ayamiの子育ち 自分育ち日記

一人っ子の娘は小学校4年生の時に約4ヶ月間の不登校を経験しました。でも今は毎日元気に学校へ行っています。

部活新たなスタート

2011-04-26 10:12:20 | 学校

部活の顧問が代わり、新入生が仮入部に来たりと、部内にも新しい風が吹いてきたようです。

新しく来られた先生、今までの先生が指導力があり地域の受けも良く、細かいところまで指導してくれてた分、今度の先生はかなりのギャップがあるようです。

先日の桜祭の演奏会、わざと音を外して先生を試した子もいたとか。

部内の風は春の嵐といったところでしょうか。

親同士の話でもいい事は聞きませんでした。

どの子も不満があるんでしょうね。

娘も散々言ってましたが、先日

「新しい先生さ、そんなに悪くないかも。前の先生と違いすぎて比べてたけど、けっこういい事も言うよ。

楽しく演奏しなさいって。気持ちは音に出ますって。たぶん先生は今みんなに嫌われてることも気付いてるよ。

鈍感に見えるけど、気付いてて気付いてないふりしてるんだと思う。

今までが細かすぎて何もかも先生の言うとおりに動いてればよかったけど、それが問題になってきてあえて離れたんだと思う。」

なかなか鋭い指摘をします。

みんなのやる気がダウンしてきてる状態をどこまで持ち上げていけるか、このまま流されてゆる~い感じで終わるのか、試練の時ですね。

 

 

 


朝起こすのをやめた時

2011-04-25 09:56:14 | 不登校だった娘

ブログに朝起こすのをやめた経緯についてコメントをいただきましたので、こちらで記事にしてみますね。

mikaさん、コメントありがとうございました。

娘が不登校になったのは小学校4年生の時です。

もともと朝起きが苦手な娘。保育園時代は8時に起こし、8時半に送っていってました。

小学校に入りそれまでより一時間近く早く起きなくてはいけなくなり、私は毎朝30分近くかけてに娘を起こしていました。

優しく声を掛け、体を揺すり、ぬいぐるみを持ってきて話しかけてみたり、あの手この手で私なりに工夫して起こしていました。

機嫌よく起きて欲しいし、朝ごはんもちゃんと食べてほしいから

でもそれは、娘をお姫様扱いしてただけ。まるで新婚夫婦です。

朝が苦手な子を、朝起きれない子に育てていました。

完全不登校になり、朝起こすことはやめました。

やめざるを得なかったのです。

目が覚めると、頭が痛い、お腹が痛いと体を起こすことも布団から出ることも出来ずに苦しがってる娘を起こすことなど出来ませんでした。

病院に連れて行き、「起立性調節障害」と診断されました。ストレスが原因の病気、今は休むしかないのだと思いました。

不登校中は起きても学校に行けないのですから、起こす意味もありません。

学校に行かなくても生活のリズムを整え、復学の際に苦労しないように普段から早寝早起きの習慣を付けておいた方がいいのではないか、

また、起きれないことが原因で不登校に繋がるのならまずは生活の見直しが必要なんじゃないか

等、うちの場合は朝起きることがとても大きな課題でした。

でも、本当の問題はそこではない。

起きれないなら夜は早めに寝るようにしようとか、目覚ましを二つにしてはどうか、などの方法や対策を親がたててるうちはたとえ起きることの問題は解決しても根本的な問題は解決しないのです。

根本的な問題、それは自立ということです。

子どもの問題を親が横取りしてしているうちは子どもの自立はありえないし、自分で考え行動する子にはなりません。

復学してからも何度か起きれない日はありました。

でも、起きる起きないは娘の問題、朝は自分で起きるものという自覚を娘は持ちました。

それは私が口で言ったのではなく、起きれなかったら困るのは自分なんだと気付くようにしてあげたのです。

最初は「どうして起こしてくれなかったの?」と言われたこともありますが、

「お母さんは起こさないよ。自分で起きてほしいな」と言いました。

今も年に一回か二回は起きてこないことがあります。

私はぎりぎりの時間に部屋に行って時間だけを告げてすぐに戻ります。

 寝坊した~ 忘れ物した~ と失敗は数知れず・・・

でもその失敗が子どもを成長させている、親がその大事な経験を奪ってはいけません。

もったいないです、せっかく成長できるチャンスなのに。

子育ては大変、難しい、うちの子は育てにくい、そう思ってました。

でも、子どもの問題を親が解決しようとしないでいると、子育てって案外シンプルなんだなと気付きました。

黙ることは我慢の連続ですし、忍耐力のいることかもしれないけれど、決して出来ないことではありません。

これから東大に入って弁護士になれと言われたら、それは出来ませんってことになるけれど、余計な口出ししないだけなら出来ると思うのです。その気にさえなれば。

ようは「やる気」の問題、子どもにやる気を出せという前に親からですね。

そしてそれが普通になってくると親も楽になるし、子どもとの関係も良くなると私は思います。

 

 

 

 


