建築科受験になぜデッサンが必要なのか? goo.gl/bcuwQi
— 高橋順一JunichiTakahashi (@jtakahashi771) 2017年8月3日 - 14:22
建築科受験になぜデッサンが必要なのか?
パート1.
早稲田大学建築科AO入試が求める能力と人材。
■芸術的感覚の構築➡自己PR資料に入れる”デッサン作品”等。
■空間に関する基本的描写力➡1次試験筆記試験: “鉛筆ドローイング+作文”。
■空間表現力の構築➡自己PR資料に入れる、”立体構成・建築に関するアイデア、
イメージレンダリング、完成予想図や建築模型など、建築へのあこがれや熱意。
■リーダーシップ(責任)に関しての自己判断。
20世紀建築を主導した、ル・コルビジェは終生、デッサンを描き続けた。
正午迄は絵描きとしてデッサンや絵画(油彩)を自由に制作し、午後から
自身の建築スタジオで建築家として、この2つのライフスタイルを貫いた。
時には自信で独自の編集でデザインの雑誌も出版したことは、知られている。
午前中は私人として外観の世界への探求は、「自由な創意として、芸術家(画家)
として自由に絵を描いた」。午後は公人として「技術者としての建築家」として生きたが
この”建築工学家”と”建築芸術家”の両腕を結びつけたいと書いている。
彼は”建築という総合芸術の感動”を創り出すには、芸術では”主題を探し発見”し
“考え出したものしか明らかにならない”。伝えることのできるのは仕事の果実である
「思想」しかない、後生に伝える唯一のものと書いている。
いくら財産や手に入れても、生の定めとして自然はすべての活動を死によって閉じる。
コルビジェはデッサンを自分の眼で見て観察して発見することであり、その見る事を
(事物が生まれ、育ち、花が開き死んでゆく)学ぶことをデッサンする。
そういうことから観察から鉛筆で発見する。
■デッサンは言語で,科学、表現手段で思想を伝達する手段であり、ある種の
イメージを存続させながら、デッサンしたあと消えてしまう。その物(感動)を
喚起するのに必要である。
美術家にとってのデッサンは、束縛のない感心の赴くところに専念し、美と感動の
表現に没頭できる唯一の可能性がある。研究、吟味、記録し分類する手段であり、
観察、理解し、解釈し、表現したいと思う物を使う手段である。
“芸術はデッサンなしに自らを表すことができない”
Design & copyright all reserved by Junichi Takahashi©2017
パート2
それでも、なんとなくデッサンの意味がわからないという受験生の声も聞こえて来そうですので、現代に置き換えて説明して見ましょう。
映画監督の場合を例にとると、例えば黒沢明監督の場合は二科展などに出品した時もあり、コルビジェ同様に絵コンテ(デイズニーが考えたストーリーボード)を自分で描いています。宮崎駿さんも自分で描いていますね。
絵コンテを考えた、ウオルトデイズニーも最初はミッキーマウスを自分で考えて描いていますが、アニメーションなどの発展すると、数多くのアーテイスト(絵描き)を採用してイマジニアとして、総合プロデユーサーとして活躍しますが、自分でも描けるから数多くのアーテイストに的確な指示ができたのです。それは最終的なイメージを自分が知っていたからです。
20世紀建築の3人の偉大な建築家である、フランク・ロイド・ライトも美しい完成ドローイングを自ら、特注の500色の色鉛筆や水彩絵の具を特注した日本の手漉き和紙に、丁寧に特別の縦長比のモヂュールで描いた有名な、「落水荘」などの完成予想図レンダリングや、グッゲンハイム美術館の絵が有名ですね。
映画やアニメーションや動画などの場合は、脚本(台本)はすべて上演用に書かれたもので、登場人物や背景描写、時代設定なども文字で表現されています。監督は全体を把握して一つの映画を作る総合プロデューサーのために、数多くの人々をうまく統制して創らなければなりません。そうすると、時系列で表現する場合はそれぞれの場面を撮影しなければなりません。
その為に絵コンテを描いてスタッフにイメージをつかませるために描いたものです。台詞、音などを簡単に描き入れてあり、ここから制作が始まります。
つまり早稲田の建築科AO入試で出題される文から、どういう絵を描くか?はもし10人の監督がそれを脚本あるいは台本の一場面とすると、まったく異なる俳優、カメラやアングル、セットかロケにより10通りの画面ができます。もしもそれがポスターであれば、10人のグラフィック・デザイナーであれば、すべて異なるデザインになります。
だから、自分が監督になってこの場面を撮影する場合の絵コンテを描くというセルフイメージを持って、登場人物、背景やストリートファニチャーや小物、室内か屋外か、季節、時間帯、光と影、カメラアングルをどこにするか?上から見下ろすか?画面の中心に入れるのか?床と同じか低いローアングルで撮影するか?など自由にアイデアを最初は簡単にちいさな画面サイズに、簡単なスケッチでいくつか描いて見ましょう。それはとても楽しい作業なのです。これが「感情移入」するというアーテイストが想像力を自己暗示する方法なのです。
初心者は最初二一つのアイデアにこだわり、それを細かく描き込めば良いと考えますが、プロはいくつかのサムネールスケッチという、小さいスケッチで描いてみて、その中から良い物を選び、画面を大きくして例の秘密の構図法を使い、縦横比からどのくらいの分割にするか?フォーカルポイントをどこにするか?
