ayamiの子育ち 自分育ち日記

一人っ子の娘は小学校4年生の時に約4ヶ月間の不登校を経験しました。でも今は毎日元気に学校へ行っています。

大きな山を超える時

2012-11-17 06:33:29 | メッセージ

子どもが目の前にある大きな山を越える時、親に出来ることは何だろう

歩きやすい靴を買ってあげること

迷子にならないようにルートの地図を持たせること

転ばないように杖を用意すること

一緒に歩きながら応援すること

きっとどれも間違ってない

大事なのは、その子に何が必要かを見極める目

私だったら

一人で乗り越えられるように

美味しいおにぎりを作ってあげたいな


相変わらずうっかり者の娘

2012-11-12 08:28:53 | 娘のこと(高1)

土曜日の午前中、娘は学校から出された週末課題をしていた

ところが、慌ててやってくると

「どうしよう 週末課題学校に忘れてきた 午前中やってたの違うのだった 勘違いしてた」

あら~~ 又ですか

「お母さん、学校まで連れてって」

「この前言ったよね、二度目はないと思えって」

「・・・・・。。。。。」

そう、つい一月ほど前に同じことが

その時は連れて行った

でも、二度はないよ

結局娘は晴れ間を見て自転車で取りに行った

そのすぐ後に雨が降り出し、どしゃぶりに

往復1時間以上かかる道のりを、娘は天然のシャワーをあびて帰って来た

制服を乾かし、濡れた教科書を干し、

でも、なぜか頑張った自分に満足そうだった

乾いた教科書は、倍に膨れてた(笑)

うっかり者で、忘れん坊の娘は、人よりも自分のやったことでの後始末に費やす時間が遥かに多いと思う

でも、しょうがないね

そんな自分が好きだったらそれでいい


復学の日~継続登校へ

2012-11-06 14:21:25 | 不登校だった娘
2/27
 
喉が痛いと言うが適応教室に行きたいので食欲もないが食べる
 
午後は保健室に行く
 
友達と帰ってきて遊びに行く とても楽しそう
 
明日は音楽の時間に行きたい 友達と約束したから
 
【音楽は班に分かれてそれぞれのパートが決まっていた。
 
音楽が得意な娘は友達に「絶対来て!来てくれないと困る」と言われてその気になっていた
 
先生に連絡したら、音楽の時間を3時間目に移動してくれていた
 
行けるかどうかわからないのに、ありがたい気持ちでいっぱいだった】
 
 
 
2/28
 
起きて音楽の時間に行くと言うので学校に電話
 
ランドセルに教科書を入れる
 
学校まで連れて行く
 
教頭先生に付き添われ教室に行く
 
普通に下校
 
ヤマハに行き、その後友達と遊ぶ
 
楽しかった 明日も行きたいと言う
 
夕方先生が来て 何かわからないことはないかと娘に聞くが、ありませんと応える
 
授業中は3回手を上げ2回答えたとのこと
 
お父さんが帰ってきて自分で報告する
 
算数がわからなくてちょっと辛かった お父さん分数教えてと言う
 
明日はどっちに行こうかなと迷いながら10時に寝る

【ランドセル姿は不登校後初めてだった 学校に行った 途中からでも行った 涙が止まらなかった

2月28日のメモには大きく

   休むことを恐れない
 
   親が不安になれば子どもも不安になる
   
   感謝 気配り 心配り 思いやり
   
   不足不満は言わず感動、感情のある母親になる

と書いてあった】
 
 
 
