神が宿るところ

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橋門の阿弥陀様

2022-12-03 23:35:29 | 寺院
橋門の阿弥陀様(はしかどのあみださま)。
場所:茨城県行方市小高。国道355号線「南坂下」交差点から北西へ約1.1km(国道沿い)。駐車場なし。
「常陸国風土記」行方郡の条に、「郡家より南に7里(=約3.7km)のところに、男高の里がある。昔、この地に佐伯(土着の民)の小高という者が住んでいたことに因んで名付けられた。・・・南には鯨岡がある。昔、鯨が腹這って来て、伏せた場所である。」(現代語訳)という記述がある。「常陸国風土記」(養老5年(721年)成立)より昔(原文は「上古之時」)というのだから、「鯨岡」というのは古墳時代の古墳、特に前方後円墳が、鯨が陸に上がった形に見えたのだろうと思われる。そして、その場所が「橋門の阿弥陀様」という小堂のある付近に比定されている。ここは、「橋門の・・・」となっているが、実際の場所は行方市小高で、かつては霞ヶ浦の岸辺だったと思われる(行方市橋門は国道の西側で、霞ヶ浦の干拓地ではないだろうか。)。小高は「男高」の遺称地で、「和名類聚抄」に記載のある「小高郷」に当たり、少なくとも平安時代中期頃には現・行方市小高だけではなく、現・行方市南・井貝・橋門・島並・四鹿を含む地域だったらしい。「橋門の阿弥陀様」がある小丘も古墳の一部だったらしく、県道(国道355号線の前身である県道石岡潮来線と思われる。)拡張工事の際に人骨の入った壺が発見され、民家の井戸掘りの際に石板が出土しているという。また、当地の北東側に「公事塚古墳群(くじつかこふんぐん)」という前方後円墳1基・円墳2基の古墳群があったが、私企業の砂利採取場となり、昭和63年に緊急の発掘調査が行われたものの、既に削平・変形が進んでおり、現在では湮滅していて見る影もない。残念なことである。なお、「常陸国風土記」の解釈上の位置的な問題から、「鯨岡」を現・行方市島並の丘陵地に比定する説もあるようだ。
さて、「橋門の阿弥陀様」は、かつて当地に伝染病の麻疹(はしか)が大流行して死者も多かったとき、1人の行者が現れ、病魔退散の祈祷を行った。その際に阿弥陀如来を板碑に浮き彫りしたものを本尊としたとされ、その板碑が今も堂の中にある(ただし、肉眼では浮き彫りは判別できない。)。祈祷後、麻疹の流行が下火になったため、参詣する者が絶えなかったという。麻疹ばかりでなく、皮膚病にも御利益があり、特にイボ取りの仏様として信仰されていて、祈願する者は、ここにある杓文字(しゃもじ)を借り、平癒したら、御礼参りとして新しい杓文字を奉納することになっているという。


写真1:「橋門の阿弥陀様」。南西側(国道の向かい側)から見る。


写真2:西側から見る。


写真3:東側から見る。


写真4:南東側から見る。


写真5:阿弥陀堂


写真6:堂の内部。板碑と杓文字が見える。

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