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ロング・グッドバイ
1953(初出)
2007(新訳)
著:レイモンド・チャンドラー
訳:村上春樹



超久々の読書感想文です。
レイモンド・チャンドラー著、村上春樹訳の本書。

いやー、ハードボイルド全開。
言い回しがいちいち美味しい。
今までいわゆる"洒落た"言い回しを多く含んだ作品を読んだことがあまり有りませんでした、が、この作品は面白い。
しかも長い。
解説合わせたら600ページ近くあります。読み切るのにだいぶかかりました。ハードカバーで英和辞典並に厚い本書、持ち運びも大変です。

多分、物語と関係のない描写が2/3くらいあったんじゃないでしょうか。
でも、その2/3が好きです。
プロット自体は「今時そんな話もないだろう」というものですが、そりゃ半世紀も経ってますから。
物語の筋としてはオーソドックスな探偵モノだと思いますが、その人物描写の緻密さというか、血肉の通った感じというか、好きです。


よく、村上春樹の著作でも「それは本筋とは全く関係ないだろう」という描写が山盛りなのですが、それはこういうところから来ているんですね。
村上氏の短編なんて、ある長編の設定の一部をふくらませた様な作品が多くあります。逆の場合も多いですが。そういうのがとても好きです。
この手法が良いのか悪いのか知りませんが、話しの中でキャラクターが見えてくる漫画的な描写と完全に相反するものだと思っています。ハリウッドのアクション映画でよくある、正義の味方なのか悪者なのか最後まで分からん、ということがない。それ以前に絶対的な善と悪の区別がない。各々が自分の信じることに忠実に行動する。これがリアルなんだと思います。

描写は緻密ですが、それを以てしてストーリーが解明するわけではない。けれども、それが無いとストーリーに愛着がわかない。
ストーリー自体はその各々のキャラクターがありきでしか進展しません。各々が自分の役割を淡々とこなす。ものすごい驚きの展開が有るわけではありません。でも、このキャラクター描写が無ければ驚きの展開だったのかもしれません。

この方法はつい先日観たウディ・アレン監督の「マッチポイント」とハネケ監督の「隠された記憶」に通じているのかもしれません。
アレン監督の「マッチポイント」では、映画という2時間の中でのキャラクター解説を省くために恐ろしくステレオタイプなキャラクターを設定、そのことによって鑑賞者が十分にそれを理解した上で物語を展開させ、描きたいテーマだけに絞るという方法。
その手法に加えて、間逆であるハネケ監督の「日常の中にある様々な秘密を描く」手法。
これらが両方入っています。
ただの最近の出来事をごっちゃにしただけの感想かもしれませんが、そういう発見があったのは嬉しい限り。

ところで、村上春樹作品をあまり好きでない方の言い分として共通することに「あのカッコつけかたがどうもねぇ・・・」というのがありますが、それはとてもよく分かります。
しかし、その批評を顧みない「突き抜けっぷり」
これを体感できれば路は拓けます。



とは言うモノの、本作は単純な読み物としても面白いと思いますよ。
鞄が少し重くなりますが、その価値は十分にあると思います。
村上春樹が好きな方で本作を手に取らない方はいらっしゃらないと思いますが、そうでない方も是非。
「君の瞳に乾杯」で口説く予定がある方は必読です。


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