イザヤ書63章の紹介に当っての前書き
聖書に記されている内容が漸進的に明らかになるにつれ、これまで2,000年近くの間、真のクリスチャンたちは「エホバの日の臨在を待ち、それをしっかり思いに留め」てきました(ペテロ第二3:12.テトス2:13)。真のクリスチャンであれば、その日の到来を切望するのはもっともなことです。何と言っても、その日は、人間の不完全さによる害悪からの救済の始まりをはっきり示すものとなるのです(ローマ8:22)。また、この「困難で危機的な時代」にあって、経験する様々な圧力がなくなることも意味しています(テモテ第二3:1)。
とはいえ、神エホバの日は、義にかなった人々に救済をもたらす一方で、「神を知らない者と、わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない者」にとっては、滅びを意味しています(テサロニケ第二1:7,8)。この点について熟考すると、身の引き締まる思いがします。神エホバは本当に、ご自分の民を苦難から救い出すために、邪悪な人々の滅びをもたらされるのでしょうか。イザヤ63章は、はるかに崇高な論争点、つまり神エホバのみ名を神聖なものとすることが関係していることを示しています。
次回からイザヤ63章1節から順次紹介致します。
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鍬担ぎ 汗を拭きふき 老農夫 今日の一句
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