血洗滝は谷底にあり、中国自然歩道を式内社「宗形神社」(赤磐市)方面から下ってくると、高ノ峰や岩間山本山寺へは再びかなり急な坂を上って行くことになる。血洗滝から約1.5kmのところに北に向かう枝道があるが、これを上って行くと徒歩40分程で「高ノ峰」山頂(517m)まで行ける。ただし、この道はKDDIの管理用の道路で、途中から藪の中に入っていくことになり、山道は整備されておらず、倒木が多く、迷いやすい。正直な話、登山経験が豊かな人以外はお勧めしない。
この道路の辺りが凡そ備前・美作国境で、北の「高ノ峰」と南の「金刀比羅山」が国境の山とされているが、「高ノ峰」の山頂は現・久米郡美咲町側にある。「高ノ峰」はかつては「神峰山(こうのみねやま)と呼ばれ、「改修赤磐郡誌」(昭和15年12月)によれば、古社「神峰神社」と「神峰伊勢神社」は、「神峰山の頂上に近く、国境に接し相並べて二社を祀る。」とされている。ただし、「神社明細帳」では「相殿」とされていることも記されている。
現地に行ってみると、山頂の少し手前に寂れた石の社殿があり(写真上)、頂上付近(境内?に三角点がある。)にもう1社、似たような石の社殿がある(写真中)。頂上付近の小祠が「神峰神社」の元の神社跡だろうが、広さは、どう見ても1社分くらいしかない。すると、手前の1社が「神峰伊勢神社」跡だろうか。もし「相殿」なら2社とも山頂に祀られていたのかもしれない。
山頂に眺望はなく、付近も荒れ果てているが、少し東側に下りたところには、さほど大きくはないが、上が平らな石がいくつかあった(写真下)。山頂ではなく、日の出の見えるところで祭祀を行ったかもしれない。「神峰神社」はこの山の神だろうが(ただし、祭神は大己貴命とされる。)、「神峰伊勢神社」は天照大神だろうから、太陽信仰もあったのではなかろうか。
帰宅後、「改訂岡山県遺跡地図<第9分冊東備地区>」(平成15年3月)で調べてみると、「神峰神社」跡は「棚原町との町境、高ノ峰山山頂から南に下りた箇所」としている。上にも書いたが、高ノ峰の山頂は美咲町の内にあるが、町境は赤磐市側から山頂に向かって鏃のように尖った形になっており、「神峰神社」跡はその先端部分にあるとされている。そして、「神峰伊勢神社」跡は、地図上では「神峰神社」の東南約600m(直線距離)のところにあり、「神社跡に大理石の宝殿が建てられている。」と記されている。
写真上:「神峰伊勢神社」元宮
写真中:「高ノ峰」山頂の神社跡(「神峰神社」元宮)
写真下:高ノ峰にある石
この道路の辺りが凡そ備前・美作国境で、北の「高ノ峰」と南の「金刀比羅山」が国境の山とされているが、「高ノ峰」の山頂は現・久米郡美咲町側にある。「高ノ峰」はかつては「神峰山(こうのみねやま)と呼ばれ、「改修赤磐郡誌」(昭和15年12月)によれば、古社「神峰神社」と「神峰伊勢神社」は、「神峰山の頂上に近く、国境に接し相並べて二社を祀る。」とされている。ただし、「神社明細帳」では「相殿」とされていることも記されている。
現地に行ってみると、山頂の少し手前に寂れた石の社殿があり(写真上)、頂上付近(境内?に三角点がある。)にもう1社、似たような石の社殿がある(写真中)。頂上付近の小祠が「神峰神社」の元の神社跡だろうが、広さは、どう見ても1社分くらいしかない。すると、手前の1社が「神峰伊勢神社」跡だろうか。もし「相殿」なら2社とも山頂に祀られていたのかもしれない。
山頂に眺望はなく、付近も荒れ果てているが、少し東側に下りたところには、さほど大きくはないが、上が平らな石がいくつかあった(写真下)。山頂ではなく、日の出の見えるところで祭祀を行ったかもしれない。「神峰神社」はこの山の神だろうが(ただし、祭神は大己貴命とされる。)、「神峰伊勢神社」は天照大神だろうから、太陽信仰もあったのではなかろうか。
帰宅後、「改訂岡山県遺跡地図<第9分冊東備地区>」(平成15年3月)で調べてみると、「神峰神社」跡は「棚原町との町境、高ノ峰山山頂から南に下りた箇所」としている。上にも書いたが、高ノ峰の山頂は美咲町の内にあるが、町境は赤磐市側から山頂に向かって鏃のように尖った形になっており、「神峰神社」跡はその先端部分にあるとされている。そして、「神峰伊勢神社」跡は、地図上では「神峰神社」の東南約600m(直線距離)のところにあり、「神社跡に大理石の宝殿が建てられている。」と記されている。
写真上:「神峰伊勢神社」元宮
写真中:「高ノ峰」山頂の神社跡(「神峰神社」元宮)
写真下:高ノ峰にある石
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