくなり「そんなところがあるの?行きたい」と言う

【私の機嫌をとるように、勉強しようかなと言う娘、でも言うだけで行動は伴わない

私はそんなに勉強をさせたがってたんだろうか?

ただ何もしないで楽しい不登校になってるのを見るのが嫌だった

ここは我慢の時だったと思う

娘の「行きたくない」は本音ではない、行きたくないなら学校どうしようなんて言わないはず 

どうにかしたいけどわからないんだなと思ったので、ここは一か八か適応指導教室のことを出してみた】


不登校中のこと 2

2012-10-29 10:30:23 | 不登校だった娘

1/24

7時40分起床

一時間ほど留守番 ピアノの練習をしたようだ

午後は市立図書館へ行き、夕方ピアノへ

疲れてるようにみえる

ピアノの後眼科へ行き、メガネの処方をしてもらう

 ( 小学生がいても不自然じゃない時間帯になると図書館にはよく連れて行っていた

 ODの症状が少しずつ軽くなっても学校と言った途端に頭が痛くなる娘

 昨日一日保健室に行ったからといって急には変わらない )

 

1/25

8時20分起床

午前中私がYさん(マンションの友達)の所へ行き、留守番をさせる

一時間ほどすると電話で「鼻が出てつらい」と言うが機嫌は悪くない

午後ダイソーへ行きたいというので連れて行く

車の中で「お母さんは今度いつ学校へ行くの?」と聞く

勉強は公文のドリルを出すがやらない

夜お腹が痛いと言う 下痢をしたようだ

風呂はやめると言うが9時過ぎに「頭が臭くて気持ち悪い」と言うので

 「お風呂に入れば」と言うと 「もう遅いのにいいの?」と聞く

寝る前に 「いつ学校へ行こうか、春休みになっちゃうね やばいよね 保健室行きたい」と言う 

 ( 先日保健室に久しぶりに登校できたことで少し前向きになっている

 そのことで、私が学校へ行くなら勉強をさせた方がいいと思っている

 公文を出してもやらないのは親が誘導してるから

 お風呂に入る時間を気にするのもそれまでの親の価値観の押し付けから自分に自信の持てない子にしている

 それまで私は9時には宿題もお風呂も全て終わらせるようにうるさく言ってきた

 子どもを管理しようとしていた こういう自分を変えていかなければ子どもは自分の価値観で生きれなくなる

 まだまだ親の提案先回りが多い )


1/26

8時10分起床

午前、私が「銀行に行くけど一緒に行く?」と聞くと、どうしよう、どうしようとしばらく悩む

学校へ行くことを考えてる風に思える

午後は市立図書館に行って本を借りる

夜は元気に過ごす

勉強はしない

 ( 銀行へ行こうと誘って、外へ出ることで学校へ行かせようとしている

 娘の行動に待ちきれない私がいる

 こういう時のやりとりは難しかった

 子どもを動かそうとしてはいけない

 誘導しても子どもは動かない

 頭ではわかってるけど、なかなか

 子どもと二人で家に閉じこもってても何も変わらないように思えた

 娘はそんな親の思いを察していたのではないかと思う )

 

1/27

7時に雷で一回起きるが、又寝て9時に起きる

午前中は機嫌よく過ごす

午後は友達の家へ

夕方メガネをとりに行くが、似合わないからかけないと凹む

 ( 友達と遊ぶのは、私がそのお母さんとメールでお願いしてた

 自分から電話は出来なかった

 メガネが似合わないと機嫌がかなり悪くなったが、なだめたり機嫌をとるようなことはしないように気をつけた )

 

1/29

8時30分起床

私から「また保健室に行く?」と聞くが う~んと言うだけ

その後プリントを2枚する

DSの充電器がないと怒るが、知らないよと相手にしない

その後あやまりにくる

 ( まだまだ誘導してる 今振り返るとけっこう学んでない私(汗)

 この頃はよく午後から娘と出かけていた(だいたい3時過ぎ) 

 基本不登校中に出かけるのはNGだと思う 

 でも、どうしても二人で家にこもってるのが耐えられなかった 外の空気が吸いたいと思った 

 夕方下校時間友達の姿を見つけ隠れてた娘 どこかで気づいて欲しいけど休んでる姿を見られたくない、

 そんな風に見えた こんな姿にしてごめんねという気持ちでいっぱいだった )

 
1/30

7時40分起床

一週間ぶりに午前保健室に行って折り紙をする

楽しかったと言う

担任の先生が夕方お手紙を持ってくるが会わない

 ( この日は私が校長室で先生たちと面談、今後の相談や家での様子を伝える

 それまでマンションの友達が毎日お便りを届けてくれていたが、インフルエンザになり

 それをきっかけに、今日から私が届けますと担任の先生が言ってくれた

 担任は不登校のきっかけにもなった先生なので、娘はずっと拒否していた

 会わなくても先生はそれから毎日きてくれた )

 

1/31

8時30分起床

もう少しで行けそうと言うが漢字はやらないと言う

夕方プリントをやろうとするが習ってないのでわからないとすぐやめる

今日も先生には会わない

 ( 行けそうという期待させることを言うけど、行動は伴わず、裏切られた気分になることも 

 私は勉強はみてあげてなかった 私がみるとどうしても甘えが出るので

 時々お父さんが教えることはあった 娘はお父さんの前ではいい子だった 

 やらないと言う娘には、そう、とか、うんとかで応えてたと思う 批判や評価はしない、

 かといって無関心でもなく 難しいけど、心がけるだけでも違う )

 

学校へのお願いは、毎日の授業の内容を簡単で良いので教えてほしいということ

 

 