一点透視図法か二点透視遠近図法がいいか?という詳細な検討が、この段階で試す訳ですね。
光の侵入角度、斜光か全光か、逆光か。登場人物の光に当たる部分と影の配分や、床面に出ている影は適切か?
遠景にいる人物の大きさは適切か?画面内にある家具や備品、カンバンやその出題の国の言葉か?建物や文化の特徴をイメージできたか?天災や地震などの場合は、建築家である自分ならどういう解決提案ができるか?
など、
さまざまな出題が予想されますが、やはりこれからの建築を担う世代である、若い世代である君達の
未来への希望を踏まえた積極的でポジテイブな、自分を信じて自由で柔軟な独自の発想を期待されています。
普段から数多くのスケッチを、過去問題などの解答練習と共に、自然物や身の周りの物をデッサンするように
して見ましょう。それと建築の雑誌など見るときも、そのページの写真のカメラマンの目の高さを見つけ、どこにポイントを集中させているかを分析して発見して見る事で、自分が過去問のドローイングを描く時の参考にしましょう。
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高橋順一公式サイト
https://www.junichitakahashi.info
早稲田建築AO/サイトアドレス
美大合格塾サイト
人生のただ一つの庭における、自分に与えられた使命である、日々の剪定をする事は
— 高橋順一JunichiTakahashi (@jtakahashi771) 2017年8月1日 - 16:13
とても大事なことであると思います。 goo.gl/zmbB9j
「早稲田建築AO入試で合格するための、空間造形表現力の3つの秘密・・これを実際に制作するだけでいい。まずは行動する…」
・1次試験筆記試験—鉛筆ドローイングと、
・ 2次試験におけるプレゼン用自己PR資料制作と空間表現力の
目標
「早稲田建築AO入試で合格するための、空間造形表現力の3つの秘密・・これを実際に制作するだけでいい。まずは行動する…」
・1次試験筆記試験―鉛筆ドローイングと、
- ・2次試験におけるプレゼン用自己PR資料制作と空間表現力の
目標
- A.芸術的感覚の構築:
➡1. デッサンや素描を行う、
2. 歴史的画家や彫刻家の実際作品を鑑賞する。展覧会を鑑賞する。
B. 空間に対する基本的描写力:
過去問題の鉛筆ドローイング3年~6年分
➡1.デッサンや素描を行う、空間表現力/ 陰影と量
感、質感.
2. 透視図法の理解と演習など枚数をこなすことで
習慣化する。基本形態、自然物、室内空間、街並みや人の
素描,建物の外観と人、
C. 空間表現力の構築
➡立体構成・建築模型制作、完成予想図、アイデアドローイング、アイデア、
D. 自己PR資料制作: 章立て、構成
➡早稲田建築が求めるAO入試での人材と才能。
創造豊かで、芸術的感覚を持ち、指導力豊かで、率先してチームをまとめあげる活発な学生。
➡ 自分自身を狭い意味でのただの受験生の一人とう意識を捨てる、自分は建築芸術家を目指す
建築という総合芸術家であるという、自覚と意思を持つこと。それは、今現在開催中の、彫刻家「ジャコメッテイ展」でもいいし、「ダビンチとミケランジェロ展」を見て、自分がその系譜を次ぐ一人であると言う、啓示でもかまわない。ただの専門分野の技術者で一生を過ごすか?それとも、創造者として
その分野でさまざまな新しい取り組みをしながら、真剣勝負で自分のただ一度の人生を、当てられた使命や天職、天命を自覚して人まねではない自分自身の等身大の生き様を耕すこと、あるいは与えられた
樹木を剪定する神の庭師としていつも剪定して行くかは、むろん君の人生だから自由であると云える。