ayamiの子育ち 自分育ち日記

一人っ子の娘は小学校4年生の時に約4ヶ月間の不登校を経験しました。でも今は毎日元気に学校へ行っています。

支えられて生きてます

2013-02-14 09:07:54 | 家族

昨日病院で主治医から説明を受けた

倒れてから短時間の低酸素により脳の神経に障害をきたした

回復の見通しはたたず、障害が残る

今後は施設において長期療養となる

これ以上良くはならないけれど、発作が起きなければ命に影響することはないということだった

現状維持が精一杯なんだろうな

今は、人の話は聞こえてるようで、呼べば目を開けるし、人も認識してるように見える

ただ、自分から意思表示することが出来ない

頷くなどの返事も出来ない

私は不思議とショックとか、悲しいとか、そういう感情が沸いてこない

そんな暇がないというか、悲しんでる場合じゃないし、浸ってる場合でもない

むしろ、何も出来ない母に声を掛けて気持ちだけでも元気でいてほしいって思うからか

自然と私も明るくなってることに自分でも驚く

それは毎日きてくれる叔母ちゃんのおかげ

ちょっとした変化を喜んでくれて、笑いに変えてくれる

介護することが楽しいって叔母ちゃんから伝わってくる

無理しないでいいからって前は言ってたけど、叔母ちゃんは母に会いたくて来てるんだって思った

だから、私はいっぱいありがとうを言う

 

まだ母がICUにいた時に病院で何気に手に取った冊子にこんな文章を見つけた

「置かれた場所で咲きなさい」の著者渡辺和子さんの言葉だった

その時の私の心にすっと入っていたので、メモっておいた

 

人間には自由があるんだから 自分で考えて自分で選んで、自分で責任をとりなさい

そうした一人格としての生き方というものを大切にしてほしい

人にどうしたらいいかを相談することも大事でしょうけど、自分は自分の考えを持ってないと一人格とはいえない

経験というのは一回限りですから またその後で辛い経験があってもこの前とは違うでしょう

それをいつもいただいて生きる

ひとつひとつ向き合って乗り越え 理不尽だなんて思っても何もならない

時間の無駄でしょう

解決につながらない「なんで?」は意味が無い

何を学ぶことができるか、どうしたらいいか考える

それが一人格としての生き方

 

私も、今直面してる経験をいただきながら、どうしたいいかを考え、前向きに明るく進んでいこうと思う。

 


母の入院 2

2013-02-07 15:49:39 | 家族

病院から今後の受け入れ先を決めておいた方が良いでしょうと話があった

喘息の治療はもうこれ以上出来ないのか、もういいのか

母は今週に入ってから口から食べることが出来なくなった

食べ物を認識しないのだそうだ

今は鼻からチューブで食べものを胃に入れている

脳はもう良くなることはないと言われた

ほとんど反応しなくなった 目は開けるけど返事はない

叔母ちゃんは、毎日行って報告してくれる

いろんな機能が低下していってる 弱っていくのを黙ってみてるしかない状態

明日、私は主人と病院に行って今後の話をする

気が重い

家に帰ってきても、何をしても気持ちは母のところにある

こんなことしてるなら病院に行けるんじゃないの?

毎日通って面倒みることが子どもの務めじゃないの?

私は冷たいのかな?

でも、ずっとついてたら私の生活はどうなるの?

それは私のエゴなの?

近くにいれば毎日少しでも行けるのに、

でもそれは言い訳?

