神が宿るところ

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見龍山 覚心院 乗国寺

2012-08-11 23:46:46 | 寺院
見龍山 覚心院 乗国寺(けんりゅうさん かくしんいん じょうこくじ)。
場所:茨城県結城市結城3073。JR水戸線「東結城」駅の北、約300m。駐車場有り。
現在は曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来。寺伝によれば、「結城城」(現・結城城跡歴史公園)の東、田川と鬼怒川の間に「福厳寺」という寺があり、「結城城」の東の出入口は「福厳寺口」と呼ばれていたという。「結城城」の築城時期は不明で、下総国結城郡の地頭となった結城朝光(下総結城家初代)が治承年間(1177~1180年)に築いたともいわれるが、「福厳寺」の創建時期は伝わっていない。その後、結城合戦(永享12年:1440年)により敗死した第12代結城持朝の菩提を弔うため伽藍が整備され、宝徳元年(1449年)に松庵宗榮(しょうあんしゅうえい)禅師を開山として、「三国山 福厳寺(さんごくさん ふくごんじ)」と号することとなった。「三国」というのは、下総・常陸・下野の3つの国の境界にあったからだとされる。文明11年(1479年)には、大洪水の被害を受けて伽藍が流失してしまったことから、現在地に移転したという。江戸時代に入っても、徳川家康の次男・秀康が結城家の養子となった縁により、徳川幕府からも篤く遇されたらしい。そして、宝暦14年(1764年)に、当寺の境内に、衰退していた式内社「健田神社」を再建したとされる。
式内社「健田神社」は、旧社地が現在も保存されていること(前項:2012年8月4日記事)から、それなりに維持はなされていたようだが、他の多くの式内社のように、中世には、律令制の崩壊により(国家が祭祀を行う)官社であるが故に却って衰退してしまったようだ。それが、江戸時代中期になると国学が盛んになり、由緒ある式内社の再建が進められるようになり、多分その流れの中で、当寺が別当として境内の鎮守として式内社「健田神社」を再建したものであろう。
明治維新により、式内社「健田神社」は当寺から分離され、結城地区の総社格であった「須賀神社」(結城市浦町)と統合されることになったことは、既に書いた。


乗国寺資料集


写真1:「乗国寺」境内入口


写真2:総門。延宝7年(1679年)建立の四脚門で、結城市指定文化財。


写真3:山門(楼門)。正徳3年(1713年)建立で、これも結城市指定文化財。


写真4:本堂
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