
録音セッションのカラヤン (ゾフィエンザールで)。 カラヤンの DECCA 録音集。
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「オケが売上の印税をもらおうとするなら、セッション料金ーー実際にセッションに参加した楽員たちに支払われるものーーは、その印税からの前払いになる」(267p 20章「カラヤン登場」から)
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『レコードはまっすぐに』- あるプロデューサーの回想 - ジョン・カルショー 著/山崎浩太郎 訳 (2005年 学研)
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「例えば レコード会社が、ある録音でオケに 5万シリングを現金で支払うと、総売上の 5% にあたる印税が、同じ金額に達するまで 新たな支払いはない。 この計算はレコード1枚毎ではなく、1年間の合計で行われる」
__ 解りにくいですが、例えば 録音時にオケに 500万円払い、1年分として 500万 ÷ 5% = 1億円 となります。 レコード売上 1億円 =2千円 × 5万枚 として、全世界でクラシック 5万枚を1年で売るのは厳しい。 3~4年掛けないと達成できないと思います。
ここで レコード会社にとっては、経営上 不利にならないよう 新たな “手法” を考え出します。 DECCA が VPO の専属となった1950年代の頃のようです。
「そこで (DECCA 重役) ローゼンガルテンは、毎年の印税を固定額で “買い取る” という契約を VPO と結んだ。 ある年の実際の印税が、(固定額よりも) 多くなる事もあれば、その逆もありうる。 (どちらにとっても) 賭博のようなものだ」
「年月が経つにつれ 若い楽員がもっと情報を求め出した。 印税が (固定額よりも) ずっと高額なら どうなるのかが、彼らの疑問だった。 ローゼンガルテンは、情報開示を拒み、事態を面倒にした」(268p)
__ 賭博をしているのですから、VPO と DECCA とどちらが累積で損をし、儲けているのか情報を持たない VPO は解らないでしょうね。
「ずるいやり口だったが、不正とまではいえなかった。 その差額を知らなくても VPO は損しないというローゼンガルテンの主張は、不満楽員たちを納得させなかったが、沈黙を保っていた」(269p)
__ こうした不満が溜まっていって、70年頃には VPO が DECCA 専属を離れ、各社と契約するようになった原因の1つではないでしょうか。 契約内容がグレーのままだと、いつかは破綻してしまうものです。
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「カラヤンが DECCA に幻滅した大きな要因は、印税の支払いに関する事だった」(454p 33章「2つのカルメン」から)
「殆どの契約では 印税額は年に2度計算された。 実際の支払いは、海外での収入額が入金されてからになる。 ロンドン本社と直接契約している音楽家の場合 金額の多寡に関わりなく、期日通りだった」
__ ここまでは極く普通の話しですが、スイスが絡むとややこしくなってきます。
「多くの音楽家は、スイス・フランでの受け取りを好んだ。 スイス・フランが安定通貨で変動幅が小さかった。 何人かの音楽家は、スイスに会社を設立して、その会社が得た収益 … つまり音楽家の印税 … に対する税金が全く、或いは殆ど発生しないようにしていた」
__ 昔 スイスの銀行の秘密口座に入金させて、マネーロンダリングするというアクション映画の場面を思い出します。 ゴルゴ13にも 依頼主がスイスの銀行口座に入金し、依頼ごとをするシーンがあります。 今は各国の税務当局とスイスの銀行は情報をやり取りして、そういう事 (税金逃れ) はできなくなっているようです。
「(チューリヒ在住の DECCA 重役) ローゼンガルテンは、この業務によって過大な幸福を手にしていた。 音楽家がスイス・フランでの支払いを望んだ場合、計算書を付けてロンドンからチューリヒへ年に2度金銭を振り替えるのは何の違法性もなかった」(455p)
「彼の仕掛けた罠は、ロンドンからスイスの銀行の音楽家の口座に “直接支払う事を認めなかった” 点にあった。 音楽家に不利な計算違いをする場合に備えて、自分でチェックして音楽家の便宜を図りたい、というのである」
「大概の音楽家はその金銭に執着したから 歓迎し、そのために支払いが不定期に遅れるのは仕方がないという事になった。 その間に莫大な利息が生じ、ローゼンガルテンは幸せになる」(456p)
__ 以前読んだ「大番」(獅子 文六の小説) の主人公のサヤ取りのような話しですね。 でも この重役は音楽家の無知を利用して、その上前 (=利息) を跳ねているのですから、褒められた話しではありません。
「イギリス人を除いて 大多数の音楽家がローゼンガルテンの事務所を精算所としたため、その金額は天文学的なものになった。 そして法に触れていなかった。 だが カラヤンと彼の弁護士は、大多数の音楽家よりも頭が回った」
「最初の数回の遅延によって、相手のやり口を掴み始めた。 計算書のチェックが必要という主張では誤魔化されなかった。 カラヤンの収入がとても大きかったからで、1時間でも早く渡すのは嫌だった。 これがカラヤンの移籍に繋がった」(458p)
__ カラヤンの DECCA 録音はドル箱だったでしょうから、できるだけ遅らせて その間の利子を稼ぎたいのは見え見えだったはずです。 こんな “セコイ事” をしてまで稼ぐ事務所は、音楽家に巣食うヒルかノミのような寄生虫です。 (寄生虫が音楽への情熱など持たないのは当然ですから) DECCA 重役たちは録音現場には一歩も足を踏み入れようとしなかったそうです。
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一方で ニルソンは自伝の中でこう述べています __
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『ビルギット・ニルソン ~ オペラに捧げた生涯』(ニルソン著 春秋社 2008年刊 ⁂) __ 12章 レコード録音 から ”効果音そして資金”
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「ローゼンガルテンは音楽は全く解らず、金銭に限らず あらゆる面でケチケチしていた。 カラヤンはローゼンガルテンの事を、彼と握手した後は、指が全部付いているか数えなければならないとよくいっていた」(⁂ 423~424p)
__ 企業のマネージャーとしては優秀でも、音楽家たちと心を交流させるほどの人物ではなかった様子がうかがえます。 その音楽家たちをつなぎ留めていたのは、何がなんでも企画された録音をやり遂げるという情熱を持っていたプロデューサーやエンジニアたちだったのでしょう。
今日はここまでです。