
ラインスドルフ指揮ボストン響のベートーヴェン全集・第九。 ベーム指揮 VPO。
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プラシド・ドミンゴ (T) は第九録音に2度参加しています。 ラインスドルフ指揮ボストン響と、ベーム指揮 VPO です。
ラインスドルフとの最初の関わりは第九ではなく、ハイドンの『天地創造』との共演です。 1960年代初めの頃でしょう __
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「私の (『天地創造』の) ソロ・アリアは四分の三拍子だった。 私はそれを流れるようなテンポで歌う積りでいた。 ところが ラインスドルフはもっとずっとゆっくり __ 実際 一音一音がバラバラになるくらいゆっくり __ 演奏しようと決めていた。 私だって彼のテンポを知っていたら、喜んでそれに合わせていただろう。 ところが一回もピアノ・リハーサルをしていなかった。 オケ・リハを始めてみると 全然合わない。 彼は歌手仲間やオケの前でこういった __『ドミンゴさんねえ。 折り紙つきのミュージシャンってのは自分のパート (本分) をわきまえているもんだよ』 私はムカッときて返事もしなかった。 翌朝のリハで 私は楽譜を一切見ずにピタッと彼のテンポで歌ってみせた。 それからだ。 私と彼とはずっとうまくいっている。 私が最初に録音した第九は彼が指揮したものだ」(『ドミンゴ/スター街道 まっしぐら』95p)
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ラインスドルフは1960年代には盛んに録音していましたが、今はさっぱり人気がなくなってしまったように感じます。「演奏に求める水準の高さとともにその辛辣な言動で有名」(ウィキぺディア) だった事が影響しているのでしょうか。
60年代の初め頃 レコード雑誌で彼の第九 LP 盤の広告を見たとき、英米系の歌手 (ミルンズ/マーシュ/ヴィージー) に混じって 珍しくラテン系の名前 (ドミンゴ) があったので、覚えています。 第九ソリストはドイツ英米などのゲルマン系が多いですからね。
なお 小澤征爾は四半世紀以上 ボストン響の常任を務めましたがベートーヴェン全集は残しませんでした。 第五だけは TERARC から出しましたが、続きませんでした (売れなかったのか?)。 ベートーヴェン全集はのちにサイトウキネン管と録音しました。
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第九のテノール・パートって私はそれほど注目されてないのではと感じています。 やはり 出だしを歌うバス歌手に最も注目が集まると思います (私の偏見ですが)。
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「私にとって ベームは音楽そのものだった。 1980年 ウィーンで一緒に第九を吹き込んだ時は、ヨタヨタで歩くのもやっとなくらいだった。 だが一旦 演奏に取り掛かると、もの凄い。 まるで一本一本の指先から強力なエネルギーが発散されるみたいだ。 また解釈の面では テノール独唱のアラ・マルチャ (行進曲風に) の所で自然なテンポを取ったのに感心した。 よく指揮者たちは、ここを気違いみたいに大急ぎでやったり、歌い手が息が切れて死にそうになるくらいゆっくりやる。 が 彼のテンポは丁度いい。 そして 音楽の進行を完全に牛耳り、ソリストやコーラスに指示を出し、オケに出の合図をし、そしてわが身を投げ打って演奏に没頭する」(『ドミンゴ/スター街道 まっしぐら』243p)
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ベーム指揮 VPO で2度目の録音で、他の歌手はノーマン/ファスベンダー/ベリーです。 ヴァルター・ベリーの登場は62年盤のカラヤン BPO の第九以来で、約20年ぶりです。
ベームは VPO と2度録音していますが (73分/‘70年 77分/‘80年)、どちらも遅目の演奏です。 対照的に 4度録音したカラヤンは演奏時間が殆ど変わらなかったですね (67分/‘47年 66分/‘62年 66分/‘76年 65分/‘83年)。 加齢と共にベームは頭のネジが緩んで行ったが、カラヤンは締まってきたのでしょうか?
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出演者のエピソードを読みながら CD を聴くのも、なかなか趣があるとは思いませんか? クラシック演奏の同曲の違いは、そうそう判りませんよね。 一般リスナーでしかない私は、専門の評論家諸先生がたとは違いますから (そういえば 音楽雑誌が激減して評論家は発表の場がなくなって困ってるのでは?)。
今日はここまでです。