この日、4ヶ月間の不登校から娘は学校に戻りました
 
保健室に行けた日から一ヶ月、適応指導教室を経て一歩ずつ進んできました
 
でも、次の日から毎日休まず行ったわけではありません
 
次の日は、適応指導教室へ、また次の日は学校へ、とどちらかを選んで行っていました
 
大丈夫かなと思えるまで一年はかかったと思います
 
復学してすぐの頃は、私は娘がどっちに行くかを決めるまで待ち、行くと決めたらそれに従いました
 
どうしようかなと迷った時には背中を押した時もあります
 
まだ具合の悪くなる日もありましたが、そんな時も提案は控え、自分でどうするか決めるまで待つ
 
休んでも、明日はきっと大丈夫と信じて、親の方が先に落ち込まない
 
いろんな場面で娘が出した答に親は「それでいいんだよ、自分で決めたことに自信もっていいんだよ」という気持ちで接していました
 
朝は起こさなかったので、8時半に慌てて起きたこともありました
 
自分で学校に電話して「これから行きます」と言って出たことも
 
学校に行ったら行ったで、支度が遅い、明日の用意をしない、宿題になかなかとりかからない、とイライラすることも有りましたが
 
それは娘の問題、私がイライラすることじゃない
 
私はもう以前のお母さんじゃない
 
娘の継続登校を見守るのは、同時に私の修行でもありました
 
娘を変えるのではない、私がいちいちイライラしないお母さんになるんだ
 
忘れ物に娘より先に気が付くような自分を変えよう、もっと鈍感でおおらかなお母さんになろう
 
子どもの失敗なんて気にしない気にしない
 
困った時はいつでも相談にのるよ、いつも応援してるよ だから大丈夫
 
そんな気持ちを持って頑張りました 
  
学校に戻すよりも登校を継続させることの方が難しかったかもしれません
 
どうしても欲がでるし、また元の自分に戻ってしまいそうになるからです
 
復学がゴールではない、そこからが新たなスタートでした
 
 
2012年、秋 
 
高校生になった娘は相変わらずのんびりやでマイペースですが、
 
不登校だったなんて信じられないくらい娘は大きく成長しました
 
不登校に関する記事を今までもたくさん書いてきましたが、今回で最後にしたいと思います
 
これからは、女子高生の母として娘の成長を見守りつつ、自分の時間も大切に過ごしていこうと思います
 
 
 
 
 
 
 

不登校中のこと 5

2012-11-05 11:50:51 | 不登校だった娘

2/21

適応指導教室へ
 
一緒に行くが、教室へは一人で入ると言うので付き添わず帰る
 
先生の話ではしっかり自己紹介したとのこと
 
楽しかった、友達とも話せた 早く次も行きたいという
 
午後は疲れたのか少し寝る
 
夜は私とウォーキングに行く
 
【普通、適応指導教室では初日は親に付いててもらい一緒に教室で過ごすらしい
 
慣れるまでは週に一回の通室、少しずつ増やすらしいけど、娘はもっと行きたいと言っていた 
 
娘は依存度が高い割りに外では私を拒否する 
 
この頃は、学校に少しでも行けたり友達とも学校で会えたりしたので急速に進んでいった
 
友達の力は大きい
 
適応教室面接で質問はありますか?と聞かれ、最初に言った娘の言葉は「友達が出来ますか?」だった
 
友達と遊びたいんだな、そういう気力が出てきたんだなと思った】

 
 
2/22
 
昨日の疲れか目覚ましを止めまた寝る
 
午後は保健室へ行くと言う
 
「友達と帰ってくるかも」と嬉しそうに言う
 
学校では読書の時間に教室に誘われるが行かず友達に来てもらう
 
一緒に下校
 
夕方先生に、明日縦割り班の写真撮影があるけどどうする?と聞かれ
 
撮らなくてもいいですと応える
 
【適応指導教室に見学に行ってから、保健室に行く日が増えてきた
 
まだ教室には行けないし、登校というより、好きな時間に少し行くだけだったけど、それでも動き出していることが嬉しかった
 
この頃お父さんと二人で、娘が学校に戻るための準備として、ある程度先を見据えて計画をたてた
 
まず、教室へ入るためにネックになってることはないか?
 
席は? 係は? 時間割は? 班は? などひとつひとつ確認したことを覚えてる
 
そして時期としていつ頃がいいのか、学校も年度末に向かい慌しくなってきてるので、先生とも綿密に連絡しあったほうが良いことなど
 
お父さんは平日娘と会うことがほとんど無かった
 
朝は娘が寝てる時間に出て、帰りは娘が寝てから 私は一人で娘の対応をしなければならなかった】
 

2/23

8時半 起きて具合が悪いと言ってまた寝る
 
一日ごろごろして過ごす
 
大学病院のカウンセリングに私だけ行く
 
そこでは
 
・自己評価が低い
・駄目な部分があってもいいと認める
・ハイペースで回復してるようだがまだまだ
・親が同じ悩みをもつ親同士で話をするのも良い
・ノーが言えるのはいいこと
・教室は特別な場所、入るには時間がかかる 急がなくていいと言ってあげる