中3になった娘と塾

2011-04-13 11:02:21 | 学校

中3になった娘、塾どうしようかなと言い出しました。

仲良しのKちゃんもついにこの春から塾に行くことにしたそうで、パンフレットを娘に渡し一緒に行こうと誘われたそうです。

Kちゃんは娘より成績もいいし、おそらくトップの高校を狙ってるようで塾も有名なところ。

春休みのほほんと過ごしてた娘は、まわりが春期講習や塾に行ってたなんて、とちょっと出遅れたと感じたのか、

塾どうしようという話をしてきたようです。

「行きたいの?」

「ていうか、行かなきゃなのかなって思ってる、3年だし」

今から行くか、部活引退後にするか

お父さんは、義務教育期間は塾に行かなくても本人のやる気次第で高校は行けると思う。

本人が行きたいと言うなら、行くのはかまわないけど、それほど塾が必要とも思えない、

気持ちに余裕がなくなる方が良くない。

と言います。

ただ、みんなが行ってることで焦る気持ちがあるのかなと、その辺を娘に聞いてみると

「それはない。みんな行ってるけど、別に焦らない。だったらとっくに行ってるし。進研ゼミがあるから普段の勉強は困ってない」

でも、受験のための勉強は塾に行った方がいいんじゃないかなって思うようです。

普段の勉強は自分で出来るけど、受験となると情報なんかも塾に行ってると入ってくるし何かと便利。

かといって、受験のために勉強するっていうのがなんかイヤ。そんなこと言ってる場合ではないんだけどね。

いろいろ話して、娘には塾は向いてないように思え、とりあえず部活引退の8月までは行かない方向になりました。

人からやらされるのが嫌いな娘は自分のペースで自分のやり方で勉強するでしょう。

どうしても行きたい高校もないようですし、とにかくガツガツ勉強勉強という空気が苦手な娘です。

 

 

 

 

 

 

 


母不在の日の父娘

2011-04-12 09:11:09 | 家族

昨日からまた頻繁に揺れてて恐いです。

なので今日は病院行くのをパスしました。

父の状態も大分いいようなので。

私が留守にしてる間、家の中のことはほとんど娘がしていました。

といっても、ご飯を炊くだけでおかずはチン!とかお惣菜とかだったようですが。

お父さんは食器洗いのみ。

洗濯は自分のしか洗わないからと言ってた娘ですが、結局お父さんの分も洗ってくれていました。

私が帰った日、途端に娘は愚痴りだしました。

家事のことではなく、部活のこと。

新しい顧問はまだ何もしてくれない、新入生歓迎会なのにどうしようどうしよう

絶対失敗するし~ セッティングも決まってないし~ みんな言うこと聞いてくれない~ 動かないし~

と、次々に不満、不安をぶつけてきました。

私も睡眠不足で疲れてて、そうなんだ~とゆっくり聞くだけの余裕もありません。

どちらかというと、知らないよ、うるさいよ、って気分。

次の日はまた病院に泊まりだったので、歓迎会がどうなったか、娘の愚痴からは解放されました。

次の日「メールで愚痴ってもいいよ」と送ったら

「終わったからもういいや。それよりも少年倶楽部がね・・・」と楽しい話題に。

今回、私がいない間娘は寝坊したそうです。

起きたのは7時半、お父さんは起こしません。

慌てて起きてきてパンを食べようとしたら買い忘れててない。

パンがないことも知ってたお父さんですが、それも教えない。

しかたなくご飯に納豆を食べ、火傷の包帯を巻きなおし、バタバタで出かけたそうです。

次の日もまたまたパンを買い忘れてて納豆ご飯。

お父さん、パンがないことを知ってたなら買ってきてくれてもいいのに、自分だって食べるくせに。

娘曰く「お母さんがいなくて一番のんきに過ごしてたのはお父さんだよ」

全くその通り

 


父の手術

2011-04-11 10:33:23 | 家族

父は無事に手術を終え、順調に回復しています。

手術当日、朝早くに家を出て母を車に乗せて病院へ行きました。

手術中、親戚のおじさん、おばさん、従姉妹が来てくれて6人で終わるのを待ちました。

予定時間よりも30分も早く四時間半で手術を終え、集中治療室へ。

先生から説明を受けて、全員でぞろぞろマスクをして父のところへ行きました。

まだ眠ってる父の顔色はとてもよく、みんな安心して帰り、私は待機ということで病院に泊まりました。

翌朝、目が覚めてる父の所に行くとまだもうろうとしてはいるものの、意識ははっきりしてるようで、お昼には会話もできました。

2日間集中治療室に泊まり、個室に移動。

術後3日目には歩いてトイレに行けるほどになりました。

個室を出て大部屋に移動になり、付き添いも必要なくなりましたので、私も帰ってきました。

あの年で、あんなに大きな手術をしたのに、驚くべき回復力です。

今回病院に泊まって、同じく付き添いのお母さんたちと知り合いになりました。

81歳でご主人に付き添われてるおばあちゃん、自分も股関節の手術をしてるので歩くのもやっと。

もう一人は45歳の娘さんの手術で付き添われてるお母さん、ご主人を数週間前に亡くし、まだ四十九日も済ませていません。

話を聞きながらお互い涙、涙で、心細い病院の夜を慰めあいながら過ごしていました。

それでも、2,3日後はみんな大部屋に移動になり、会うたびに「よかったね、よかったね」と喜び合い、お母さんたちも元気になっていきました。

病院は本当にお年寄りが多い。

老人が老人を介護する時代です。

なんでも遠慮なく言って下さいと看護士さんは言うけど、迷惑かけては、このくらいは自分で出来ないと、とナースコールを押すのを遠慮するお年寄りもいます。

父もそうです。

すぐそこにある物も取れない。

せめて自分である程度出来るようになるまでは、付き添いが必要なんだなと思います。

今回、付き添いがいた父は幸せ者だと思うよ、ネ、じいちゃん

そして父は私に家と土地をくれると言いました。 いつになることやら(笑)


