備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム122.牛窓天神山古墳(仲哀天皇の墓?)

2009-01-25 21:50:16 | Weblog
仲哀天皇は第14代天皇とされるが、実在性が低く、第15代の応神天皇が最初の実在性の高い天皇といわれている。仲哀天皇の父は日本武尊、妻は神功皇后とされるが、いずれも実在性が低いので、仲哀天皇も、というわけである。特に、父と妻の英雄的な事績に比べ、熊襲征伐の折に住吉大神の託宣を疑い、その怒りに触れて急死してしまうという、なんとも影の薄い存在となっている。
瀬戸内市牛窓町は神功皇后との縁が深い(そもそも「牛窓」という地名は、神功皇后が牛鬼に襲われたが、住吉大神が退治したことで、「牛転び(うしまろび)」が訛って「牛窓」になったという神話がある。)。そして、牛窓町最古(4世紀後半)の前方後円墳とされる「牛窓天神山古墳」は、仲哀天皇の墓であるという伝承がある。上記のように、仲哀天皇はそもそも実在性すら疑われているうえ、伝記を信じるとしても、九州にいたときに亡くなり、その地に神功皇后が仲哀天皇を祀ったのが「香椎宮」(福岡県福岡市)とされるので、何故ここが仲哀天皇の墓とされるようになったのかはわからない。仲哀天皇は応神天皇の父とされるが、ひょっとすると、「住吉大神」こと武内宿禰が応神天皇の実の父であり、武内宿禰の墓が「牛窓天神山古墳」なのではないか(妄想)。
さて、ここが「天神山」と呼ばれるのは、菅原道真が大宰府に左遷される折、この古墳の山上から、かつての任地である讃岐を眺めたという伝説による。そして、そのときに菅公が腰掛けた石の上に社殿を建てたのが現在の「牛窓天神社」であるという。天神社から眺める瀬戸内海は絶景で、「日本の夕陽百選」にも選ばれている。


「岡山アウトドア読本」HPから(牛窓町のはなし):http://www.jaja.co.jp/ts/iroiro/usimado/usi.htm


写真上:牛窓天神社の長い石段


写真中:牛窓天神社。牛窓天神山古墳の前方部に建てられている。


写真下:天神社からの眺め。正面に見えるのは黒島。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