ayamiの子育ち 自分育ち日記

一人っ子の娘は小学校4年生の時に約4ヶ月間の不登校を経験しました。でも今は毎日元気に学校へ行っています。

父からの電話

2013-05-28 10:51:49 | 父のこと

父と喧嘩してから一ヶ月過ぎた

その間私は母の所へは行っても父の所はスルーしてた

行かないと言うより、行けなかった

考えただけで具合が悪くなり、身体が父の所へ行くことを拒否してた

2ヶ月間胃潰瘍の薬を飲み、産まれて初めて胃カメラを飲んだ

ストレスが胃に悪いのは知ってる

考えたくない、考えないようにしよう

そう思ってもあの日のことがずっと頭から消えない

向き合って乗り越えるには時間が必要だった

何もしない日々を過ごすことが必要だった

一番いいのは父に寄り添い、助け合い、励ましあい、仲良くすること

そうなることが一番なのだとわかってる

私自身のためにもそうしたほうがいいのもわかっていた

でも身体が拒否する以上は逃げるしかない でもそれは逃げることではないとmixiの友人たちに励まされ、今の自分を受け入れることが出来た

最初の頃は父からの電話に出ることは勿論、伝言さえ聞きたくなく即行で削除

そのうち電話もこなくなった

少しずつ体調も回復してきた頃に夏物のパジャマを持って母のところに行った

父の着替えやパジャマはいとこに預けた

その日の朝父から着信があった

電話は常にマナーモードにしているので電話には出なかった

着信履歴に以前ほど拒否反応は出なかった

ついでに顔を見てこようか、と一瞬迷ったけど、やはりやめた

その日何度か着信があった

伝言も残っていた

父の声は優しく、今日はこっちに来ないの?と一言

弱弱しい声になんだかかわいそうになった

夜にいとこから着替えを届けたとメールがあった

その後また電話が

いつもは気づかないのでそのままだけど、着信に気づいた瞬間迷ったけど電話に出た

このまえのことは自分が悪かった、許してほしいと父は素直にわびた

私は父のしたことを責めることはしないけど、ただ悲しかった、ショックだった、情けなく残念だった、

母が倒れて私なりに一生懸命やってきたのに裏切られた気持ちになったと泣きながら伝えた

父がどれほど理解したかはわからない

それは父の問題

私は自分の言葉で自分の気持ちを父に伝えられた、それでいいと思った

父の娘として、産まれて初めて自分の気持ちを伝えられたから もういいと思った

次に行く時は父の顔も見てこようと思う

一ヶ月たってようやくそんな気持ちになれた