ayamiの子育ち 自分育ち日記

一人っ子の娘は小学校4年生の時に約4ヶ月間の不登校を経験しました。でも今は毎日元気に学校へ行っています。

残念な父

2013-04-23 09:41:23 | 父のこと

主人の引越しは無事に終了

窓からはディズニーシーが見えるけど、高速の音がうるさい場所でした

そして昨日2週間ぶりに両親のところへ行って来た

父が、家から持ってきたいものがあると言うので、いとこの車で実家へ

私がたまった郵便物を整理してる間に父は二階に上がって探し物をしてた

歌の歌詞カードを取りにきたらしい

その後三人で母を見舞い、夕方父を施設に送る時

父が、持ってきたはずの歌詞カードがないと言い出した

いとこが、「おじさんに渡したよね」と言うので父にポケットじゃないのと言うけど見つからない

よく探してみてと言っていとこが父のポケットに手を入れようとすると

何かビンのようなものが入ってる

咄嗟に父が「これは俺のだから、なんでもない」と怒って触ることを強く拒否

私が、「何を持ってきたの?出して」ときつく言うと

しぶしぶ出したそれは お酒だった

こっそり隠して持って帰り施設で飲むつもりだったようだ

施設では当然お酒は飲めない

そのことで私は正直心底ほっとしていた

お酒のせいでどれほど母に苦労をかけてきたか

心臓手術の後、医者に一日一合なら飲んでもいいと言われたけれど、

酒飲みが一合で済むわけもなく、隠れては飲んでいたのをしっている

そのせいで原因不明の熱が出たり、夜中に倒れたりで救急車に乗ったこと数回、入院したこともある

それでも隠れて飲む生活を変えようとしなかった

母も何度もきつく言い、けんかになってたこともある

結局は母が我慢し、諦めるかたちになっていた

母が入院し、父が施設に入り、家を掃除したらあちこちから空のお酒が入ってた容器が出てきた

こんなところに隠してたのかと呆れるくらい

家にあったお酒類は全て処分したはずだったけど、まだ父には隠し場所があったらしい

私は父が持ってきたお酒を取り上げ外に出て捨てた

情けなくて涙が出そうだった

母は自分のことはいつも後回しにして、父のことばかり心配してた

母が倒れたのは父にも責任があると私は思う

でも父はまったくそんなことは思ってない

むしろこんな生活になってかわいそうなのは自分だと思ってる

私も、自分の家がありながら施設で生活しなければならない父に同情したし、娘として出来ることはやらなければと思ったから身体をこわしてまで無理をしてきた

それもこれもみんな親のため、そう思って頑張ってきたことを父は一瞬にして踏みにじったのだ

私は父に「残念だよ、がっかりした もう一緒に家には行かないから」と言った

それでも父は「俺は酒はやめられない」と言った

反省どころか、開き直り

この人は何もわかってないんだと思った

おそらく今回が初めてじゃないんだろう

施設に入所できたのはいとこのコネがあったおかげ

その人の顔に泥を塗るのか

当分父のところへ行く気はない

母なら父のすることを許せたかもしれないけど、私は絶対に許さない

母の所へは行くけど、父の顔を見る気もない

 

 


あるがままで

2013-03-29 14:20:44 | ひとりごと

娘は今日ディズニーランドに行ってます

昨日夜行バスで出て朝早く着き、一日遊んで明日の朝帰ってくるという、若くなければ出来ないスケジュール

私には無理だわ

そしてお父さんも今日は東京出張

実は4月から東京勤務となり、単身赴任になります

ついに来たか、という感じ

家の事情もあり少し遅らせてもらったけど、まだ住むところも決めてないという、マイペースにもほどがある

そして母は2月の終わりに施設に転院しました

季節も冬から春になり、この数ヶ月の時の流れを感じます

私は週二回ペースで通っていたけれど、とうとうダウン

身体は十分に休めていたし、睡眠もとれていたんだけど

心が、頭が、休んでなかったんだろうね

ストレスで胃が痛くなり、背中にも痛みがあり、なんかもう何もする気になれず

吐き出す元気も愚痴を言う気力もなくなりました

薬を飲んで今はなんとか復活しつつあります

こうして今パソコンに向かえてるということはまあ大丈夫ってことです

先日占い師の先生に会いに行きました

この先生占いは勿論当たるけど、どちらかというとカウンセリングに行った感じ

私は「大黒柱」らしいです

頑張り過ぎないように、

親のことより自分のことを優先的に考えていいんですよ

親は子どもの幸せを願うもの、あなたが辛かったらお父さんもお母さんも辛いです

今守るべきものは、ご主人と娘さん 自分の家庭を大切に

二人ともすごく心配してます

そう言われて泣いてしまいました

そして少し心が軽くなりました

いつも私に元気をくれて、手伝ってくれた娘

いざという時は支えてくれるお父さん

春からは娘と二人の生活になる

それぞれに新しい生活が始まろうとしています

私はもうそんなに頑張らないよ

 

