大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)。
場所:秋田県鹿角市十和田大湯字万座45(「大湯ストーンサークル館」の住所)。国道103号線「腰廻」交差点から南東に約1.6km、秋田県道66号線(十二所花輪大湯線)との交差点を南に進み、すぐ。駐車場有り。
「大湯環状列石」は、縄文時代後期(約4,000年前?)の大規模な二重円形(環状)の配石遺跡(ストーン・サークル)で、国の特別史跡に指定されている。「野中堂遺跡」と「万座遺跡」があり、どちらも内帯・外帯と呼ばれる帯状に列石が配置されていて、前者の直径は約44m、後者は約52m(日本最大)となっている。どちらも、内帯と外帯の間、中央部からみて北西側に、立石を中心とした「日時計状組石」が置かれている。さらに、環状列石を取り囲むように掘立柱建物や土坑などがあったとされ、多くの土器なども出土している。この環状列石の性格については諸説あったが、発掘調査の結果からみて、集団墓(共同墓地)であろうとされ、周囲の掘立柱建物は葬礼のための祭祀施設だったのだろうと考えられているという。なお、「日時計状組石」中心部から環状列石中央部と結ぶ線上に夏至の日の太陽が沈むとされ、太陽信仰もあったのではないかとみられているらしい。ともあれ、使われた石は7,200個以上といわれ、その殆どが石英閃緑ひん岩という緑色をしたきれいな石で、約7~8km離れた安久谷川から運んできたものらしいという。最大の石は重さ約200kgとのことで、相当な労力をつぎ込んだことがわかる。こうしたことから、一部に神秘的なパワー・スポットと考える向きがあることも理解できる。
因みに、当遺跡のほかにも(規模は小さいものの)近隣に同様な遺跡のあることがわかっており、少し距離は離れるが、秋田県北秋田市には「伊勢堂岱遺跡」(国指定史跡)があり、こちらは4つの環状列石が発見されている(史跡公園として整備するため平成28年4月まで非公開だったので、見に行けなかった。)。
「大湯ストーンサークル館」のHP
北秋田市のHPから(国指定史跡伊勢堂岱遺跡)
写真1:「大湯環状列石」。万座遺跡。
写真2:同上
写真3:同上
写真4:同上、日時計状組石
写真5:同上、列石中央部
写真6:野中堂遺跡。列石中央部と日時計状組石
写真7:同上、日時計状組石
写真7:同上。奥に小さく見える屋根が万座遺跡の掘立柱建物(復元)のもの
場所:秋田県鹿角市十和田大湯字万座45(「大湯ストーンサークル館」の住所)。国道103号線「腰廻」交差点から南東に約1.6km、秋田県道66号線(十二所花輪大湯線)との交差点を南に進み、すぐ。駐車場有り。
「大湯環状列石」は、縄文時代後期(約4,000年前?)の大規模な二重円形(環状)の配石遺跡(ストーン・サークル)で、国の特別史跡に指定されている。「野中堂遺跡」と「万座遺跡」があり、どちらも内帯・外帯と呼ばれる帯状に列石が配置されていて、前者の直径は約44m、後者は約52m(日本最大)となっている。どちらも、内帯と外帯の間、中央部からみて北西側に、立石を中心とした「日時計状組石」が置かれている。さらに、環状列石を取り囲むように掘立柱建物や土坑などがあったとされ、多くの土器なども出土している。この環状列石の性格については諸説あったが、発掘調査の結果からみて、集団墓(共同墓地)であろうとされ、周囲の掘立柱建物は葬礼のための祭祀施設だったのだろうと考えられているという。なお、「日時計状組石」中心部から環状列石中央部と結ぶ線上に夏至の日の太陽が沈むとされ、太陽信仰もあったのではないかとみられているらしい。ともあれ、使われた石は7,200個以上といわれ、その殆どが石英閃緑ひん岩という緑色をしたきれいな石で、約7~8km離れた安久谷川から運んできたものらしいという。最大の石は重さ約200kgとのことで、相当な労力をつぎ込んだことがわかる。こうしたことから、一部に神秘的なパワー・スポットと考える向きがあることも理解できる。
因みに、当遺跡のほかにも(規模は小さいものの)近隣に同様な遺跡のあることがわかっており、少し距離は離れるが、秋田県北秋田市には「伊勢堂岱遺跡」(国指定史跡)があり、こちらは4つの環状列石が発見されている(史跡公園として整備するため平成28年4月まで非公開だったので、見に行けなかった。)。
「大湯ストーンサークル館」のHP
北秋田市のHPから(国指定史跡伊勢堂岱遺跡)
写真1:「大湯環状列石」。万座遺跡。
写真2:同上
写真3:同上
写真4:同上、日時計状組石
写真5:同上、列石中央部
写真6:野中堂遺跡。列石中央部と日時計状組石
写真7:同上、日時計状組石
写真7:同上。奥に小さく見える屋根が万座遺跡の掘立柱建物(復元)のもの