幸島稲荷神社(こうじまいなりじんじゃ)。
場所:岡山市東区水門町715。県道232号線(鹿忍片岡神崎線)で千町川の河口近く、水門橋の辺りで道路が狭くなるが、その東側に「水門宮山参道」の看板がある。そこから階段を登っていく。別に車道もあるようだが、入口がわかりにくい。
当神社の創建ははっきりしていて、干拓によってできた幸島新田に住民が増えるにつれ、自前の氏神がないことを憂え、宝永6年(1709年)に旧・邑久郡土師村(現・瀬戸内市長船町)木鍋山鎮座の稲荷神社から御分霊を勧請し、東幸島山(水門宮山)山上に祀った、とされている。
不思議なのは、「稲荷神社」なのに祭神が高オカミ神、倉稲魂命、瓊々杵命の3神とされていること。農耕に必要不可欠な水を司る高オカミ神を祀ることに不思議はないが、「幸島村史」(昭和47年10月)では山上に座する龍神であるとし、「「古代祭祀址吉備の「磐座」」(佐藤光範著、平成4年10月)では、神社創建以前は「道教の祭祀跡だった」とされている。
「幸島」という地名は「コウジマ」と読むが、矢坂山の「こうの岩」(2009年4月26日記事)のように、「コウ」=神という意味もあったのではないだろうか(妄想?)。
なお、「亀石神社」(2008年6月5日記事参照)は、古社「神前神社」に縁があるが、当神社の飛地末社であり、「亀石神社」が神社として祀られるようになったのは宝暦年間(1751~1763年)であるという(「幸島村史」による)。
岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=12035
写真上:「幸島稲荷神社」
写真中:本殿裏の磐座
写真下:本殿右手の巨岩
場所:岡山市東区水門町715。県道232号線(鹿忍片岡神崎線)で千町川の河口近く、水門橋の辺りで道路が狭くなるが、その東側に「水門宮山参道」の看板がある。そこから階段を登っていく。別に車道もあるようだが、入口がわかりにくい。
当神社の創建ははっきりしていて、干拓によってできた幸島新田に住民が増えるにつれ、自前の氏神がないことを憂え、宝永6年(1709年)に旧・邑久郡土師村(現・瀬戸内市長船町)木鍋山鎮座の稲荷神社から御分霊を勧請し、東幸島山(水門宮山)山上に祀った、とされている。
不思議なのは、「稲荷神社」なのに祭神が高オカミ神、倉稲魂命、瓊々杵命の3神とされていること。農耕に必要不可欠な水を司る高オカミ神を祀ることに不思議はないが、「幸島村史」(昭和47年10月)では山上に座する龍神であるとし、「「古代祭祀址吉備の「磐座」」(佐藤光範著、平成4年10月)では、神社創建以前は「道教の祭祀跡だった」とされている。
「幸島」という地名は「コウジマ」と読むが、矢坂山の「こうの岩」(2009年4月26日記事)のように、「コウ」=神という意味もあったのではないだろうか(妄想?)。
なお、「亀石神社」(2008年6月5日記事参照)は、古社「神前神社」に縁があるが、当神社の飛地末社であり、「亀石神社」が神社として祀られるようになったのは宝暦年間(1751~1763年)であるという(「幸島村史」による)。
岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=12035
写真上:「幸島稲荷神社」
写真中:本殿裏の磐座
写真下:本殿右手の巨岩
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