備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム200.国貞老葉の墓

2009-08-14 22:29:05 | Weblog
国貞老葉の墓(くにさだろうはのはか)。
場所:備前市吉永町神根本。備前国三宮「神根神社」の境内(神社正面左手)に社務所?があるが、その裏手に回る。水田から一段高いところにわずかな畑があるが、その奥、山際に小さな石塔が並んでいる場所がある。「和氣公家臣國貞老葉墓」という立派な石碑も立っているので、すぐわかる(写真)。
国貞老葉というのは、和気清麻呂の家臣で、筑紫にもついて行った、ともいわれるのだが、それ以上のことは不明。和気家の家臣だが、清麻呂より後の時代の人物だ、という説もあるようだ。現在も国貞老葉の子孫が当地に現存しているともいうのだが、一書によれば、国貞氏は「神根神社」の神官を務めた家柄ということなので、あるいは、後から旧和気郡の偉人である和気清麻呂に関連付けたのかもしれない。
「神根神社」の項(2008年5月24日記事)にも少し記したが、現在の祭神は「木花咲耶姫命」だが、もとは和気氏の始祖「鐸石別命」ではなかったか、という説もある。吉永町神根本というと、ずいぶん山の中だが、和気町から備前市三石までは、県道96号線(岡山赤穂線)やJR山陽本線が通っているところが古代山陽道のルートであり(2008年12月31日記事)、吉永町神根本の辺りは八塔寺川の水も豊かで水田も広がり、地政学的にも重要な場所だったのかもしれない。あるいは、吉永町金谷には古社「金彦神社」(2008年5月29日記事)もあり、「鐸石別命」の鐸石というのは銅鉱石の意味だそうで、鉱業的な地域だったのかもしれない。「神根神社」が備前国三宮で、旧和気郡唯一の式内社である、というからには、それなりの意味があったのだろうが、今となっては、よくわからない。
国貞老葉の墓のことに戻るが、並んでいるのは明らかに五輪塔で、石碑の後ろの木は樒(シキミ)らしい。最初の石塔が現在まで残っているとは考えられないが、いつの頃からか、墓として仏教式に祀られてきたのだろうと思われる。
ちなみに、「改訂岡山県遺跡地図(第9分冊東備地区)」(平成15年3月)には遺跡として採り上げられていない。