博文(ひろぶみ)通信

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9月定例会一般質問原稿 ①

2012-09-30 13:15:03 | 日記
 今日から、9月定例会で私が行った一般質問の質問と答弁の原稿を、原則一つの質問に対してその答弁という形で連日掲載します。なお、議会事務局からもらった反訳原稿を掲載しています。(データでもらっていないため打ち込むのに大変です


質問:おはようございます。2番、山崎 博文です。議長の許可を得ましたので通告に従いまして一般質問をさせていただきます。なお、質問方式は一問一答方式でお願いいたします。
まずはじめに、質問事項1の広島平和記念式典及び原水爆禁止大会参列について質問いたします。

 第二次世界大戦末期の1945年8月6日午前8時15分に、アメリカ軍が広島市に対して世界最初の核兵器である原子爆弾を投下し、この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人のうち9万~16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡したとされています。
この悲しい惨劇から67年後の先月6日に広島市で営まれた「原爆死没者慰霊式・平和祈念式典」に馬場町長は参列されました。式典参列は町長自ら要望され、広島市側の快諾を得、実現出来たと報道されました。また、9月発行の「広報なみえ」では、「平和祈念式典に参加して」と題し、町長より寄稿されていますが、改めて式典への参列目的と参列して何を感じ、今後の町政にどのようにこの経験を活かすか、お聞かせいただきたいと思います。


馬場町長答弁:今回の平和祈念式典参列については、まず第一義的は、昨年3月11日、震災の発災から特に広島県・広島市民の方からは、直接励ましの電話、あるいは励ましの手紙をいただきました。さらに義援金、救援物資等も含めていろいろとご支援をいただきまして、なんとか機会があればこのご支援に対する御礼と感謝を申し上げたいということが、第1点の目的であります。
 それから第2点目は、原爆投下によって、私どもと原爆の被ばくというのは違いますけれども、やはり放射線を浴びた、放射能を浴びたということについては同感、共有するところがありまして、まずその共感を得るために死没者に対しての鎮魂を込めて、御霊のご冥福と世界の恒久的平和を祈念するために参列したということの目的がございます。
 さらに第3点は、やはりあれだけ草木の生えないと言われる広島市がこれだけ復興したエレルギーといいますか、そういう当事者の歴史というものを知りたいということで行っててきたところであります。大きく分けてその3つが参列目的でありました。


続きは明日   文字ばかりで読みづらいかなぁ・・・・・



<29日付新聞掲載記事より>

・除染目標期限先送り 浪江・双葉・大熊・富岡  環境相 計画策定調整進まず

 細野豪志環境相は28日の記者会見で、原発事故を受け国直轄で除染を進める本県内の区域のうち、除染計画策定の調整が進んでいない浪江、双葉、大熊、富岡の4町について、当初予定していた平成26年3月末までの除染実施の目標を先送りする方針を明らかにした。
 
 4町のうち浪江、大熊、富岡の3町は、5年間は住民帰還しないとの方針をすでに示しているほか、双葉町は計画策定に向けた調整に応じておらず、実施時期の再検討が必要と判断した。
 細野氏は「労働力を短期間に大量投入すると、賃金や物価の急激な上昇を招くなど福島全体の復興にも影響を与えかねない」と説明。年間積算放射線量が50ミリシーベルト以下の住宅地や道路などを26年3月末までに除染するとした同省の工程表の期限にこだわらず、避難指示解除の時期などを見極めながら柔軟に対応する必要があるとの認識を示した。