もうわからないよ

 


母の入院

2013-02-05 10:54:58 | 家族

母が入院してから2週間以上が過ぎました

この2週間、私には2年くらいに感じた

一時心肺停止して危険な状態になった母

救急車を呼ぶのがもう30分遅かったら命はなかったと言われました

母が倒れたのは喘息の発作で呼吸が出来なくなったのが原因

昔から喘息だった

ちょっと歩くとはぁはぁ、ぜぃぜぃ 自分では「これはいつものこと、休めば大丈夫」と治療に行くこともなかった

数日前に風邪をひき、夜も眠れないほど呼吸が苦しかったらしい

母が倒れたことを聞いて誰もが「え?おじいちゃんじゃないの?」と

父は何度か救急車で運ばれてるし、介護認定も受けてるので誰もが「またおじいちゃん?」と思う

母の看病で病院に泊まり、同時に父の介護の心配

母のことは日中親戚の叔母に看てもらい、私は父の受け入れ先をさがす

とりあえずショートステイで預かってもらえるところがあり、次のことはその間に考えるとして父をショートに

家の中のことは全て母がやってたので準備するにも何がどこにあるのか

最初に家に戻った時、敷きっぱなしの母の蒲団を見て、そうだ、ここで寝てたんだと

まずは部屋の掃除から、ご飯もセットされたままそこにある

日々来る郵便物や、訪問者の置手紙

やらなきゃならないことが山ほどあるんだと、実感していた

幸い親戚の叔母やいとこが協力してくれて「何でも言って、遠慮しないで、一人で全部やろうとしないで」

と本当にありがたく、みんなに甘えて助けてもらった

叔母は母の弟のお嫁さんで、本当によく働く優しい人

母のことを「姉さん姉さん」と慕ってくれてた

「姉さんにはお世話になった、よくしてもらった 感謝してる だから元気になってもらわないと困るんだよ」

といつも母の手や足や背中をさすっては話しかけてくれる

私から見たらこの叔母ちゃんのおかげで母は自分の親の介護をほとんどしないですんだと思う

叔母ちゃんが、亡くなった母の両親、私の祖父母の面倒を全部看てた

仕事も辞めて、自宅で合計6年間、いつ行ってもおじいちゃんおばあちゃんの部屋はきれいで床ずれもなく

シーツもきれい、匂いもなく、ここまで献身的に自宅介護できる人がいるだろうかと思うほどつくしていた

母は叔母ちゃんを「仏様のような人」とよく言ってた

その叔母ちゃんが母に感謝してると言う

いっぱい助けてもらったんだよ、頼りにしてるんだよ、と言う

叔母ちゃんはお姑さんである私のおばあちゃんにはきつく当たられたという

それは父に聞いた話だけど

当の叔母ちゃんは「おばあちゃんは苦労した人、疎開の子の面倒みたりね、昔の人は大変だったんだよ おばあちゃんのおかげで今があるんだよ」と言う、恨み言ひとつ言わない

私が「でも、意地悪されたんでしょ よく介護したね」と言うと

「病気の人責めちゃ駄目 好きで病気になる人なんていないよ 一所懸命働いて子ども育ててきたんだからね 感謝しなきゃね」

なんかもう素晴らしすぎて感動した

病院に来る時はいつも私におにぎりやおかずをいっぱい作ってきてくれる

いつでも泊まるから言いなさいねと、遠慮なんてするもんじゃないよと言ってくれる

いとこも父の受け入れ先をいろいろ当たってくれた

父を施設に送って行ったり、病院に連れてきてくれたり

おじちゃん おばちゃんは私の親代わりみたいなものだからって

みんなに頼りっぱなしの私

そして、多くの人に感謝されてる父と母を改めてすごい人なんだって思った

私は何でも出来て人に頼らない母が苦手だった

でも、今人の手を借りなければご飯も食べれない母が愛しく思える

年をとると子どもに帰るというけど、かわいいとすら思える

変わり果てた姿を見てもショックとか感じる暇はない

少しでも元気になってほしい、それだけ

様態は一進一退

ずっと付き添ってたらご自身の家庭が崩壊しますよと担当の先生に言われた

週末だけ病院に行くことにして、あとは看護士さんにお願いすることに

叔母ちゃんも行くと言ってくれてるし、いとこも仕事の合間に寄ってくれる

母を一人にするのは後ろ髪引かれる思いだけど、私が私の生活をすることも大事なこと

父の施設の入所を済ませ、家に戻った