 

 


支えられて生きてます

2013-02-14 09:07:54 | 家族

昨日病院で主治医から説明を受けた

倒れてから短時間の低酸素により脳の神経に障害をきたした

回復の見通しはたたず、障害が残る

今後は施設において長期療養となる

これ以上良くはならないけれど、発作が起きなければ命に影響することはないということだった

現状維持が精一杯なんだろうな

今は、人の話は聞こえてるようで、呼べば目を開けるし、人も認識してるように見える

ただ、自分から意思表示することが出来ない

頷くなどの返事も出来ない

私は不思議とショックとか、悲しいとか、そういう感情が沸いてこない

そんな暇がないというか、悲しんでる場合じゃないし、浸ってる場合でもない

むしろ、何も出来ない母に声を掛けて気持ちだけでも元気でいてほしいって思うからか

自然と私も明るくなってることに自分でも驚く

それは毎日きてくれる叔母ちゃんのおかげ

ちょっとした変化を喜んでくれて、笑いに変えてくれる

介護することが楽しいって叔母ちゃんから伝わってくる

無理しないでいいからって前は言ってたけど、叔母ちゃんは母に会いたくて来てるんだって思った

だから、私はいっぱいありがとうを言う

 

まだ母がICUにいた時に病院で何気に手に取った冊子にこんな文章を見つけた

「置かれた場所で咲きなさい」の著者渡辺和子さんの言葉だった

その時の私の心にすっと入っていたので、メモっておいた

 

人間には自由があるんだから 自分で考えて自分で選んで、自分で責任をとりなさい

そうした一人格としての生き方というものを大切にしてほしい

人にどうしたらいいかを相談することも大事でしょうけど、自分は自分の考えを持ってないと一人格とはいえない

経験というのは一回限りですから またその後で辛い経験があってもこの前とは違うでしょう

それをいつもいただいて生きる

ひとつひとつ向き合って乗り越え 理不尽だなんて思っても何もならない

時間の無駄でしょう

解決につながらない「なんで?」は意味が無い

何を学ぶことができるか、どうしたらいいか考える

それが一人格としての生き方

 

私も、今直面してる経験をいただきながら、どうしたいいかを考え、前向きに明るく進んでいこうと思う。

 


母の入院 2

2013-02-07 15:49:39 | 家族

病院から今後の受け入れ先を決めておいた方が良いでしょうと話があった

喘息の治療はもうこれ以上出来ないのか、もういいのか

母は今週に入ってから口から食べることが出来なくなった

食べ物を認識しないのだそうだ

今は鼻からチューブで食べものを胃に入れている

脳はもう良くなることはないと言われた

ほとんど反応しなくなった 目は開けるけど返事はない

叔母ちゃんは、毎日行って報告してくれる

いろんな機能が低下していってる 弱っていくのを黙ってみてるしかない状態

明日、私は主人と病院に行って今後の話をする

気が重い

家に帰ってきても、何をしても気持ちは母のところにある

こんなことしてるなら病院に行けるんじゃないの?

毎日通って面倒みることが子どもの務めじゃないの?

私は冷たいのかな?

でも、ずっとついてたら私の生活はどうなるの?

それは私のエゴなの?

近くにいれば毎日少しでも行けるのに、

でもそれは言い訳?

