小川山自性院常念寺(おがわさん じしょういん じょうねんじ)。
場所:赤磐市沢原1208。磐梨小学校の南、約600mのところにある。県道79号線(佐伯長船線)沿いに「日野富子の墓」の案内板があり、そこを南西に入り約400m、突き当りを右折、すぐ。2~3台分の駐車場あり。
常念寺は天台宗の寺院で、伝承によれば、室町幕府8代将軍足利義政の正室であった日野富子が、家族を供養するために建てた菩提寺とされている。日野富子は晩年、四職家の1つ赤松家の領国である備前に至り、赤松家の家臣浦上則宗に保護されて現・赤磐市(旧熊山町)沢原に庵を結び、ここで亡くなったとされる。「日野富子の墓」は常念寺の山門を入ってすぐ右の庭の奥にある。石造の宝篋印塔が2基あり、右が日野富子の墓で、左が足利義政の供養塔であるとされる(写真)。日野富子の墓とされるものは、京都府上京区にある華開院(けがいいん)にもあるが、やはり宝篋印塔であり、どちらが正しいのかは不明。
常念寺のものが日野富子の墓とされるのは、
①赤磐市沢原の旧家に日野富子の自画像とされるものが伝わっていること
②日野富子は「小河御所様」と呼ばれたが、常念寺の山号「小川山」はこれに因んだものといわれること
③常念寺の院号「自性院」は、東山慈照寺(銀閣寺)に因んだものといわれること
等による。
さて、沢原に移り住んだ日野富子は、京都・小河御所に鎮座の御所八幡宮(足利尊氏が邸内に勧請したのを由来とする。)を沢原の氏神「雨引神社」に勧請して合祀し、以来「八幡宮」あるいは「御所宮」と呼ばれたという。「雨引神社」は常念寺の北、約1.5kmのところにある。
岡山アウトドア読本さんのHPから(熊山町のはなし):http://www.jaja.co.jp/ts/iroiro/kuma/kuma1.htm
NHKのHP「その時歴史が動いた」から(日野富子):http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2003_09.html
場所:赤磐市沢原1208。磐梨小学校の南、約600mのところにある。県道79号線(佐伯長船線)沿いに「日野富子の墓」の案内板があり、そこを南西に入り約400m、突き当りを右折、すぐ。2~3台分の駐車場あり。
常念寺は天台宗の寺院で、伝承によれば、室町幕府8代将軍足利義政の正室であった日野富子が、家族を供養するために建てた菩提寺とされている。日野富子は晩年、四職家の1つ赤松家の領国である備前に至り、赤松家の家臣浦上則宗に保護されて現・赤磐市(旧熊山町)沢原に庵を結び、ここで亡くなったとされる。「日野富子の墓」は常念寺の山門を入ってすぐ右の庭の奥にある。石造の宝篋印塔が2基あり、右が日野富子の墓で、左が足利義政の供養塔であるとされる(写真)。日野富子の墓とされるものは、京都府上京区にある華開院(けがいいん)にもあるが、やはり宝篋印塔であり、どちらが正しいのかは不明。
常念寺のものが日野富子の墓とされるのは、
①赤磐市沢原の旧家に日野富子の自画像とされるものが伝わっていること
②日野富子は「小河御所様」と呼ばれたが、常念寺の山号「小川山」はこれに因んだものといわれること
③常念寺の院号「自性院」は、東山慈照寺(銀閣寺)に因んだものといわれること
等による。
さて、沢原に移り住んだ日野富子は、京都・小河御所に鎮座の御所八幡宮(足利尊氏が邸内に勧請したのを由来とする。)を沢原の氏神「雨引神社」に勧請して合祀し、以来「八幡宮」あるいは「御所宮」と呼ばれたという。「雨引神社」は常念寺の北、約1.5kmのところにある。
岡山アウトドア読本さんのHPから(熊山町のはなし):http://www.jaja.co.jp/ts/iroiro/kuma/kuma1.htm
NHKのHP「その時歴史が動いた」から(日野富子):http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2003_09.html
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