上地山満楽寺地蔵院(こうじさん まんらくじ じぞういん)。真言宗大覚寺派の寺院で、本尊は地蔵菩薩。最盛時には20数坊を数えたというが、現在は本坊「地蔵院」のみとなっているようであり、「満楽寺」ではなく「地蔵院」で通用しているようである。
場所:赤磐市上仁保561。赤磐市市街地から県道250号線(山口山陽線)を北へ進み、上仁保と下仁保の境で県道が90度カーヴして北東に方向を変えるところで、曲がらずに直進(ここに「鴨布勢神社」(赤磐市上仁保)がある。)、約1km進むと山門がある。山門の横の狭い道を上って行くと駐車場がある。
当寺は報恩大師開基の備前48ヶ寺の1つで、もとは背後の上地山(317m)の山上にあったといい、寿永年間(1182~1183年)、ここを居城とした領主葛木左京之進が現在地に移したという。
「鴨布勢神社」(赤磐市上仁保。2008年6月11日記事)との関係は不明だが、同神社の先の道路は実質的に当寺で行き止まりになるなど、位置的には近い。谷あいに20数坊あったとすれば、同神社も当寺の勢力範囲内だったと思われる。
場所:赤磐市上仁保561。赤磐市市街地から県道250号線(山口山陽線)を北へ進み、上仁保と下仁保の境で県道が90度カーヴして北東に方向を変えるところで、曲がらずに直進(ここに「鴨布勢神社」(赤磐市上仁保)がある。)、約1km進むと山門がある。山門の横の狭い道を上って行くと駐車場がある。
当寺は報恩大師開基の備前48ヶ寺の1つで、もとは背後の上地山(317m)の山上にあったといい、寿永年間(1182~1183年)、ここを居城とした領主葛木左京之進が現在地に移したという。
「鴨布勢神社」(赤磐市上仁保。2008年6月11日記事)との関係は不明だが、同神社の先の道路は実質的に当寺で行き止まりになるなど、位置的には近い。谷あいに20数坊あったとすれば、同神社も当寺の勢力範囲内だったと思われる。
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