もうわからないよ

 


母の入院

2013-02-05 10:54:58 | 家族

母が入院してから2週間以上が過ぎました

この2週間、私には2年くらいに感じた

一時心肺停止して危険な状態になった母

救急車を呼ぶのがもう30分遅かったら命はなかったと言われました

母が倒れたのは喘息の発作で呼吸が出来なくなったのが原因

昔から喘息だった

ちょっと歩くとはぁはぁ、ぜぃぜぃ 自分では「これはいつものこと、休めば大丈夫」と治療に行くこともなかった

数日前に風邪をひき、夜も眠れないほど呼吸が苦しかったらしい

母が倒れたことを聞いて誰もが「え?おじいちゃんじゃないの?」と

父は何度か救急車で運ばれてるし、介護認定も受けてるので誰もが「またおじいちゃん?」と思う

母の看病で病院に泊まり、同時に父の介護の心配

母のことは日中親戚の叔母に看てもらい、私は父の受け入れ先をさがす

とりあえずショートステイで預かってもらえるところがあり、次のことはその間に考えるとして父をショートに

家の中のことは全て母がやってたので準備するにも何がどこにあるのか

最初に家に戻った時、敷きっぱなしの母の蒲団を見て、そうだ、ここで寝てたんだと

まずは部屋の掃除から、ご飯もセットされたままそこにある

日々来る郵便物や、訪問者の置手紙

やらなきゃならないことが山ほどあるんだと、実感していた

幸い親戚の叔母やいとこが協力してくれて「何でも言って、遠慮しないで、一人で全部やろうとしないで」

と本当にありがたく、みんなに甘えて助けてもらった

叔母は母の弟のお嫁さんで、本当によく働く優しい人

母のことを「姉さん姉さん」と慕ってくれてた

「姉さんにはお世話になった、よくしてもらった 感謝してる だから元気になってもらわないと困るんだよ」

といつも母の手や足や背中をさすっては話しかけてくれる

私から見たらこの叔母ちゃんのおかげで母は自分の親の介護をほとんどしないですんだと思う

叔母ちゃんが、亡くなった母の両親、私の祖父母の面倒を全部看てた

仕事も辞めて、自宅で合計6年間、いつ行ってもおじいちゃんおばあちゃんの部屋はきれいで床ずれもなく

シーツもきれい、匂いもなく、ここまで献身的に自宅介護できる人がいるだろうかと思うほどつくしていた

母は叔母ちゃんを「仏様のような人」とよく言ってた

その叔母ちゃんが母に感謝してると言う

いっぱい助けてもらったんだよ、頼りにしてるんだよ、と言う

叔母ちゃんはお姑さんである私のおばあちゃんにはきつく当たられたという

それは父に聞いた話だけど

当の叔母ちゃんは「おばあちゃんは苦労した人、疎開の子の面倒みたりね、昔の人は大変だったんだよ おばあちゃんのおかげで今があるんだよ」と言う、恨み言ひとつ言わない

私が「でも、意地悪されたんでしょ よく介護したね」と言うと

「病気の人責めちゃ駄目 好きで病気になる人なんていないよ 一所懸命働いて子ども育ててきたんだからね 感謝しなきゃね」

なんかもう素晴らしすぎて感動した

病院に来る時はいつも私におにぎりやおかずをいっぱい作ってきてくれる

いつでも泊まるから言いなさいねと、遠慮なんてするもんじゃないよと言ってくれる

いとこも父の受け入れ先をいろいろ当たってくれた

父を施設に送って行ったり、病院に連れてきてくれたり

おじちゃん おばちゃんは私の親代わりみたいなものだからって

みんなに頼りっぱなしの私

そして、多くの人に感謝されてる父と母を改めてすごい人なんだって思った

私は何でも出来て人に頼らない母が苦手だった

でも、今人の手を借りなければご飯も食べれない母が愛しく思える

年をとると子どもに帰るというけど、かわいいとすら思える

変わり果てた姿を見てもショックとか感じる暇はない

少しでも元気になってほしい、それだけ

様態は一進一退

ずっと付き添ってたらご自身の家庭が崩壊しますよと担当の先生に言われた

週末だけ病院に行くことにして、あとは看護士さんにお願いすることに

叔母ちゃんも行くと言ってくれてるし、いとこも仕事の合間に寄ってくれる

母を一人にするのは後ろ髪引かれる思いだけど、私が私の生活をすることも大事なこと

父の施設の入所を済ませ、家に戻った

 

 


頑張れ娘

2013-01-25 10:17:04 | 娘のこと(高1)