このような手紙が12月6日から3月20日まで続きました

席替えをしたこと、班のメンバーのこと、係りのことなど全て丁寧に教えていただいてました

いつでも戻れるように、不安がないように、娘はこの手紙を毎日受け取ってすぐに確認していました

ただただ感謝の気持ちしかありません


不登校中のこと 1

2012-10-26 10:42:16 | 不登校だった娘

娘が学校に戻ったのが2007年3月でこのブログを始めたのが6月でした

今までも振り返って書いてきましたが、具体的にどうだったのかを今回日を追って書こうと思います

ベースは今回もmixiで書いた日記です

2006年10月最後の金曜日以降娘は学校に行けなくなった

2006年冬

不登校になって2ヶ月

あの頃のメモから ( )内の言葉は今回書いたものです


 

12/22

8時起床

朝起きるのが遅くなってきてる

歯磨き、着替えはしない

午前中は頭が痛い

漫画、ゲーム、年賀状作りで過ごす

少しのことで激しく怒る、我慢がきかない

掃除を手伝う 勉強はしない 友達が来ると楽しく遊ぶ

 

12/24(冬休み)

昼はマイナスな発言が多い

寝ぐせがあるから友達と遊べないと暴れる

髪を洗ってから遊ぶ

(冬休みに入り友達と遊ぶのを楽しみにしてたのに、寝ぐせくらいで遊べないと怒る娘が理解出来なかった

なだめたり、髪を洗えば、と提案した覚えがある 反発し、暴れていたけど、最終的に洗って出かけた)

 

12/27

午前一人で留守番

頭が痛いと携帯に電話 具合悪そう

夕方ヤマハに普通に行く 夜友達母娘と食事

 

12/28

友達が遊びに来る

家に遊び道具がないからつまらないと言う 物を欲しがる

(この日は午前中に友達の家に行き午後からその友達が家に来た。

友達の家に比べてうちには遊び道具がないのでつまらないと文句を言う。

つまらないのは道具のせいではないと思ったけど、後日何か買いに行った記憶があります。

買っては駄目だよね)

 

冬休み明け

起きてすぐにゲームをする 食欲はない 暇でつまらないと言う

習字をするがうまく出来ないとあばれる


(この暴れようは酷かった 墨のついた筆を手に押し付けて真っ黒にして、異常な行動に見えた

 習字は体育館に貼るから書いてねと先生からお手紙で言われ書く気になった 

やはり学校が気になるのだな、頑張りたいのに思うように出来ないでイライラするんだな、娘に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

荒れる娘をただ気が済むまで暴れてもいいんだよという気持ちで怒るでもなく、たんたんと見つめていた)

 

午後から出かけると少し気が晴れる

(二人でいると煮詰まってしまって、よく夕方車で出かけた。途中ランドセルの小学生を見てよく泣きそうになったな)

 

冬休み中より頭が痛いということが多い

学校は行く気がしない めんどくさい 勉強なんて無駄と言う

友達と遊べないのが辛いという 5年生になったら何の委員会に入ろうかなと言う

(マイナス発言が多い 行きたくないというのに、何の委員会に入ろうとか矛盾が多い

 その中に本音が見え隠れしてる

本当は遊びたいし、学校も行きたいのだと思った

ちらっと本音が出た時は、その話をもっと引き出すように質問すると話しがどんどん出てきた 

3年生の時の楽しかった話とかをよくしてた

 私は楽しそうに聴いていた)

 

1/15

寝る時間が遅くなる 眠くない つまんないと泣く

学校に行けないので起きてもつまらない 起きるのが辛い 勉強がすごく嫌、やりたくないと言う

(本当は行きたいんだというのがよくわかる ひたすら聴くだけ)

 

1/17

8時に起きてゲームがしたい、どうしよう?と聞く

自分で決めてと言うと、

わからない、やりたいけどまだ朝だし、駄目なんでしょう?と言う

自分で決めてと言うと、決められないと言う

しばらくその繰り返し 結局やるといってゲームをする

お腹がすいたと言うのであるものを出すが、食べずにココアだけ飲む

お昼のラーメンを残す


家にあるものは嫌だと言うのでほっておく


私がアップルパイを食べてたら半分頂戴といって食べる

(母親の法律を意識してた頃 子どもの好みは聞かない 食べないならさっさと片付ける 

でもどこか甘い私は子どもの前で何気に一人でおやつを食べ一緒に食べてもいいのよ~のアピールしてる

この頃私が母親の法律を知らなかったら、娘のわがままは更にエスカレートしていっただろうなと思う)

 

1/18

知り合いのOさんに家庭教師として来てもらう

算数をしていたら、簡単な問題でつまずく

その日のことはブログに書いてあります → こちら

 

1/19

午前、冬休みの宿題をする

教科書を見ながら自分で解く間違いを教えようとすると怒ってやめる

時間をおいて説明すると理解して又やり始める

火曜日に私と学校へ行くと言う

 

(少しずつ勉強をする気持ちが出てきたらやらせようと焦る私がいる

人から教えられるより自分でやるという娘はプライドが高かった

火曜日はたぶん私が学校に相談に行く日だった)

 

1/22

8時起床

何もしないでぐずぐず言う

勉強したくないアピールに見える

明日は行かないと言う

私が出かけようとすると一緒に行くと言うが断る

勉強するから見ててと引き止める

計算ドリルをする 明日はやっぱり行くと言う

私が買い物に行くと何度も電話で、まだ?と聞く

私の顔色を伺う

(毎日変わる娘に翻弄されそうだった まさにジェットコースターのような日々

 怒らない、たんたんと、わかってるけどかなり難しい

 勉強すればお母さんの気を引けると思ってるところがあった 私がそう思わせていたのだな)

 

1/23

(火曜日、私が学校に相談に行く日)

