イエスはほうとう息子が、悔い改めて帰った時、その父親が「・・・私の息子が、死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのが見つかったのだ」と、優しい愛情を持って迎え「興じ」始めたことを話されました。
その間、父親の「年上の息子は野にいました」。イエスの残りの話しを聴いて、年上の息子は誰を表しているかを考えてください。イエスは年上の息子について次のように話されました。「年上の息子が帰って来て家に近づくと、合奏と踊りの音が聞こえたのです。そこで、僕の1人を呼び、これはどういうことなのかと尋ねました。僕はいいました、「あなたのご兄弟がおいでになったのです。それで、健やかに戻って来られたというので、あなたのお父様は肥えさせた若い雄牛をほふったのです」。ところが彼は憤り、入って行こうとはしませんでした。すると、父親が出てきて、彼に懇願し始めました。彼は答えて父親に言いました。「私はこれまで何年というもの、あなたのために奴隷のように働いて来て、一度といえあなたのおきてを踏み越えたことはありません。それなのに、この私には、友人と一緒に楽しむための子ヤギさえただの一度も下さったことがありません。それが、娼婦たちと一緒になってあなたの資産を食いつぶした、このあなたの息子が到着するや、あなたは肥えさせた若い雄牛を彼のためにほふったのです」」。
年上の息子と同じように、罪人たちに憐れみや注意が向けられたことを批判したのは誰だったでしょうか。それは書士やパリサイ人たちだったのではないでしょうか。イエスがこの話しをされたのは、罪人たちを喜んで迎えるイエスを彼らが批判したからです。ですから明らかに、書士やパリサイ人は、年上の息子によって表わされている人々であるに違いありません。イエスは年上の息子に対する父親の次のような訴えで話しを結ばれました。「子よ、あなたはいつも私のもとに一緒にいた、私の物はみなあなたの物だ。だが、私たちはとにかく楽しんで歓ばないわけにはいかなかったのだ。このあなたの兄弟は死んでいたのに生き返り、失われていたのに見つかったからだ」。
イエスのこの話しはどうなるでしょうか、引き続き、次回にお伝え致します。
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白紋蝶 早くも庭で 舞ており 今日の一句
イエスの贖いの死の記念式の「パンとぶどう酒」
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