実家の母が倒れた

先週の金曜の深夜からずっと病院に泊まってた私

昨日ようやく許可をもらって一時帰宅

母の入院にともなっていきなり主婦になった娘

学校から帰ってから買い物、洗濯、料理、風呂掃除、とよく頑張ってる

私へのメールは「お母さんは大丈夫?元気?」と心配してくれる

お父さんに「家事は分担してやってください」と言ってたのに

娘の作ったご飯を食べ、娘の洗濯してたたんでくれた服を着て、分担どころか何もやってない

まさかそんなことになってるとは知らず

お父さんのメールで「あやは頑張ってるぞ 今日もマーボナスを作ってくれた」とか

ん?まさかと思って娘に聞いたら

「そうだよ、私が全部やってる お父さん何にもしない」

なんだと~~~

娘は私へのメールではいつも元気だった

おばあちゃんの様子を聞いてきたり、家事でわからないことを聞いてきたり

「お父さんにも何かやらせなさい」とメールしたら

「皿洗いでも頼もうかな」と娘

なんか家事は娘の仕事でお父さんは手伝いの位置なの?

分担してって言ったのに

愚痴っていいんだよと返したら

「愚痴を言う時間と体力があったらそれは全部勉強に向けるよ(笑)」と返事が

なんだか大人の返事でびっくりだよ

娘のメールはいつも前向き

おばあちゃんの回復をいつもわーいわーいと喜んでる

昨日帰る時にメールしたら「じゃあ今日は夕飯作らなくていいの?買い物しなくていいの?やった!」

帰りに駅で娘を乗せて家に帰った

やっぱり家はほっとする

この一週間のことを一気に喋る娘

泣いたり笑ったり、けっこうきつかったんだと思う

お父さんはいつも遅いし、一人でつまんないって

「すごく泣いたけど、泣いたらスッキリしたよ」と娘は言った

何が一番辛かったか聞いたら

「いろんなことやらなきゃでいっぱいいっぱいで、でももっと出来るはずなのに出来ない自分が情けなくって

でも、お母さんも頑張ってるから私も頑張らなきゃって思って」

「十分よくやってくれてると思うよ、ありがとうね」

私も娘を頼りすぎていた

お父さんに言うより娘の方が言いやすいのもあって

でも娘もお父さんに頼めないんだなって思った

なのでこれからはもっとお父さんに直接言おう

さっそくお父さんに明日のゴミ捨てをお願いした

10年以上ここに住んでてゴミを出したことが無いお父さん

ゴミステーションは鍵つきなので番号を教えた

お父さん、娘の成長を喜んでるのもいいけど、あなたも成長してください!

今日の夕飯の支度をして、午後また病院に戻る

娘は今日もテスト

時間の使い方が上手になったと言ってた

頑張る娘に元気をもらって私も頑張る

 

 


ドジでのろまな・・・

2013-01-15 09:06:47 | 娘のこと(高1)

なくしたと思ってた保健の教科書が見つかった

どこにあったの?と聞いたら

家庭科のファイルに挟まってたと

でね、代わりに今度は傘を眼科に置いてきちゃった

って・・・

先日も傘をバスに置いてきて、バス会社に連絡して取りに行ったばっかり

探してる時間がもったいなくないのかと思うけど、そんなことは一向に気にならないらしい

余計な仕事を増やしてることになるけど、まあそれが私だからって感じ

ちょっとおっちょこちょいくらいの方が人生楽しいのかもしれない

と娘を見てると思う

毎日何かしら起こしては大笑いしてる

誰かに助けられることが多いって娘は言う

ありがたいね~ ついてるね~

これは私がよく娘に言う言葉

人に助けてもらって自分も誰かを助けて、持ちつ持たれつだよと言うと

私は誰かの役にたってるかな?助けてもらうほうが全然多いよ と言う

まあ、いつか恩を送れるようになるよ、きっとね


ボッチーズ

2013-01-11 13:09:53 | 娘のこと(高1)

娘は一人っ子のせいなのか、ひとりで行動することに抵抗ないようです

朝は毎日同じ時間のバスなので、そこで友達と会うけど、帰りは特に誰かと帰るって決まってないようで基本はひとり

バス停で待ってると誰か来て

「あれ 彩『ぼっち』?」

「うん 『ぼっち』 ○○も?」

ぼっちとは、ひとりぼっちのこと

で、ぼっち同士が続々と集まり、結局ボッチーズで帰ることになったり

大勢いればそれはそれで楽しいらしいし、ひとりぼっちで帰るのも好きな音楽を聴きながら、それはそれで楽しいらしい

今日は○○と一緒だった~とか、△△と一緒だった~とか、決まってないところが気楽でいいのかな

友達との関係も、少しずつ大人っぽくなっていくもんだね

 