学校に行く直前に、やっぱり行かないと言う

私が部屋を出ると探しに来て「どうしようどうしよう」と言う

「行く時間を遅くして、休み時間じゃない時間にして」と言う

しぶしぶ一緒に行く

娘は保健室で先生と楽しく過ごす

寝る前に「保健室楽しかった」と言う

(私への依存度が高く、顔色を伺う 一度行くと言いながらも何度も迷う、その時に部屋を離れたのは正解だったと思う

 結局しぶしぶでも自分で行くと言いついてきた 学校へ行ったのは久しぶりだった)

 


通知表

2012-10-24 09:00:01 | 学校

娘の高校は3学期制

通知表を夏休み前に貰ってきたけれど、なんだか小さい紙切れ一枚でありがたみがない

え、これだけ?みたいな 

保護者が一言書くこともないので、見せなくてもわからない

あの、ひとこと書くのが苦手だったからちょっと助かる

私は高校生の時親に通知表見せなかったな

それをお父さんに言ったら

「親にお金出してもらって学校行かせてもらってんだから見せるのは当然 見せなかったって威張ることじゃない」

そうだ~ ごもっとも

娘はテストも全部見せてくれる

見ても全然わかんないけど

通知表でやっぱり一番嬉しいのは

欠席0ってところ

 

 


社会性を身につける

2012-10-18 09:54:40 | 娘のこと(高1)

この時期ティッシュが手放せない娘

朝からブーン、チーンと鼻をかみます

なのでティッシュの減りの早いこと

昨日も空のティッシュ箱が置いてありそのまま放置されたいたので

ちょっと~ 新しいの出しておいてよ と言おうとしたけど、今私は使わないのでそのまま気づくまでほっといた

そのうちお父さんが帰ってきて使おうとしたらティッシュがない

お父さんは「空じゃん」と言って自分で出してきた

リビングにきた娘に

「最後に使ったんだから新しいの出しておきなさい」と言うと

「はいはい」とめんどくさそうに言う

自分が使って最後だったら替えておくって常識だと思う

洗面所を使ったら拭いておくとか

次の人を思いやる気持ちがないのは駄目だよね 社会に出せませんから

根気よく「汚れてるんですけど~」「髪の毛落ちてるんだけど~」と言い続けてます

時には「お母さんは神経質だね~」とか「そんなに怒らないの」とか「わかった」とか

こっちにしたら何度言わせるんだよ~って思うんですけど、見につくまでは言い続けるから

 


追記

2012-10-17 11:08:39 | 不登校だった娘

前回の記事に「喜怒哀楽のある感情豊かなお母さんでいようと思った」と書きました。

でもそう思えるようになったのは、親の気持ちを前期中期後期と分けるなら不登校後期の頃です。

あれこれ悩み迷い試行錯誤の結果そう思えるようになりました

なので、今現在子どもが学校に行かなくて悩んでるのに、そんな喜怒哀楽のあるお母さんなんて無理って思われた方、それはそうです

最初の頃は、訳もわからずとにかく病気を治すことしか考えられませんでした

その後ストレスからくるものとわかり、ゆっくりする、ストレスをかけない、楽しい時間を過ごすと言われ、それらを心がけたけど何か違う、何か足りないように思ったし、楽しく過ごすなんてとても私には出来ませんでした

子どもが不登校になると親は慌てるしどうしてうちの子が?とパニックにもなるでしょう

この暗闇からどうやったら抜けられるのか途方に暮れます

気持ちが落ち着くまでは人によりますがある程度時間は必要だと思います

情報を得ようとネット検索する人、本を読む人、人に相談する人、様々ですが

親が変わらなければいけないのだと気づいた人、感じた人はそこが第一歩だと思います

子どももまた学校に戻れるまでは時間が必要です

私は娘が復学後にブログを始めましたが、それは自分のためでもあり、また同じように困ってる人がいたら少しでも力になれたらという気持ちもありました

そして、2008年にメロディさんとmixiでコミュニティを作りました

悩んでる人に伝えたい、一緒に頑張りたい、自分も元に戻らないよう学んでいきたい、そんな思いでした

小学生の母でしたので、中学生の相談等は未知の世界でしたが、幸い多くの人に助けられながらやってきました

今は管理人を降りましたが、何か力になれたらという思いは変わらずにあります

ブログもmixiもいつまで続けられるのかなって思うけど、娘はまだ高校生だし、今後またいろいろ問題も起きるでしょう

人は生きてる限り勉強していくんだなって思います

 

 

 

 

 

 


支援を受けなかった我が家の対応と考え方 4

2012-10-11 09:30:17 | 不登校だった娘
自分と向き合うと前回書きましたが、具体的なことを書くと
例えば、宿題をなかなかしない娘にイライラした時など
どうして私はイライラするのかと自分に聴いてみる
宿題を終わらせないと早く寝れない→朝起きれない→機嫌が悪くなる→機嫌が悪くなり当たられるのが嫌
宿題をやらないまま寝る→そのまま学校に行く→先生に怒られる→娘がかわいそう
などの理由が見えてきます
でも、かわいそうなことなの?  結局は後始末が面倒なだけなんじゃないの?
つまり、この場合のイライラは自分の安心が得たいがためのイライラだったと気づきます
極端な話、宿題しようがしまいが関係ない、命に関わる問題でもない限り心配しなくたっていいのです
そのくらいの覚悟が私には必要でした
もし、子どもの方から「宿題やりたくない」とか言ってきたら「そう、やりたくないんだ」とやりたくないという気持ちを理解して
「難しいのが出たのかな?」とか違ってもいいから、子どもが感情や気持ちを出せるような言葉をかける
これも小学生だから出来たことかもしれませんが、
今高校生の娘もなんだかんだと勉強の大変さをアピールしてきますが、私は「大変なんだね~」とか「そんな難しいのをやってるんだ」とか共感し、聴くという姿勢は変わりません
 
