エピロードその2:奇跡の“音のないコンサート/創造神との遭遇”の話……再考
私はその時35才であり、自宅のちいさな絵画塾から偉大受験生の増加で
新しいRCの打ちっ放しの3階建物で新しいスタートを初めていた時だった..
そしてある機会を得て1985年の12月に、成田発のNorthewest Chicago 4で
シカゴの美術大学やデザインの専門学校への視察の旅に出かけたのである。
そしてその奇跡は私一人に起こったのである。シカゴ美術館付属(芸術大学)
シカゴアートインステイツーとレイボーグアートスクールなどの責任者と
学内の環境やシステム説明などを受ける旅であった。
しかし時は、クリスマスシーズンであり、イリノイ州の最大の都市である。
ミシガン湖からの吹き下ろしの風はトンでもなく寒いのである。
共和党の重要なロビイストの人の個人宅や政治あるいは
シカゴの経済界の重鎮などとのプライベートの会合に参加していた。時は
レーガン政権でありナンシー夫人などが話題であった….
連日のジョンハンコックセンター100階の
レストランでもまた…
そしてそれは1985年の12月のシカゴシンフォニックフォールで定例の
ショルウテイ指揮の、シカゴフィルのクリ スマスコンサートでの、幸運に
恵まれた。それは シカゴフィルの主要パトロンしか手に入れることが
出来ないVIPボックスシートで聴ける特別チケットであった。
出入り口とエレペーターも一般席の入場入り口とは異な り、周りは品のよい
上流階級のミンクのコートと、エスコート役の男性は焦のタキシードに
シルクのシャツという出で立ちの人々であった。
その信じられない巡るめく異次元に引き込まれた体験は言菜で語るには
とても難しい体験であった。ギャングの街とアメ リカの一地方オーケストラを
世界的な存在にした作大な指揮者の衝撃な世界との出会いにしては、今から
考えても説明が出来ない不思謡な体験であった。
「コンサートなのに音が闘こえないのである,
" はじめにショルウテイが紹介さてから、私は自分の目がどうかしたのか?
それも音が聞こえないのも自分の耳がどうかしたのか?
周りの人々はみんな聞き入っている。しかし私には 見えるにはまぶしい
ほどのこの世のものと思われない壮大で荘厳な光が動いている姿でがなんと眼の前に
光り輝いている…音もなく、一切の言葉もなく….
私はそれをデッサンをする時のように、細部と全体を冷静に観察した。
それはあたかも生命体のように呼吸しているではないか、その周りには輝く
後輪のような赤と青、そして黄色という色彩線状の輪郭が見えて その色彩が
光全体の輝きとと共に連動しているではないか, それからそのぎらぎらと
光る生きている存在は、私の心に語りかけたのである….
存在を感じた。ぎらぎらと光る生きている………広人な生命エネルギーの存在は
無限であり、宇宙意識のように感じた。その存在が私に同じ言葉を伝えて
いるのである。「全ては慈愛であり、それがすベてである…」
無限の宇宙意識はただその事を私に語りかけていたのである。
一瞬、自分がおかしくなったのかと思ったが、手と足は自分の意思で
勁くのでそうではないことが確認していた。それからどのくらい時間が
経過したのか?全くわからないが演奏終演後に再び ショルウテイが孵台で
お辞儀をしているショルーテイと楽団貝と共に観客の万雷の拍手の音と
共に意識が戻ったのである。これはその特別の啓示を私がもらいそれを
実践しなさいといういう風に私は受け止めたのである。
神秘体験と言うのは人の人生にそう何度もあることではないが、私には
心にのこるできごとがたくさんある。
そう多くはないと思うが、曖昧なぽんやり した体験ではないので、
実際に見て経験 したことはそう そう忘れることできない。
潜在意誤にとても深く焼き付けたのであった。
それは、その後のアートスクールの美大受験生や社会人、あるいは
子供コースを指導する上で自分の「使命や価値観」の礎になっている。
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