自立を阻む親

2013-01-10 09:42:45 | ひとりごと

先日母友と会った時の話

Kさんの娘さんは私立大学の3年生

娘の大学入学のためにどれほどお金を使ったかを力説

よそのお宅は親から援助があるけどうちは当てにならないから、ということから親への不満が出るわ出るわ

Kさんの言い分

Kさんは親とはほぼ絶縁状態 それでも年に1度くらいは報告に行くらしい(家から歩いて行ける距離)

娘さんが入学した時も報告に行ったけど、お祝いに貰った額は2万円

「今時お年玉じゃあるまいし、2万ってふざけるなだよ 他のお宅は入学金出してもらったり、お祝いに100万とか貰ってるのに 桁が違うんだよ なんにもわかってない」

ええっ!!!100万!!! そうなの?100万とかお祝い金としていただけるものなの?

まあ、それは相当なお金持ちのお宅の話だよね 一般的な話ではないでしょ

Kさん、そもそも話を盛る人だし

確かに、同じサラリーマン家庭なのになんであんなにお金持ちの生活が出来るんだろう?と思う人は、たいてい親が金持ち

大人になっても車とか買ってもらってる人は実際にいる

で、Kさんは子どもの頃から親に物を買ってもらえない生活だったとか

その淋しい思いを子どもにさせたくないから、子どもが欲しいと言った物は出来る限り買ってあげる人

「うちはお金持ちじゃないから高価な物は無理だけど、例えばカードとかは買い物に行くたびに必ず買ってあげてた

それを楽しみに子どもは買い物についてきてた

お正月は娘の初売りの為、財布代わりに付き合い振り回されて疲れたよ」と、毎年言ってる

Kさんの行動は、自分が子ども時代に味わったようなみじめな思いを子どもにはさせたくないというところから全てきてる

だから、大学生の娘さんは家の居心地が良すぎて絶対に出たくないと言ってる 一人暮らししたい人の気持ちがわからないと

結婚してもママにご飯作ってもらって、子どもの面倒もみてもらって、私は仕事するんだって本気で言ってるところが恐い

そうなることを楽しみにしてる母もまた恐い

「娘が結婚しても若いうちはお金がないから、私が出してあげるつもり

孫に掛かるお金は私が年金から出す

私が親から何もしてもらってないから、せめて子どもにはこんな苦労をさせたくない

今は私にお金がないから子どもには満足な塾も行かせられなくて申し訳なかった

娘には好きな仕事を思い切りやらせたい、その為の協力は惜しまない」

という言い分だった

Kさんは物欲の面で満たされない子ども時代を送ったらしいけど、一番満たされなかったのは心の面なんだろうなと思った

貧しくても、心が満たされてたら考えも違ってたんだろうにと思う

子どものために、苦労をさせたくない親

その割には、今の子は苦労してないから駄目だよねと言う もっと痛い目にあわなきゃねと言う

なんかいつも言うことが矛盾してるんだよね~

Kさんのやってることは協力というより、甘やかしではないのか?と思ったけどさすがに言えない

 


教科書が・・・

2013-01-09 09:47:36 | 娘のこと(高1)