ゲームやパソコンばかりやってるのも心配です
なぜ心配なのか
目が悪くなる 遅くまでやってると身体にも悪い 何か悪いサイトから抜けられなくなるのでは等の不安 
もし、私だったらその心配なことをアイメッセージで伝えるかな
ゲームについては理解出来ないけど、嫌悪感は出さず楽しそうだねとか興味を示すかな
現実逃避の世界から現実の世界も楽しいよって感じられるような家庭環境にする
ゲームも楽しいけど、友達と遊んだり家族と話したりするのも楽しいと思ってるならそれはそれでいいのかな
 
子どもの話をよく聴き、共感する、気持ちを理解しようとすると子どもも親を信頼するんじゃないでしょうか
子どもは大人をよく見てます。
表面だけ変わってもすぐに見抜きます。
子どもの困った性格をなんとかしなければ、でなく親が変わること、そうやって親に気づきを与えてくれた子に感謝したい。
実際私は自分の子育てに悩んだとしても、娘が不登校にならなければきっと変わることはなかったと思います。
子どもを見過ぎない、と言いながら変化を見逃さないって矛盾してるようですが
ストーカーのように見張るのでなく、目は話しても心は離さない
やはり親と子の信頼関係が大事ではないかな。
 
親が非常識な親から常識ある親に変わっていくと、子どもは今までのわがままがまかり通っていた状態が通用しなくなり、一時的には荒れるけど、駄目なものは駄目なんだという親の態度に納得するようになりました。
それは子どものほうが常識があるから、世間ズレしてないから、大人より素直だから
 
あと私は喜怒哀楽のある、感情の豊かなお母さんでいようと思いました
面白いことを言った時は思い切り笑う
お母さんが笑うと子どもは元気になります
それも、自分の言った事でお母さんが笑うって子どもは嬉しいでしょう
家の中を明るくしてはいけないのかもしれないけど、
例えば、不登校中に気分転換といって遊びに誘うとか、そういう楽しみ方は効果ないし、むしろ気を使いすぎて逆効果ですが、ちょっとテレビを見て笑うとか会話を膨らませるとかそのくらい。
あとうちは一緒にお風呂に入ってそこでいろいろ話をしました。
今の不登校の状態を認めるのではないけど、否定もしない
「まだ学校行かないよ」という娘に
「ふ~ん、そうなんだ~」と、でも悲しい顔はしなかったと思います。
きっと行ける日が来るけど、今はしかたないんだねって気持ち
自分から行きたいと思うようになるには、気持ちが前向きになるような環境作りは大事かと思います
気持ちが前向きになるような話の聴き方、会話を心がけました
時には子どもの気持ちになり一緒に考えたり
マイナスなことも拒否しないで、そのように感じてるんだと、そういう感情を持ってるんだねって気持ちで
 
家にいると退屈だけど、居心地はいい、でもやっぱり学校に行って友達と遊びたいな、そんな風に思うようになったら娘は動き出したように思います。
状況をみて背中を押す必要があると思いますが、タイミングが大事です
前向きな発言や行動が見えてきたら、そのタイミングで誘導するようなことは言ったと思います
家庭によって、子どもによってやり方は違うと思いますが、親としての姿勢や考え方は共通してると思います。
 
今でも私は雨が降れば送ってあげたいなという気持ちになります。
こんな天気の中大変だなって思います。
でも、人生嵐の日もあれば吹雪の日もある。
経験しなければ晴れた日の清々しさはわからないこと
子どものためになることはどっちだろうと考えたら黙ることが出来ます
これからもぶれない親になりたいなと思います。
 

支援を受けなかった我が家の対応と考え方 3

2012-10-10 13:46:53 | 不登校だった娘
自分がやってきたことを変えるのは難しいことです
でも出来ないのでは、とか考えませんでした
出来るだろうか?ではないのです、他の選択肢はなかった
やるしかなかったというか、子どもが学校へ戻れるなら喜んでやりたいと思いました
わからないから出来ないでなく、とにかくやってみてから考える
どうも私は頭で考えてるより体や感覚で覚えるタイプのようです
 
ただそのことに気づくまでは2ヶ月ほどかかりました
最初の2ヶ月間は泣き暮らしていました
親の心境にも段階があるんでしょうね
 
以前にも何度か書いてると思いますが、私が行動する原動力になったのは
「小学生の不登校はこうしてなおす」という本です
何十回も繰り返し読みました
主人にも読んでもらいました
主人は「この通りにやったら子どもはいじけるんじゃないか」と言いました
半信半疑のようでした
実際そうかもしれません
とんでもないことになったという人もいるでしょう
なので積極的にお勧めはしませんが、
私の場合は合っていましたし
このくらいきつくはっきり言われないと目が覚めなかったでしょう
 
そしてこれも何度も書いたかもしれませんが、私はこの通りにやったのでなく、親としての有り方考え方を学び
自分なりの子どもに合った方法を本を参考にしながら探したのです
相談機関などでよく言われる待ちましょうという言葉
親子で楽しい時間を持ちましょう
不登校だっていいじゃないですか
エネルギーが溜まれば動き出します
そう言われて頑張れる人もいるし、癒されて立ち直れる人もいる
人それぞれ合う合わないはあると思います

親が余計なことを言わなくなってからの子どもの変化ですが
それまでのわがままが少しずつ減ってきました
ただ好きなことは出来るが勉強はしない
たまにやると言うが長続きしない
その時期は親は焦らず、まだ勉強に向かえる状態ではないのだなと気持ちを理解する
楽しそうに見えるが本心はどうなんだろう
勉強は好きなら別ですが、我慢が必要なもの
当時の娘には一番向き合えないものでした
 
