備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム182.備前国の磐座拾遺(その11・馬の足形岩)

2009-05-26 21:58:38 | Weblog
馬の足形岩(うまのあしがたいわ)。
場所:岡山市中区赤坂南新町。山陽学園大学の北、「東山墓地」といわれる墓地公園のなか、「トヨタ石材」・「法要庵」という会社の向かって右(西側)から墓地の小道を進む(徒歩1~2分)。岩の傍らに説明板あり。岡山市営墓地駐車場を利用。
この岩(写真)は、備前国児島の藤戸合戦で名を上げた佐々木盛綱(1151~1216年)が騎乗して駆け上り、藤戸海峡を眺めたという伝説があり、その馬の足形が岩の窪みとして残っているというのである。幾ら勢いがあっても、まさか馬の足形が付く訳はないが、古くからその存在が知られていた岩なのだろう。
もともと、この地は操山山系の南西端にあり、海に面していた。「網干の浜」が「網浜」となり、「馬の足形岩」のすぐ横にある古墳は「網浜茶臼山古墳」(操山108号墳)と名づけられている。この古墳が重要なのは、近くの操山109号墳(平井)とともに、数多い操山の古墳群の中でも最古クラスであり、「箸墓古墳」との相似や出土品(特殊器台型埴輪等)のためであり、位置的に、この地の海人族の首長の墓だろうと思われていることにある。ここに古社がないのは、ひょっとすると、古過ぎて神名帳以前の聖地だったからなのではなかろうか。
さて、佐々木盛綱のほかの伝説をいくつか。①岡山市北区七日市西町にある旧県社「春日神社」に戦功を祈願して白羽の矢を奉納した、②同様に、古社「豊原北島神社」には甲冑(「色々威甲冑」。国重文)・武具を奉納した、③源氏方勝利の後、佐々木盛綱は児島を領することになったが、児島湾に浮かぶ「高島」に春日明神を祀り、灯明台を設けた(このため「高島」は「灯明島」とも呼ばれた、等々。


写真上:「馬の足形岩」正面。思ったよりは小さな岩だった。


写真中:上面。丸い窪みがある。


写真下:岩の後ろにある小高いところが「網浜茶臼山古墳」。「馬の足形岩」は、前方後円墳の方形部分の南側にある。

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