2013年も明けました

それぞれの場所に戻り、いつもの生活がようやく戻ってきました

昨日のことです

娘「保健の教科書がない!どうしよう

母「そうなん

娘「どこに置いたかまったく記憶ないわ~ 誰かに貸したっけ? 貸してないよね?」

と、独り言のようにぶつぶつ

私は知らない~~

娘「私さ、だいたいだらしないよね きちんと片付けないからこういうことになるんだよね 直さなきゃだよね わかってるんだけどね、直るんだろうか?」

直らないだろうな~と思うよ

保健の教科書は3年間使うらしい

娘「ねえ、3年まで教科書なしでもいけるかな?」

母「無理でしょ」

娘「はーーー どうしよ」

母「お父さんもさ、よく物失くすよね 免許証とか財布とか」

娘「そうだよね~~ 懲りないよね でもお父さんって楽しそうだよね だからいいと思うよ」

うん、それはいえる 過去に免許証が入った財布を置き忘れたこと数回

そのたびに交番に行ったり、銀行、カード会社に電話して大変な思いをする

でもあんまり懲りない 周りに助けられ運がいいとか、なんとかなるとか思ってる

そのDNAをしっかり受け継いでる娘

娘「お父さんてさ、日常生活の8割は無駄な動きをしてるよね 効率悪いって思うよ お母さんは無駄がないよね」

母「うん、私はいかに効率よく出来るかを考えて行動するからね 無駄な動きはしたくないんだよ」

娘は明らかにお父さん似 もたもたしてたかと思うとバタバタし出したり、落ち着いてない

でもお父さん同様に日々楽しそう

娘「今日さ、二日続けて忘れ物したから手に「く」って書いたんだよ、そしたら友達に『彩は書いても何の意味か忘れると思うよ』って言われた~」

母「友達よくわかってるね

世の中振り回す人と振り回される人で分けるとしたら、私は振り回される方だな 娘とお父さんは振り回す方

で、教科書がない話に戻ると

娘「教科書ものすごく高価だったらどうしよう?」

母「いくらが高価なの?」

娘「2千円くらい」

母「・・・ お年玉で買え」

娘「うぇ~~

そのうち見つかることを願いつつ、今年もバタバタの娘です 


期末テスト終わりました

2012-12-11 10:24:17 | 娘のこと(高1)

期末テストが無事に終わった娘

今回は3週間前から準備をし、かなり上位を狙ってた娘です

かなり必死に勉強してたようですが、

結果は伴わず・・・だったみたい

あんなに勉強したのに~

わからなかった~

と、かなりへこんでたみたいだけど、友達に慰められどうにか浮上してました

娘の友達はみんなお母さんみたい

「いつまでも落ち込んでんじゃないの」

「一度凹んだんだからもういいでしょ」

時に厳しく、時に優しく、私の言葉よりずっと娘には響いてるみたい

いい友達、大事にしてね


大きな山を超える時

2012-11-17 06:33:29 | メッセージ

子どもが目の前にある大きな山を越える時、親に出来ることは何だろう

歩きやすい靴を買ってあげること

迷子にならないようにルートの地図を持たせること

転ばないように杖を用意すること

一緒に歩きながら応援すること

きっとどれも間違ってない

大事なのは、その子に何が必要かを見極める目

私だったら

一人で乗り越えられるように

美味しいおにぎりを作ってあげたいな


相変わらずうっかり者の娘

2012-11-12 08:28:53 | 娘のこと(高1)

土曜日の午前中、娘は学校から出された週末課題をしていた

ところが、慌ててやってくると

「どうしよう 週末課題学校に忘れてきた 午前中やってたの違うのだった 勘違いしてた」

あら~~ 又ですか

「お母さん、学校まで連れてって」

「この前言ったよね、二度目はないと思えって」

「・・・・・。。。。。」

そう、つい一月ほど前に同じことが

その時は連れて行った

でも、二度はないよ

結局娘は晴れ間を見て自転車で取りに行った

そのすぐ後に雨が降り出し、どしゃぶりに

往復1時間以上かかる道のりを、娘は天然のシャワーをあびて帰って来た

制服を乾かし、濡れた教科書を干し、

でも、なぜか頑張った自分に満足そうだった

乾いた教科書は、倍に膨れてた(笑)

うっかり者で、忘れん坊の娘は、人よりも自分のやったことでの後始末に費やす時間が遥かに多いと思う

でも、しょうがないね

そんな自分が好きだったらそれでいい


復学の日~継続登校へ

2012-11-06 14:21:25 | 不登校だった娘
2/27
 
喉が痛いと言うが適応教室に行きたいので食欲もないが食べる
 
午後は保健室に行く
 
友達と帰ってきて遊びに行く とても楽しそう
 
明日は音楽の時間に行きたい 友達と約束したから
 
【音楽は班に分かれてそれぞれのパートが決まっていた。
 
音楽が得意な娘は友達に「絶対来て!来てくれないと困る」と言われてその気になっていた
 
先生に連絡したら、音楽の時間を3時間目に移動してくれていた
 
行けるかどうかわからないのに、ありがたい気持ちでいっぱいだった】
 
 
 