不登校になると昼夜逆転やゲーム三昧になる子もいます
罪悪感があるかないか? いけないとは思うけど何も言われないし、ゲームの誘惑に勝てない
ルールがなくても自分を律することが出来る子ならいい
これ以上はまずい、叱られる、我慢しよう、と思える子ならいい
出来ないなら、我慢を覚えなければいけない
日々の生活で我慢する機会を与える必要もあるでしょう
昼夜逆転やゲーム三昧の姿を見るのはやりきれない思いですが
黙ることはほったらかし、無関心とは違います
口で注意する前に、そこにある子どもの感情、気持ちを見つめる
そのためには、自分自身を知ること、自分の感情に向き合い思考のクセを知ることが大切だと思います
 
どうしても行かせよう、性格をなんとかしよう、という思いばかりが先にたち子どもを変える方法ばかり考えがちですが、
まずは自分から、急がば回れです
 
子どもの行動で自分の欲求を満足させようとしない
子どもは子ども、私は私です
 
続きます
 

支援を受けなかった我が家の対応と考え方 2

2012-10-05 09:34:22 | 不登校だった娘
「何で何も言わないの? 何か言ってよ 教えてよ」等と言われた時は
お母さんにもよくわからないわ とか う~ん あやはどう思うの? とか 
提案しまくってた私には辛い作業でした。
 
指示してはいけない、命令してはいけない、提案してはいけない 
そのことが頭にあると、固まってしまいます
つい、つっけんどんになってしまい、先の「何で何も言わないの?」になる
決して上手ではなかったと思います
 
娘はそれまであまり荒れることのない子でしたが、それも私が常に娘が気分良く過ごせるように環境を整えていたからかもしれません
何か不足してるものがあれば買っておく、先の予定に合わせてスケジュールの調整をするなど、マネージャーのような存在でした
そんな不足のない生活をしてれば学校という大勢のいろんな個性の集まりの中で戸惑うのも無理はないでしょう
 
子どもが荒れた時、それまでは時にはなだめ、時には説教、
とにかくその場を落ち着かせたいために親の権威をかざし、上から目線で言い聞かせたり、ご機嫌とりをしたり、一貫性のない親でした
それらがいけないとわかっても、じゃあどうしたらいいのか悩みます
 
何か言おうとするから悩むんでしょうね
子どもを変えようとするから悩むんでしょうね
 
何も言わないのではない、子どもを素直にする言葉がある、と本には書いてありましたがそれを自分で見つけるのは大変でしたし、まさに試行錯誤、手探りでした。
 
言って聞かせるのでなく、子どもの話を聴くことのほうが大事です
 
失敗から学ぶと言いますが、どれほど失敗すればいいのかという毎日でした。
一言言うたびに
今のはOK? 駄目だった?と自問自答
 
支援を受けないとなると、子どもの気持ち本心を引き出す先生がいないわけだから、そこを親がやるのは大変 です
おそらく、支援を受けてる家庭に比べたら私の対応は甘かったかもしれない。
母親の法律を全て守ったかといえば、そうではなかった
 
学校に行かなくてお母さんは悲しいという気持ちはあったけど、ずっと悲しい顔ばかりはしていられません
お母さんを悲しませている私は悪い子、という意識が娘の中に多少はあったように思えます
自己肯定感をこれ以上下げてはいけない
余計なことは言わないようにするけど、会話は減らさない
幸い娘はお喋りな子なので、それまで適当に聞き流してたことも一生懸命に聴くようにしました
それも娘に合わせた対応だったかなと思います。
 
困った時に指示を出してくれる人はいないけど、客観的に自分を見るようにするとわかるかもしれません
その為には会話などを書き留めるという作業は役にたつと思います
書いたものを冷静に後で読むと自分でも間違いに気づきます
 
感情で怒ったり否定するのでなく、わがままに対しては毅然と した態度で、受け入れられない要求には出来ないと言う
すぐに結果がでるものではないです、根競べのようですが
その後の子どもの行動などで、良かったのか悪かったのかがわかる
答は子どもが教えてくれるんですね
 
 
失敗することがいけないことではないんです
目標は失敗しないことではないはず
目標は子どもの自立、そのため親が出来ることは何?
失敗したっていいんだ
気づいてそこから学んでいけばいい
 
続きます

支援を受けなかった我が家の対応と考え方

2012-10-03 10:07:21 | 不登校だった娘
この日記は、mixiで友人まで公開として書いた日記をベースに一部抜粋し手直ししたものです。
 
私が参加しているmixiのコミュニティ「復学を目指す親の会」では、復学支援機関を経て復学された方、現在支援中の方、自力で頑張ってる方、さまざまですが、
家庭内対応を学び、子どもを元気にして学校に戻したいという気持ちは一緒です。
 
子どもの不登校でいろいろ学び始めたお母さんが家庭教育という考えに出会い、それまでの子育てを反省し、過保護過干渉から脱出する為にまず指示命令提案をやめるということから始まります。
 
過保護過干渉の親が口出しをやめると、子どもが冷たくされてると感じ自己肯定感が下がるのでは、と不安に思う人もいるでしょう。
子どもも急に変わった親に、冷たくされた、見放されたと感じる場合もあるでしょう。
でも指示命令提案を控えることは決して子どもに冷たくすることではありません。
今まで言い過ぎていた、見過ぎていたのを改めるだけです。
ここで失敗する人が多いし、ここの加減が一番理解しにくいところかもしれません
足し算の子育てから引き算の子育てに変えるって感じかな。
子ども上位の生活を改める、先回りして物を言わないことで最初は戸惑っていた子も最終的には落ち着いてくるのではないかなと思います。
 

