備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム151.矢坂山・富山城址(その2)

2009-04-22 22:43:34 | Weblog
矢坂山の山頂には「富山城」の本丸があったというが、登り道にも山頂にも城の遺構のようなものは殆ど無い。ただ、確かに磐座のような岩がある(写真上)。
矢坂山は、(特にその南側は)地元では魚見山と呼ばれているらしい。今では海岸線は遥か彼方にあるが、古代には南側の山麓まで海だったようだ。だから、南斜面に磐座があっても、備中国一宮「吉備津神社」と同様に、南側には神社はできなかった。
岡山市北区矢坂東町にある通称「北向八幡宮」も北麓にあるが、現在地への遷座は明治27年(1894年)のことだという。「北向八幡宮」はもともと万成山山上にあったというが、もともと八幡神勧請の前に古代祭祀場(磐座)があったのだ、という説が多い。そして、それは式内社「石門別神社」の元宮ではないか、というのである。だが、海岸線が南に遠く離れたあとも、南麓にそれらしい神社があった痕跡はないようだ。あるいは、現在地(岡山市北区大供表町)に遷座したから、無くなったのか。


岡山市のHPから(富山城):http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/joukan/07.html

「よっさんとクレーテのページ」HPから(いわくらの会1月例会):http://www5.ocn.ne.jp/~yoshik/reikai1.html


写真上:山頂(富山城祉)の磐座?


写真中:同じく山頂の平らな岩・・・と思ったが、裏に回ると大岩盤だった。


写真下:「すべり山」。ちょっとシュールだが、樹木や岩の配置が寺の庭のようにも見える。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