【病院の先生の話は半分くらいは聞いていた 
 
不登校の親同士で情報交換など勧められたけど、私は慰めあいみたいなのはちょっと苦手だし、
 
そういう仲間も欲しくはなかった 不登校の子の親は早く卒業したかった
 
急がなくていいとも娘には言わなかった 
 
子どものペースに合わせることは大事だけど、娘を見ていて進もうとしてる子に待ったをかける必要はないと思った
 
医師に適応教室に慣れてそのままそこに居続けるのではと不安ですと聞くと、医師に「それでもいいじゃないですか」と言われた
 
私が目指す所と他人である医者の考えは違うのだと思った】
 

2/24
 
朝は起きれないが、機嫌は良い
 
夕方スーパー銭湯へ行く
 
私がお父さんのお茶を持ってきても文句を言わず、自分のお茶を自分で持ってくる
 
夜は寝付けなく、3回くらい呼ばれる 夜中も何度か起きる

【それまで当たり前に子どものお茶を入れて運んでた私 
 
この日何も言わずに娘が自分のお茶をとりに行った時、これが普通なんだと実感した】

 
2/26
 
午前中私が出かけ留守番をさせる
 
何度も電話があるので出ると「気持ちが悪い」と
 
帰ると治ったと平気な顔で、お腹がすいたと言う
 
「自分で考えて何か食べればいいでしょう ご飯もあるでしょう」と怒ると
 
ごめんなさいと泣く
 
「お母さんがどんなに辛いかわかるの?小学生が学校にも行かないで、こんなの間違ってる なんで行かないの」と責める
 
「お菓子とかしか思いつかなくて、でもご飯たべないでお菓子食べちゃ駄目だと思って、これからは自分で出来るように頑張る 
 
お母さんに笑っててほしい 一緒に辛いけど笑って頑張りたい 
 
顔色を伺ってるつもりはなかったの ごめんなさい 
 
保健室行ったり適応教室行って学校に行けるようになりたい だから勉強の不安はない 
 
一時間座ってる自信がない 卒業式なら行けると思う 出れる授業だけでも受けられるようになりたい」
 
「わかったよ お母さんもごめんね 一緒に頑張ろうね」と言って目標を決めようかと提案する
 
相談して3月15日に目標を定める
 
目標があると頑張れる気がすると言う

【大分前向きに進んでる時だったのに、2,3日起きる時間が遅くなったり、わがままを言うことに耐えられなくなり私は娘を責めてしまった
  
一度口から出るともう止まらずに責めることしか出来なかった 
 
言いながら、こんなこと言ったら駄目だってわかってるのに、止めることが出来なかった 
 
不登校がいつまで続くのか先が見えない不安から 私も限界だったんだと思う
 
でもその後娘が一気に自分の思いを吐き出した
 
泣きながら一生懸命に私に訴える姿に私は涙が止まらなかった 
 
話を聴きながら、この子はみんなわかってるんだ、わかっててもどうしようもないんだ 
 
ここで私が責めてはいけないんだということが良くわかった
 
私の方が駄目な親だったと思う】


不登校中のこと 4

2012-11-03 15:27:51 | 不登校だった娘
2/9
7時起床
 
退屈だと言い機嫌が悪い
 
朝食をテーブルで食べる(それまではひとりコタツで食べてた)