当時小学校4年生、性格は完璧主義、真面目、臆病、負けず嫌い、休んでる時は私への依存度がとても高かった娘のあくまでも我が家の場合です
不登校になる前は
「これ食べていい?」→「いいよ、他のお菓子もあるけどどっちがいい?」あるいは「駄目だよ、もうじきご飯だから、お菓子食べたらご飯食べられないでしょ」 等子どもの倍は答える 結果何でも聞いてくる子になる。
「あれどこ?」→「またなくしたの?何やってんの、ほら~ここにあるでしょ どこ見てるの」相手を否定し散々文句を言いながらも場所を教える
「今日何曜日?」→「今日は月曜、ピアノの日だよ 練習しなさい」予定まで答え、おまけに余計なことまで言う 
「○○買って」→「いいよ、いつ行く?」又は「この前同じようなの買ったから駄目」
「今日は雨が降るって天気予報で言ってたから持って行って」 傘がいるかどうかも聞かれてないのに先回りして教える 学校にいる間に雨が降ってきてわざわざ届けたこともありました。歩いて10分もかからない学校なのに
「今日は寒いからこれ着てちょうだい」 風邪をひかせたくないから、先回りの提案

このような会話が日常的でした。

でも不登校になり、全ての会話が間違ってたというところからスタートした私は
何を聞かれても即答出来ず

「これ食べていい?」→(何て言おう?いいよって言ってもいいのかな?自分で考えてね、って言えばいいの?)
「あれどこ?」→「さあ、知らない」(知ってるけど)
「今日何曜日?」→「えっと~ 何曜日だっけ?」
「○○買って」→(.....え....あぁ何て言おう)曖昧な返事
傘がいるけど教えた方がいいんだろうか? 
「今日何着ればいいの?」→(そんなこと自分で決めてほしい)「わかんない、着たいの着れば」
正しいか間違ってるかもわからない、簡単なことにもしどろもどろだけど、とにかく即答で答えたり、子どもの喋った数より多くを言わないように気をつけました。
ただ、黙るというのは親にとってもストレスで、何気なく気づくように教えてみたり、
例えば寒そうだなと思ったら外を見て「今日は寒いからお母さんは一枚多く着ようっと」等言ってました
これも先回りだろうかとも思いましたが、それでどうするのかは子どもの問題として
このように今までの態度と違ってくると娘は
「怒ってるの?」「何で何も言わないの?」「ねえ、どっち?」「わからないから聞いてるのに」
等反発も出て、なかなかスムーズにはいきませんでした。
 
怒ってるの?と言われたら、どう返すのがいいのか
怒ってるように見えるんだね、と返せばいいの?
でも、毎回同じになるとどうも私にはその返しが出来なくて
本当に怒ってる時は「別に」とか「ちょっとね・・・」とか怒りよりも悲しいという顔で
そうでない時はあっさりと「怒ってないよ~」と淡々と、ちょっと笑顔でそのことは気にしてませんよって感じで言ってたような気がします。
その時も、「子どもにはお母さんは怒ってると映ってるんだな」ということを理解するのが大切かと思います。
なかなか何が正解なのかって言えませんが、支援を受けずに第三者の介入なしで親だけの対応で、となるとつまずくことが多いです
 
 
長いので続きます
 
 
 

性格を変える

2012-07-31 12:59:18 | 娘のこと(高1)

不登校になる子の性格として、わがまま 神経質 臆病 などありますが

不登校にならなくても、不登校児の性格を持ってる子はたくさんいるのでは

わがまま プライドが高い 切れやすい 神経質 臆病 完璧主義 

不登校に関係なくどの子もどれかに当てはまるのではないかと思う

ではなぜ不登校になる子とならない子がいるの?

どこが違うんだろう?

この性格を直せば学校に行けるの?

直さなければいけないの?

子どもの個性じゃないの?

確かにそうかもしれない

ただこれを疑問に思ってたらきりが無い

ここで目を向けるのは、これからどうしたいか、どうなればいいと思うかということ

性格を変える必要がないと思うならそれでよし

でも、このままではいけない なんとかしなければと思うなら、ここで疑問に思ってたら前へは進めない

娘は、真面目 臆病 神経質 心配性 繊細 という性格を持ってると思う

不登校前も、不登校中も、学校に行ってる今もその性格はある

ただ、変わったと思うのはどの部分も「○○なほう」になったこと

真面目なほう 臆病なほう 神経質なほう

宿題をしなければ学校に行けないと思ってたのが、忘れてもいいやとおおらかに考えられるようになった

友達のちょっとした言葉でも気にしていたのが気にならなくなった

完璧に出来ないと癇癪を起こしてた娘が、まあいいやと思える子になった

周りの人によく見られたい意識が強かったけど、ダメな自分も出せるようになった

元々の性格は変わらないけど、考え方に柔軟性を持たせることで

娘自身が随分と楽になったのではないかと思う

では、どうやったら変わるのか、

真面目な子に真面目に考えるなと言ってもそれは無理

臆病な子に恐がるなと言っても無理

心配性な子に心配するなと言っても無理

やる気のない子にやる気を出せと言っても無理

そう、言葉で伝えても無理なんです

それまでの育て方でそういう性格が形成されたのだから、

時間をかけてまずは親が対応を変えていくことです

そして子どもを変えようとしないこと 変えなくてはと思わないこと 変わるんだろうかと期待しないこと

自分以外の人間を、たとえ血が繋がっていようと、人を変えるなんてとうてい無理な話

でも、自分を変える、自分から変わることなら出来るんです

子どもに対する不足不満の気持ちを捨てること

どうしてうちの子は・・・と思わない 子どもを責めない

そのように育てたのは誰?

