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愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

続越後の「長岡花火」と真夏のピンクのバラ

2016-08-07 21:13:12 | 四季折々の花々

 美しく夜空を彩る花火を見るたびに、

 花火を考え出した花火師の発想のすばらしさ、その業に感心します。

 日本各地で夏の夜空を彩る花火は、子供から大人まで魅了しているに違いありません。

 花火師は芸術家と思います。

 そうした美しい花火の写真を新潟の写真家が紹介されていました。

 今日は続越後の「長岡花火」と真夏のピンクのバラを紹介致します。

                    新潟の写真家の提供の続「長岡花火」

                      真夏の庭に咲いている「バラ」

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伝道の書の紹介(その4):何事にもそれぞれ時がある

2016-08-07 20:36:44 | 神の言葉・聖書

 皆様方も、ご自分の歩みを振り返ると、何事にもそれぞれ時があることにお気付きのことと思います。その様々な出来事には歓びの大きい良い時や、愛する家族や友人を亡くした悲しみの時、あるいは高齢化に伴う体の不自由や思わぬ病気で辛く苦しい時、予期せぬ出来事に直面した時、等々があるかも知れません。日々の暮らしの中にもさまざまな時があります。就寝の時、起床の時、食事の時、学びの時や労働の時、休憩の時、楽しみの時、と、様々な時をご経験のことと思います。伝道の書の3章の前半には、何事にもそれぞれ時があることを下記のように記しています。伝道の書を通して何事にも時があることを理解し、偉大な創造者エホバ神は、わたしたち人間をくすしく「神の像(かたち)」に創造された、私たちは「永遠の時を思う者」として創造されたことを知るのは大きな喜びとなるのではないでしょうか(詩編139:14.創世記1:27.伝道の書3:11)。

 「何事にも定められた時がある。天の下のすべての事には時がある。誕生のための時がり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えられたものを根こぎにするのに時がある。殺すのに時があり、いやすのに時がある。崩すのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、笑うのに時がある。泣き叫ぶのに時があり、跳び回るのに時がある。石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁を控えるのに時がある。捜すのに時があり、失ったものとしてあきらめるのに時がある。保つのに時があり、捨てるのに時がある。引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話すのに時がある。愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦いのための時があり、平和のための時がある。骨折って働いたからとといって、その者にどんな益があろうか。

 わたしは神(エホバ)が人間の子らに携わらせようとしてお与えになった営みを見た。神(エホバ)はすべてのものをその時にかなって美しく造られた。定めのない時をさえ彼らの心に置き、まことの神(エホバ)の行なわれた業を、人間が始めから終わりまで決して見いだすことができないようにされた。わたしは、人の生きている間に歓び、良いことをすること以上に彼らにとって良いものは何もないことを。また、人はみな、食べ、まさしく飲み、そのすべての骨折りによって良いことを見るべきであるのを知るようになった。それは神(エホバ)の賜物なのである」(伝道の書3:1~13)。

 伝道の書は上に記した通りに、「何事にも定められた時がある」ことを教えています。私たちはそうした何事にもそれぞれの時があることを理解し、識別力を働かせ、骨折って勤勉に働くに、益がもたらされることを教えています。ただのがむしゃらな働きは、益をもたらさないのです。

 私たち人間は男性も女性も美しく、かつくすしく「神の像(かたち)」に創造され、人間だけが「永遠を思うように心に置かれた」者として創造されていることを知るのは、エホバ神の人間の創造の目的を理解する上で大いに助けになり、感謝を表すことができるでしょう(創世記1:27.詩編139:14.伝道の書3:11)。皆様方も人間には「永遠を希求する心がある」ことに、きっとお気付きと思います。その心は聖書がなぜ備えられているののかを理解する助けにもなるでしょう。

 私たちは、知恵と識別力を働かせ、勤勉に働き、食べ、飲み、良いことを見ることができるようにしてくださったのは、エホバ神の賜物であり、わたしたち自身ではないことを理解し、謙遜にエホバ神の導きを学び適用される方々は幸いです(伝道の書3:13.詩編1:1~3)。

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          ケイトウの 切り花並ぶ 道の駅 今日の一句

                    ご近所の庭に咲いている「ランタナ」

 

 

 