適応指導教室のことを聞いてと言うので午後学校へ

娘は図書室で待つ

帰り際担任に会う

担任の先生に会うのは久しぶりだったが普通に話す

「どってことなかった」と言う

今度版画を教えてもらう約束をする

10時布団を敷く 寝つきは良い
 
 【担任とはずっと会わない状態が続いていた
 
この日図書室で待つ娘に思い切って先生を会わせることにした
 
この時はちょっとドキドキしたけど、たぶんもう大丈夫だと判断したので先生にお願いしてみた 
 
先生と打ち合わせをして、渡すものがあったということで直接図書室に先生が向かった
 
一瞬固まった娘、でも、すぐに普通に会話が出来た またひとつ学校が近づいた】
 
 
2/10
 
8時起床

起きてしつこく呼ぶ ので行く
 
朝食はミロとイチゴのみ
 
午前中はお父さんと図書館へ行く
 
夜、学校からの推薦図書の紙を見ながら、本が欲しいと言う
 
私「学校で申し込むの?」
 
娘「駄目なの?」
 
私「申し込むとどこに届くの?」
 
娘「・・・学校」と言ってから泣き出す
 
私「蔦屋で買えば」
 
娘「学校がいいもん 学校じゃ駄目なの?」
 
私「誰が家に届けてくれるの?毎日お便りを届けてもらってもありがとうも言えないよね」
 
娘「じゃあもういい 本は頼まない」 と泣く
 
風呂に入り
 
「学校は今は行かない 行きたくない つまらない どうせ勉強させられるだけ」と言う
 
「そう思うなら行かなければいい」と言うと
 
「でも、また明日は気持ちが変わるかも」と言う

【日々ころころ変わる娘の態度にイライラしてた メモには失敗したこと、まずかったと思ったことだけ書き残してある 
 
言い訳じゃないけど、○がつく会話もあったはず(汗)

この会話はかなり責めてるけど、本が欲しいから申し込んでと言われて、わかったとは言えなかった 
 
わかったと言っても良かったのかもしれないけど、どうしても「学校に行ってないのに」、という私の思いが強く、娘の要求を拒否してしまった
 
何が正しい対応なのか、考えれば考えるほどわからなくなる
 
でも、考えてるより先に自分の気持ちに正直になると、こういう対応になってたんだなと思う】
 
 
2/12
 
夜テレビを見ながらお父さんの足を蹴り、痛いと言われて泣く
 
風呂に入らない、歯磨きもしないで寝る
 
 
2/14 
 
7時半起床 午前中に着替えるようになる
 
適応指導教室へ見学に行く
 
通うのが楽しみだと言い、学校の勉強がどこまで進んでるのかを書き出す
 
早く行きたい 学校は命令されるから嫌と言うが、慣れたら学校に行けそうとも言う
 
「今日から一人で寝ようね」と言うと少しぐずぐず言うが10時半頃寝る

【適応指導教室では、面接の後教室の見学をしたが、中に入ってみる?と聞かれたけど娘は断った
 
どんな気持ちなのか私にはわからない
 
でも帰りの車で「楽しそうだった。早く行きたいな」と言っていた
 
それが本心なのかわからなかったけど、そうだねと言った
 
夜はそれまで一緒に添い寝してたが、この日から一人で寝るように言う
 
とはいえ子ども部屋でなく、リビングの隣の和室に一緒に寝るのはそのまま
 
一人で子ども部屋で寝るようになったのは6年生からだった
 
適応指導教室の入室日が21日で、それまで毎日のように早く行きたいを繰り返していた】
 
 
2/15
 
6時半起床
 
玉子焼きを自分で作るからと目覚ましで起きる
 
着替え、布団を自分でたたむ
 
ピアノ、ビーズをする
 
お腹が痛いと携帯に電話
 
「冷えると痛くなるんだよ、寒ければ着る、暑ければ脱ぐ」と教える
 
お風呂で「学校行けるかな」と言う
 
適応教室に慣れたら行けそうと言う
 
でも、学校は命令されるから嫌と言う
 
【学校行けるかなという娘には、うん、行けるよと答えてたと思う
 
逆に命令されるから嫌と言う時は、そうなんだと励ましたり否定しないで聞いてたかな】
 
 
2/19
 
目覚ましで7時半に起きて私を呼ぶが、行かないと自分で来る
 
パンを食べ、着替えなど自分から進んで動く
 
午前留守番
 
午後はひとりで楽しそうに遊ぶ
 
夜元気がない
 
その前に教頭先生から電話があり、それを気にしたのか?
 
10時、具合が悪いと言うが、そうでもなさそうで、すぐ寝る
 

2/20

目覚ましを一旦止め8時起床
 
午後自分から保健室へ行くと言う
 
たまたま保健室の先生が5時間目の保険体育の授業に娘を誘い授業を受ける
 
友達と下校
 
学校楽しかった 適応教室で勉強して学校に行くと言う

【久しぶりにクラスの友達と会った
 
教室に戻るにはそれほどハードルは高くないと思った】