過保護だった私、道しるべを立てすぎてた私、子どもにばかり目を向けてた私、

子どものためと思って提案ばかりしてきた私、

失敗した後の後始末が面倒だからと失敗させないようにしてきた私、

その私を変えていかなければ、子どもは自分の人生を自分の力で歩いていける人になれない

おかげ様で、随分と忍耐力がついたかもしれません

娘はまだまだ子どもの部分もあるけれど、確実に成長しています

自分で 「言っとくけど私相当学校で楽しそうだよ」 と、どや顔で言います

自分の高校時代が思い出されます、毎日笑ってた教室の景色が浮かびます

時代が変わったとはいえ、学校生活が楽しいという感覚は変わらないと思います

子どもを育てさせていただいてる、おかげ様で私も成長させていただいた、今は謙虚にそう思います。

 

 


高校の懇談会

2012-07-27 11:57:47 | 学校

ブログを60日以上更新しないとテンプレートが変わっちゃうんですね~

なんだか地味~なブログになってしまってました

ってことで、更新します

2ヶ月も放置してたんですね

娘は元気に女子高生してます

今日は高校の懇談会(先生と親の二者です)

高校の玄関で職員室の場所を確認してたら、

「○○さんですね」って担任の先生から声を掛けられました。

なんでわかったの? そんなに似てるかしら?

まず担任から言われたことは

個性を上手に出してますね 人とのコミュニケーションをとるのも上手です と なんだかたくさん褒めてもらって

褒め上手な先生のようです。

家での様子を聞かれ

家でも多分学校と変わらないと思います。学校生活を楽しんでますと伝えました。

親子で仲良さそうですね、って言われました

この時期の懇談会では成績の話はしないのですが、あえてしますねと言われちょっと焦りました

娘の成績はあと2,3点あれば評価が上がるという教科が多いそうで

先生が仰るには「もったいない」のだそうです。

欲が無いんですね うっかりミスは相変わらず減らず それが無くなれば多少はいいんでしょうが

10分足らずで懇談会は終了

高校に入学してから4ヶ月、大きく成長したんじゃないですか、と言われましたが、本当にそのとおりです

今は文化祭に向けて頑張ってるようです

娘はクラスの代表になったようです

先生は

「おそらく、やっていく過程でうまくいかないことが多いと思います それでも最後はよく頑張ったと言ってあげたい 応援してますから」 

と仰っていただきました。娘が言ってたけどこの先生かなりいい先生です。

うまくいかないという経験をたくさん積ませてあげたいです、よろしくお願いしますと頭を下げて帰ってきました

帰りに娘からメールが入ってて見たら

「とんこつラーメンある?」って

私が先生と話してる間に何だ?このメールは

 

 

 

 


起立性調節障害と不登校

2012-05-16 12:58:42 | 不登校だった娘

高校生になり、毎日楽しく学校生活を送ってる娘

箸が転んでも可笑しい年頃なのか、学校が楽しくて好きでたまらない、そんな感じ

 

起立性調節障害と診断され不登校になったのが6年前、そうあれからもう6年もたちます

娘のOD症状は今どうなのか、というと大きな症状といえるものはありません

小さな症状は時々立ちくらみがある、顔色が悪い、くらいで生活には特に支障もありません

じゃあ、ODは治ったのか?と言われると・・・

身体症状があっても薬を服用せずに日常生活に支障が少なくなった状態を治ったというのなら治ったのでしょう

これは体質だと思うし、私も低血圧で立ちくらみもよくありますが、普通に生活してます

ひとつ言えるのは、娘はもう不登校にはならないと思うことです

 

あの頃、朝起きると頭が痛い、気持ち悪いと布団から出られなくなった娘

少し休めば良くなるだろうと思ったけど、症状は益々悪化し一日中寝ている日も

病院で「起立性調節障害です」と言われ、ネットで検索した日々

どうやったら治るの?それだけが知りたかった

わかったことは「必ず治りますが、時間がかかります」というもの

症状が軽くなる対処法や生活上の注意点はいろいろあった

朝の光をあびる、いきなり起きずにゆっくり時間をかけて起き上がる、お風呂にゆっくり浸からない、乾布摩擦、

水分、塩分を取る 薬や漢方薬の投与 適度な運動

それらはまったく無意味なことではないでしょうが、それで元気に学校に行けるようになるかというとそういうわけではありません

 

どうやったらODが治り、再び不登校にならないか、正解は人それぞれだと思いますが、

我が家の場合、娘のODを治す(症状が軽くなり生活に支障をきたさない)ためには復学するということが必要だったと思います

学校生活で精神的ストレスを感じていた娘、でもその学校に戻すことが一番の治療法だった

勿論無理やり学校に戻したわけではありません

子どもが身体を悪くしてまで行きたくない、行けないと言うのなら、無理に行かせることは逆効果になります

まず身体を休めることが必要です

実際娘は家でゆっくり休んで、少しずつ体調も回復してきました

横になって寝てる時間が少なくなってきました

それでも、そこからがなかなか進まずODの症状も少しはいいけれど、学校に行けるほどではない

例えば熱が出たとして、下がってもすぐに元気にはなれないし、いきなりステーキを食べるなんてことは出来ないですよね

そんな病み上がりのような状態がずっと続きます

休みが長くなるほどに学校へは行きずらくなります

本当は行きたいのに行きにくい 学校と思うだけで頭が痛くなる

羽根を休め元気を取り戻したら自然に行けるようになるとは思えなくなりました

・無理に登校を促さない

・学校に行けるといいね、等は言わない

・家で出来ることからやる

こんな生活でこの先どのくらい待てばいいんだろう

ODが治っても学校へは行けないのではという不安

行けなくたっていいじゃないですか、学校だけが全てじゃない、と言われてもそこまで腹をくくる勇気はなかった

 

