来年の春の選抜高校野球大会(甲子園大会)につながる秋の高校野球東北大会が、昨日から福島市内の「あづま球場」と「信夫ケ丘球場」で開催されています。
今日は、今や甲子園常連校となった地元の「聖光学院」対秋田代表「大館工」との試合が、私のアパートから歩いて15分の「信夫ケ丘球場」で行われるため観戦に行って来ました。見事2対0で「聖光学院」が勝利。地元開催ということでスタンドには大勢の野球ファンが駆けつけており、結構、浪江町の皆さんにもお会いしました。
ちなみに今大会には福島県から3校出場しており、昨日は、「光南高校」も勝利。もう1校の「白河高校」は今日午後からの試合となっています。県勢の活躍を期待します。
さて、昨日の続きです。
質問:そこで、町民のみなさんは、町長が町の方向性つまり帰町に関して何も示さない事に限界が来ていると思います。私の帰町に関しての考えは7月11日の会議において、【今の現状を踏まえれば、5年間の「帰れない宣言」】をすべきだと申し上げました。記憶にあるかどうかちょっと分かりませんが、根拠も申し上げました。
ここで、私の考えを申し上げますと、まず1つ目は、除染であります。国の除染に関する工程表では2か月前の7月には本格除染が始まっていなければなりませんが、未だに事前調査中であり、平成26年3月終了予定に疑問符が付きます。また、関連して中間貯蔵施設設置の工程表では供用開始が平成27年1月となっていますが、協議自体が3月からストップして、ようやく先月19日に再開しました。これもスタート時点で大きく遅れているわけですから、供用開始も遅れるのは当然であります。帰町した場合には除染廃棄物がすべて仮置き場から中間貯蔵施設に搬入されていなければならないと思います。
2つ目に、やはり、原発事故はいまだにトラブルが相次ぎ収束していない危険な状態にあることです。原発4号機の例を挙げますと、約1500本の燃料棒を来年12月から本格的に取り出しが始まり、順調に作業が進んでも4年間かかると言われていますが、世界初のしかも危険を伴う作業を近くでしているのに町民の安全を守る観点から無責任に帰すことは出来ないと思います。
3つ目に、上下水道や道路などにはかなりの被害があり、ライフラインやインフラの復旧には郡内1の面積ですので、それ相当の期間がかかると思います。また、関連して復旧・復興促進のため、あるいは避難道の確保の面で言えば、常磐道の早期開通が必要不可欠な事で、ようやくモデル除染が終了し、今後本格除染が始まり、整備開通は、早くとも今回示されましたが27年度内を目指すとは言うものの、順調にいっての話であって、私はそういうような簡単な話ではない。つまりそれ相当な期間がかかるのはないか。その他の主要道路も同様です。
そしてその他、国立化を求めるべきだと思いますが医療・福祉関係施設の整備、教育や雇用問題、帰還困難区域や地震により家屋の全半壊した方々の町内復興住宅建設など課題山積ですので、これらの点は5年間かけてスピード感を持って対応を協議し、5年後には帰町できるための最低限度の生活基盤をなんとか整備する事が出来るのではないかと思います。
住民の一律賠償を実現するために原発事故から6年は帰らない方針を決め、年内にも区域再編する意向の富岡町は、政府との調整が難航している、という報道がありましたが、まったく国は避難自治体の現状を認識しているのか疑問を持たざるお得ません。
たとえば2、3年後に「私たちに帰町しろ」と国が求めるならば、逆にこちらから、この2、3年間のうちに、限りなく年間被ばく線量を1ミリシーベルト以下に除染すること、また、インフラ・ライフラインの復旧を図り、雇用、医療、福祉問題など諸課題をクリアーすること、さらに過日、閣議決定された避難区域のグランドデザインを、より具体的に示すことなどを強く国に求め、確実に被災前の生活を送れるよう、国に担保してもらう事が必要だと思います。
「帰らない」とは帰れる状況にあるが自分の意志で帰らないという事であって、今の浪江町は私が申し上げた諸般の状況を考慮すれば、帰町し日常生活を送ることは出来ない、浪江は「帰れる状況にない」つまり「帰れない」が適切な表現ではないかと思います。そして、それに伴なって賠償の一律があるのではないかと思います。
以上が私の帰町に関する考えですが、町長は帰町する・しないの判断はいつするのか、また、帰町まで何年間待てば良いとお考えか、お答えいただきたいと思います。
町長答弁:今おただしのとおり、全くそのとおりの形で、やっぱり私どもは「戻れない状態」なんです。いわゆる戻らないということではなく戻れないんです。要するに生活ができないということですので。ですから、やっぱりそういう形のもので今山崎議員がおただしのとおり、賠償、除染後きっちり担保して、そして政府が責任を持って遂行するということを強く要請・要望していきたいと思っています。
したがって、今の状況で先日の柳沢副大臣が非公式な話で、公式な話ではありませんので正確ではないという話にもなるかもしれませんけれども、私どもの考え方を今山崎議員がおただししたとおりの話をいたしました。実際、我々が線量が低いからといって戻れる状況ではなくて、やっぱり生活するためにはいろんな生活基盤がきちんとしていないと成り立ちません。そういうことで、これは3年、あるいは4年なんていっても、そんな時間ではできないです。やっぱり、5年ないし6年、そういう戻れない状態が続くということを強調いたしました。
それから、先ほど原発事故に収束の問題ですが、これは本当に見通しが立たないです。現在も危ない状況であるということも私の耳には入ってきています。そういうことで、軽々しく避難指示の解除が出せないんだということで考えているところであります。
議員おただしのとおりの考え方で今後も前進していきたいと考えております。
質問:今ほど町長から、私と考えを一にするということですから、たとえば宣言の名前はどうであれ、今後5年間は町民の皆さん申し訳ありませんが、生活基盤を復旧させますから、申し訳ありません、5年間いただきたいということでとってよろしいいですか。
町長答弁:そのとおりであると思います。
この続きは、また次回に