2/28
 
起きて音楽の時間に行くと言うので学校に電話
 
ランドセルに教科書を入れる
 
学校まで連れて行く
 
教頭先生に付き添われ教室に行く
 
普通に下校
 
ヤマハに行き、その後友達と遊ぶ
 
楽しかった 明日も行きたいと言う
 
夕方先生が来て 何かわからないことはないかと娘に聞くが、ありませんと応える
 
授業中は3回手を上げ2回答えたとのこと
 
お父さんが帰ってきて自分で報告する
 
算数がわからなくてちょっと辛かった お父さん分数教えてと言う
 
明日はどっちに行こうかなと迷いながら10時に寝る

【ランドセル姿は不登校後初めてだった 学校に行った 途中からでも行った 涙が止まらなかった

2月28日のメモには大きく

   休むことを恐れない
 
   親が不安になれば子どもも不安になる
   
   感謝 気配り 心配り 思いやり
   
   不足不満は言わず感動、感情のある母親になる

と書いてあった】
 
 
 
この日、4ヶ月間の不登校から娘は学校に戻りました
 
保健室に行けた日から一ヶ月、適応指導教室を経て一歩ずつ進んできました
 
でも、次の日から毎日休まず行ったわけではありません
 
次の日は、適応指導教室へ、また次の日は学校へ、とどちらかを選んで行っていました
 
大丈夫かなと思えるまで一年はかかったと思います
 
復学してすぐの頃は、私は娘がどっちに行くかを決めるまで待ち、行くと決めたらそれに従いました
 
どうしようかなと迷った時には背中を押した時もあります
 
まだ具合の悪くなる日もありましたが、そんな時も提案は控え、自分でどうするか決めるまで待つ
 
休んでも、明日はきっと大丈夫と信じて、親の方が先に落ち込まない
 
いろんな場面で娘が出した答に親は「それでいいんだよ、自分で決めたことに自信もっていいんだよ」という気持ちで接していました
 
朝は起こさなかったので、8時半に慌てて起きたこともありました
 
自分で学校に電話して「これから行きます」と言って出たことも
 
学校に行ったら行ったで、支度が遅い、明日の用意をしない、宿題になかなかとりかからない、とイライラすることも有りましたが
 
それは娘の問題、私がイライラすることじゃない
 
私はもう以前のお母さんじゃない
 
娘の継続登校を見守るのは、同時に私の修行でもありました
 
娘を変えるのではない、私がいちいちイライラしないお母さんになるんだ
 
忘れ物に娘より先に気が付くような自分を変えよう、もっと鈍感でおおらかなお母さんになろう
 
子どもの失敗なんて気にしない気にしない
 
困った時はいつでも相談にのるよ、いつも応援してるよ だから大丈夫
 
そんな気持ちを持って頑張りました 
  
学校に戻すよりも登校を継続させることの方が難しかったかもしれません
 
どうしても欲がでるし、また元の自分に戻ってしまいそうになるからです
 
復学がゴールではない、そこからが新たなスタートでした
 
 
2012年、秋 
 
高校生になった娘は相変わらずのんびりやでマイペースですが、
 
不登校だったなんて信じられないくらい娘は大きく成長しました
 
不登校に関する記事を今までもたくさん書いてきましたが、今回で最後にしたいと思います
 
これからは、女子高生の母として娘の成長を見守りつつ、自分の時間も大切に過ごしていこうと思います
 
 
 
 
 
 
 

不登校中のこと 5

2012-11-05 11:50:51 | 不登校だった娘

2/21

適応指導教室へ
 
一緒に行くが、教室へは一人で入ると言うので付き添わず帰る
 
先生の話ではしっかり自己紹介したとのこと
 
楽しかった、友達とも話せた 早く次も行きたいという
 
午後は疲れたのか少し寝る
 
夜は私とウォーキングに行く
 
【普通、適応指導教室では初日は親に付いててもらい一緒に教室で過ごすらしい
 
慣れるまでは週に一回の通室、少しずつ増やすらしいけど、娘はもっと行きたいと言っていた 
 
娘は依存度が高い割りに外では私を拒否する 
 
この頃は、学校に少しでも行けたり友達とも学校で会えたりしたので急速に進んでいった
 
友達の力は大きい
 
適応教室面接で質問はありますか?と聞かれ、最初に言った娘の言葉は「友達が出来ますか?」だった
 
友達と遊びたいんだな、そういう気力が出てきたんだなと思った】

 
 
2/22
 
昨日の疲れか目覚ましを止めまた寝る
 
午後は保健室へ行くと言う
 
「友達と帰ってくるかも」と嬉しそうに言う
 
学校では読書の時間に教室に誘われるが行かず友達に来てもらう
 
一緒に下校
 
夕方先生に、明日縦割り班の写真撮影があるけどどうする?と聞かれ
 
撮らなくてもいいですと応える
 
【適応指導教室に見学に行ってから、保健室に行く日が増えてきた
 
まだ教室には行けないし、登校というより、好きな時間に少し行くだけだったけど、それでも動き出していることが嬉しかった
 
この頃お父さんと二人で、娘が学校に戻るための準備として、ある程度先を見据えて計画をたてた
 
まず、教室へ入るためにネックになってることはないか?
 
