備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム180.備前国の磐座拾遺(その9・阿弥陀様)

2009-05-24 22:32:39 | Weblog
阿弥陀様(あみださま)。
場所:岡山市北区建部町建部上。「七社八幡宮」境内右手(電波塔の方)から、山道を徒歩5~10分。
前項で記した「七社八幡宮」から北の方の尾根に向かうと、旭川に突き出したところに、通称「阿弥陀様」(写真中・下)がある。側面に磨崖仏立像が彫られた高さ2.6m、幅1.8m、周囲7.2mの花崗岩で、いつ頃彫られたかは不明だが、様式的には鎌倉時代頃かといわれる。山道の途中に「妙見堂」(写真上)や湧き水もあり、その先、ちょうど「八幡橋」の辺りから旭川~福渡方面の眺望のよい場所に四角い岩が祀られている。「妙見堂」は松田氏以来の日蓮宗由来だろうが、北方の守護神であり、戦国時代以降は「阿弥陀様」・「妙見堂」ともに見張台の役目をしていたのだろう。「阿弥陀様」が古代祭祀と関連のある磐座なのかはわからないが、その在る場所(神社の上にあることも含めて)・岩の形などから、如何にも、と思われる。
なお、「七社八幡宮」は「法寿山」(212m)の東麓にあるが、そこから南側に少し歩くと題目石が並んでいるところがあり、その上の雑木林の中に「願成寺跡」がある。今は石造五輪塔(室町時代後期以降)などがあるだけで、寺院跡のイメージは湧きにくい(願成寺は字地名で、そういう名の寺院があったか不明。)が、平安時代後期の瓦が出土しているらしい。古代山陽道のシリーズで少し触れたが、この時代の瓦は寺院か官衙にしか使われていなかったとされているので、当時の郷の氏寺であった可能性がある。また、「法寿山」の東~東南斜面には32基もの古墳があることも知られている(法寿山古墳群)。こうしたことから、この地も早くから開け、「法寿山」も聖なる山だったかもしれない。

岡山市のHPから(建部町観光情報:石造美術):http://www.city.okayama.okayama.jp/takebe/kankou/bunka/sekizou.html


写真上:途中にある「妙見堂」内部。


写真中:「阿弥陀様」横から。


写真下:「阿弥陀様」正面。印相は「施無畏与願印」で、釈迦如来像に多いが、これを阿弥陀様とした理由は何だろう。

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