イエス・キリストは聞き手が、ご自分の教えの意味を悟ることができるように、人々がだれでも知っている身近にある事柄を例えを用いて真理を証しされました(マタイ13:10~13)。ですから、イエスの話される言葉は一度聞くと、心に残り、やがてその人の心を動かすものとなりました。群衆はイエスの例えを用いた話を聞き終えると、イエスの教え方に驚きました(マタイ7:28)。私たちもイエスの例えを用いた教え方に見倣うなら、効果的な教え手に成長することができます。今日も、以下にお伝えするイエスの教え方を熟考してくださるなら、イエスの教えの重要な意味が分かり、イエスの教えられた通り、「思慮深い人」として命の道を歩むことができるようになります。イエスは有名な山上の垂訓の中で、命の道を力を尽くして歩むように次のように教えられました。
「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく、それを通って入って行く人は多いからです。一方、命に至る門は狭く、その道は狭められており、それ(狭められた命の道)を見いだす人は少ないのです」(マタイ7:13,14)。
普通人は、広くて大きな道が安全と考えます。狭い門は体を通すために力を込めて開けなければなりません。その狭い門をやっと開けて通ると、その先は狭められた細い道です。人間に取っては、普通狭められた細い道が安全で命に至る道とは考えにくいものです。イエスは広くて大きな道と、狭い門と狭められた細い道を例えに用いて、、どちらの道が命に至る道かを教えられました。イエスは、一般に普通の人たちが考えるのとは逆に、「滅びに至る道は広くて大きく、それを通って入って行く人は多い」と教えられました。では「滅びに至る道は広くて大きい」という、広くて大きい道とは何でしょうか。それは、イエスが「盲目の案内人」、「偽善者」、「まむしらの子孫」、「人殺しの悪魔サタンからの者」と教えられた、偽りの宗教のことです(マタイ23:13~36.ヨハネ8:44)。イエスは広くて大きい道に入って行く人が多いが、それは滅びに至る道である事を教えられました。聖書の巻末の書の啓示の書には、偽りの宗教の世界帝国を「大いなるバビロン」・「大娼婦」としてその正体を暴き、その偽りの宗教は、神エホバによってぼされることが記されています(啓示17:1~6;18:1~24)。
一方、イエスは「命に至る門は狭く、その道は狭められて」いると教えられました。上に書きましたが、「狭い門」を力を込めて開けないと、自分の体を通すことができないに違いありません。しかもその狭い門の先の道は狭められているのですが、イエスはそれは命に至る狭い門、狭められた道である事を教え、しかもその命に至る狭い門と狭められた道を見いだす人は少ない、と教えられました。イエスが例えに用いられた「狭い門」と「狭められた道」とは何を指していたのでしょうか。それはイエスが第一に求めるように教えられた「(神の)王国と神の義」のことです(マタイ6:33)。分かり易く言い換えれば、神の王国の真理のことです(ルカ4:43)。神の王国の良いたよりを力をつくして求め、イエスの贖いの犠牲に信仰を働かせる人たちは、義の宿る新しい社会・地上の楽園に招き入れられ、真の命・永遠の命の道が開かれます(ヨハネ3:16.ローマ6:23.ペテロ第二11~13.啓示21:3,4)。
現在、イエスの教えられたことが真実である事が、証明されているのです。世界中で証しのために神の王国の真理が宣明されていますが、それでも、偽りの宗教に所属している人々の方が多いのです(マタイ24:14)。神エホバは、長い時間をかけて、滅びを被る前に偽りの宗教から「出なさい」と呼び掛けられています(啓示18:4)。神エホバが聖書を通して明らかにされている言葉は、すべてその通り成就しますので、イエスの教えを守り行う「思慮深い人」は幸いです(イザヤ55:8~11.マタイ7:24,25)。
夕暮れて 郵便配達 しわす入り 今日の一句
初冬の庭の「ランタナに吸蜜のアブの一種」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます