備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム149.化氣神社と氣比神宮

2009-04-17 23:34:43 | Weblog
社伝によれば、「化氣神社」(写真、吉備中央町案田に鎮座)は、四道将軍大吉備津彦命とその異母弟若日子武命が越前国敦賀気比神社の祭神である伊奢沙和氣神こと御食津神を祀ったのが最初とされる。気比神社は現在「氣比神宮」と号し、北陸道総鎮守・越前国一宮を称する大社である。「化氣神社」の名は、氣比を逆に間違えて比氣とし、比の字を化と誤ったものだという(う~ん・・・)。
氣比大神(伊奢沙別命)は、敦賀の「津」に発展した海人族の神であったが、早くにヤマト政権に恭順して、主祭神に祀られたのではないか。朝鮮半島との関係も深く、仲哀天皇・神功皇后と「三韓征伐」の伝説も残る。
大吉備津彦命はヤマト政権側の征服者だが、吉備国も元は海人族の国だったのだろうし、瀬戸内海には仲哀天皇・神功皇后の伝説も多く残っているなど、何か関連がありそうだ。海から離れた山の中に気比大神が祀られる「化氣神社」の意味はもっと研究されてもよいと思われる。
なお、備前国一宮「吉備津彦神社」は、天照大御神を気比大明神(気比比売大神)として祀り、元は「気比太神宮」といったという話もある。玄松子さんは、この「気比」は「けひ」ではなく、「きび」だろうと言っている。これも何か関連があるのか? よくわからないところである。


氣比神宮のHP:http://kehijingu.jp/

玄松子さんのHPから(吉備津彦神社):http://www.genbu.net/data/bizen/kibituhiko_title.htm

最新の画像もっと見る

コメントを投稿