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どんぐり形のミニトマトと真夏のピンクのバラ

2016-08-07 01:24:17 | 四季折々の花々

 近くの畑にどんぐり形のミニトマトが色付いていました。

 どんぐり形のミニトマトは珍しいように思います。

 暑さの中でトマトは力強い野菜です。

 今日はどんぐり形のミニトマトと真夏のピンクのバラを紹介致します。

                    どんぐり形の珍しい「ミニトマト」

                        真夏の庭に咲いた「バラ」

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伝道の書の紹介(その3):エホバ神は善良な人に知恵と知識と歓びを与えた

2016-08-07 00:43:07 | 神の言葉・聖書

 今日ご紹介する伝道の書の2章の後半は、皆様方もよくご存じの通り賢い者も愚鈍な者も死に至る現実を教えています。これは賢く生きようと願う人たちの生き方をくじくのが目的ではなく、真の歓びをもたらす生き方には何が必要かを真剣に考えることを勧めているのです。また、人は骨折って働き、財産を蓄えますが、死ねば他の人のものとなる事実にも着目しています。それでも偉大な創造者エホバ神は体に良いものを見せてくださること、善良な人に知恵と知識と歓び与えてくださることが記されています。しかしながら、エホバ神を恐れ、共に歩まない仕事はむなしいことを諭しています。伝道の書の2章の後半は次のように記されています。熟読してくだされば幸いです。

 賢い者については、その人の目は頭の中にある。しかし、愚鈍な者全くの闇の中を歩いているのである。そしてわたし(ソロモン)は、わたしもまた、それらすべてが迎える一つの終局(死)があることを知るようになった。そして、わたし自ら心の中で言った、「愚鈍な者が迎えるあのような終局をわたしも、このわたしも迎えることになるのだ」と。では、なぜ、わたしはあの時あれ程までに賢くなったのか。そしてわたしは心の中で語った、「これもまたむなしい」と。賢い者も愚鈍な者と同じく、定めのない時に至るまで記憶されることはないからである。既にやって来る日々のうちに、すべての者は必ず忘れ去られる。そして賢い者はどのようして死ぬのか。愚鈍な者と共にである。

 そして、わたしは憎んだ。日の下で行われた業は、わたしの見地からは災いの多いものであり、すべてはむなしく、風を追うようなものであったからである。そしてわたしは、わたし自ら日の下で骨折って働きつづけたわたしのすべての骨折り、すなわちわたしの後に起こる人のために残すことになるものを憎んだ。しかも、その人が賢い者となるか愚かな者となるかをだれが知っていよう。それでも彼は、わたしがそのために骨折って働き、そのために日の下で知恵を用いた、わたしのすべての骨折りを支配するようになるのである。これもまたむなしい。そしてわたし自ら、わたしが日の下で骨折って働いたそのすべての骨折りについて、わたしの心を絶望させようとして振り向いた。自分の骨折りに知恵と知識と熟練を示した人がいるか、その人の分はそのようなことのために骨折って働いたことのない人に与えられてしまうからである。これもまたむなしく、大きな災いである。

 人は日の下で骨折って働いているそのすべての骨折りと心の奮闘に対していったい何を得ることになるのであろうか。そのすべての日の間、その営みは痛みといら立ちを意味し、また夜の間もその心は休まることがない。これもまたむなしい

 人にとって、食べ、まさしく飲み、自分の骨折りによって魂(体全体)に良いものを見させることに勝るものは何もない。これもまたわたしは、わたし自ら見た。これがまことの神(エホバ)の手からであるのを。というのは、だれがわたしより良いものを食べたり、飲んだりするであろうか。

 神(エホバ)はご自分のみ前にあって善良な人に、知恵と知識と歓びとをお与えになった。しかし罪人には、まことの神のみ前にあって善良な者にただ与えるために、集めたり寄せ集めたりする仕事をお与えになった。これもまたむなしく、風を追うようなものである」(伝道の書2:14~26)。

 私たちが勤勉に働き、食べ、飲むことによって体に良いものを見せることに勝るものはないことを教えています。そうした良いものを見せてくださるのはまことの神エホバからのものであることを教えています。加えて、エホバ神は善良な人に、知恵と知識と歓びを与えて下さるのですから、エホバのご意志に沿って勤勉に働きたいものです。

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         忘れまじ 8月6日 原爆の日 今日の一句

                    道の駅に切り花で出荷されていた花

 

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