いよいよ父の手術、とその前に・・・

2011-04-04 14:38:26 | 家族

父の手術の為明日から実家に帰るのですが、昨日娘の足に異変が・・・

足に擦りむいたような傷が数週間前に出来、ようやく治りかけてきたと思ったら、その隣にまた水ぶくれのようなものが出来ました。

それと紫色の網目模様がふくらはぎに。

いったいこれは何?

変な病気?

痛みはまったく無いので気がつかなかったようです。

とりあえず、皮膚科に行こうと

もし、何か病気だったら・・・

明日から実家に帰らなきゃなのに、この子を置いて行って大丈夫だろうか?

不安が広がります。

病院に行く途中、娘が「もしかしたら 火傷かも」と言い出しました。

そして、その予感は的中

娘は湯たんぽを使ってるのですが、それが原因の低温火傷でした。

おそらく治りかけの傷も火傷だったんでしょうと。

普段からうっかり者の娘ですから、その時は慌ててどこかにぶつかって気付かなかったんじゃないの?なんて言ってたのですが

皮がむけて始めて痛いと気付き、絆創膏を貼ってたのですが、まさか火傷だったとは。

そして同じ場所に湯たんぽがあたるのでまた出来たわけです。

まだら模様も同じ場所に長時間熱が当たって出来たものだそうです。

勉強する時に電気ストーブが左から当たってるので、そこだけ低温火傷をしたんでしょう。

ひとまず、原因がわかってほっとしました。

それにしても鈍感だわ。

化膿すると悪いので、消毒して、薬を塗ってもらい、包帯でぐるぐる巻きに。

お風呂も入れません。

明日も来て下さいと言われ、一人で行くことになりました。

まだ春休み、私が留守の間なんでも一人で頑張ってもらわないと。

朝昼晩の3食も自分でなんとかしなくてはいけません。

何日分もの食事を作り置きするわけにもいきませんし、自分が食べる分くらい自分でどうにかしてもらわないと。

お父さんは料理は勿論出来ないし、洗濯機も使えません。

娘は「自分の分しか洗わないから」と言ってるし、お父さんは「別にかまわない」と言ってるし。

家事の分担は二人で相談してやってねとだけ言いました。

おそらくお父さんは私が帰るまで洗濯物を溜めるつもりでしょう。

これは娘にとってもいいチャンスかもしれません。

私がいるうちに、簡単な料理でも教えようと何度か声をかけてみたけど、大丈夫とか、今はちょっと、とかまるで乗ってこないので、無理に教えようとしても反発をかいそうなので止めときました。

ご飯さえ炊ければなんとかなるし、スーパーもコンビニもお弁当やさんも近くにありますから。

今は父の手術が無事に終わることを祈るのみ。

 


顧問の先生の最後の日

2011-04-01 09:11:07 | 学校

昨日は顧問の先生の最後の部活でした。

パート練習のあと最後の合奏、「君に届け」

先生が必死にこらえてるのが子ども達にも伝わり、泣くのを我慢しながら演奏

そして、演奏後今度は子ども達が先生に合奏のプレゼント、先生が大好きだった曲「SAKURA」

いきものがかりは先生も好きでよく選曲してました。

先生も子ども達も号泣、曲にならなかったほど。

こんなに生徒の前で泣いたのは初めてだったそうです。

この話を帰ってきた娘から聞いて、それだけで私まで泣きそうに・・・・

「お母さん、あの場にいたら絶対泣いてたね」

「うん、良かったよ行かないで」

泣きつかれたよ、という娘

あんなに嫌いだったのに、どうしてだろう

自分でも不思議がってました。

そして、

「5年生の時さ、私教頭先生が嫌いだったよね。卒業する時お礼くらい言えばよかったな。。。」

今なんでその時のことを思い出したのか。

5年生で教室に戻って、当時教頭先生には本当にお世話になって

でも、特別扱いを受けてるように感じた娘は先生を嫌ってました。

学校で教頭先生に会うたびに、すみませんと頭を下げてた私。

いいんですよ、自分が出せるようになってきたことが嬉しいですと言ってくれた先生でした。

あの頃の自分を振り返って、嫌いだったけどお世話になったことが今回のことと重なったのか。

本当は嫌いなんかじゃなかった、という感情に気付いたのか。

どちらも愛情あっての指導だったということをしっかり受け止めることが出来たんでしょうね。