席は? 係は? 時間割は? 班は? などひとつひとつ確認したことを覚えてる
 
そして時期としていつ頃がいいのか、学校も年度末に向かい慌しくなってきてるので、先生とも綿密に連絡しあったほうが良いことなど
 
お父さんは平日娘と会うことがほとんど無かった
 
朝は娘が寝てる時間に出て、帰りは娘が寝てから 私は一人で娘の対応をしなければならなかった】
 

2/23

8時半 起きて具合が悪いと言ってまた寝る
 
一日ごろごろして過ごす
 
大学病院のカウンセリングに私だけ行く
 
そこでは
 
・自己評価が低い
・駄目な部分があってもいいと認める
・ハイペースで回復してるようだがまだまだ
・親が同じ悩みをもつ親同士で話をするのも良い
・ノーが言えるのはいいこと
・教室は特別な場所、入るには時間がかかる 急がなくていいと言ってあげる

【病院の先生の話は半分くらいは聞いていた 
 
不登校の親同士で情報交換など勧められたけど、私は慰めあいみたいなのはちょっと苦手だし、
 
そういう仲間も欲しくはなかった 不登校の子の親は早く卒業したかった
 
急がなくていいとも娘には言わなかった 
 
子どものペースに合わせることは大事だけど、娘を見ていて進もうとしてる子に待ったをかける必要はないと思った
 
医師に適応教室に慣れてそのままそこに居続けるのではと不安ですと聞くと、医師に「それでもいいじゃないですか」と言われた
 
私が目指す所と他人である医者の考えは違うのだと思った】
 

2/24
 
朝は起きれないが、機嫌は良い
 
夕方スーパー銭湯へ行く
 
私がお父さんのお茶を持ってきても文句を言わず、自分のお茶を自分で持ってくる
 
夜は寝付けなく、3回くらい呼ばれる 夜中も何度か起きる

【それまで当たり前に子どものお茶を入れて運んでた私 
 
この日何も言わずに娘が自分のお茶をとりに行った時、これが普通なんだと実感した】

 
2/26
 
午前中私が出かけ留守番をさせる
 
何度も電話があるので出ると「気持ちが悪い」と
 
帰ると治ったと平気な顔で、お腹がすいたと言う
 
「自分で考えて何か食べればいいでしょう ご飯もあるでしょう」と怒ると
 
ごめんなさいと泣く
 
「お母さんがどんなに辛いかわかるの?小学生が学校にも行かないで、こんなの間違ってる なんで行かないの」と責める
 
「お菓子とかしか思いつかなくて、でもご飯たべないでお菓子食べちゃ駄目だと思って、これからは自分で出来るように頑張る 
 
お母さんに笑っててほしい 一緒に辛いけど笑って頑張りたい 
 
顔色を伺ってるつもりはなかったの ごめんなさい 
 
保健室行ったり適応教室行って学校に行けるようになりたい だから勉強の不安はない 
 
一時間座ってる自信がない 卒業式なら行けると思う 出れる授業だけでも受けられるようになりたい」
 
「わかったよ お母さんもごめんね 一緒に頑張ろうね」と言って目標を決めようかと提案する
 
相談して3月15日に目標を定める
 
目標があると頑張れる気がすると言う

【大分前向きに進んでる時だったのに、2,3日起きる時間が遅くなったり、わがままを言うことに耐えられなくなり私は娘を責めてしまった
  
一度口から出るともう止まらずに責めることしか出来なかった 
 
言いながら、こんなこと言ったら駄目だってわかってるのに、止めることが出来なかった 
 
不登校がいつまで続くのか先が見えない不安から 私も限界だったんだと思う
 
でもその後娘が一気に自分の思いを吐き出した
 
泣きながら一生懸命に私に訴える姿に私は涙が止まらなかった 
 
話を聴きながら、この子はみんなわかってるんだ、わかっててもどうしようもないんだ 
 
ここで私が責めてはいけないんだということが良くわかった
 
私の方が駄目な親だったと思う】