神エホバは、律法を早くも破り、子牛の鋳物の像に礼拝したことに対し、イスラエルの子らはうなじのこわい民であり滅ぼし絶やすことを表明されました(出エジプト記32:7~9)。その神エホバに、モーセは率直に執り成しをしたことが次のように記されています。
「それでモーセは自分の神エホバの顔を和めようとしてこう言った。「エホバよ、なぜあなたの怒りは、大いなる力と強いみ手とをもってエジプトの地から携え出されたご自分の民に対して燃えなければならないのでしょうか。どうしてエジプト人が、「あれは悪意をもって彼らを連れ出し、山の中で殺して地の表から滅ぼし絶やそうとしたのだ」などと言ってよいでしょうか。燃える怒りから離れ、あなたの民に臨む災いを思い返してくださいますように。あなたの僕アブラハム、イサク、イスラエルを思い出してください。あなた(エホバ)はご自身にかけて彼らに誓われ、「わたしはあなた方の胤を殖やして天の星のようにし、わたしが規定したこのすべての土地をあなた方の胤に与え、定めのない時に至るまで彼らが確かにそれを所有するようにする」と言われたのです」。
するとエホバはご自分の民に下すと言われた災いについて悔やまれるようになった」(出エジプト記32:11~14)。
モーセは、イスラエルの子らが行った子牛の鋳物の像に身をかがめた行為、つまり偶像礼拝について、厳しく怒るのではなく、反対に神エホバに率直に執り成しをしました。燃える怒りから離れ、イスラエルの子らに臨むを思い返してください、とモーセはエホバにお願いをしています。私たちもこのモーセの模範に見倣って、神エホバに許しを願い求める時に、心から率直に心にあることをエホバに願い出る必要があります。モーセの心からの、神エホバへの執り成しの結果、神エホバはご自分の民に譲歩し、ご自分の民に下すと言われた災いについて悔やまれたことが記されています。このことから、神エホバは感情を持たれる神であることが分かります。
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