備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム142.一宮(その5・美作国一宮、二宮)

2009-03-29 19:12:44 | Weblog
吉備国が備前・備中・備後の3国に分国された時期は正確には不明だが、備前国から美作国が分国されたのは和銅6年(713年)4月3日と記録されている(続日本紀)。
美作国一宮「中山神社」の主祭神については古くから議論があり、現在では鏡作神とされているが、「大日本史」などでは吉備津彦命とし、「吉備津神社」を称していないが、「中山」という神社名は「吉備の中山」から採ったものとしている。社伝では慶雲4年(707年)の創建としているが、創建の日が4月3日(これを「シガサン」という。)で、美作国建国の日と同じことから、分国と同時に創建されたのだろうといわれている。鏡作神の素性がはっきりしないうえ、この創建時期からして主祭神・(大)吉備津彦命説にもかなり説得力はある。主祭神がどなたにせよ、「中山神社」が美作国唯一の名神大社であり、一宮であることに疑いはない。このように、備前国から分立された美作国に立派な一宮があるので、備前国・備後国には一宮がないとする(備中国一宮「吉備津神社」をいわゆる三備一宮とする)説が攻撃される所以である。
美作国の一宮が「中山神社」で、二宮が「高野神社」であることも特に異論はない。しかし、式内社「高野神社」には判定困難な論社がある。一方が津山市二宮に、もう一方が同じ津山市の高野本郷にある。この判定を論じれば1冊の本が書けそうだ(例えば、藤本頼生著「美作国式内社考証をめぐる諸問題」)。管見では、地名を神社名としている津山市高野本郷の「高野神社」が本来の式内社であったが、その後、津山市二宮の「高野神社」が勢力を伸ばし、二宮の地位を獲得したのではないかと思われる。「一宮」を制度とみなければ、式内社に拘る必要もないのではなかろうか。

岡山県神社庁のHP(中山神社):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=03056

同(高野神社(津山市二宮)):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=03005

同(高野神社(津山市高野本郷)):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=03065


写真上:美作国一宮「中山神社」


写真中:美作国二宮「高野神社」(津山市二宮)。鳥居前の石柱に「式内高野神社」「美作二宮」とある。


写真下:「高野神社」(津山市高野本郷)。こちらの石柱には「式内社高野神社」とある。

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