不登校は子どもだけの問題ではないと思います 家族の問題だと思います

家庭の中で問題があった、それを子どもが不登校という形で教えてくれたのだと思います

我が家の家庭の問題点は何だったのか

・子ども上位の生活

・親の価値観の押し付け

・先回りの子育て

・失敗するという経験を奪い 失敗させないために手出し、口出し

過保護、過干渉が娘を弱い子にし、学校でストレスをかかえODになったと考えました

そのことに気づき、親が変わらなければ、とそれまでの子育てを反省し対応や行動を変えたことで、娘は再び学校へ戻りました

自分を責めるのでなく、後悔するのでもなく、ただ間違ったことは素直に反省し、変えていくこと

暗く心を閉ざし、時に暴れ、いつも具合が悪くすぐに横になっていた娘が変わってきました

学校に行かなくたって、お母さんはあなたが大好きだよ

そういう気持ちだったけど、元気になって学校に行きたいと娘が望むなら本来の元気な娘に戻してあげたかった

 

あれから6年たち、今私は本当に楽になりました

毎日お弁当を作るという仕事が増えたけど、後はあまり出番もありません

どちらかというと、娘に助けてもらうことが増えたかもしれない

いつも明るく笑わせてくれる娘に毎日元気をもらってます

 


ヤマハのグループレッスン卒業

2012-04-26 10:20:20 | 習い事、塾

年中さんから11年通ってたヤマハのグループレッスン、とうとう卒業しました

毎年春になると、次年度の話になります

今までは当然続けますよねって感じで更新してきましたが、さすがにもう高校生

中学入学の時点で、もう終わりかな?って思ってたのに、グレード6級を受けてから、また子どもたちにも続けたいという気持ちがありそのまま3年間やってきました。

 

11年前、友達と軽い気持ちで行ったヤマハの体験レッスン

ピアノが弾けたら楽しいだろうな、お友達と一緒に音楽を楽しめたらいいな、そんな軽い気持ちでスタート

最初のレッスンで先生がエレクトーンの音を紹介してくれました

エレクトーンはボタンひとつでいろんな音が出ます。

みんなも音を出してみて、と言われ適当にボタンを触り、鍵盤を押してみます

他のお友達はみんなあれこれいじっては出てくる様々な音に大喜び

一方の娘は想像を遥かに超えた打楽器の音に驚いてパニックになり泣き出してしまいました

慌てた先生は、じゃあみんなで前に来て歌いましょうと切り替えてくれたのですが

娘はずっと恐がって泣いていて私から離れようとしません

その日のレッスンは私も辛かった、泣いてる娘をなだめながら

なんで他の子は楽しそうに出来るのにこんなことくらいで恐がるのか、情けなさでいっぱい

帰ってきたらあんなに大騒ぎしてきたくせに何もなかったかのように振舞う娘に怒りが爆発

前途多難なヤマハのスタートでした

思えば娘はかなりの臆病者でした

昔教育テレビでやってた「はっちぽっちステーション」のコンサートに連れて行った時も

始まった途端、あの暗がりと大音響にビックリして帰ると言い出し、結局私とずっとロビーで過ごしました

観てたのはお父さんのみ 結構面白かったぜって、まあ暢気な・・・

そんな臆病者で恐がりの娘に先生も気を使ってくださり、しばらくは平凡な音のみでレッスンしてもらってました。

音楽を楽しむ子になってほしい、ほんの軽い気持ちだったけど

本当に楽しめるようになるまでは、楽しくない練習、そして努力や根性が必要なんだなとわかりました。

最後のレッスンで久しぶりに娘たちの演奏を聴かせてもらいました

いろいろ思い出すと泣きそうになるので、あまり考えないことにして

曲は大河ドラマ「江」のテーマ曲

三人の音、この子達らしい音、それぞれの音が重なり合っての素晴らしいアンサンブルでした

エレクトーンの音が恐くて泣いてた娘、いつも女子二人に押され気味で僕余ったパートでいいですと言ってたT君、感が良くて誰よりも上手にピアノは弾けるのに歌が苦手だったMちゃん

三人ともよくここまで成長してくれました、感動で胸がいっぱいです

出来れば続けさせたいと思う気持ちもあります。

でもこのグループはこの三人だから成り立ってます、一人でも欠けたらもうグループではない

いろいろありまして、続けるのは無理なようです。

とりあえず、三人ともピアノはそのまま続けるというので先生とのお付き合いはまだまだ続きます。

最後の感想で娘は「レッスンが厳しくて泣きそうになったこともあったけど、発表会で演奏するのは楽しかった」と言ってました。

泣きそう、じゃなくて実際泣いてましたけどね。

親が関わらなければならない習い事はその関わり方の程度が難しいところです。

ここまで続けられたのは他のグループのお母さんたちに比べ、私たち親が熱心だったという部分もあると思います。

送り迎えのみ、の親がほとんどです。

私もそれでいいと思いますが、他のお母さんたちとの関係もありなかなか無関心にはなれず。

先生も熱心ですから、協力的な親はやりやすかったと思います。

ただ、問題は子どもたち

毎回母がレッスンの日程を自分の手帳に書き、マネージャーのような振る舞いをしてると

子どもは自己管理が出来なくなります。

自分のことなのに、他人事

子どもに任せたいという気持ち、でも無関心な親と思われたくないし、自分だけ参加しないわけにもいかない

そういうジレンマにこの数年間は悩まされました。

でもそれももう終わり、ようやく勝手に行って勝手に帰ってくる習い事になります。バンザーイ