愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
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「愛のうちに歩んでゆきなさい」:愛に含まれない事柄(その3)♪

2018-04-21 00:05:33 | 神の言葉・聖書

 聖書は、「愛はみだりな振る舞いをしない」、「愛は自分の利を求めない」と教えています(コリント第一13:)。ですから、愛があるなら福田財務次官のような「みだりな振る舞い」は生じることがありません。聖書は「他の人の益を求めてゆきなさい」と命じています(コリント第一10:24)。私たちが愛を培い利他的な生き方を行なうなら、セクハラやパワハラが生じることはありません。

 今日も引き続き「愛に含まれない事柄」をお伝えしますので、熟考してくださり、愛の内に歩まれることをお勧め致します。

5.「刺激されていら立つ、傷つけられてそれを根に持つ」(コリント第一13:5):聖句はこのように記されています。「愛は刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず」ています(コリント第一13:5)。愛の人は、他の人の言動にすぐにいら立ったりはしません。「愛は辛抱強く、また親切です(コリント第一13:4)。しかし、他の人に感情を害されれば、気持ちが動揺するのは、無理からぬことです。しかし、愛があれば、当然の怒りを抱いた場合でも、いつまでもいら立ったままでいることはありません(エフェソス4:26,27)。忘れないためにノートに書き留めておくなのように、他の人の言動によって傷つけられたことを一つ一つ記憶にとどめたりはしないでしょう。むしろ、愛のゆえに、愛ある神エホバとイエスの残された手本に見倣います(ペテロ第一2:21)。しかるべき理由がある場合に神エホバは許されます。そして、神エホバは許したなら、忘れてくださいます。つまり、神エホバは将来その罪を持ち出したりはされないのです。神エホバが傷つけられてもそれを根に待たない方であることに、私たちは深く感謝することができるのではないでしょうか。

6.「不義を歓ぶ」(コリント第一13):聖句は「愛は不義を歓ばない」と記しています。この聖句をモファット訳は、「愛は他の人が過ちを犯しても決して喜ばない」となっています。愛は不義を歓びとしないのですから、私たちは、いかなる不道徳にも目をつぶることはありません。友人やクリスチャン仲間が、罪に陥り、その結果としてつらい経験をするとき、わたしたちはどう反応するでしょうか。愛があるなら、「ほら見ろ、身から出たさびだ」とでも言わんばかりに歓ぶようなことはないでしょう(箴言17:5)。一方、過ちを犯した人が霊的な落ち込みから立ち直るために積極的な援助の行動を取る時、私たちは大いに歓びます。愛は真実なことと共に歓びます(コリント第一13:6)。私たちは「男性も女性も神の像(かたち)に創造」されていることに感謝し、愛を培い、愛のうちに歩みたいものです(創世記1:26,27)。

 次回は「更に勝った道の愛」についてお伝え致します。引き続きお読みくだされば嬉しく存じます。

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       セクハラは 不義の道なり 竹落ち葉 今日の一句

                     咲ききった「花ミズキ」

 


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